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 リーンハルト・ロスが婚約したという話は社交界を震撼させた。とりわけ若い令嬢はこの話題で持ちきりだ。彼の影響力が如何程のものか。それは茶会のお誘いなどすっかりご無沙汰だったオリヴィアのもとに、怖いもの見たさの招待状が次から次へと届く程である。

 オリヴィアにとって茶会とは、苦い思い出しかない場だ。侯爵家の令嬢であるゆえに、今までも何度か招待された事はあるのだが、行く先々で雰囲気を悪くしてしまい、次第にお誘いがなくなっていった。思い返せば、初めて出席した時から波乱に満ちていた。


 あれは母親に連れられて参加した茶会の席での出来事だ。

 まだ小さい子供だったとはいえ、礼儀作法を教え込まれていたオリヴィアは、母親の横で大人しく座っていた。口元はムッとしていたがそれはともかく。事件が起きたのは、話に花を咲かせる母親達をよそに、集まった子供達だけで遊んでいた時である。庭に出てはしゃいでいた令嬢のひとりに、木の上から降ってきた虫がくっついてしまった。蝶よ花よと育てられたお嬢様に、昆虫は恐怖の対象である。怖さのあまり号泣する令嬢を残して、他の子達は逃げてしまった。でもオリヴィアだけは泣いている令嬢を放っておけず、その場でおろおろしていた。その令嬢が涙を流しながら「助けて」と言うので、オリヴィアは意を決して髪に絡まった虫をとろうとしたのである。

 ところが、泣き声を聞いて駆けつけた母親達が目撃したのは、折悪くも「じっとしてなさいよ!」と怒鳴りながら、令嬢の髪を引っ張るオリヴィアの姿だったのだ。事情を知らない人間からすれば、オリヴィアが虐めているようにしか見えない光景だった。助けてもらった令嬢は泣きじゃくって話をするどころではなく、オリヴィアは理不尽にも厳しく責め立てられた。虫がいたのだと説明しても、その時にはどこかに飛び去っていて信じてもらえなかった。

 結局オリヴィアがしこたま叱られただけの、散々な茶会であった。唯一の救いは、彼女の母親だけは娘の言葉を信じてくれた事である。しばらくの間、彼女の母親も悪く吹聴され、茶会の招待が途絶えてしまったのに、決してオリヴィアのせいにはしなかった。それが余計に辛かったのを今でも覚えている。


「憂鬱ね」


 届いた招待状を手にするオリヴィアは、盛大に顔を顰めていた。誰もいないのを良いことに、遠慮なく文句を言う。


「興味本位で招待しないでほしいわ!」


 不満をもらしながらも、オリヴィアは参加の返事をしたためる。行きたくないのは山々だが、結婚は自分だけの問題ではない。特に貴族同士の結婚は、互いに影響を及ぼし合うのだ。リーンハルトの評判は地に落ちてもいいと思っても、オリヴィアを歓迎してくれた彼の父親や、自分の家族のことを考えるとそういう訳にもいかなかった。




 来なければ良いと思う日ほど早くやって来るもので、あっという間に憂鬱な茶会の日となった。本日の主催者は話上手のブラウン夫人だ。華やかな催しが好きな夫人で人望もある。


「本日はお招きいただき、ありがとうございます」

「ようこそ、オリヴィア様。お待ちしておりましたわ」


 にこりともしないオリヴィアに、百戦錬磨のブラウン夫人は笑顔で対応してくれた。しかし招待客のほとんどが、彼女の固い声色を聞いて何事かを囁き合っている。こういう状況になるとわかっていたから、参加するのが嫌だったのだ。しかも今日はオリヴィアが主役のようなもの。こぞって参加したであろう若い令嬢達からの視線が痛かった。言わば彼女は、皆の憧れであるリーンハルトを奪った憎き存在である。好意的な視線など期待する方が愚かだった。


「リーンハルト様とはどこでお知り合いになりましたの?」

「顔合わせの場ですわ」

「リーンハルト様はどんなことをお話しになりますか?」

「…まだご挨拶しかしていません」

「ではお手紙とか…」

「やりとりは一度もありません」

「………」

「………」


 こんな面白くない茶会があるだろうか。オリヴィアは質問に答えているだけなのだが、つんけんした言い方が雰囲気を悪くしていた。加えて内容の無さも場がしらける要因だった。これに関しては致し方無い。知り合ったばかりで、オリヴィアも婚約者のことをよく知らないのだ。何がお好きかと聞かれても答えようがなかった。


「皆様、紅茶が入りましたから、どうぞお召し上がりくださいな」


 気まずい沈黙が落ちる間際、ブラウン夫人がにこやかに話題を切り替えた。さすがは手練れの夫人である。だが、空気を取り持つのが巧みな女性もいれば、あえて意地の悪い事を言う女性もいるのが世の常。


「ブラウン夫人、気をつけてくださいませ。オリヴィア様は味に厳しい方ですから」


 優雅な口調でオリヴィアを貶めた令嬢は、くすくすと笑っていた。ここに集まった皆は、オリヴィアが気に食わないのだ。リーンハルトをとられたというお門違いな嫉妬から、つまらない嫌がらせをしているに過ぎない。それくらい理解しているオリヴィアは、黙ってやり過ごそうとした。


「存じておりますよ。ですから本日は選りすぐりの茶葉をご用意しましたの。オリヴィア様、お口に合いますでしょうか?」

「ええ。とても美味しいですわ」


 しかしブラウン夫人の機転により、その場は丸くおさまった。美味しいと思っている顔には見えなかっただろうが、夫人が「それは良かったです」と微笑んだので、他の令嬢はそれ以上口を挟めなかったのである。

 ちなみに、オリヴィアが味に煩いというのも割と有名な話で、彼女の参加が敬遠される理由の一つでもあった。しかしながらこの噂話、尾ひれがついて誇張されている。

 噂の出どころは、やはりオリヴィアが参加した茶会だ。茶会を主催した夫人は、自らがブレンドしたお茶を振る舞ってくれたのだが、そのお茶の苦いこと苦いこと。薬湯も真っ青な苦さだった。けれどもオリヴィアは何も言わずに飲み干していた。いくら何でもストレートに「不味い」と文句をつけるべきでない事くらいわかっている。他の参加者達は無理やり笑顔を作って褒め言葉を述べていたが、オリヴィアにはそういった器用な真似ができない。だからこそ沈黙を保っていたのだ。なのに主催者の夫人が余計なことをしてくれた。オリヴィアに味の感想を求めてきたのである。聞かれたら答えない訳にはいかない。流石に「不味い」と言うのは避けたものの、彼女は嘘がつけなかった。仮につけたとしても、絶対顔に「不味い」と書いてあったに違いないから、オリヴィアなりに言葉を選び「申し訳ありませんが、わたしの口には合いませんでした」と伝えたのだ。周りの意見に彼女も合わせるべきだったのだろう。だけど、それが出来ないのがオリヴィアなのだ。

 当然ながらその場の空気は最悪なものになり、皆が褒めたお茶をオリヴィアだけが批判した、という噂だけが広まってしまったのである。つくづく、茶会には碌な思い出が無い。


「そういえば、ステラ・バートン嬢の噂を聞きまして?」

「確か、男爵家のご令嬢でしたわね。とにかく可憐でいらっしゃるとか」

「あたくしは『ウルバノ様と双璧を成す容姿』ともお聞きしましたわ」

「本当ですの?ウルバノ様は"最上の麗人"と名高い公爵令嬢ですのよ。ステラ様が及ぶとは思いませんわ」

「でも私、この間の夜会でお見かけしたのですけど…」


 オリヴィアが無言で座っている間に、彼女への興味が一旦薄れたようだ。他の招待客達は社交界の様々な噂話で盛り上がり、オリヴィアにはもう声もかけなかった。彼女が素っ気なさすぎて、興味も失せたのだろう。時折、気の毒に思ったブラウン夫人が、談笑の最中に視線を寄越してくれたのだが、その気遣いが逆に苦しかった。




 浮かない顔で戻ってきたオリヴィアを出迎えたのは、彼女の専属メイドのレティだ。笑うとできるえくぼに愛嬌を感じる少女である。


「お帰りなさいませ。お嬢様、お茶会は楽しめましたか?」

「それは嫌味かしら」

「まさか!建前上お聞きしただけに過ぎません」

「それこそ黙ってなさいよ!」


 ただこのメイド、仕事はできるのに時折、失礼な言動が飛び出すのだ。オリヴィアの声が屋敷に響く原因はだいたいレティ絡みだったりする。


「あっ」

「なによ」

「今、フレッド様がお見えになっているんです。お嬢様にご報告があると仰っていましたが…」

「…そう。応接室にいるの?」

「はい」


 フレッドの報告が何か、予想はつく。オリヴィアは颯爽と廊下を進みながら、彼にかけるべき言葉を頭の中で反芻した。笑顔で…は無理かもしれないが、ちゃんと言わなければならない。


「やあ、オリヴィア。お帰り」

「来るなら前もって教えなさい」

「ごめんね。君には一番に伝えたくて」


 謝るフレッドの顔は幸福で満ちていた。わざわざ言葉にされなくても、すでに言いたい事はわかった。それでもオリヴィアは刺々しく「何?」と尋ねるのであった。


「まずは婚約おめでとう。あのリーンハルト様がお相手なんて、やっぱりすごいなぁオリヴィアは」

「決めたのはお父様よ。わたしは関与してないわ」

「何だか君が遠いところに行ってしまった感じがするよ」

「馬鹿なこと言ってないで、あなたの報告を聞かせなさいよ!」

「ああ、うん。実は…僕もジリアンと婚約したんだ」


 やっぱり笑顔を作るのは無理だった。自然と浮かべるものを作るというのは、もともと柄じゃない。でも、祝福を告げる声が震えることはなかった。


「良かったわね、フレッド。おめでとう」

「君の後押しがあったからだよ。ありがとう」


 手紙の中で案の定、求婚の言葉について相談してきたフレッドに、オリヴィアは「どうせ緊張したら台詞なんて飛ぶんだから、率直に伝えなさい」と返したのだ。それが功を奏したらしい。


「だけどお互い婚約者がいる身になったから、今までみたいに会えなくなるね」

「当たり前じゃない。ここまできてジリアン様を悲しませたら絶交よ!」

「うん。オリヴィア、本当にありがとう」

「さっきも聞いたわよ。お幸せに」

「君もね」


 フレッドが帰った後、オリヴィアは自分の部屋に閉じこもった。お茶菓子を頂きすぎたからと夕食も断った。本当に苦しさでいっぱいだったのは、お腹ではなく心だ。頭から寝具を引っ被り、オリヴィアは痛む胸を守るように蹲った。


(あなた達は良いわね)


 あんなに幸せそうな恋ができて。

 結婚に向けて明るい期待を膨らませることができて。

 それに引き換えオリヴィアときたら…婚約者とは険悪だし、評判は落ちる一方だし、望まぬ嫉妬は買うし、踏んだり蹴ったりだ。

 立場は同じ婚約者なのに、自分とフレッドではあまりにも境遇が違いすぎて、すごく惨めな気持ちになる。


(わたしのやってきた事は、無駄だったのかしら…)


 オリヴィアの後押しなんか無くても、結果は同じだったのかもしれない。そんな虚しさに支配されそうだった。幼馴染の幸せを願う胸の内に偽りは無いけれど、くしゃくしゃにこんがらがった心はどうすれば昇華できるのか。

零す涙も失くしたオリヴィアを、空に浮かぶ月だけが静かに見下ろしていた。

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