11 魔王さま、死す③
魔王さまがご健在のころ、彼の執務室で話し込んだことがあった。
城内の雰囲気や夫人たちの様子、アンナさんやツェツィーリアとの近況、その他に気付いた事なんかを日次報告していたのだ。
報告の後、少し雑談になり、おもむろにこう言われた。
「貴様の前世はどのような種族で何処に住んでいたのだ?」
妹と同様、魔王さまにはお見通しだったというわけだ。
「言動を見ていれば気付く。貴様は元々異世界の人だ。それよりも貴様の想いが知りたい」
「仰せの通り僕は前世、この世界の住人でした。人間族である小さな街の魔術騎士団に所属してました」
「魔術師だったのか?」
「可不可無い魔術レベルの下士官でしたが。ちょうど人魔戦争の時代で、僕と僕の街は魔王さまの軍勢に呑み込まれて、ひとたまりも無く灰燼に帰しました」
「それは……済まなかった。その時分は魔王の冠名に殉じておった。魔王はすべての敵を滅ぼすものだと思い違いをしておった。力のある者がすべて勝り、すべてを統べるものだと疑いも無く信じておった」
こんなに話す魔王さまも、そしてこんなにサシで話す機会も、今まで無かった。
一番下の娘さん、リリティシュールちゃんが3歳の誕生日を迎えたと、さっきサシャと話してたのできっと上機嫌だったんだろう。
「だがやはり、調子に乗っておったな。まさか魔導人形らに反逆されるとは思わなんだ。それが油断、傲慢だったというわけだ」
魔王さまが手を叩いた。
部屋には自分以外、誰もいない。
入り口のトビラが開き、サシャが一礼する。
「酒を持て。ふたり分だ。少しは良かろう?」
「お体、大丈夫なんですか?」
あまり丈夫な方じゃないと聞いている。
最近あんまし寝てないようだし。
「朕ではなく貴様だ。貴様の世界では未成年だそうだからな」
「ひとくちだけ。僕も陛下も」
「朕は良い」
「いけません」
ノノから何となく聞いていた。
以前魔王さまは転移魔術を使い、夏炎城エフェソスをこの地に移転させたと。
そのときに体調を損ねたと。
もしかしたら同じことを繰り返そうとしているのかも知れない、とも。
「心配するな。人族などには負けん」
「――にしてはかなり思い詰めてらっしゃいますが?」
執務机の角をチラリ見る魔王さま。
写真盾が置かれていた。
勿論そこに飾られているのは厳密には写真じゃない。
景色を転写する高等魔術を紙に施したものだ。
見知らぬドワーフと魔王さまが肩を組んでいる。
「ソイツは朕の親友だ」
魔王さまの口から親友なんてワードが飛び出すとは思わなかった。
「……だが、本当にバカなヤツだった。今目の前に現れたら殴り倒してやりたいところだ」
「……何かあったんですか?」
「カン違い甚だしい過ちを犯しおった。……まぁこの話は良い」
一口飲みかけて手を止める魔王さま。
「もし今、アヤツがいれば……」
「頼りにしてたんですか?」
「万が一アヤツを見かけたら必ず味方につけろ。絶対に逃がすな。……とは言っても詮無きことか。……それよりも帝国の行く末だ。魔導人形の件は最大の失敗だった」
「――失敗、ですか?」
「儂は弱者を恐れている。虐げられた者は強いものだ。鉄の意志と血を贖って必死に反逆する。唯一彼らに勝てる者がいるとすれば、彼らによって虐げられた者だけだ。虐げられた者はいつか必ず反逆する。……かつて、人間どもに虐げられた我らのように」
何を言おうとしているのかとっさに理解できなかった自分は、サシャが用意したワインに、チビリと口をつけ誤魔化した。薄く魔王さまが嗤った。
「これだけは言っておく。従順を装う飼い犬に気をつけよ。油断し過ぎるといつか隙を衝き、噛みつこうとする」
「それは、どういう……?」
ノックの音で我に返った。
だいぶ長い間、思いふけっていたらしい。
サシャだ。
珍しく慌てている。
「パルマコシ。どうしよう?!」
「何、どうかしたのか?」
「アウラ国の王子が訪ねて来た。久しぶりに陛下に挨拶したいって……」
「フウン」
「フーンって、オマエな!」
「……僕が会うよ。謁見の間に通しな」
――魔王さま。
アンタの言わんとしてたのはこういうことだったんだな?
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ここ数か月ですっかり自分の席になっちゃった魔王の玉座。
1回目に座ったときはオドオドビクビク、後で執事たちに殺されるんじゃないかなってマジ怖かった。
……ふう。
無機物のこのヒンヤリ感がまた堪んないんだよな。夏はいいが冬場はどうすんだ。下半身、特に尻や股間の大事な部分が霜焼けにならないか不安になるよ。
などとどうでもいい考え事をしていると、約5メートル先の客人の口上が終わった。だいたい型通りの挨拶なんで聞き流しても全然バレないんだよな。
それよりもコイツの素性だ。
有能なメイド執事、サシャのメモによると、アウラ国の王位継承権第1位の王子。
生粋の貴族さまだ。
近世ナポレオン時代風の軍服っぽい衣装を決め込み、何か知らないが胸から腰にかけてポチポチと沢山のボタンやら勲章のような物をつけている。
やたら目障りだが、これがこの世界の正装なのだから致し方ない。
が、嫌いは嫌いだ。その気持ちを抱くのは仕方ないと勘弁してほしい。
それと、決まってこういう類の人物は、嫌味で、気障で、狡くて、悪人と相場が決まっている。
なのに彼はそのどの項目にもチェックがつかない。
初見では非の打ち所がない。
「それがアウラの貴人だよ」
サシャがグッとカオを近付けて教えてくれた。
つまりアウラのヤツらどもは一様にクセモノだということだ。
「今日はいかがしたのだ」
「近くを通りかかりましたもので。是非ご挨拶をと思いまして」
「近くを? 何用で?」
アウラ国はエフェソス帝国の属国だが、最重要パートナーでもある。
前にアンナさんが言ってた。
ないがしろにしたらいけませんと。
帝国の傘下にありながら、外様の中で最も力のあるアウラ国は、斜陽の帝国を尻目に躍動している。
先年独立を表明した人間族の国々とも巧く渡り合いながら軍事力、経済力の増強を図っている――とツェツィーリアが悔しそうに話していた。
彼の国無しで現在の帝国運営はあり得ないとまで陰口される有様だった。
「これです」
低頭する彼の背後に一頭の鹿が運ばれてきた。横倒しで動きも無いので多分死んでいるのだろう。
「他にも色々獲れました。献上いたします」
そりゃどうも。
って風に大仰に礼を述べるしかなかった。
「――ところで我が姉君、アリス王妃は達者でしょうか。せっかくなので、ぜひ久しぶりに顔が見たいのですが」
青ざめたサシャが目配せした。
そら来た! ってか?
確かに今回の突然の来訪はタイミングが良すぎるな。
何処からか漏れ伝わったのか?
――魔王の死が。
「えーと……。アリスは……」
「アリスさんはローザさんとサンモルテのお茶会に参加してますよ?」
スッと現れて口をはさんだのはアンナさん。
いつぞやの和装と打って変わって、今日はヒラヒラフリルをあしらったゴージャスなドレスに身を包んでいる。
まさに宮廷の貴婦人。身のこなしも優雅ですぅ。
「わたくしもご同行したかったですわ!」
拗ねた口調でおどけた。
「……ホントに遊びに行ってんですか?」
「……ええホントです。但し。サンモルテは地名ではなくって、王宮の敷地内に建つ奥御殿の愛称ですわ」
小声で遣り取り。
アンナさんの度胸に感服した。
「……それは残念です。……おや、陛下。それはそうと、少しお痩せになられましたか?」
「いや……変わらぬが」
「お体は大切になさいませ。これは彼の天燿国から取り寄せた強壮薬でございます。一日に一粒。どうぞお試しください」
などと言葉巧みに、ごく自然に接近して来やがった。
まじまじ……と人の顔を眺め。
天燿国、ねぇ。
東方の島国だ。ちなみに僕の前世の出身地だ。
「……オヤオヤ? 陛下。もうひとつ気になることがございます」
「……なんだ?」
「恐れながら陛下の瞳の色です。赤ではなく、どちらかというと茶に近い。やはりお体が優れないのではないですか?」
これは前々から気にしていた。明るいところだとハッキリと違いが分かってしまう。
だから人と会うときは、いつも薄暗い場所を選んでいたのに。
どうして気付かれた?
……というより、最初から疑いにかかっているんだ。
見当をつけてカマをかけているんだ。誰からのリークかは知らんがな。
「……瞳? これはカラーコンタクト。オシャレの一環です。ご存じないので?」
助け舟を出したのはまたもや第3者。我が妹のノノである。
「からーこんたく……?」
「そう。カラコンです。あたしどもの扱う商品ですよ。お土産にひとつ進呈します。アウラの王さまも、たいそうお喜びになるんじゃないですか?」
「……チッ」
あ。いま王子の部下の中で舌打ちが聞こえたぞ?
無礼だな。見つけ出して折檻だ。
「ときにアウラの王子殿」
「は、ははッ……!」
「貴殿、狩猟をされたと申したな」
「……は? ははッ」
「随分と楽しんだようだが?」
「……は、はい?」
せっかくだ。
色男が、頬ずりするほどの距離にある。
魔王さまほど眼力は無いが、ありったけの敵対心を抱いて睨みつけてやろう。
ガン垂れるってヤツだ。
「ひとつ聞くぞ?」
「……は。……何なりと」
「貴殿のおこなった狩猟とやら、ここいらが帝国の直轄地だと承知しての所業なのかな?」
「――?!」
「承知していたのか、否か」
「そ、それは……」
「どうなんだ?」
「も、申し訳ございません」
「――魔炎王タルゲリア。その名をもう一度よく頭に刻みつけて父王のもとに帰るが良い。そして今後二度と不遜な行いはするな。そなたの父王にもしかと自省を伝えておけ。「魔王に叱られた」とな。幾ら朋友同士、義兄弟の間柄とて、踏み越えてはならぬ礼儀はあろう? これは親心で申しておるのだぞ。今回の件不問に処すが、二度目の赦しは無い。……良いな?」
「……は」
「良いな?」
「は、ははぁッ――!」
その後の王子の狼狽えぶりは、彼の名誉もあるため割愛するが、最近のくさくさした気分を吹き飛ばすのに最適な見世物だった。
あ、いやゴメン。悪いが、売られたケンカだったしぃ、買わなきゃ陛下の名が廃るんでぇ。と言い訳してみる。
王子の退出と入れ違いに第2夫人のアリスさんが姿を見せた。
「兄上が来てらっしゃるんですか?!」
「い、いや。もうお帰りに……」
……ああ。危なかった。間一髪だった。
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廊下の途中、私室の前でツェツィーリアがトビラにもたれ掛かっていた。
「どうした?」
「……別に何もない。何も無いけど、お礼だけ言う。――アリガト」
「泣いてたのか?」
「……泣いて、なんて、ないッ」
いちいち語句を切るな。それ自分に言い聞かせてんだろ?
泣いてたまるか。
その意気だよ、姫さま。
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魔王さまの死から2週間後。
日本の祭事で初七日にあたる儀式が城中深く、通称【祈りの間】で執り行われた。
そこには葬儀参列者以外も追加で呼ばれた。
魔王直属軍主将の4人と、魔王城、魔術技術開発部の責任者2人だ。
冒頭、アンナさんから魔炎王タルゲリアの死を伝えられると、溜息と嗚咽が漏れたが、今後に思いがよぎったのか、終始厳しい表情を貫いていた。
「これからはあなた方が頼りです。どうかよろしくお願いします」
式後、魔軍軍将の一人に呼び止められた。
朱色の外套を翻している。
二つ名、乱踊の赤炎と恐れられる彼は魔王直属軍、四大将軍のひとり、第3将軍のヘリードル。
分厚い胸板を反らし、歴戦の将を思わせるカオを右にねじった。
そちら側にはリヴィたんが立っている。仏頂面だ。
「影武者殿。これからは貴殿が頼りだ」
「ち、ちょっと待ってください。自分……僕はもう……」
「そんな発言ができる時期は既に過ぎました。どうしても辞めたいと言うのなら、帰る家はあの世しかありませんよ」
リヴィたん。今月一番の悪態をついたねぇ。
ここ、廊下ですが。
「魔王城最大の秘密を知ったんだし、僕だってそれくらいの覚悟は持たないとは思ってますよ」
「念のために申しますが、それはあなたの妹君も同様ですぞ」
感情を表すべきじゃないんだけど。微かに眉間を寄せてしまった。
そう言うこのふたりだって、実は身の処し方を考えあぐねているのかも知れない。
「僕からもくれぐれも言っておく。魔王さまの遺言を忘れるな。アリスさんやローザさんを害するのは絶対にダメだからな?」
リヴィたんが眉をピクンと震わせた。
「……あなたさまは、ナニサマの分際で?」
ふわり……とアンナさんが割り込んだ。
「こ、皇妃殿下ッ……?!」
乱踊の赤炎が慌ててかしずく。
ヒッと声を上げリヴィたんも倣う。
彼女の傍らにツェツィーリアとリリティシュールもいる。
「この御方は、本日よりパルマコシさまではありません」
「――!」
「この御方は、魔炎王タルゲリアさまですわ」
言い切った目は複雑な色を秘め、思い詰めていた。
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〇魔王城査定会議〇
パルマコシ改め魔炎王タルゲリアをどう思うか?
春馬越ノノ(実妹・技術研究員) 男気を見せてよ!
リヴィ(ダークエルフ・内政担当) よそ者め。
バンク(老執事) おすがりするしかありません。
サシャ(メイド執事) どうしたらいいんだ。
アンナ(正妃) 頼りにしております。
アリス(第2夫人) わたくしたちは一体どうなるのよ。
ローザ(第3夫人) 故郷に帰りたい。
セリア(第5夫人) この男に従うしかないの?
ツェツィーリア(魔王の長女) パパ……わたし頑張ったのよ。
リリティシュール(魔王の三女) おにーちゃん、ダレ?




