024 ずる休み
そう、高校は休みではない。太陽が激しく照り付ける今日も、校門は解放されている。生徒が自由に登校でき、授業も実際に行われている。
彩には、予め偽りの事実を伝えていた。バカ正直に事情を伝えようものなら、門前払いして今日一日が無駄になってしまうことを嫌がったのだ。
彼女のマシンガン尋問をインターホンで受けたが、扉は開けてくれた。信頼感でうさん臭さを飲み込んで、陽介を咎めようとしなかった。
……まだ、言い訳を続けるか……?
しらばっくれようとするのなら、材料はてんこ盛り。夏風邪の蔓延で学級閉鎖になった事や、学年行事の前日は授業が無くなることを捏造できる。
陽介は、背筋を伸ばして直立した。不義理なのはこちら側なのだから、姿勢くらい正しておかなくてはならない。
「……ずる休みしてきた。今日は……、あんまり重要じゃない授業ばっかりだったから……」
『彩のため』とは表に出さない。まるで彼女が陽介を非行に走らせたように責任転嫁した感じがして、一種の裏切りに思える。
疑問の符号でいっぱいだった彩が、背後に青白い炎を宿らせた。キャンプファイヤーで取り囲むオレンジの炎とは温度が違う。怒りのガスが、安定して供給されている証だ。
窓の鍵が開いていれば、身を乗り出して脱出することが出来ただろうか。二階からの飛び降りで生死を彷徨うことは稀で、無傷で着地できる可能性もある。修羅場をひとまず回避する手段としては、中々侮れない。
……そんなことして、彩が許してくれるとでも……?
借金をして大敗した麻雀ではないのだ。窓から逃げる発想は裏社会漫画の見すぎで、一時の平穏と引き換えに最大の親友を失ってしまう。陽介も望んでおらず、彩も救えない最悪の結末だ。
「……今すぐ……、戻って……!」
彩の一言一言が、地響きを発生させている。近隣に山がないことが幸いだ。
一歩前進した彼女の気迫に押され、陽介は壁際へと退いた。よく見ると、背中側に回した左手には、何かが隠し持たれている。真剣で、大罪を犯した陽介を介錯しようとでも言うのか。
「もう、戻れない。……行きたくない。学校と彩、天秤にかけて重かったのが彩だったんだ」
野良犬の喚きであることぐらい、百も承知だ。一刀両断で切り捨てられて、何を恨むだろう。良かれと思った行動で、彼女の忠義心に火をつけてしまったのだ。
……彩が、放っておけない。あと二週間、なんて言ってられなかった。
彩には『二週間』とタイムリミットを告知しているが、実際のデッドラインは内側に食い込んでいる。あくまで最低限の基準が二週間なのであって、安全圏には程遠い。
人間、完全無欠ではいられない。マスクやアルコール消毒をしていてもインフルエンザは完全に防げず、一日で回復する万能薬も無い。熱は引くかもしれないが、出席停止で五日間は登校不可になる。
彼女が、そのような病気に倒れたらどうなるか。経緯を考慮に入れてくれない高校は、特別な事情なくして出席日数が足りなかった彩を留年と決定するだろう。
一刻も早く、無間地獄の業火が取り囲む希望無き地から救出したい。その思いが早まって、九時代に訪問してしまった。
「……心配……、してくれてる。それは……分かる」
こんな時でも、相手の尊重は怠らない彩。インターホンの受け答えでは素っ気なくても、勝負で毒を吐くいけない子でも、のっけから相手を侮りにかかってはいないのだ。根っこは真っすぐ生えていて、地中の水分と栄養を吸収してすくすく育っている。
彼女は深く会釈をし、それでも、と逆接で返してきた。
「……身を削る……、いけない……」
所詮、自らの価値を投げ捨てて他人を助けるのは偽善。表向きはネットで称賛の嵐になる聖人君主でも、受け取り側からすれば勿体ない人になる。
……自己犠牲、なんてするつもり無かったのにな……。
自己の手が届く範囲で手伝う、と心に決めていた。契りを破ったことに、握りこぶしがわななく。
もっと踏み込むと、『出来る範囲で手伝う』も余計なお世話なのかもしれない。彩も女子高生であり、自立して生きている子もいる年頃だ。江戸時代にタイムスリップしてみると、ほとんど社会に組み込まれている。
底の無い下降気流から脱出するきっかけは、自分自身から。心理系の病気の鉄則は、その通りだ。周りがサポートしていても、手取り足取りはせずにじっと見守る。長期間回復を忍耐強く待ち、車いすから立ち上がる瞬間を望む。
いずれにせよ、自己犠牲は自己満足にしか繋がらない。命を捨てて得られるものは、物理的な他者の命と作られた涙だけである。
「そうだよな……。……彩がこんな状態で苦しんでるのは、俺が一番分かってあげて無いといけないのにな……」
無口で、嫌な感じ。とっつきづらく、命令も聞かない目の上のたん瘤。中学校の彩は、スケープゴートにされていた。クラス内で発生したゴミがゴミ箱へ集中するように、ヘイトが全てベルトコンベアーで彼女へと運ばれて行った。
彩が、内なる思いを告げられる場所は、家族を除いて陽介しかいない。陽介の前では、顔色を伺わずに本音で接してほしい。彼女から遠慮される時は、絆が綺麗さっぱり洗い流された時だ。
呼吸穴の無い卵の殻で、もがき苦しむひな鳥がいる。翼を邪悪な人間にもぎ取られ、くちばしで殻を突くことしかできないひな鳥がいる。
……彩を、助けたい一心で……。
酸いも甘いも、彩と味わってきた。海に飛び込んで塩水にやられ、二人そろってパラソルの下でぐったりしていたとある夏の日。身体をタオルで拭いた後にプールへ飛び込み、こっぴどく叱られた市民プールの一幕。アルバムは、今日も陽介の中に積み上がっていく。
自己犠牲は、景色を色褪せさせる。他人の不必要な犠牲の上の成功は、手放しで喜べない。ぎこちない笑顔で、写真に写るしかない。
「……もう、帰ろうか……? 俺がいても、邪魔にしかならない。勉強もそうだし……」
『心もそうだろ』が、口に出せない。彩に、『陽介が邪魔』と言わせたくなかった。独り言であっても呟きたくない言葉を、強制的に発音させたくなかった。
自分で広げたノートを閉じ、やや大きめの肩かけカバンにしまっていく。余白を残したまま、今日の授業を終えることになりそうである。
彩も、そんな陽介を止める素振りを見せない。不正をして会いにきた招かれざる客には、私情をこらえて厳粛に対応している。何事においても、礼儀正しい。
「……家に帰って、勉強でもしとく。……放課後の時間になったら、来てほしいか?」
もはや習慣となりつつある放課後の特別授業も、契約は交わされていない。顧客である彩の請願で、陽介が訪ねているに過ぎない。仕事を断られれば、陽介に拒否権は無いのだ。
あれだけ日差しの強かった外が、雲に覆われていた。マジシャンも口に指をくわえて見守る早業だ。折り畳み傘は、持ってきていない。
『ピリリリ!』
授業開始の合図を、タイマーが伝える。十分のブレイクタイムは、緊張の渦に消化されていた。
彩は、タイマーを止めようとしない。耳障りな電子音が、鳴り続けている。
「……今日は、……そうして……。……お見送り……、する……」
「いいって。ずる休みした奴に関わらなくても」
カバンをかけて、彩の部屋を出た。忘れ物があったのなら、後日連絡してくれるだろう。
強情なことに、彩は気分を害した陽介に連れ添ってきた。蹴り飛ばして星にしたい相手を、わざわざ玄関まで案内してくれた。
……強引に断った方が良かったかな……?
善意とはいえ、彩に申し訳ない。けじめをとって、単独で帰宅した方が良かったのではないか。被害者に手伝ってもらうのを辞退して、キッパリとお気持ち表明をするのが最善では無かったのか。
陽介には、彩の申し入れを断れなかった。任意で尚お見送りすると言って聞かなかった彼女を説得する術を、持っていなかった。
「……ばいばい、陽介。……次は、……ちゃんと……」
手を高く上げ、小刻みに振ってくれていた。陽介から彩が見えなくなるまで、玄関から微笑みかけてくれていた。
彼女の瞳は、未だ闇が蔓延るままだった。
※毎日連載です。内部進行完結済みです。
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