09 魔王さま、死す① ☆大陸要図☆
魔王城で影武者? のバイトを始めてから3ヶ月経った。
季節は夏。学校は長期休暇に突入。
妹のノノともども、異世界でフルタイムシフトのバイト漬けになった。
魔王さまの愛娘、ツェツィーリアの帝王学とやらは相変わらずいまも続いている。
突貫バイトの24時間授業も絶賛継続していた。
ただ、フロとか閨を共にするとかは当然無くなっている。
どうやらノノあたりから【大人の帝王学(笑)】を教わったとみえる。
近頃はそういう類の話になるだけで、急に怒りだしたり、赤面したり、頭を抱えたりするなど分かりやすく取り乱す。
……ま、年相応の成長をしたんだと解釈すべきだろう。
……少し、……いや、結構ザンネンではあるものの。
総体的に言って高校の1学期はおかげさまで、そんな感じにそれなりに充実した日々が送れたと満足している。
「ああ。平和だなぁ」
「それフラグ立て? ドラマじゃ、ウザイ事件の発生確定だね。……あ、だからオニイはバカなのか。そっかー」
一言つぶやいただけなのに。
よくもスラスラと悪態がつけるな。
「だってよ。バイト始めた頃は今にも勇者が攻めて来るって雰囲気だったのに。そんな気配、微塵も感じんし」
「……城中のウワサ。何も聞いてないの?」
「ウワサ?」
ここは兵舎食堂だ。
たまたまノノとは視察業務でかち合って、相席で食事中。周りに耳が多い。
幸い次の業務まで、まだ少し時間がある。
気になる前振りでもあるし、いったんノノのタンスに通じる【転移ゲート】から自宅に戻り、話題を続けた。
「――二つあって。一つはその勇者。旧エフェソス城市が陥とされたそうよ、彼らによって」
魔王さまの拠点、エフェソス城市は大陸上にふたつ、ある。
新都と旧都のふたつである。
元々のエフェソス城市は大陸中原にあり、人間族をも支配下に置き、隆盛を極めていたが、凋落した今日では辺境の地に都遷りしている。
例の転移魔術を決行したことによって、城一個、丸々の移転をしたんである。
主の命によって旧都に残留した魔軍防衛隊だったが、とうとう勇者によって駆逐されたらしい。
街の住民のうち、人間族以外の種族は悉く追放され、宛ての無い放浪者になったと言う。
「魔王さまは――陛下は、なんで手をこまねいてんだよ」
唇を噛むノノ。
「陛下は……魔王タルゲリアさまは、重篤で臥せってるわ。これが二つ目のウワサ」
「……な、なんだって?!」
次の仕事の時間になった。
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「もう少し早くお報せすべきでしたかな」
「当たり前だ! 秘密主義も大概にしろッ!」
バンクさん、バツが悪そうに縮こまる。
サシャが両手のひらに皮袋を乗せてきた。
ズシリと重い。
「退職金だ。陛下から頼まれていた」
「どういうことだ?」
「解雇だ。勇者が来る前で良かったな」
はぁ? 解雇?
すぐ背後でノノが嗚咽を漏らしたのを識った。胸を刺された気がした。
気付くと魔王さまの執務室に向かう自分がいた。
魔王陛下は、いた。
涼しいカオで書類に朱印をついていた。
「何用だ? ベットでウジウジ寝ていると思ったか?」
「ウジウジってか。ウンウン苦しんでるかもとは思いました」
「……ああ、それはな。そりゃ相当痛くて苦しいぞ。だがな、少年。朕の生命はまだここにある。その扱いは朕の自儘である」
胸を叩き、クッと口の端っこを上げた。いちいち絵になる人だ。
「そ、そりゃそうですが……」
「悪かったな。もっと早く勇者が攻め寄せるかと思ったが、案外ノンビリ屋だったようだ」
「自分……僕、影武者なんですよね? なのになんで」
「影武者、か。影は本体あってこその影。本体が無くなれば失せるのは自然の理。赦せ」
影武者を雇ったのはどうやら作戦だったようだ。
ノンビリ屋と魔王さまは言ったが第一の目的は、健在ぶりを示し、人間族、特に勇者一行の反攻を少しでも遅くするためだったろう。
そしてこの作戦はたぶん一定の成果を上げたんだと思う。
少なくとも城周辺の魔王領内にまだ勇者も人間族も出没していない。
「ん? ッ――?! ガハッ?!」
話の途中で魔王さまが咳き込んだ。
近侍数人が走り寄り、慣れた動きでタオルのような物を渡す。
しばらく続いた咳き込みが、それを赤く染めた。
「バンクやサシャにどこまで聞かされた?」
「……は、はい。まだ特には。……しかし薄々察してます。二度目の挑戦を行ったんですよね? 転移魔術の? けれども失敗した」
「転移魔術には多大な魔力エネルギーと生命エネルギーを要する。だがそれだけではない」
「運……も必要だと?」
ニッ……と嗤う魔王さま。
同じカオだというのに、どうしてそんなに笑顔が恐ろしいんだ。気の毒になる。
実は僕もなのか?
「前回は城を転移させた。これは成功した。だが此度は不首尾だった」
「それで……命まで削られたんですか?」
「そなたの妹にもっと働いてもらうべきであった。アヤツの有能さに最近ようやく気付いた」
「……転移先の目標は何処に?」
魔王さま、答えようとして再び吐血。
今度は意識を失くしてしまった。
気が動転した。
どうにか大勢の手で寝室まで運んだ。
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壁掛け時計の秒針が耳につく。
ノノが振り子を掴んで無理に停止させた。
この時計は彼女が日本で贖い、魔王さまに献上した物だったが、やはり苛立ったらしい。にしても御前でそれは無かろう。
魔王さまの傍らには正室のアンナさん以下、第2夫人から第6夫人までいる。
第4夫人と第6夫人はこのとき初めて見たが、ざわつく心では彼女らを観察するゆとりは生じなかった。だがひとつ理解できたのは正室のアンナさん以外、ダンナの体調を聞かされていた者はどうもいなかったようである。
それは彼の子供たち、つまりはツェツィーリアも同様だった。
彼女などは病床にある魔王さまの枕元にすがりつき、何度も「パパ、パパ」と呼び掛けていた。
そして、その脇にアンナさんが幼少の子――この子は三女のリリ(リリは愛称。正名はリリティシュール)を抱いて静かに佇んでいた。
どうして自分らがこんな場にいられるのか……と訊くと、それはアンナさんの計らいだった。
この数か月、家族のように付き合ってくれたから……とのことだった。
それでもやっぱり遠巻きに見守るしかなかったし、空気に徹するしかなかったけど、そう言って気遣ってくれたのは何とも言えず嬉しかった。
その分これまで、「バイトだから」と割り切った自分もいたのでそれを思い出し、胸がズキズキと痛んだ。
ノノはどういう気持ちでいるんだろう。
彼女は面接のとき、「自分は転生者だ」と突拍子の無いカミングアウトをし、自己アピールした。
それを鵜呑みに信じ、採用してくれたのは結局、魔王さまの度量である。
その恩義を少なからず感じているのはすごく伝わって来る。
悔しいとか悲しいとか、そんなような感情を抱いているのは間違いないだろう。
だが病床に向ける眼はそれだけではなさそうだった。
――それは、アンナさんも同じだった。同じ眼をしていた。
「ノノ。こちらへ」
アンナさんがノノを招き寄せる。
弾かれたようにノノがツツ……と忍び足で駈け寄る。
直ぐに自分も呼ばれた。
他にはリヴィたん、バンクさん、サシャも。
代わりに第2夫人以下が退げられた。魔王さまの指示だった。
「……転移魔術の失敗だけが心残りである。……朕の死を可能な限り伏せよ。……魔王城を放棄し、勇者らの到来までに全員の退去を完了させよ。……第2夫人たちの処遇は当人の意思に任せよ。……殉死は決して赦さぬ」
ポツリポツリ吐く言葉は切れ切れだったが、間違いなく遺言だった。
この後も口述を続けたが、次第に脈絡の無いもの、辻褄の合わないものに変わっていった。
それでもアンナさんは気丈に、巧みにそれらの言葉を引き出していた。
――やがて、言葉が出なくなった。
再び自分たちが退り、第2夫人らとツェツィーリア、リリが前に出た。
まるで、その厳かな動き自体が、最後の儀式を執り行っているようにみえた。
――およそ1時間ほど経過しただろうか。
魔王さまに微かな寝息が聞こえたので、そっと、集まりの輪が解けた。
そのまま残ったのはアンナさんとツェツィーリアのみとなった。
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エフェソス大陸要図