紛れ込んだ物 17
『名士という人物』を調べた上で孤児院に赴いたセオバルドは、すぐに違和感を覚えたという。
――つまり。
「寄贈された建物は、君が見ても立派なものだっただろう?」
「はい……、すごくしっかりとした造りでした」
金持ちの別荘だったといわれて納得できる建物。住む人間が心地よく過ごせるよう細部にまで手を掛けられ、使用される材料の一つ一つが普段目にするものとは明らかに違う良質な物だと、一目で判別することができた。
「そうした建造物は、古くなったとして価値が上がることはあっても、下がることはない」
「……ええ」
住宅は、造りのしっかりとした心地よく住めることが保証されているものにこそ、価値がある。
長く安心して住めるという事実の積み重ねから、信用という価値が生まれる。
あの孤児院となった建物は、時が経つにつれて価値が上がるものの類だ。
「それだけの屋敷を、ぽんとくれるだけの財力がありながら、孤児院を見る限り支援しているふうでもなく、運営自体にも関心があったように思えなかった。それなのに、子供たちが物音を怖がっていると相談を受けてすぐに動いたことに、ちぐはぐなものを感じてね」
実害もなく、物音がするというだけで依頼を持ち込まれたのは初めてだ、とセオバルドは微笑する。
「……言われてみれば、そうですね」
少なくとも今までの依頼者たちは、何らかの実害があってからセオバルドを頼ってきた。
同意して頷いたシモンは、名士と孤児院の関係性について、考えを巡らせる。
「名士は建物を寄贈したけれど、孤児院に関心がなかった。だから、人攫いが現れるようになったことや、村との関係がうまくいっていないことを知らなかった……ってことですか?」
「そう。……オスカー牧師から、屋敷内の物音について相談を受けるまではね」
シモンの呈した疑問に、セオバルドはほんの少し補足をし、肯定する。
それを前提として、彼は、名士について深く掘り下げていく。
「オスカー牧師に相談を持ちかけられて会った名士は、何も知らずに孤児院や村の様子を尋ねたんだろう。……屋敷を寄贈する前に別荘として使用していたのなら、名士は当然、村とも縁があるはずだからね。村の様子はふたりを結ぶ共通の話題として、一番身近で手軽なものだ」
村にあれだけ大きな別荘を構え、かつて頻繁に行き来していたのであれば。
使用人として、もしくは物品の搬入などで屋敷に出入りしていた村の人間が、少なからずいたはず。
セオバルドの言う通り、名士は村に馴染みがあったと思われる。だが――。
「――話題。あ、世間話として、ですか? ……でも」
シモンは、声を落として言い淀む。
真っ先に思い浮かんだのは、人攫いが原因とされる孤児院と村の不和。
決して明るい話題ではない。
シモンの反応に、セオバルドは意味深な笑みを浮かべた。
「村の様子、孤児院の様子のどちらを訊かれても、双方の関係の悪化とその原因が話題に上がることは想像に難くない」
村と縁のある名士のこと。
馴染みのある村の人間に訊けば、村と孤児院の関係はすぐに知れる。
オスカーにしても、わざわざ隠すとは思えない。
別荘を手放した後、孤児院に関心がなく、村とも疎遠であったのならば、名士は寝耳に水だったろう。
「オスカー牧師から、物音の他に村と上手くいっていないことや、人攫いが現れること聞かされたら、名士はどうすると思う?」
まるで謎かけをするように、セオバルドは悪戯っぽい眼差しをシモンに向けた。
屋敷を寄贈した名士になったつもりで、シモンは思案する。
建物を寄贈し、村に縁のある自分は、まったくの無関係ではないのだから――。
「まず、人攫いの件について村の知り合いに確認します」
口に出してから、その場を想像する。
名士が村の人から『人攫いの原因になっている孤児院を閉院するよう働きかけてほしい』と懇願されるのではないか、と。
「村の子供たちが攫われたのが事実であれば、場合によっては、名士は村の人にお願いをされてオスカー牧師に……」
シモンは、ごにょごにょと言葉を濁す。
問題解決の手っ取り早い方法として。
名士が孤児院に関心がないのなら、閉院させるのが自然に思えたからだ。
物音がする、化け物が出るかもしれない孤児院なら、尚更。
それならば、逆に。
「名士が孤児院側に立ち、問題解決のために町長に相談を持ちかけたのなら……。名士にとって孤児院は無くなって欲しくないもの、ということですか?」
発想を転換させたシモンは、正解かどうかを探る口調でセオバルドに訊いた。
セオバルドは、軽く頷く。
「そういうことだ。孤児院が無くなると名士にとって都合が悪いことがあった……。たとえば、名士が慈善事業を通じて将来、政治的な見返りを得ることを目論んでいた、とか」
妙に具体的な例に、シモンは言葉を挟むことも出来ず、視線を逸らすことができない。
弱き民を助ける慈善事業は、貴族や上流階級などの、財産や権力を持つ者の責務、――言い換えれば証ともいえる。
そこに絡む政治の話となると、シモンには縁のない世界だ。
「物音の件と一緒に村との関係が悪化していることを知った名士は、焦ったんだろう。物音の件が村に知られれば一層風当たりが強くなる。これ以上悪い評判が立つ前に何とかしたい。そんな名士から相談を受けた町長は、悪い物が憑いているかもしれないからと、私の所へ依頼を持ってきた」
結果的に、魔物は住みついていたのだが。
だから……、とセオバルドは言葉を継ぐ。
「ここに戻って事の顛末を報告しに行った時に、町長には、オスカー牧師に提示した対価の、十倍の金額を記した紙を差し出して」
「じゅうばっ……!?」
何故!? と零れ落ちそうなほど目を大きく見開き、シモンは仰け反る。
つい最近、人や職種によって対価の金額を変えることをしないと聞いた気がするのだが。
――それに。
「え、だって対価……」
オスカーから貰ったのにと、シモンは壁に貼られたアニーの絵を見遣る。
言わんとすることを察したセオバルドは、絵を一瞥した。
「誤解の無いよう先に言っておくが、私の対価に対する考え方や、君との落としどころを見つけていくといった言葉に、嘘はない。……その絵は間違いなく、対価として受け取った物だよ。私は町長に金額を書いた紙を見せただけで、払えとは一言も言っていない」
どういうことなのだろうと、目を白黒とさせるシモンに、セオバルドはしれっとした顔で言ってのける。
「町長に『善意に支えられるべき孤児院に、この金額を請求するのは心が痛い。本来であれば、孤児院を後援されている、高貴なるお方に提示させていただきたいところですが……。村の平穏と未来ある子供たちのために尽力し、問題解決のために金を回してくださるというのなら、そちらの方が有意義でしょう』といったんだ」
さらりと淀みなく紡がれた言葉に、ええぇ? と咽の奥でくぐもる声を呑み込み、シモンは忙しく目を瞬かせた。
もう一つ、とセオバルドは酷薄に笑う。
「孤児院があることで人攫いが横行し、治安が乱れるのであれば、そのうちに建物を寄贈したその方にも火の粉が飛ぶ。それなら、私財を使い自衛団を結成し村へと派遣してはどうか。孤児院を残しつつ、村と孤児院との間に生じた軋轢を解消することで体裁を保ち、人格者であると刷り込むこともできる。ともね」
架空の対価をちらつかせ、代替え案を出すことで誘導したように聞こえて、シモンの背中を冷たいものが這った。
(そもそも、なんで……、それが通るんだろう)
セオバルドが直接会ったのでなければ、名士に自衛団を作るよう説得したのは町長だ。
名士と立場の近い町長が言うのなら、より説得力が増すような気がしたシモンは、勘ぐる。
町長は。
強く言い返せないような弱みを、セオバルドに握られでもしているんだろうか、と。
――不穏な考えしか浮かばない。
シモンがひたすら凝視すると、セオバルドは、くすりと笑う。
「町長も、提示した金額を先方に伝えて私をだしに使えば、自身が悪者になることなく、ある程度話を進めやすい。上手く解決すれば信用を得られて、名士に恩も売れる」
多少の下心ありきで町長も相談を受けただろうから、と呟いた。
思いもよらない話に、シモンはぽかんとした顔で、対価とされたアニーの絵を再び眺める。
「あ、……れ?」
ふ、と。シモンは、妙な違和感を覚えた。
孤児院の部屋でシモンが帰り支度を終えた時、セオバルドは机上に置かれたオスカーの私財を見ていた。
既に、アニーの絵はシモンの鞄の中にしまわれていたのに。
だとしたら、セオバルドはどうして――?
シモンは、はっとして気づく。
魔物を浄化した後に、シモンが対価について口出ししようとした、――あの時。
「先生、魔物を浄化した後には、アニーの絵を対価に決めていました……よね?」
シモンの気持ちを汲みつつも、セオバルドはそっと押しとどめた。
まるで、シモンの納得する対価を、既に選んでいたように。
「ああ」
「じゃあ、もしかして交渉の時にオスカー牧師に高額な対価を提示して、私財を部屋に運ばせたのって、なにか……、気になることでもあったんですか?」
対価の受け渡しが済むまで黙っているように言われたのは、なにかを調べるためだったのでは、と思い至る。
彼の立てた仮説を裏付ける、一つの手段として。
否定せずに、セオバルドはシモンの疑問に答えた。
「件の名士から、オスカー牧師個人に金が流れていないか、裏で密かに繋がってはいないか。念のために調べておきたかったんだ。交渉時の、彼の態度や言葉と照らし合わせて……。私財として差し出されたものが、適正であったかどうかをね」
名士とオスカーとの間に打算的な繋がりを仄めかされて、シモンは俄かに緊張する。
シモンの目に映るオスカーは、誠実な人柄で真摯に子供たちのことを想っていた。
交渉時のオスカーの態度に、嘘偽りがあったとは思えない。
孤児院の扉を壊し、硝子を割ったことを申告したシモンを気遣い、慰めてくれたオスカーの顔が脳裏に浮かぶ。
ショックを受けたシモンの顔が、……表情が強張る。
「それは……?」
結局、どうだったのだろうか。
目を丸くして二の句が継げずにいるシモンに、セオバルドは丁寧に穏やかな口調で説いた。
「大丈夫、私の杞憂に終わったよ。……子供たちのために孤児院を作りたかったオスカー牧師と、名士の思惑が、たまたま一致したものであれば、問題ない。……けれど、孤児院の設立が名士による政治的な演出であり、オスカー牧師がそれに一口乗ることで、何か報酬を約束されていたのであれば。そういう人間は、後ろ盾になる者が問題を起こしでもしたら、保身のためにいとも簡単に子供たちを見捨てる。そこはしっかりと見極めておきたかった。……君の不安を取り除いておきたかったからね」
突如、自分の存在を話に織り込まれたシモンは、驚きのあまり息が止まりそうになる。
「僕の、……不安?」
セオバルドの顔を覗き込んで、恐る恐る尋ねた。
セオバルドは涼しげな目を優しく細め、ほのかな笑みを浮かべる。
「ずいぶんと子供たちに懐かれて、気にかけているようだったから……。魔物の件だけでなく、そちらの方もきちんとしておかないと。君があの孤児院に心を残して、子供たちのそばで暮らすなんて言い出したら、それを説得する方が余程骨だと思ったからだよ」
「えっ? それで、そんな……?」
孤児院や、子供たちのことを心配してはいたが。
言い出してもいないことを引き合いに出されたシモンは、呆気にとられる。
――まさか。
想像以上に囮として買われていて、馬車馬のように働くことを期待されているのだろうか。
「人や物事が動くのに、きっかけとなる理由なんて、ひとつあれば充分だ」
狐につままれたような顔をするシモンに「ゆっくりお休み」と声をかけたセオバルドは、部屋を出て行った。
わずかな音も立てられることなく、ぴたりと閉じられた扉を見据え、シモンは混乱する頭を傾げる。
「じゅうばい……?」
セオバルドと名士の間に入った町長は、その金額を提示された時点で、無理だと突っぱねることはしなかったのだろうか。
それとも。
町長を始めとする、大きな屋敷をぽんとくれてしまえるような金持ちは、価値観が違うんだろうか。
「……怖っ」
理解の及ばない価値観の世界。
未知の世界に、シモンは肩を縮こまらせて、ふるふるっと身を震わせる。
考え始めたら、眠れなくなりそうだ。
――けれど。
胸のつかえが取れて、シモンは壁に貼ってあるアニーの絵を振り返る。
村に自衛団が入れば、人攫いが横行することもなくなるだろう。
子供たちは、伸び伸びと過ごせるようになるはずだ。
まっすぐに駆け寄ってきたアニーの無邪気な笑顔を思い浮かべて、シモンは安堵の吐息を漏らした。




