4.
(宇宙歴で)一日半の超光速航行は何事もなく過ぎていった。
あれほど平和な航海を望んでいたにも関わらず、ひと眠りしてアルコールが抜けてしまうと、今度はその『何事も無い』という状態が退屈で仕方ない。
軍艦とは何と極端な乗り物か、と思う。
ひとたび戦闘宙域へ行けば、死と隣り合わせの状況下で常に緊張と精神的重圧に晒され、ひとたび戦場を離れれば、搭載された人工頭脳が航行に関するあらゆる制御を自動でしてくれるから、やるべき仕事が殆ど無い。
大型の戦艦にはレクリエーション室や運動室を備えた船も多いが、船体の小さな魚雷艇には、そんな贅沢も許されない。
狭い船室に閉じ込められ、カード遊びに興じるか、人工頭脳相手にチェスをするか、データ保存されている立体映像劇を再生するか、読書をするか。
TBX-1のデータベースには、そこそこの量のデータ本が保存されている。
俺は、便所の掃除とシャワー室の掃除を終えた後、艇長室に戻って机の上に本を広げた。
もちろん、腕時計型端末で呼び出した『本』の立体映像には、重さも手触りも存在しないが、ページを捲るジェスチャーを感知して、ちゃんと『それっぽい』動きを見せてくれる。
俺は、この『ページを捲る』という動作が好きだ。
もともと子供の頃から、データ本を読むのが好きだった。
当時は、標準的な表示方式・ジェスチャーで本を読んでいた。
データ本を読むのに、わざわざ昔ながらの『紙の本』を真似た表示方式とジェスチャーを使い始めたのは、宇宙軍アカデミーに入ってからだ。
アカデミーの博物館には、宇宙大航海時代初期のアンティーク武器と一緒に、紙の本のレプリカも置いてあって、自由に触って読む事ができた。
何とも言えない紙の手触りと『ページを捲る』動きの優雅さに感動した。
以来、趣味で本を読む時は、わざわざ古いタイプの表示・ジェスチャー・モードに切り替えている。
* * *
俺がTBX-1のデータベースから引っ張り出したのは、とある高名な歴史学者が一般人向けに書いた入門書だった。
平易な言葉を使い、所どころに冗談を差し挟み、章の終わりには気の利いたコラムで頭を休ませてくれるような、いかにも『授業で寝てばかりいた嘗ての落第生たちに捧げます』とでも言いたげな本だった。
つまり、この俺にピッタリという事だ。
別に、宇宙大航海時代の歴史に興味が湧いた訳じゃない。
ただの暇つぶしだ。
* * *
今から八百年前、地球人類は〈フーバー式超光速陽電子加速法〉と呼ばれる技術を確立し、超光速宇宙船を建造、幾光年も離れた星系へ旅立ち、植民地を作った。
地球に似た環境の惑星を見つけては定住し、人の生活に適さない惑星の環境を次々と〈地球化〉していった。
人類の母星である地球には、銀河中の植民地から様々な物資が流れ込み、地球に住む人々は歴史上に類を見ない大繁栄を謳歌する。
一方、それぞれの惑星で世代を重ね数を増やした移住者たちは、地球による支配と搾取の構造に疑問を持ち始める。
やがて疑問は『地球帝国主義』に対する反抗へ、反抗は独立運動へと姿を変えていく。
最初は少数の惑星だけで巻き起こっていた独立の気運は、最終的には七百以上の惑星植民地すべてを巻き込んだ一大政治運動へと発展する。
これを地球政府が見逃す筈もなく、各惑星植民地に対し過酷な弾圧政策を敷くが、銀河じゅうに広がる独立の炎を消し止めるには、既に時を逸していた。
宇宙歴282年、ついに惑星ヴィーネが地球に対し独立を宣言。
その知らせに勇気づけられた他の植民地も次々に後を追い、七百以上あった植民惑星すべてが地球に対し独立を宣言する。
初めは軍事力をもって植民地の独立を阻止しようとしていた地球政府だったが、さすがに七百の植民地全部を相手にする力は無く、ある時期以降、各植民地が宇宙に向かって自らの惑星旗を振る様を、黙って見つめる他なくなってしまった。
とうの昔に自身の資源を掘り尽くし、植民星から吸い上げる物資に頼り切っていた地球の凋落は、以後、急速に進む。
国民の生活水準は見る見るうちに低下し、マグマのように煮えたぎる彼らの不満の受け皿となる格好で過激な主張の政党が実権を握り、その党首(政敵から『狂人』と仇名された男)が国家元首に就任する。
宇宙歴301年、人類が初めて他の星系に到達した日から数えて三百年後、のちに『母星喪失』と呼ばれる大事件が発生し、銀河じゅうの惑星移住者に衝撃を与える。
その詳細は未だ解明されていない。
分かっている事は、ただ一つ。
『ある日とつぜん、人間を含めた地球上の全ての生物が死に絶え、大気中には猛毒ガスが充満し、土壌は有害物質に汚染され、地球は〈再・地球化〉も不可能な死の惑星に成り果てた』
これだけだ。
それ以外、あらゆる事が謎のまま。
七百の惑星すべてが、自らの起源を一瞬で失った。
そして、失って初めて気づく。
地球帝国は、抑圧し搾取するだけの存在ではなかった、と。
各植民惑星に対する地球の抑圧と支配の時代が終わると同時に『帝国支配下の平和』も終わりを告げる。
そして到来したのは、現在まで(いや、正確には、三ヶ月前の全銀河ゾンビ化現象発生日まで)五百年間つづいた戦乱の世……かつては地球支配下の植民惑星として、兎にも角にも一つに纏まっていた七百もの独立国が、入り乱れて互いに大砲を撃ち合う〈銀河戦国時代〉だった。
* * *
惑星ロメロンに到着し、予定どおりTBX-1は一周二時間の極軌道に乗った。
惑星に近づく時、俺は『相手の防衛システムが今でも機能していて、迎撃されるのではないか?』と、いつも不安になる。
実際そんなものは杞憂にすぎない、とは俺自身も分かっている。『全銀河ゾンビ化現象』以降、防衛システムが正常に機能している惑星は殆ど無い、と思う。
今回も、ロメロン軍防衛艦隊の御出迎えは無かったし、陽電子高射砲の御挨拶も無かった。
惑星は沈黙したままだ。
TBX-1の制御室に入り、メイン・スクリーンに投影された惑星の映像を見て、俺は思わず舌打ちする。
惑星全体が、虹色の『膜』のようなものに覆われていて、地表の様子が全く分からない。
「惑星包括型の〈片方向情報シールド〉か」
〈片方向情報シールド〉とは、いわば『マジック・ミラー』のような役割をするエネルギー・シールドの一種だ。
こちら側(すなわち惑星シールド外)から発せられる情報は何の抵抗もなく向こう側に届くが、向こう側(すなわち惑星シールド内)から発せられる情報はシールドに遮断され外側には届かない。
『膜』に遮られ、衛星軌道から惑星ロメロンをスキャン出来ない。
「まいったな……迎撃されなかったから、ロメロン惑星防衛軍は壊滅しているものと思っていたが……シールドだけが生きているのか」
良くある事、といえば、良くある事だ。
惑星に住んでいた人間が全てゾンビ化した後も、人工頭脳たちは自らに設定された業務を淡々と処理し続ける。
軍隊、役所、工場、商店……あらゆる場所で、主の居ないまま、人工頭脳たちは働き続ける。
しかし、それも暫くの間だけだ。
状況の変化に応じて命令を下し、修正を与えてくれる『人間』という存在を失った人工頭脳たちの行動は、徐々に『ずれて』いく。
最初は些細だった『ずれ』が、修正されぬまま徐々に蓄積されていき、やがて無視できないほどの齟齬を人工頭脳たちの間に生んでしまう。
正常な社会なら、それら人工頭脳どうしの齟齬は、上位の存在である生身の人間によって調停され、小さなうちに摘み取られ、事なきを得る……が、住民すべてがゾンビ化した惑星には、人工頭脳に命令し、宥める存在が居ない。
真面目でバカ正直な人工頭脳たちは、真面目でバカ正直であるがゆえに、自らの職務をまっとうするため、互いに殺し合いを始める。
こうして、大量のゾンビと、人口頭脳の残骸と、運よく生き残った『野良』の人工頭脳だけが彷徨く荒廃した世界が、惑星地表面に出現する。
おそらく、この惑星ロメロンも同じだ。
運よく生き残った〈情報シールド〉発生器とその制御人工頭脳が、主を失ったまま動き続けているだけなのだろう。
……さて、どうしたものか……
「バーバラ、惑星ロメロンの資料を投影してくれ」
「了解」
メイン・スクリーンに惑星ロメロンの地図が映し出される。
(宇宙歴780年作図……今は宇宙歴805年だから、二十五年前の地図か……結構古いな)
ジェスチャーで、次のページを表示させる。
衛星軌道から撮ったロメロンの画像(これも、古い)
(青い海と緑の森林を持つ、典型的な『地球型』惑星……いや、違うな。元々の姿じゃない……地球化されているのか)
次のページ。
直径、地球の一・一四倍。
重力、一・〇二G。
自転周期、二十五時間。
公転周期、三百五十三自転周期。
(どれも地球に近い……植民星としては、かなり理想に近い)
銀河移民が母星である地球を失って五百年経つが、その子孫である我々の文化基盤には、今でも地球由来の物が多い。
例えばメートル・グラム法。
秒・分・時などの時間単位。
そして、宇宙歴……人類が初めて他の星系に到達した年を起点としているが、算出方法そのものは、それ以前に地球で使われていたグレゴリオ暦を継承している。
もちろん各惑星には、それぞれの自転周期と公転周期に対応した独自のローカル暦がある訳だが、それとは別に、星から星へと旅を続ける船乗りたちは、銀河共通の『宇宙歴』で生活サイクルを決め、誕生日を祝う。
元マシソニア宇宙軍所属・技術中尉の俺だって、一応は『船乗り』の端くれだ。何事も宇宙歴で考える癖が体に染み付いている。
「バーバラ、もう一度、地図を表示してくれ」
「了解」
スクリーンに地図が表示される。
「主要な大都市をプロット」
「了解」
地図上に複数の輝点が現れる。
(人口が最大なのは……商業都市ニュー・ニュー・ニュー・ジャージーって所か)
首都は別にあった。ハイ・ハロウェル市という都市だ。
人口は僅か四十五万。
惑星の首都としては飛び抜けて小さい。
機能分散主義かも知れない、と思う。
五百年のあいだ星々が戦に明け暮れたこの銀河戦国時代、安全保障の観点から国家機能を星全体に分散する戦略を採った惑星も少なくない。
大統領官邸、国会、軍本部、各省庁などをそれぞれ別の都市に置き、高速情報ネットワークで繋ぐ。
どこか一つの都市が陥落した場合でも、国家としての最低限の機能が維持されるように設計されている。
しばらく考える。
まず決断すべきは、惑星ロメロンに上陸するか、否か。
仮に上陸するとして、どこに降下するか。
惑星最大の都市にするか、それとも名目上の首都か。
シールドに遮られ、地上がどうなっているか全く見当がつかない。
食料の備蓄にはまだ余裕があるから、どうしても降下しなければいけない訳でもない。
「首都ハイ・ハロウェル上空に定位してくれ。レーザー巻上げ装置用意」
思い切って、俺はバーバラに告げた。
「了解。座標、44・2897、カンマ、マイナス69・8093へ移動の後、上空に定位します」
足元の床から極わずかな振動を感じる。
TBX-1が姿勢制御スラスターを吹かし進路を変えている。
さらにバーバラに命じる。
「ジョニー1号で降下する。準備をしておけ」
「了解。多目的軽装甲浮遊車輌(エムプラーヴ)1号の陽電子充電は完了しています」
「よし」
俺はTBX-1の制御室を出て、装備の確認をするため浮遊車輌の格納庫へ向かった。