1.【第1話:惑星ロメロン】
夢を見ていた。
夢の中で、俺は宇宙艇TBX-1の制御室にいた。
夢の中で、誰かが「おいっ、AB2573890/1」と、統合制御用の人工頭脳に呼びかけた。「今日からお前の名は『バーバラ』だ」
「了解。私の名は、バーバラ。記録しました」艇内スピーカーを通して、人工頭脳が女性の合成音で答えた。
「バーバラだって?」俺は、隣で腕時計型情報端末へデータを書き込んでいる同僚の技術士官に尋いた。「何だ? そりゃ」
「知らないよ……技術少将どの直々の御下令だってさ」
「あっ、それなら由来を知ってるぜ」別の技術士官が、振り返って俺に言う。「技術少将閣下が御好きな映画の主人公だって、もっぱらの噂だ」
「映画の主人公の名前? ……映画って、あの古典娯楽の『映画』の事か?」
「ああ。千年以上も前の作品で、確か題名は……ナイト・オブ・ザ・リビング何とか」
「ははぁ、千年前の古典娯楽とは、さすがに少将閣下は教養人でいらっしゃる」
「計画が順調に進んで、このTBX-1が量産された暁には、同型艇には『バーバラ型』って名が付くらしい……そうなったら、こいつは一番艇だな」
「バーバラ型……ねぇ」
* * *
突然、警告音が発せられた。
その鋭く鳴り響く大きな音が、強制的に俺を眠りの世界から現実へ連れ戻し、夢が終わった。
惑星ロメロンから〇・五光年ほどの距離にある星間宙域。
公海を行く試作魚雷艇TBX-1の艇内。
俺は唯一人の乗組員だ。
* * *
警告音が鳴り響いた瞬間、夢の世界に居た俺の意識が一気に覚醒し、体は反射的にベッドから飛び起きてデッキ・シューズに両足を突っ込んでいた。
技術士官とはいえ、俺も元軍人だ。宇宙軍の水兵として最低限の所作は叩き込まれている。
制御室に入り、操舵席に座り、計器類にザッと視線を走らせながら、人工頭脳の音声報告を聞く。
「同一の仮想ユークリッド平面上に、大型宇宙船らしき反応を感知。衝突コースです」
人工的に生成された〈亜空間トンネル〉通過中は、進路を変更できない。
衝突を避けるためには通常空間に戻るしかない。
「バーバラ、〈超光速航法〉解除、通常空間へ」
「了解」人工頭脳が、俺の命令を復唱。「主エンジンを『オーバードライブ・モード』から『ノーマル・モード』へ。通常航行に移行します」
メイン・スクリーンを虹色に染めていた〈亜空間トンネル〉が消滅し、船外環境カメラが暗闇に光る星々を投影する。
通常空間に復帰した証拠だ。
しかし、これで一安心とは行かない。
「左舷前方、十時、仰角三十八度に宇宙船を発見」と人工頭脳。「距離、三千二百光秒」
二つの〈亜空間トンネル〉が、偶然『重ね合わせ状態』に陥った場合、一方が消えると、もう一方も自動的に消滅してしまう。
つまり、こちらが〈超光速航法〉を解除すると同時に、衝突コースに居た相手も強制的に通常空間へ引き戻される。
相手が武器を持たない民間の船なら問題ない。
民間船なら、やり過ごせば良い。
しかし軍艦だとしたら……
「バーバラ、望遠最大、艦影を分析しろ」
「了解。超光速索敵装置、望遠最大。艦影を分析」
人工頭脳が対象の艦影を記憶装置の膨大なリストと照合する。
その僅か一秒ほどの時間が酷く長く感じられた。
「照合終了。ブルーベイカー級駆逐艦の可能性67パーセント」
可能性67パーセント? 確度が少し低い。それが気になった。
(我が惑星の最新索敵装置が如何に優秀でも、三千二百光秒も離れてちゃ解像度の低下やむなし、って訳か?)
この宙域のハイパー電磁相が安定していないのかもしれない。
あるいは〈宇宙霧〉が発生していて視界が遮られているのか。
駆逐艦と思われるその船の形状が、バーバラの記憶装置に記録されているものとは微妙に違っている可能性もあった。
艦級が同じであっても、建造年が若い艦ほど新しい技術が投入され、結果、一番艦と最新艦とでは微妙に外観が異なる……なんてのは、どの惑星でも良くある事だ。
ブルーベイカー級。惑星ロメロンの主力駆逐艦。
俺の乗っているTBX-1は(かなり特殊な設計思想で建造されているが)大雑把な分類で言えば、魚雷艇に属する。
魚雷艇にとって駆逐艦は天敵だ。
ある意味では、厚い装甲と強力な主砲を持つ戦艦や巡洋艦よりも、比較的小型で小回りの効く駆逐艦の方が厄介な存在と言える。
(確か、ブルーベイカー級は一番艦の就役から随分年数が経っている……筈だ)
つまり奴は基本設計が古い。
先進的な設計思想と最新の技術で建造されたこのTBX-1なら、勝機は充分にあると見込んだ。
だが俺は、誰かと戦争するために銀河を旅してる訳じゃない。
(あの艦に人間が乗っているのなら……まだ、この銀河に生きている人間が居るのなら、何としても会いたい)
「バーバラ」人工頭脳に命じた。「通信機を銀河公用周波数に合わせろ」
「了解。周波数、合わせました」
国際法に規定された公用周波数を使い、暗号無しの平文で呼びかけてみる。
「こちら、惑星マシソニア宇宙軍所属、TBX-1。こちら、惑星マシソニア宇宙軍所属、TBX-1。我が方に戦闘の意思は無い。応答されたし。繰り返す。こちら、惑星マシソニア宇宙軍所属、TBX-1……」
耳を澄ます。
呼びかけに応じる気配が無い。
ハイパー電磁相反応を利用した超光速索敵装置と、同じくハイパー電磁相反応を利用した超光速通信装置の理論上の最大有効範囲は、共に三千六百光秒。
仮に、ハイパー電磁相の局所的な不安定化や〈宇宙霧〉の発生などが原因で、索敵装置の有効範囲が狭くなっているのだとしたら、通信機にも同じような障害が出ている可能性は、充分に考えられた。
(もう少し近づいてみるか……)
しかし、向こうから一方的に攻撃を受けるリスクは避けたい。
「バーバラ、ブルーベイカー級に関する資料をスクリーンに投影してくれ」
「了解」
前面スクリーンの一部に、マシソニア軍情報部が収集・分析したブルーベイカー級駆逐艦の予想性能値が列挙された。
……主砲の射程は……千五百か。
駆逐艦としては標準的だ。
「取り舵、目標艦に向け回頭、前進0・3光速」
「了解。取り舵60度、上げ角38度、無慣性場展開、0・3光速まで加速します」
目の前の舵輪が左巻きに回転を始める。人工頭脳がTBX-1の航行装置を操っているのだ。
統合制御型人工頭脳は、船に関する有りとあらゆるものを自動化する。航行、索敵、火器管制、船内環境の調整、果ては暇つぶしのチェスの相手まで、何でも自動でやってくれる。
乗組員の俺は、ただ音声で進路や速度を指定するだけで良い。
あとはバーバラが指示の通りに船を動かしてくれる。
万が一の場合が来ない限りは。
とりあえず、俺は目標から二千光秒の所まで近づいてみようと思っていた。
もし、いきなり先制攻撃を受けたとしても、駆逐艦に搭載される標準的な主砲の射程からは外れているし、そこまで近づけば、索敵装置も通信装置も、目標に対して充分に機能するだろう。
現在、このTBX-1は目標から三千二百光秒の位置に居る。
二千まで距離を詰めるとして、差し引き千二百光秒。
0・3光速で移動すれば一時間と六分。加速と減速の時間ロスを加えても、一時間と十五分たらずで到着する。
その間、目標がジッと動かずに居てくれれば、の話だが。
マシソニア宇宙軍所属の魚雷艇TBX-1は、鼻先をロメロン軍のブルーベイカー級駆逐艦に向け、無慣性加速を始めた。
……突然、けたたましい警告音が艇内に響く。
「警告、目標艦からの先行波を感知。超加速陽電子砲到達まで、十秒……八、七……」
陽電子砲? 先制攻撃か? 先手を打たれた……だと?
しかし、まだ相手の射程圏外の筈だ。
俺は、目の前にある舵輪を両手でガッシリと掴んだ。
「制御をよこせ!」
「了解」
舵輪の手応えが、グッと重くなる……バーバラが姿勢制御への介入を止め、俺の握る舵輪と姿勢制御装置とを直結させた証だ。
どうする?
いや……今更どうしようもない。手遅れだ。
敵の第一射に対し、こちらが出来る事は、もう無い。
近傍を、陽電子砲特有の青白い光の線が通過する。
ハズレだ……敵の艦砲は当たらなかった。
「ふん、当たり前だ」俺は額の汗を拭いながら、誰に言うでもなく強がってみせた。「この距離で、そう簡単に当たって溜まるか」
それにしても、たかが駆逐艦の主砲が、なぜここまで届いたのか? そんな疑問が一瞬だけ頭を過ったが、命の危険を感じた俺の脳が大量のアドレナリンを分泌し、今は目の前の戦いに集中しろと命じた。
俺は、敵駆逐艦に向けて自分の艇を一気に加速させた。
そうだ、先制攻撃を仕掛けてきたあいつは敵だ。
もはや、通信回線を開いて友好を示す必要も意味も無い。
このTBX-1は魚雷艇……装甲は極端に薄い。
ヤツの主砲がほんの少し掠っただけで爆沈するだろう。
こちらの対鑑兵器はマシソニア軍最新のマーク13亜空間魚雷のみ。
他に、自動照準式の陽電子パルス機関砲も装備されているが、あくまで、装甲の薄い小型艇を近距離で仕留めたり、白兵戦を仕掛けてくる敵兵を殺すためのものだ。出力が弱すぎて駆逐艦以上の艦船には歯が立たない。
マーク13魚雷の射程は、千百光秒。
何としても、敵の砲撃を掻い潜って距離を千百まで詰める必要がある。
右に左に、上に下に、舵をランダムに操作してTBX-1をジグザグに動かしつつ、駆逐艦との距離を詰める。
ふと直感が働き、俺は舵を左へ一杯に切った。
敵の第二射……右舷ギリギリの所を陽電子砲の射線が通過する。
危なかった。あのまま進路を変えずにいたら、今頃は船体が真っ二つになっていただろう。
魚雷艇の持ち味は、その軽さを生かした俊敏な動きだ。
砲兵の練度や火器管制人工頭脳の演算速度にもよるが、一般に、大砲の照準には一定の時間を要する。
素早く動き続ける魚雷艇相手に、ドンピシャで照準を合わせるのは至難の技、と言うより不可能に近い。
だから大砲の砲手は、魚雷艇の進路を先読みし、艇そのものではなく、予想した進路の少し先を狙って撃つ。
逆に魚雷艇の方は、敵砲手の裏をかいて、突然に進路を変えてみたり、変えるように見せかけてそのまま直進したりと、ランダムな動きを繰り返す。
つまり、主砲を持つ大型艦と小型魚雷艇との戦闘は、『読み合い』あるいは『騙し合い』の勝負になるという事だ。
そして、この『読み合い』『騙し合い』こそが、戦術において人間が人工頭脳よりも優秀な成績を納める唯一の分野だった。
人工頭脳は、全てに於いて正確すぎた。
要は、馬鹿正直すぎるのだ。
どこまでも論理的な人工頭脳は、人間の『不合理な行動』を理解できない。だからギリギリのところで賭けに負けてしまう。
それこそが、高性能な人工頭脳を持つ艦艇が主流となった現代にあっても、未だ人間の乗組員を必要とする理由だった。
俺は、自分の直感が命じるまま、右に左に進路を変えながら徐々に敵ブルーベイカー級駆逐艦に近づいた。
あと数メートル進路がずれていたら、あとコンマ数秒、転身が遅れていたら粉々に砕け散っていただろう……という危ない瞬間を何度もやり過ごし、俺とTBX-1は、魚雷の射程ギリギリまで近づいた。
この距離で魚雷を数発同時発射し、そのまま加速して敵艦の向こう側へ抜ける『一撃離脱戦法』が、雷撃戦に於ける定石の一つだ。
一般に、魚雷一本あたりの破壊エネルギーは艦砲一発のそれよりも大きく、当たれば敵艦を撃沈させる確率も高い。巨大戦艦乗り達が、敵の小型魚雷艇を指して『大物喰らい』と呼び、忌み嫌う所以だ。
その一方で魚雷の射程は、せいぜい艦砲の三分の二程度に過ぎず、射程ギリギリで撃った場合の命中率も高くはない。
これらの特性を踏まえ、最も効果的な魚雷の撃ち方は、わずかに射線を広げるような形での数発同時発射であるとされていた。多少の無駄玉は承知の上で、どれか一発でも敵艦に当たれば良い、という発想だ。
だが俺は、出来る限り魚雷を温存したかった。
一発必中を狙う……魚雷一本で確実に陽電子加速器を破壊し轟沈させる……最低でも、敵艦の航行能力を奪い、主砲へのエネルギー供給を断つ。
そのためには、もう少し近づく必要があった。
(九百光秒まで近づけば、人工頭脳の射撃精度なら一撃で轟沈も可能だ)
我が軍の情報が正しければ、ブルーベイカー級の主加速器は、船体後端から全長の三分の一ほど中心よりの場所にある。
そこをピンポイントで狙う。
もう一つ、我が軍の情報が正しければ、ロメロン軍の魚雷の射程は、九百。
つまり、そこまで近づけば敵魚雷の餌食になる可能性が出てくるという事だ。
おそらく敵の魚雷も射程ギリギリでの命中精度は大して高くないと思われるが……相手も魚雷を貴重なものと考え、一発必中を狙って来るか? それとも、いざとなったら複数同時発射の大盤振る舞いも辞さないつもりなのか?
一瞬だけ迷い、次の戦術を決める。
敵の艦砲射撃を掻い潜る中で、俺は、ある事に気づいていた。
それは理屈から導き出されたものじゃない。
感覚的なもの、ある種の直感だ。
(操艦しているのは、人工頭脳だ。人間じゃない)
魚雷艇の進路を先読みして主砲を撃つ、その敵駆逐艦の攻撃パターンに、何かしら『無感情』とでも言うべきものを感じた。
どこまでも理論的に、ただ効率だけを考えているような射撃リズム。
それゆえに、か、あるいは『逆説的に』と言うべきか、非効率的な人間(つまりこの俺)の行動パターンを読み切れていない。
「左舷一番、三番、五番管に魚雷装填、信管作動距離、一番管・九百五、三番管・九百二十、五番管・九百三十」と命令する。
バーバラが復唱。
「了解。一番管・信管作動距離九百五で装填。三番管・信管作動距離九百二十で装填。五番管・信管作動距離九百三十で装填」
三番と五番は万が一の保険、だが、一撃で仕留めるつもりだ。
舵をあやつり、陽電子砲の光を躱しつつ、敵魚雷の射程ギリギリ外側を舐めるように進む。
やがて、TBX-1と敵駆逐艦は、互いに左脇腹を見せながら擦れ違う形になった。
「一番、三番、五番管、敵艦の主加速器に照準合わせ」
「了解」
「一番、撃ぇ」
発射管に圧搾空気が流れ込み、高まった管内の圧力で魚雷が射出され、その反動が船体を揺らす。
マーク13亜空間魚雷の尾部ロケット・モーター点火、青白い炎を後方に噴射しながら一気に加速する。
突然、スクリーンの映像から魚雷が消えた。
ここからが、亜空間魚雷の本領だ。
「一番魚雷、亜空間潜行に入りました」
いったん亜空間に突入して射線から消え、敵艦の近くで再度通常空間に出現、実質的に光速を超え、同時に、敵索敵装置から魚雷の進路を隠す。
「着弾まで、九秒……七、六、五」
距離およそ九百光秒。魚雷は光の百倍の速さで亜空間を抜け敵艦に到達する。
敵艦の直近で実体化する際、再び『こちら側の世界』の物理的制約を受け通常速度に戻ってしまうが、それでも敵に回避する暇を与えない程度には速い。亜空間を抜けて突然目の前に現れた魚雷を回避できる宇宙船など、この銀河には存在しない。
「二、一……」
敵の艦砲射撃が止まった。
少し遅れて、超光速索敵装置の映像に変化が現れる。
敵ブルーベイカー級駆逐艦の側面やや後方に爆発光が現れたかと思うと、見る見るうちに膨張し、駆逐艦の船体が真っ二つに折れた。
「目標、轟沈を確認」相変わらずの無感情な声でバーバラが報告する。
俺は「ふうっ」と大きく息を吐き、背もたれに体を預けた。
思った通り、まず間違いなく、敵艦を操っていたのは『くそ真面目』な人工頭脳だ。
彼我の距離が、自身の装備データに記された魚雷の射程を一ミリでも上回っている限り、奴は絶対に発射しない……と、俺は予想した。事実その通りだった。
(……こちらの『読み勝ち』だ)
メイン・スクリーンを見つめる。
敵艦の残骸。
どこから、どう見ても、もはや航行する能力も反撃する能力も失せている。
確認したい事があった。
「バーバラ、敵艦の横、千五百メートルの距離まで近づいてくれ」
「了解」
再び魚雷艇の制御を手にした人工頭脳が、船首サイド・スラスターに火を入れた。
ゆっくりとTBX-1が敵艦の残骸の方向へ回頭する。
サイド・スラスター停止。
主エンジン点火。
艇は、静けさの戻った黒い宇宙をゆっくり(と言っても亜光速だが)敵の残骸へ向かって進んだ。