22 勇者、帝都を解放する②
「ねぇ、チュテレール。あのとき国王さまは何て言ってたの?」
「謁見のとき? うんとねぇ……」
問われた方の少女、チュテレールは切りすぎた前髪をいじりつつ首をかしげた。
覚えてなかった。
「何かねぇ、『魔王征伐、これからも頑張ってねぇ』……みたいな?」
「ふうん。何もかも人任せなんだねぇ」
「だいたいの人たちがそうだよう。わたしら光の加護の者の存在意義って魔物退治しかないらしいし。だから仕方ないよう」
赤髪のツインテールを揺らして、チュテレールが投げやりな口ぶりをする。
コレエダ・アンコは「ふうん」と中途半端な関心を残し、貨札を眺めた。黒い長髪が邪魔げにタラリと垂れた。どっちにしろ、書かれた文字は彼女には読めない。
年上のアンコとチュテレールは4つ離れている。
だが世話焼きはいつも年下の方が担っている。つまりチュテレールの役目だ。
「物騒だし、札は大事にしまってなよ。ヤバイのが寄って来るよう?」
言った尻からヤバイのが寄って来た。
猿っぽい赤ら顔の長身とキツネ目の巨漢である。双方、手に棒っきれを握っている。
「嬢ちゃんたち。痛い目に遭いたくなきゃ……」
「わんわーん。タチケテぇー」
まだ幼さを色濃く残すチュテレールが唐突にそう叫んだので、男らは「ふざけていやがる」と色めきだった。
そんな強盗犯の背後で「グルルル……」と獣の唸り声がした。
「ねぇ。この人たち、何て言ってるの?」
「そーさのう、アンコ。世の中には物騒な人と弱い人しかいないんだよう? この人たちは当然後者」
「じゃあ何でわんわんを呼んだの?」
チュテレールは召喚士だった。
そしてわんわん……は契約獣。二頭三尾の魔犬だった。
「わんわん、そろそろオナカすいてるかなぁ……って思ったから」
「ダメ! 人殺し禁止! 食人もダメ」
「ちぇ。ツマンナイ」
強盗たちに二人の会話は通じない。
それが日本語だからだ。逆に言うとアンコは異世界語が話せないのだ。
それでも喫緊の危機は察したようだ。
二人組の強盗団は、自分たちの2倍の身長はある巨獣から、転げつつ逃げた。
「しゃーなく見逃したよ。偉かったね、わんわん」
「一回召喚するのにも相当な報酬が掛かるんでしょう? 大丈夫なの?」
「だから他にムダ遣いしないようギルドに預けるんだよう。王さまからビタ銭もらったもん」
ビタ銭……と言うが、人ひとりが10年は遊んで暮らせる額である。
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「ジュドー、また酔っぱらってるのかなあ。身体が心配だよねえ」
「チュテレールはいっつも彼を心配してるねぇ。彼、実はお酒に弱いもんねぇ」
少女ふたりの仲はすこぶる良い。
光の加護の者同士は特異な能力でコミュニケーションがとれる。
日本出身のアンコが異世界人のチュテレールと普通に会話出来ているのはそのためである。
「心配してるってか、チュテねぇ。ジュドーに助けてもらった恩義があるから。ああ見えて、スゴクいい人なんだよ?」
一行のリーダーを務めているジュドーに、少女は淡い想いを抱いている。
それは恋心と言えなくも無いし、それとは全然別の次元の感情とも言えた。
ジュドー青年のエレメント属性は戦士となっているが、かつては世界一の剣士を志し各地の剣豪に勝負を挑む生意気少年だったそうだ。その時分に彼は、ある人助けをした。
魔物に襲われていた母娘を救ったのだ。それが出会いのきっかけだった。
そのとき娘――チュテレールは無事だった。
母親は背中に傷を負ったが、少年のとっさのヒーリング魔法で大事に至らずに済んだ。
その後、とある地方都市で光の加護召喚の儀式が執り行われ、コレエダ・アンコが招来する。先達たちの喝采に包まれて母は人生を全うしたが、それもこれも、あのときジュドーが母を生かしてくれたおかげだと感謝しているのである。
彼女の母は、当代きっての召喚士だったので。老婆の勇者に見込まれたので。
若くして光の加護召喚儀式の栄誉を賜り、その重責を果たした母を、彼女は心から尊敬し誇りに思っている。母のようになりたいと常日頃念じている。
だから彼女は、母が命を賭して召喚したコレエダ・アンコ、そして召喚儀式に母を導いてくれたジュドーを己が命に代えて護ろうと、強い決心を抱くに至った。
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――裏通りに新しい店ができていた。
コレエダ・アンコは新しい物好きなのだが、目を輝かせた彼女はその店に特別な興味を示した。
アンパンなる珍妙な食べ物を買い込み、道すがらで分け合った。
「何なのよう。コレ?」
「よくわかんない。何となく懐かしい気分がして。はい半分こ」
「要らないよう」
「そー言わずに手伝ってよ。ギルドに付き合ってくれたお礼だしさ」
仕方なく受け取り、一口。
「……まっず」
声が揃った。
「いやね。エフェソス帝国内で大ブームになってるニホンショク・シリーズなんだって。遠い異国からやって来た魔人……あ、いや異人さん? が大々的に売り出した新しい食べ物だって……」
「胡散くさ。こんなマズイの食べてるの、魔物くらいでしょ?」
「うーん。……なんか気になるんだよねぇ。……でも。思ってた味と違うと言うか……」
チュテレールは、カオをしかめるコレエダ・アンコを眺めた。
そんなアンコも元はと言えば異国の住人であるはずだ。
「ねえ」
「ん?」
「アンコってさあ。本当に元々からコレエダ・アンコなの?」
「うーんと……知んない。生徒手帳ってのにそう書いてあったから、多分そーだと思うよ?」
漢字で書くと惟江田杏子となっていた。
たまたま手帳に読み仮名と共に表記されていたので、ひとまずそれで確定した。
つまりは彼女、召喚前の記憶を完全に失っていた。
彼女自身、何処か異国の人間だとの自覚はあった。コレエダ・アンコという名前にも感覚的になじみがある。裏を返せばそれ以上の手掛かりは思い出もないのだが。
毎回この話になると、チュテレールは僅かばかり胸がチクリとする。
母によってこの国に召喚されたせいで、コレエダ・アンコは過去の記憶を失ったんじゃないか? と思ってしまうからだ。
しかし一方で、考えようによっては「特別な人間に認定されたんだから、きっと幸せなんだよ」と思い直したりもした。
他方、コレエダ・アンコの方はどうか。
彼女は気付いたときには知らない世界にいた。
ただ、元いた世界すら思い出せないので、年相応のスペックのみを搭載した、ひたすら無知で、まっさらな少女の人生を歩まなければならなかった。
まず真っ先に苦労したのは言葉だった。
召喚当初、彼女は一生懸命まわりに話し掛けた。
最初に日本語を試し、当然のように通じず。頑張って英語に切り替えた。
英語は苦手ではなかったが得意でもない。しょせん英検3級の実力だ。ボディランゲージに頼るしかない。
結果、まったく通じなかった。相手はただただ困惑顔を浮かべ首を振った。
根本的に、相手が話す言語が何語なのか、皆目見当がつかず。
最初の一週間は地獄だった。怖くて辛くて寂しくて、与えられた部屋から一歩も出ずにひたすら泣いて過ごした。寝て起きても夢オチになってくれず、状況はちっとも好転しなかった。
「そうだ。もう死のう。死んだらさすがに目が覚めるんじゃない? ウン、きっとそうだ」
絶望し、気がおかしくなりかけたところで、チュテレールが部屋を訪ね、日本語で話しかけてきたのである。
「あなた日本語、解かるの?!」
「日本語……? アンコの言ってるコトバならよーく解かるよお?」
チュテレールの首筋に光の加護の者の証となる痣が浮かんでいた。召喚儀式に立ち会った先達者たちは後にその報告を聞き、口々に「奇跡」を連呼した――。




