寂れた教会 6
セオバルドに金を払うのだと決めて、腹をくくったらしいジョセフは。
不機嫌な態度はそのままに、腰掛けた椅子の背もたれに寄りかかると、ゆっくりと一呼吸をして落ち着きを取り戻した。
「……その約束とやらの前に。こちらも大金を払うんだ。なんでもいい、憑りつかれているっていう証拠を示してくれ」
苦々しげに呟く。
すぅっと目を細め、セオバルドは頷く。
「もちろんです。ジョセフさんに憑りついているものは、人間の悪意や負の思念を喰って育ったもの……。実体があるので。シモン、捕まえてジョセフさんに見せて差し上げなさい」
捕まえる? と耳を疑うシモンは、咄嗟に言葉が出ない。
目を瞬かせるシモンに、セオバルドは少し丁寧に説明した。
「シモン、隠れている魔物を捕まえて、ジョセフさんに提示してごらん。君が認識して示せば、彼にも『見える』から」
「は……? い?」
頓狂な顔をしてセオバルドの顔をまじまじと見つめるが、彼の表情に冗談の彩りはなく、青い双眸は真面目そのもの。
訝るジョセフの視線も刺さり、場の雰囲気に呑まれて、それ以上聞き返すことも出来ない。シモンは不安を抱えたまま影のようなものが隠れた柱に近寄った。
礼拝堂の会衆席の脇にある柱の陰。暗い部分に馴染むように、それはいた。
魔物の大きさは、子猫ほど。握り拳と同等の大きさの頭に、皮と骨ばかりの老人を思わせる胴体。ひょろりと細い手足を持った闇色の小鬼だ。
小鬼は、窪んで穴の開いた暗い眼孔をシモンに向けた。
四つん這いになり、耳まで裂けた口から鋭い歯を剥きだしてぐるぐると首を振ると、キィキィと薄気味悪い声で威嚇してくる。それは、扉が開く時のきしむ音に似ていた。
神経を逆なで、耳に突き刺さる不快な高音に、シモンの心が竦み上がる。
シモンの隣に、セオバルドが立った。
「彼に憑りついて礼拝堂に入ってきたはいいが、あちこちにある魔除けを警戒して動きが鈍っている。君が結界を張る練習をするのに、ちょうどいい」
「結界を張る練習……、ですか?」
尋ねながら、シモンはセオバルドから小鬼へと視線を滑らせる。
セオバルドと初めて会った時に、シモンは自分が魔力を備えていることと、それによって人ならざるものが見えることを、彼に教えてもらった。
自身もそうであるというセオバルドの許で、魔力を使った術や身を護るための結界をいくつか習い、鍛錬を積んだ。
だが、こうした場に引っ張り出されるのは、今日が初めてだ。
不安と当惑の心境から、俯いて小鬼を見つめるシモンに、セオバルドは平然と言ってのけた。
「そう。小鬼を結界の中に閉じ込めてごらん。逃げられることなく掴みやすい」
「掴む……?」
ぞくぞくと寒気がして、シモンは背を震わせる。
生まれてこの方、こうしたものを掴んだことなど無かった。否、好き好んで掴む者がいるとも思えない。
柱の影から、ガチガチと歯を噛み鳴らして威嚇をしてくる小鬼に、シモンは怖気づく。
「先生。これ……、絶対噛みますよね?」
「防御のための、保護結界を張ればいいだろう」
教えたのだから、とセオバルド。
ぱっと弾かれたように、シモンはセオバルドに顔を向けた。
「出来の悪い生徒ですみません……! まだ、一度に二つは自信がありません!」
真摯な眼差しで、シモンは力強く宣言する。
潔くきっぱりと断言するシモンに、セオバルドが閉口した。
「……」
「……」
だから。
「保護結界は、諦めます」
身体の表皮を膜のように覆い、身体に加わる衝撃や魔物の瘴気をやわらげてくれる保護結界。それを張れないのであれば、小鬼を掴むのは免れるかもしれないと、シモンは密かな期待を寄せる。
だがしかし。
「革手袋をしなさい」
小鬼を捕まえることを撤回するどころか、代替え案をさらりと提示され、眉を寄せたシモンは、うぅっと小さく呻いて肩を落とした。
「はいぃ……」
諦めの境地で、シモンは力なく返事をする。
セオバルドがシモンに衣食住を保証する代わりに提示した条件は、二つ。
一つ目が、自分の身の周りのことを、自分ですること。
二つ目は、セオバルドの許で人ならざる者や魔力について学び、助手として彼の手伝いをすること。
この先も教会に住まわせてもらうのであれば、シモンに拒否権はない。
シモンは大きく息を吐きだし、気持ちを落ち着けて集中する。
セオバルドに教わり、ひたすらに繰り返し練習をした。
結界を張る為の呪文を自然に頭に思い浮かべると、両手を小鬼に向ける。
小鬼がすっぽり入るほどの小さな円を正確にイメージしたシモンは、韻を一度、正確に頭の中でなぞってから口の中で唱えた。
さぁっ、と小鬼の周りを淡い光が包み込み、シャボンの泡のような薄い膜の結界ができた。
結界を安定させて、シモンは緊張を解いてほっと肩の力を抜く。
結界に閉じ込められた小鬼は。
結界を打ち破ろうと細い手足をバタつかせて、激しく暴れ始めた。小さな体が砕けるのではないかという勢いで体当たりをし、尖った歯を鳴らしながら結界に食いつこうとする。
結界を張った術者であるシモンなら、すんなりと結界の中に手を入れることが出来る。
けれど、凶暴に暴れ回る小鬼をどうやって掴もうかと、しゃがみ込んだシモンは途方に暮れた。
セオバルドが「そのまま」と言い、礼拝堂の地下へと下りて、革手袋を持って戻ってきた。それを、シモンに渡す。
「小さくても歯が鋭いから、革手袋の上から指を噛み千切られないように」
「えぇ!?」
革手袋を受け取りながら、それが気休め程度にしかならないことを知って目を丸くする。
抗議しようかと口を開きかけて。
革手袋を渡されたのだから、自分が小鬼を掴むのは決定事項なのだろうと悟ったシモンは、口をつぐんだ。
シモンは革手袋をはめ、一瞬の隙も逃すまいと小鬼を掴む機会を待つ。
「これは、畑にいるモグラ」
ぽそりと低く呟く。
モグラ、モグラと心の中で延々と繰り返し自己暗示をかけ、小鬼の動きを睨む目付きで追う。
小鬼がシモンに背を向けた、その刹那――。
息を呑むのと同時に素早く結界の中に両手を入れて、小鬼の背後から首と頭を片手で一掴みにする。もう片方の手で、小鬼の肩を鷲掴みにした。
シモンは小鬼に体重を掛けて、床に押さえつけた。
「はー……っ」
どっと疲れて肩を落とし、結界を解いて、小鬼を持ちあげた。
手の中から逃げようと全力で暴れる小鬼は、小さいが魔物。
顔の半分ほどもある裂けた口を開いて歪め、なんとか噛みつこうと身体を捩る。細い手足からは想像もできない強い力で、革手袋をしたシモンの手を掻きむしる。
「わっ」
力負けして小鬼の肩から指が外れそうになり、思わず声が漏れる。
見かねたセオバルドが、暴れる小鬼の額に指先を当てた。
指先から小さな閃光が弾けたかと思うと、小鬼は雷打たれたようにびくんと痙攣し、だらりと脱力した。
「麻痺させただけだ」
死んでしまったのかと大きく目を瞠るシモンに、セオバルドは事も無げに言った。
「ありがとうございます!」
噛まれずに済んだ。
ほっとして明るく微笑むシモンは、セオバルドに礼を述べて踵を返す。
証拠として提示するために、ぐったりとした小鬼をぶら下げて、ジョセフに歩み寄る。
唖然とするジョセフの口があんぐりと開かれ、零れそうに大きく見開かれた目は、シモンの手許に釘付けとなった。
「これです!」
ジョセフの目線に合うようシモンが小鬼を差し出すと、小鬼の身体がぶらん、と揺れた。
ひいぃっと息を吸い込むジョセフが、身を固まらせる。
「く、来るなっ! 寄るな!! こっちへ来るなっ!」
掠れた声を上げたジョセフは、身体を仰け反らせて椅子から腰を浮かせる。小鬼を寄せ付けまいと杖を振り回した拍子に、怪我をした足を椅子にぶつけ、バランスを崩し――。
椅子と共にひっくり返って、大きな音を立てた。
(あぁ、そうか。見慣れていないから……!)
しまったとばかりに焦るシモンは、床に転がるジョセフの方へ一歩踏み込み声を掛ける。
「すみません! 大丈夫ですか?」
「よ、寄るなって言ってんだろうがーっ!!」
ジョセフの怒声に、礼拝堂のヒビの入った硝子が震え、痛んだ天井からぱらぱらと埃が落ちた。