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オリヴィアが外出から戻ると、幼馴染のフレッドが訪ねて来ていた。会う約束などしていなかったので、オリヴィアは碧眼を瞬かせる。
「わたしに何か用?」
挨拶も無しにつっけんどんな質問を繰り出す彼女に対し、フレッドは気を悪くした様子もなく「やあ、オリヴィア」と手を振っていた。
「君に相談したい事があって…丁度、近くまで来たから寄らせてもらったんだ」
「相談って何よ」
「えっと、ジリアンの事なんだけど…」
「そんな事はわかってるわ!ジリアン様の何について悩んでるのか聞いてるのよ!」
ジリアンとは、フレッドが昔から想いを寄せている令嬢である。少々気弱な、よく言えば優しすぎるフレッドは、意中の人になかなか好意を伝えられずにいた。そこで、まだ子供だった時分に彼はオリヴィアに悩みを打ち明けたのである。相談相手にオリヴィアが適任だったかは甚だ疑問だが、フレッドが気兼ねなく質問できる異性は彼女しかいなかった。いくら気が強くとも、物言いがきつかろうと、オリヴィアも一応は女。男のフレッドよりは女心がわかる…かもしれない。一つだけ確かに言えるのは、相談するのもされるのも、もう互いに慣れっこだという事である。
「誕生日の贈り物は、何が喜ばれると思う?」
「それ、毎年聞いてるじゃない!」
「そうなんだけど、僕一人で考えているといつまでも迷ってしまって…」
「もう!候補くらいは考えているんでしょうね!」
「うん。ありがとう」
こういう時、何でもはっきり告げるオリヴィアは、優柔不断なフレッドにとって大変助かる存在だった。
「添える花束は何がいいかな」
「ジリアン様の好きなお花くらい、知ってるでしょう!?それを贈れば良いに決まってるじゃない」
「でも、鈴蘭だけの花束って寂しくないかい?」
「贈り物に添えるだけなら問題ないわ。花束として渡したいなら、もう少しボリュームを出すべきね。そこはお店の人と相談してきなさい!」
「わかった。いつも助かるよ。ところで、君も良い相手は見つかったかい?」
「もしそうなら、お父様が小躍りしてるわよっ!」
キッと眉を吊り上げたオリヴィアは、鼻息荒く言い放つ。その様子にフレッドは苦笑いだ。彼女とて恋多き年頃の乙女。自分自身の結婚について興味を持たないはずはなかった。しかしながらオリヴィアは、自分が社交界で何と噂されているかも知っていた。だから関心はあれど、期待はしていないのだ。父親が娘のために苦心している事もちゃんとわかっているのだが、それでも直らないのが生来の性格というものである。
「君なら引く手数多だと思うんだけどなぁ」
「あなた、目が悪いのね。押し付け合いの間違いよ」
「そんな事ないよ。君は…」
「じゃあフレッドは、わたしと婚約できたら嬉しいと思うの?違うくせに」
「ぼ、僕はジリアンのことがずっと、その…だから……でもっ君だって魅力的な女性だと、」
「下手な慰めはいいわよ!」
唇をへの字に曲げるオリヴィアは、いつもの彼女だ。憤慨しているように見えるが、慣れきっているフレッドはのんびりと話を続ける。
「そういえば聞いた事なかったけど、君はどんな男性が好みなんだい?」
「考えたことないわ」
「でも理想くらいはあるんじゃないかい?」
オリヴィアは少しの間、黙って考え込む素振りを見せた。それから彼女にしては珍しく、抑えた声量で言うのだった。
「……強いて言うなら、わたしとは真逆な人がいいわね」
「へえ。それはどうして?」
「わたしが二人もいたら、毎日喧嘩してばかりじゃない」
その光景が容易に想像できてしまい、フレッドは思わず吹き出してしまった。それが気に食わなかったのか、オリヴィアは元々吊り上がった目元をさらに持ち上げる。
「わたしのことはいいでしょう!!あなたは自分の心配をしなさいよっ!!」
「オリヴィアーッ!!淑やかな物言いをしなさいと、今朝注意したばかりだろう!!」
きつい怒声が響いた直後、通りすがりのメルヴィンが娘を叱責する。
パチル侯爵家はいつでも賑やかであった。無論、あまり良くない意味でだ。
父親に叱られたオリヴィアは、仏頂面のまま幼馴染を見送っていた。対照的にフレッドは穏やかに笑っていたが、彼の笑顔はオリヴィアに深い溜息を吐かせるものだった。何故なら彼女には誰にも知られてはいけない想いがある。
(「真逆の人」ってあなたのことよ……フレッド)
そう。オリヴィアは昔からたった一人の幼馴染に恋心を抱いており、そして失恋し続けているのである。だが幼馴染はもちろん、オリヴィアの家族でさえ、誰も彼女の想いを知らない。悟られないように、彼女は芽生えた恋心を自ら手折ったからだ。
オリヴィアの兄が親友を屋敷に招いた際、一緒について来ていたのがフレッドだった。兄達は早々に二人で遊び始めたので、残された妹と弟は必然的に言葉を交わすようになった。かれこれ十年以上も前の出来事である。
当時、子供だったためにより感情に走りがちだったオリヴィアを、彼はいつも優しく受け止めてくれた。それがオリヴィアにはとても嬉しかった。フレッドは彼女にとって落ち着く存在となり、いつしか安心は恋心へと変化していったのだ。結婚という単語を覚えた時、オリヴィアの頭にはフレッドしか浮かばず、彼以外には考えられなかった。
しかし、オリヴィアの恋が芽吹いた直後に、その芽は呆気なく踏みつけられてしまった。残酷にもフレッド本人から、ジリアン嬢が好きだと打ち明けられたのである。しかも、どうしたら振り向かせることができるのか相談までされる始末だった。フレッドが片想いしているジリアン嬢はにこやかで、相手にそっと寄り添うような娘だ。まかり間違っても無闇に喚き散らしたりしないだろう。オリヴィアとは全然違う、女の子らしくて可愛い令嬢だった。優っている部分を挙げるなら、爵位と身長くらいか。いや、小柄な女性の方が可愛らしく見えるので、オリヴィアがジリアンに勝てるのは侯爵家という、彼女自身の魅力とは言えないものだけだったのだ。
フレッドは優しい。いっそ残酷なほどに。オリヴィアだけでなく、誰を相手にしても彼は優しいのだ。けれどもオリヴィアは所詮、その他大勢の一人にすぎなかった。ジリアンを見つめる視線だけが唯一であり特別だと気付いたオリヴィアは、自分の気持ちに蓋をした。小さな恋の芽を根こそぎ抜き取ってしまったのだ。思った事は誰にでも、何でもはっきり言ってしまうオリヴィア・パチルが、口外を封じたのである。その強固さといったら凄まじく、現在に至るまで明るみに出ていない。彼女の並々ならぬ努力が窺えよう。
何もオリヴィアだって最初から諦めていた訳ではない。気が強いゆえに、当初はフレッドを振り向かせようと躍起になっていた。彼が好きなジリアンのように可愛らしい女の子になろうと、誰も見ていないところでオリヴィアなりに頑張っていたのだ。だが、静かに微笑んでいようとしても、反論があれば勝手に口が動いてしまう。ならばもっと冷静に対応しようとしても、すぐ頭に血が上ってしまう。この面倒な性格だけはどうしても矯正できなかった。
フレッドが恋するような女の子には絶対になれないと結論を出したオリヴィアは、彼の応援に徹することを固く決意した。彼女にとってはそれが精一杯の恋だった。決心を固めた夜、彼女はベッドの中で二粒だけ涙を流した。一つは失恋の痛み、もう一つは自己嫌悪の涙であった。
好きな人のため、あれこれ悩み、落ち込み、心から喜ぶ幼馴染を眺め続けるオリヴィアの胸中はとても複雑だった。彼が喜べばオリヴィアも嬉しいが、同時に胸が疼き、彼が全力で恋するジリアンが羨ましかった。ジリアンには好いてくれる人間が他にもいるだろうが、オリヴィアにはフレッドしかいないのに狡いと感じた日もあった。けれども、可愛げの欠片も無い顔を鏡で見るたび、狡いと思うことさえ烏滸がましいと気付かされる。仕方がない。他人から疎まれる性格も、可愛くない容姿も、不自由な身分も、生まれ持ったものだから。そうやって言い訳に逃げるだけの弱虫に、素敵な恋愛なんて到底無理だったのだ。
人としてこれ以上腐ってしまう前に、オリヴィアは自分の恋心に見切りをつけ、いち友人としてフレッドの幸せを願うことに全てを注いだ。そのおかげか、フレッド達の恋路は順調である。そう遠くない将来、ジリアン嬢との縁談が纏まるだろう。あとは彼らにかける祝福の言葉を準備しておくだけでいい。
(その前に「求婚の言葉はどうしよう」とか聞かれそうね。まったく、困った幼馴染だわ)
そんな困った幼馴染に恋する自分の方がよほど厄介だった。彼に信頼されているのは誇らしい反面、異性として見てもらえる事は無いのだと性懲りも無く胸が痛むから、本当に困るのだ。
きっと、否、絶対にフレッドの方がオリヴィアより先に婚約すると思っていた。というより疑いもしなかった。
「オリヴィアーッ!!!」
「お父様!?何事ですの!?今日はまだ何もやらかしていませんわ!」
娘に負けず劣らずの声が侯爵家に響き渡ったのは、よく晴れた日の朝だった。朝一番から騒々しいことこの上ないが、此処で働く使用人達は慣れたもので平然と仕事を続けている。だがしかし、メルヴィンが放った次の一言は、有能な使用人達をも驚愕させたのだった。
「婚約の申し込みに、了承の返事があったぞ!」
「えっ」
「お相手は何と…ロス伯爵家のリーンハルト殿だ!!」
「えええっ!?」と叫んだのはオリヴィアだけに留まらず、パチル家の屋敷は今までにない騒音に包まれた。
ロス伯爵家と言えば、王族に連なる公爵家とも親交を持つ、時の権力者だ。パチル家も歴史ある貴族だが、逆を言えばそれくらいしか取り柄がない。爵位では格上であっても、勢力図で見るとロス家の方が断然優位である。しかもロス家の長男リーンハルトは、これまた非常に有名な令息だった。それも良い意味でだ。彼の優れた容姿は"稀代の美青年"と称されるほどで、彼に憧れる令嬢は数知れず。要は社交界の注目の的なのである。そんな人物が、オリヴィアの婚約者になるかもしれない。これは叫ばずにはいられなかった。
小躍りする父親を前に、オリヴィアはただ呆然と立ち尽くしていたのだった。




