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 かつん、と踵が床を打つたび甲高い音を立てる。烈火のごとし緋色の髪を颯爽と靡かせ、廊下を突き進む彼女の名前はオリヴィア・パチル。由緒正しい侯爵家の令嬢である。吊り上がった目に迫力があるばかりか、固く引き結ばれた唇も厳めしい。鋭く尖った印象を受ける令嬢は、口調もまた一段と鋭利だった。

 彼女はある一室の前で足を止めた。そしてノックもなしに勢いよく扉を開ける。ここは彼女に充てがわれた私室なのでノックは不要だとしても、風が巻き起こるほど思い切り開け放つ必要性はない。


「ちょっと!いつまでやってるのよ!」


 次いで、刺々しい声が広い屋敷中に響き渡った。オリヴィアの声は鋭いだけあってよく通るのだ。

 部屋の中には齢十五のメイドがひとり居た。オリヴィアに睨まれたメイドは、大量の汗を飛ばしながら、籠に入っている衣装をクローゼットに仕舞っていく。どうにか片付け終えたメイドに向かって、オリヴィアは更にきつい声をかけるのだった。


「次は無いわよ!?いいわね!」


 叱られたメイドは、しょんぼり項垂れながら部屋を出て行く。小さくなった背中を睨み続けるオリヴィアは、尊大に腕を組み、不機嫌そうに鼻を鳴らすのであった。




 侯爵令嬢のオリヴィアは、社交界でちょっとした有名人である。しかし有名といっても、悪い意味でだ。


『オリヴィア嬢は自分の使用人に辛くあたる』

『この間など、泣いているメイドを馬車に押し込め、屋敷から追い出していた』

『屋敷に出入りしている商人は、毎度毎度オリヴィア嬢の怒鳴り声を聞いている』

『茶会に呼ぼうものなら、出された品にことごとく難癖をつけるという』

『紅茶好きで知られる夫人のお茶にも、文句を言ったそうだ』

『なんとも厄介な令嬢だ』

『だから彼女は夜会でいつも独りなのだ。誰もオリヴィア嬢と踊りたがらない』


 等々、肯定的な意見は何処からも聞こえてこない有様。彼女の赤髪は苛烈な性格そのものと、揶揄されることも少なくないくらいだ。無理もない。オリヴィアの唇はいつもへの字に曲がり、皺の寄った眉間の下で眼光鋭くしているのだから。夜会で優雅な音楽が流れようと、茶会で素敵なもてなしを受けようと、彼女の表情は変わらない。口を開けば突き刺すような言葉が飛びだすので、皆から敬遠されてしまうのは納得もいく。

 だがしかし、そんなオリヴィアも十八歳。婚約者を決める年頃となった。いや、侯爵令嬢としてはやや出遅れている。何せ、棘のある性格が災いして、ろくに友人も作れていないのだ。婚約者となればいっそう難しくなる。

 彼女の父であり、パチル侯爵家の現当主メルヴィンは、娘の結婚相手について頭を抱えていた。淑やかにしろと注意しても、出掛ければ何かしらの悶着を伴って帰ってくる、ほとほと困った娘なのだ。けれどもやはり自分の子供は可愛いもので、それが不出来な子となれば尚さら放っておけない。だから今日もメルヴィンはやつれた顔で、婚約の申し込みの書簡を作成し続けた。誰か一人くらいは侯爵家という身分に目が眩むだろう、否、いっそ眩んでくれ。愛情と責務の板挟みになる父親は、凝り固まった目頭をほぐすのだった。

 実のところ、オリヴィアには一人も友人がいない訳ではない。彼女にはフレッドという幼馴染がいた。兄同士が親友であるため、下の二人も交友を持つのは自然な流れであった。フレッドは容姿こそ冴えないがとにかく穏やかな男で、子供の頃からつんけんしていたオリヴィアとも衝突せずに遊んでいた程だ。現在でも交友が続いているのはフレッドの功績だろう。付き合いも長いし、お似合いに見えなくもない二人であるが、残念ながら婚約の話は浮上しなかった。理由の一つは、フレッドの実家とパチル家では、家柄が釣り合わない事。世知辛い事情だが、貴族階級に生まれた以上は仕方がない。そしてもう一つの理由。正直こちらの理由が大半を占めているといっても過言ではないが、それはフレッドに想い人がいる事である。貴族は政略結婚が当然の風潮にあるものの、家によっては恋愛結婚も認めているのだ。フレッドの実家は階級が低いこともあってか、家族ぐるみで息子の恋を応援していた。そこに横槍を入れるほどメルヴィンも鬼畜にはなれなかった。


「オリヴィア。理由はどうあれ、もう少し淑やかな物言いを心がけなさい」


 メルヴィンは先程大きな声を響かせていた娘に物申すべく、重たい腰を上げていた。言っても詮無い事とはいえ、親として子供を躾けねばならないからだ。


「…申し訳ありませんでした」


 みっともなく喚くのは困ったものだが、オリヴィアは決して手のつけようがない癇癪持ちではなかった。注意を受ければ大人しく謝る、素直な部分もあるのだ。だからメルヴィンも、なんだかんだで娘に厳しくしきれず、娘が非難されると庇いたくなるのである。


「うむ。出掛けるのか?」

「仕立て屋に用がありますの。お兄様も一緒ですわ」

「サンディとならば大丈夫か…気をつけて行くように」


 兄のサンディは妹からは想像もつかないほど、おっとりとした性格だ。話し方も非常にゆっくりで、髪色以外は似ている部分が見つからない。どうしてこうも正反対になったのか、育てた親にもわからないが、兄妹仲は良好である。兄や幼馴染のような温和な人間でなければ、オリヴィアの相手は務まらないということか。しかし、あの二人より穏やかな男性にメルヴィンは出会ったことがない。


「お兄様!そんなゆっくりしていては日が暮れます!」

「ごめんよ、オリヴィア」


 娘の心配も尽きないが、息子も息子でのんびりすぎて大丈夫かと思う時もある。父親の悩みの種は増える一方であった。


「果たしてあの子は結婚できるのだろうか…」


 メルヴィンの切ない呟きは、その場に虚しく響いただけで、騒ぎながら出発したオリヴィアに何一つ届くことはなかった。

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