30 豪人、斜陽に抗う⑤
「アリスさんもローザさんも故郷に帰りたかったんです。だから示し合わせてお送りするつもりでした」
そう。
アンナさんはただ、魔王陛下の遺言に従っただけだ。「当人らの意思に任せよ」と。
しかしその結果、こんな大ごとになってしまった、とアンナさんは憔悴した顔でうなだれた。
「アリスさん。ローザさん。僕が不甲斐ないばかりに城で不安な毎日を過ごさせてしまいました」
「あ、あの……わたくしたち……」
ふたりとも猫に睨まれた小鳥のように震えている。
何かを告げようとしたヘリードル将軍を察し、僕が先に話し掛けた。
「あなたたちふたりは政略結婚でエフェソス帝国に嫁入りしました。言わばエフェソス帝国に囲われた人質です」
青ざめたふたりは顔も上げられない。
この頃には追跡軍の本隊が到着し、ノートルダムの聖村は近年にない人口密度になり、ごった返していた。
中央広場の教会の一室を借りての尋問とは言え、その喧騒はまるで野戦場だった。
馬のいななきや兵士らの掛け声などが彼女らの怯えに一層の拍車をかけているようだった。
「人質は籠の中で大人しくしていてこそ、その存在を保てます。そして互いの国同士が仲違いしないように日々努めるのが、人質が自分の存在をPRするための唯一の方法です」
珍しくアンナさんが怒った。
「それは言い過ぎです、豪人さん。アリスさんたちもそれを重々承知したうえで――」
「分かっています、アンナさん」
「わ、分かっているって」
僕は努めて明るく、彼女たちに笑いかけた。
「アリスさん。ローザさん。あなたがたふたりは、僕が責任をもって故郷の国まで送り届けます」
「――え?!」
やっとふたりと目が合った。驚きにカオを歪めている。
「それは……何かと拙くないですか、陛下?」
「いいんですよ、将軍。もう決めた事です。おふたりとは正式に離縁します」
「あ……あの、パルマコシさま」
「アリスさん、短い間でしたが有難うございました。ローザさん、毎回の食事会、とても楽しかったです」
「そ、それは……」
「もう少し色んな話がしたかったですが。それだけが心残りです」
精一杯の気持ちを込めて、もう一度笑いかけた。
アリスさんもローザさんも、また黙ってカオを伏せてしまった。
でも多分、本心は伝わったと思う。
だって何か言いたそうに、ふたりとも肩を震わせてるんだもの。
護送の軍用馬車に乗り込んだふたりは、小窓から僕を睨んだ。
「あ、アレレ? アリスさんとローザさん、ひょっとして怒ってる?」
おかしい。
そんなつもりじゃなかったが?
「当たり前です。あなたは年下なんですよ?」
えー突っかかるなぁ、アンナさん。どゆコト?
「年下? 何のことですか?」
「年下の殿御にいいように格好つけられて。わたくしだって、それはそれは怒ると思います」
「は?」
将軍に助けを求めたが、さすがの彼も「解せない」と顔に書いてあった。
「去り際になんて事を、と申してます」
「ワカラン」
「分かりませぬ」
「娘の手前、分からなくて構いません」
悪戯っぽく指で僕をつついたアンナさんは、今日一番の笑顔を見せた。
――魔炎王タルゲリアの第2夫人アリスさんと第3夫人ローザさんは、こうしてエフェソス帝国から去った。
「――で? セリアさんは帰らないんですか?」
ムッと顔に朱を注いだセリアさん。彼女は第5夫人である。
彼女もこの逃避行に参加していた一人だった。
しかし今の今まで気配を消していたかのように大人しくしていた。
様子をうかがって話しかけてみた……が反応が薄い。てーか返事してくれない。
「セリアさん。黙秘を続けても時間がムダになるだけですよ?」
「……」
「別に咎め立てたりする気はないんですよね。知りたいのはセリアさんの希望です。帰国したいのなら馬車と護衛を用意しますよ?」
「……わたくしは」
「わたくしは? どうしましたか?」
あ、目が虚ろになった。どうしよう?
「ごめんなさい。ムリに結論は出さなくていいですよ」
「わたくしは一体……誰に愛されているのでしょう?」
「……え? えーと」
ど、どゆコト?
「わたくしは百華隊の一員です。エフェソス帝国のために働きたいと思って志願しました」
「あ、はい。そうでしたね」
「わたくしはお役に立てているのでしょうか。誰かのために生きられているのでしょうか?!」
こ、これは。
心の風邪かも知れん。
などとオロついたら、ジロッと顔を見詰められた。
「……目を逸らさないでください。ちゃんとこっちを見てください。わたくしもリコンですか?」
「あ? え、えーと。セリアさんがそれを望むな……」
「イヤです!」
「へ?」
「イヤ。ですっ!」
えー……?
ともあれ、セリアさんは僕らと一緒に魔王城に帰ることになった。
――で、帰りの馬車内での事である。
リヴィたんはサシャをいち早く城に護送するため魔狼を駆り、ツェツィーリアとセリアさんは後続の馬車に分乗している。
自然、僕とアンナさんが、アンナさん専用馬車でふたりきりとなる。体裁上は夫妻だもんな。
「豪人さん」
「は、はいっ、アンナさん」
「セリアさんはきっと、心配されたかった」
「はあ?」
「乙女心と秋の空。古い言い習わしですわ。くれぐれも責任ある行動をお願いしますね? 豪人さん」
「あぁ、それを言うなら男心と……」
「分かりましたね? 豪人さん?」
「……は、はい」
な、何やねんな、まったく。
……はぁ。
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カチカチ……と機械的な音がするのは、何処かに置かれたカラクリ時計だろうか。
無の世界を穿つ音。無に標が刻まれる音。
未来が迫っていると実感できる。
まるで胸に埋め込まれた砂時計。積もっていく砂のように。
僕は、夢とも現ともとれない非現実な部屋のまん中で、ベットに横たわる女の子を見下ろしていた。
シュテファーニャ。
それがこの子に与えられた名前だった。
名付け親はアンナさんか、魔王さまか。今はどうでもいい。
「出て来てくれ。ファウツー。キミにお願いがある」
1分か、2分か。
僕は待った。根気強く待った。
金色に光ったシュテファーニャの、背中の翼が広がり浮かんだのを僕は黙って眺めた。
そこに、在りもしない魔王さまとノノの姿が、そしてシュテファーニャの幻影が揺れた。
《見えるの? あたしが》
「……ああ。見える」
《じゃあ当ててみて? どんな形してる?》
「蝶。蝶みたいに見える小さな女の子」
《願い事は?》
「僕には力が足りない。大事な人を救える力を」
《覚悟は?》
「とっくにしてる」
《うーんと。どうしよう?》
「迷ってる余裕が無いんだ。頼む」
《んじゃ。お試しに》
なんだ?! お試しって?!
《へそ曲がりなんだ、あたし》
「待て、待ってくれ。消える前にひとつ教えて欲しい」
《メンドーだなぁ。ナニ?》
「ノノも君に何かお願いをしただろう?」
《したよ?》
「何を願った?」
小さくて可愛らしい妖精はヒクヒク羽根を動かして僕の肩にとまった。
ニヤニヤとシュテファーニャの寝顔を見下ろしてこう言った。
《素敵な兄妹愛だねぇ。お兄さんが知っている通りだよ?》
「ま、待て、待って! 分かんないぞ?!」
僕の頬に口づけしたファウツーは光を潜め、水に溶かした絵の具のように背景と混じり、やがて同化した。
もう一度話がしたいと思って待ち続けても、現れてはくれなかった。




