寂れた教会 7
「対価として、提示された額の金だ」
セオバルドの背後に立つシモンは、背中越しにジョセフの声を聞く。
「……確かに」
ジョセフの付き人から金の入った袋を受け取り、中身を確認したのであろうセオバルドの声。
金を運ぶジョセフの付き人からシモンの持つ小鬼が見えないように、セオバルドとシモンは背中合わせに立っていた。
やがて、ジョセフの付き人が下がり、礼拝堂の扉が閉まる音を聞いたシモンは、そろりとセオバルドの背後から顔を覗かせる。
もう良さそうだと、シモンはセオバルドの隣に並んだ。
セオバルドは懐から小さな革袋を出し、その中から小指の爪ほどの小さな石を摘まみ出す。
水晶の中に虹を砕いて閉じ込めたような、透明な石だった。
――魔石、だ。
セオバルドに教わって、それが何であるか知っていたシモンは、不思議な面持ちで小首を傾げ、魔石を見つめる。
魔力と相性の良い鉱物であり、魔力の貯蓄はもちろん、術具や魔道具などに幅広く使われ、魔石そのものに術を施して使うこともできる便利な魔法鉱石だ。
ただ、用法によっては、すぐに使えなくなってしまう消耗品だとも聞いている。
「魔石と呼ばれるものです。封じの術を施してあり、魔のものを閉じ込めることが出来ます」
セオバルドの指先で、魔石がほのかな光を灯す。
光を湛えた石を、セオバルドは、シモンが持つ小鬼の頭部に翳した。
すると、石を中心に光る円が展開され、円の内には古代文字と清めの五芒星が浮かび上がった。それがひと際明るく光を放つと、小鬼の姿が魔石の中に、すぅっと吸い込まれて消える。
小鬼を吸い込んだ魔石は一度大きく輝いて、沈黙するかのように光を放つのを止めた。
「これで終了です」
セオバルドは、掌の上の魔石をジョセフに見せた。
透明度の高い水晶のようだった魔石の中心には、澱とも靄ともいえる、黒いものがあった。
あまりにも呆気なく終わった一連の出来事に、ジョセフもシモンも、すぐに言葉が出ない。
セオバルドは呆けた顔をしているジョセフの前で、出した時とは別の革袋に小鬼を封じた魔石をしまう。
「この魔石は、こちらで管理保管を致します。封じられた魔のものは、基本魔石の中から出ることはありません」
椅子に腰かけるジョセフを見下ろし、薄く微笑むセオバルドは静かな口調で告げた。
「先程申し上げたように、対価の請求金額や見聞きした細かな情報を一切口外なさらないでいただきたい。万が一、約束が守られなかったその時、私は小鬼を魔石から解き放つ事を厭わない、そう覚えておいてください。小鬼は、封じられた恨みを上乗せして、貴方の許へ帰って行くでしょう」
そう、そして。
約束が破られたら、セオバルドは二度とジョセフの依頼を受けない。
いかなる場合でも。
セオバルドの言葉を理解し、青褪めたジョセフは震える声で言った。
「……約束する」
ジョセフとセオバルドの顔を交互に見比べながら、シモンの顔からも血の気が引いた。
これは。
(脅している……)
なにかセオバルドの機嫌を損ねでもしたら、自分もこんなふうに脅されるかもしれない。
気を付けよう。シモンは、そう心に留めた。
教会前の道に停まる馬車の脇で、ジョセフを見送るためにセオバルドとシモンは並んで立った。
ジョセフは振り向きもせずに、一刻も早くここから離れたい様子で馬車の中に転がり込むと、馭者を怒鳴りつけてすぐに馬車を出発させた。
ものすごい勢いで走り去る馬車は、砂塵を巻き上げて丘を下り、あっという間に見えなくなる。
音の余韻が消え去り、空気が澄み切るのを待って、シモンはセオバルドに尋ねた。
「先生、小鬼は魔石から出たら、あの人の所へ戻るんですか?」
「ああ。……シモン、あの小鬼の基となったものが何か、君は知っているだろう?」
小首を傾げてシモンと視線を交わすセオバルドは、肯定の後に、一つ問う。
シモンが知っていることを前提とした、知識を反復させるもの。
復習のための問いだ。
「はい。その辺りに漂っている、黒い靄や影ですよね」
「そう。いくつかある異界の一つ、魔物の住まう世界から滲み出たもの。現世に存在する魔物の基となるものだ。黒い靄や影自体は弱く、然もないことしか出来ないが、悪食だ。あれらが人の持つ悪意――、妬みや嫉妬、憎悪などに引き寄せられ、喰って育ったものが、魔物としてなんらかの実体を持つ」
シモンの理解が追いついていることを、表情から読み取ったらしいセオバルドは話を継ぐ。
「ジョセフに纏わりついていたのは、執着しているから。……シェリーが調べた限りでは、長く高利貸しをしていて周辺の人間たちから怨みを買っていたらしい。おそらく、彼に深い恨みを持った人間たちの悪意を喰ったんだろう」
ジョセフに恨みを持つ人間たちの悪意を、黒い靄や影が喰って小鬼を模った。
それなら、小鬼の身体はジョセフへの悪意で出来ていることとなる。
「つまり、小鬼は食べた人間の悪意に従い、ジョセフさんに憑りついて悪さをしたんですか?」
「一人の人間の悪意から、黒い靄や影が小鬼にまで育つことはまずない。そんなことになったら、現世は魔物だらけだ。相当数の人間の怨みがジョセフに向いていたんだろう。喰った怨みの殆どが彼に向いていたのなら、あり得る話だ」
踵を返し、礼拝堂に戻るために歩き始めたセオバルドを、シモンが追った。
もう一つ、わからないことがあった。
「先生、あの。……対価はどうしてあんなに高額なんですか?」
もしかしたら。
礼拝堂がぼろぼろで誰も寄り付かない上に、自分が転がり込んだことで生活が苦しいのかもしれない。
シモンは、遠慮がちに小声で尋ねてみる。
「僕に、お金がかかるからですか?」
よく食べている自覚はある。
食費がかさんで困っているのですか、とは羞恥心が邪魔をして聞けない。
「違う……! 君が金のことを気にする必要はない」
驚いたように目を瞠ったセオバルドは、すぐにはっきりと否定する。
「対価の基準は、定める者によって違う。……私は君に会う以前からずっと基準を変えてはいない。今回も、取れるところから取ったまでだ。それに、さっき魔物を封じた魔石は、希少な鉱物で高価だからね」
「あんなに小さな魔石なのに?」
高額な対価の中には、希少だという魔石の金額も含まれていたのだろうか。
シモンは眉をひそめて、納得のできない顔をする。
「それならどうして、手間をかけて小鬼を封じる手段を取ったんですか?」
セオバルドは、人ならざるものや魔力について教えてくれる師であり、彼が多種多様な術を使うことをシモンは知っている。
わざわざ高価な魔石を消費して小鬼を封じずとも、セオバルドであれば、小さな魔物など一瞬でどうにかしてしまえそうだった。
「シモン、いいかい?」
セオバルドは足を止めて、シモンに向き直る。
前に教えたことと重複するが……、そう前置きをしてセオバルドは続けた。
「魔力を有する者は、無い者の前でそれをひけらかしてはならない。そして、魔力に関する知識の無い者の前で、破壊を伴う術を使用するのは好ましくない。彼らは自分たちにその力が向けられることを恐れるからだ。魔力を有し術を使う者は、それを以て、持たざる者を攻撃してはならない。……彼らと共存するための暗黙の盟約でもある」
「はい」
ゆっくりと丁寧に諭され、シモンは過去に教示された記憶と今回の出来事を一致させて、納得する。
「……ついでに」
セオバルドは微かに目を細めて、涼やかに微笑む。
「今回、少なくない額の金を対価として受け取っているからね。弱みの一つでも握っておけば後になって面倒がない」
小鬼を封じた魔石を収めた革袋の紐を摘まんで、シモンの目の高さにぶら下げる。
目の前で揺れる革袋に、シモンは目を丸くする。
弱みって……。
「先生、牧師なのに!?」
思わず悲鳴のような声が口を衝いて出た。
セオバルドは答えずについと顔を逸らすと、そのまま礼拝堂の扉の向こうに姿を消した。
扉はゆっくりと閉じて、独り残されたシモンは唖然として立ち尽くす。
「えぇ……?」
お金は無い、身寄りがない、行く当てもない。
教会に置いてもらい、身を護る術を教えてもらえることはとても助かる。
けれど、他の人に見えないものが見えるということを隠して生きてきたシモンにとって、セオバルドの生き方は少しばかり常識が追い付かない。
半年たった今でも、驚くことの方が多い。
セオバルドから習えるものは習い、祖母の言いつけ通り生きる術を身につけて、早く独り立ちできるように日々努力をしようと、シモンは気持ちを新たにする。
そう。
名前も、性別すらも嘘を吐いてしまったことを、セオバルドに知られる前に――。