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今回は短めです。代わりに次の話が少し長くなります。
むかしむかし、ステラ・バートンは一冊の絵本に出会った。
小さな両手に抱えていたそれが、彼女の世界を形作った。
絵本の内容はありきたりなものだった。主人公の女の子が王子様に恋をして結ばれる、幸せなお伽話。幼い頃は誰もが無邪気に憧れて、大人になるにつれて所詮は夢物語と悟る。しかしステラは違ったのだ。
たまたま手に取った絵本の主人公は、ステラと瓜二つの容姿に描かれていた。それはもう鏡を見ているかのように似ていた。感受性豊かな幼な子は、登場する主人公に対する深い共感を抱いた。その気持ちはやがて、狂気的なまでの自己投影へと変貌する。絵本に描かれている出来事は自分の身にも起こるのだと、本気で信じ込んでしまったのである。
主人公の前にはとびきり素敵な王子様が現れる。けれども王子様の隣には意地悪な女がいた。王子様に近づきたいのに、意地悪な女がそれを邪魔する。下品な高笑いをし、愚策を巡らす、醜い悪女だ。しかし執拗な嫌がらせを受けても主人公は負けなかった。試練を乗り越えた先、王子様の愛を勝ち得て、意地悪な女から優しく守ってもらう。そして末永く幸せに暮らすのだ。
これこそ我が人生だと、ステラは胸をときめかせた。だって平等な優しさを持ち、どんな時でも笑顔を浮かべる、可愛い主人公にそっくりなのだから。必ず自分にも優しくて素敵な王子様が現れて、甘い恋をするに決まっている。
十数年後、ようやくステラの王子様となり得る人物が舞台に上がった。リーンハルト・ロス、彼こそが自分の王子様であると確信した。彼は"稀代の美青年"であり、絵本に登場する王子様にも似ていた。もはやリーンハルトしかあり得なかった。ステラにとって身分はどうでもよかった。重要なのは挿絵と同じかどうかなのだ。この国の正当な王子は十歳に満たない子供で、ステラが望む王子様とはかけ離れているし、隣に意地悪な女の存在も無かった。
そう、リーンハルトにはすでに婚約者がいた。彼の婚約者は評判が悪く、顔立ちも可愛くない。それを知った時、ステラは歓喜した。大好きな絵本と全く同じではないか。これから自分はあの醜女に虐められ、健気に耐えることでハッピーエンドを迎えるのだと。
そんな素敵な物語になるはずだったのに、オリヴィアがことごとく邪魔をしてきた。あの醜女だけが、物語通りに動いてくれなかった。予定が狂ってしまったのは、オリヴィアとの邂逅を果たした時から。つまりは初めからである。不法侵入を咎められた折、本来の筋書きなら王子様が颯爽と助けてくれる場面だったのに、現れたのはオリヴィアで。彼女はいとも簡単に絡んできた令嬢達を追い払ってしまった。
それから一度だけ、リーンハルトとワルツを踊る機会を得たものの、その後、王子様からのお誘いは無かった。きっとあの醜女が碌でもない事を王子様に吹き込んだに違いない。表立って意地悪をすればいいものを、やはり悪役は卑劣だ。ステラは負けじと作戦を考えた。無論、自分の物語を絵本と同じ結末へと持っていく作戦を、である。
オリヴィアに乗馬に誘ったのも、作戦の一部だった。涙を見せて訴えれば誰でも簡単に信じてくれたから「オリヴィアのせいで怪我をした」と吹聴すれば済むだけの話であった。だから馬に興奮作用のある薬を嗅がせ、ステラは計画的に落馬した。運動神経には自信があったから、頭から落下するなんて下手を踏むつもりはなかった。そういう算段だったのに、またしてもオリヴィアの邪魔が入った。善人な己に酔いしれたかったのか、ステラを庇ったオリヴィアが足を捻挫してしまった。本当に腹立たしい女だ。作戦に変更を加えなければならなくなった。
ステラは首飾りを盗んだとは思っていない。オリヴィアの部屋で見つけた首飾りは、挿絵の女の子が身につけていた。だからあれはステラの元にあるべき物なのだ。オリヴィアの所にあるのが間違っている。そう考えたから、ステラは何の後ろめたさも感じないまま首飾りを持ち去った。
だが四の五の言っている場合ではなくなってしまった。何が何でもオリヴィアを貶めなければならず、ステラは泣く泣く首飾りを手放すこととなった。憂さ晴らしも兼ねて「大切なネックレスをオリヴィア様に奪われたんです」と念入りに話して回った。瞳を潤ませ、悲しげに話して聞かせれば、信じない男はいなかった。すると今度はステラの話を信じた人間が、勝手に噂を広めてくれる。あまりに容易くて、ステラは笑いが止まらなくなった。
いよいよ物語は大詰めを迎えようとしている。意地悪な女はみんなの前で悪事を糾弾され、主人公は王子様に守ってもらうのだ。仕上げに取り掛かろうとしたステラだったが、ここへ来てもオリヴィアは往生際悪く、筋道から逸れた行動をとった。人を雇って強姦まがいの事までやったのに、あの醜女は自分の立場をまだ理解できていないらしい。
ステラは屋敷からあとをつけて下町へ行き、オリヴィアが一人になった頃合いに声をかけた。直接説明しなければ解らないのなら教えてあげよう。絵本の主人公はいつだって、誰にでも分け隔てなく優しいのだ。そうして親切にも教えてやったというのに、オリヴィアはあろう事か反攻してきた。挙句の果てには、似合わないだの、彼に相応しくないだの、信じられない暴言が飛び出したのだ。相応しくないなどと、醜く歪んだ唇に評されるなどあってはならない。最低最悪の気分だった。
許さない。絶対に許してなるものか。
主人公に敵う悪役なぞ存在しない事を、知らしめてやらねば。
絶望に泣き崩れるのが悪役。幸せに微笑むのが主人公なのだから。




