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 長椅子に腰掛け、惰性で刺繍をするオリヴィアのところへ、メイドのレティが手紙を持って走ってきた。


「リーンハルト様からですよ」


 レティの笑顔には無反応だったが、彼の名前が出た瞬間にオリヴィアは唇をへの字にした。ペーパーナイフで手紙の封を切り、無言で読み進めるうちに唇の曲がり具合は悪化していく。


「…三日後に出掛けると、お父様に伝えてきて」

「はい。かしこまりました」


 手紙の内容を要約すると、リーンハルトからのデートのお誘いだった。三日後にパチル家へ迎えに行くから準備しておくように、というところまでは別に良い。まあ、本音を言えば全然行きたくないが、腹立たしいのは父親に言われて嫌々誘ってるのが明らかな文章である。


(わたしだって心底っ!嫌なのに!!)


 眉をこれでもかと吊り上げながら、オリヴィアは刺繍針からペンに持ち替える。腹立ち紛れにペンを走らせたため、やや乱筆になってしまったが知ったことではない。オリヴィアだって売り言葉が無ければ、買い言葉をぶつけないようにできるのに、こうも煽られると彼女の性格上、黙っていられないのだ。一抹の不安を通り越して、すでに波乱の予感しかしなかった。




 「間違っても婚約破棄などにはならぬように」とは父メルヴィンの指示である。

 「お土産は気にしなくていいから」これは兄サンディの言葉だ。

 「お気をつけて。楽しんできてくださいね」最後にそう声をかけたのはレティだった。

 温かく見送られたオリヴィアの心境は、一言で表すと「どんより」である。定刻通りに迎えに来たリーンハルトの険しい顔を見て、心の澱みがいっそう深くなった。かくいうオリヴィアも、かなりの仏頂面だ。


「……ご機嫌よ、」

「不細工な面はやめろと言ったはずだが?」

「挨拶を遮らないでいただけます!?」

「朝からお前は喧しいな」


 出会い頭から喧嘩腰ではいけないと、オリヴィアはぐっと耐えた。


「…誘ってくださって、ありがとうございます」

「心のこもってない礼などいらない。むしろ不愉快だ。そもそも俺はお前なんかと出掛けたくなかった」


 いやいや、これで怒るなと言うのが無理な話だった。

 緋色の髪を炎のように逆立てたオリヴィアは、思い切り相手を睨みつける。


「ではこのままお帰りになれば宜しいでしょう!?わたしも部屋でまったりいたしますから!」

「俺もそうしたいが、父上に知られたら面倒なんだよ。はやく乗れ。門の前でごちゃごちゃ騒ぐな」


 リーンハルトは婚約者のエスコートもせずにさっさと乗り込んでしまう。立腹のオリヴィアは足を踏み鳴らしながら、勢いよく座席に腰を下ろすのだった。とても上品とは言えない所作に、リーンハルトの呆れ顔が濃くなる。

 こうして、ようやく馬車が動き出したものの、車内には痛ましい沈黙が落ちていた。


「話題の一つも出ないのか」

「わたしの地声は耳障りだと仰るので、静寂が最善だと判断しましたっ」

「なるほど英断だなっ」


 唯一交わされた会話はこれだけである。

 市街地に着けば賑わいに紛れ、多少なりとも緩和されるかと思えば、全くそんな事はなかった。歩幅を合わせないリーンハルトに対して、オリヴィアもむきになり、踵から甲高い音を立てつつ大股で歩いた。彼らを見かけた通行人は何の競争だろうかと不思議がる。

 二人の間に会話が戻ったのは、リーンハルトが宝石店に立ち寄った時であった。


「おい。この中から適当に選べ」


 彼は髪留めが並ぶ箱を指差して、投げやりに命令してきた。


「…は?」

「どれでも買ってやるが、見苦しく欲張るなよ」


 見かけだけでも仲良しな婚約者を演出するつもりなのだろう。だが、こんな言い方をされてまで買ってほしいと思うはずがないし、そもそも要らない。オリヴィアは怒りで肩を震わせながら、きっぱり断った。


「要りませんっ」

「女は黙って奢られておけば良いんだよ」

「要らないったら要りません!」

「ああそうかよ!格下からの施しなんざ恥でしかないんだな!」

「なっ!?どうしてそうなるんです!?必要以上に持っていたって仕方がないから、要らないと申し上げただけですわ!」

「ふん。本当に可愛くない女だな」


 "可愛くない"、それはオリヴィアの心を抉る言葉である。思わず閉口してしまう彼女に気付いたリーンハルトは、意地悪く唇の端を持ち上げたのだった。


「なんだお前、自分が可愛くないのを気にしてるのか?」

「…別に、そんなこと…」

「似合わないにも程がある!これは滑稽だな!」

「っ…」


 耐え難い屈辱だった。何処かへ走り去ってしまいたかったが、逃げてしまえばそれこそ図星だと証明しているようなもの。それだけは到底できなかった。彼の指摘が当たっていても、自ら正解を見せてしまうのは、なけなしのプライドが許さなかったのだ。


「…貴方が社交界の憧れの的だなんて、冗談じゃありませんわ!リーンハルト様は失礼で最低な人間ですわよ!」

「お前達が勝手に憧れていただけだ」

「わたしは貴方なんかに憧れてませんわ!一生、あり得ません!!」

「それは俺としても好都合だ!」


 ここでやっと、二人は店員の気まずい視線を感じて、足早に退店するのだった。


 それからカフェに入ったのだが、はらわたが煮えくりかえったままのオリヴィアは、意地でも話しかけまいと唇を固く結んでいた。おかげで口元は、今までで一番ひん曲がっている。お互い眉間に深い溝を刻み、目も合わせようとしない。せっかくの食事も味がせず、オリヴィアは無理やり飲み込む羽目になった。心躍らないどころか、心が荒むデートであった。予想はしていたが、想像よりも酷かったと言わざるを得ない。


 オリヴィアは帰りの道すがらで、遅まきながら自分の言動を後悔していた。確かにリーンハルトの言い方も良くないが、すぐに応戦する自分の態度がいけない。しかし反省点があればすぐに謝るオリヴィアも、今日は謝罪のひと言が出てこなかった。可愛くないと嘲られたのが、思いの外ショックだったらしい。


(この人に「可愛くない」って言われたから何だというのよ)


 そう言い聞かせてみるものの、フレッドが相手なら衝突しないで済んだはずだとどうしても考えてしまう。オリヴィアは顔を覆いたくなった。なんで他の人達みたいに、上手くできないのだろう。そう自問するのは、もう何度目だったか。いつもいつも、取り返しがつかなくなってから激しく悔いるのだ。


「……今日はありがとうございました」


 別れ際、オリヴィアは低い声で感謝を述べた。一応、送迎してもらったし、代金は全て彼が負担したのだ。さすがに黙って帰るのは無作法すぎる。ただし、視線は下に向いたままだった。不意に抑揚の消えた青年の声が降ってくる。


「…来週、ダイアー公爵が主催する夜会がある。婚約者として紹介することになるから、肝に銘じておけ」


 オリヴィアが何か言う前に、馬車は走り出してしまった。お嬢様の出迎えに現れたレティも、今日ばかりは「お帰りなさいませ」と言うだけに留めた。オリヴィアの横顔には、それだけ暗い影が落ちていたのである。無理をした足は靴擦れを起こして酷く痛んでいたが、誰にも気付いてはもらえなかった。




 一方、リーンハルトは馬車の中で貧乏ゆすりをしていた。苛立ちを抑えきれず、舌打ちまで飛び出している。


(何なんだあいつはっ。くそ!父上が「夜会に向けて何か贈れ」なんて言わなかったら、一日を無駄にすることもなかった!結局なにも買わせようとしないし、本当に無意味な時間だった!)


 これまで彼に近付く令嬢といえば、頬を赤らめ、情熱的な目線を寄こし、好意を含ませた甘い言葉を口にするのが常であった。それがあのオリヴィアときたら、一つも当てはまらないではないか。媚びろとは言わないし、色目なんかこちらから願い下げだ。だが頬は硬く強張り、猛烈な怒りの瞳で睨み、無遠慮なきつい物言いしかしないのは、一体全体どうなっている。父アルベールの前では大人しくしていたが、あの瞬間は猫を被っていたのだ。とはいえリーンハルト自身も周囲が望む姿を演じているので、猫被りに関してはお互い様と言えよう。問題はそれを差し引いても前代未聞の令嬢である事だ。

 当初は彼としても、あそこまで暴言を吐くつもりはなかった。周りが望む理想の姿を演じるのは止めるつもりではいたものの、婚約者と拗れた関係になろうなどとは、決して思っていなかった。むしろ逆で、少しずつ良好な関係を築ければと考えていたのだ。それなのにどういう訳かオリヴィアの声が癪に障り、リーンハルトも冷静さをすぐに欠いてしまう。彼女が毎度毎度、不機嫌そうに口を曲げているので、ついついこちらもムカっとなり言葉が乱暴になってしまうのだ。


(こんなやりにくい相手は初めてだ!)


 怒りのやり場が無いことに、リーンハルトはますます腹を立てるのであった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] おっ? オリヴィアの事が気になり始めましたかね、リーンハルト君? その子は良い子だぞ~。
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