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男装少女は言い出せない  作者: 和奏
男装少女は言い出せない
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紛れ込んだ物 5


 コッ、コツ……。


 足音を忍ばせても、靴底が廊下を打つ、微かな音が立った。

 がらんとした広い廊下に、靴音がささやかに反響する。

 真っ暗な廊下で、シモンの持つ手燭(しゅしょく)に点る小さな炎が、歩を進める度に揺れた。

 手燭を中心としたほのかな橙色の空間が、映し出されるシモンの影と共に、闇の中を揺らめく。


 時折――。


 ふわふわと、廊下を漂う黒い靄が、橙色の空間に入り込む。

 灯りに照らされた白い壁や床を、黒い影が這い、さぁっと通り過ぎていく。

 昼間には一つも見られなかった黒い影や靄は、手燭の灯りに浮かび上がっては、闇の中に溶け込むようにして紛れた。

 負の感情を探し求めるように孤児院の中を彷徨うそれらは気味が悪く、手燭を持つシモンの手に力がこもる。


 カタタタタ……。


 どこからか、何か聞こえる。

 ぴくん、と体を震わせたシモンが足を止め、耳に届く音に神経を集中させる。

 小さく廊下に響く音は、小さな粒のそろった小石が規則正しく打ち付けるような、硬い音。

 もしくは……、人が机を爪の先で弾くような、そんな音だ。


(これ……、マシューの言っていた、音……?)


 ただ、音は壁に反響して、何処から聞こえてくるのかわからない。

 シモンの歩いてきた後方から……否、前方から聞こえてきただろうか。

 ――天井?

 音の正体を見極めようと、シモンが灯りを翳し、見上げた刹那。

 ……ぴたり、と音が止んだ。

 息を潜めて身構え、首を巡らせる。


 一つの黒い影が、シモンの後方から手燭の灯りに照らされる足許を走り抜け、前方の闇の中に消えた。

 すかさず手燭を前方に翳したシモンは、それを目で追う。

「――え……っ?」

 微かに灯りの届いた薄暗がりの中で、黒い影が何かに掴まれて、ふい、と消えた。

 そんなふうに、見えた。

 急に姿を消した黒い影に、シモンは怪訝に眉を寄せ、小首を傾げる。

 見間違えたのだろうか。

「あれ?」

 周辺を見回して、そして気づく。

 ちょろちょろと廊下を行き来していた黒い影や靄は、シモンの目の届く範囲のどこにもない。


 カタタタタ……。


 細かく壁を突くような硬い音は、徐々に小さくなっていく。

 この場から、遠ざかっていく。

 灯りを翳したまま、警戒するシモンは進むのを躊躇い、しばし廊下に立ち尽くした。

「……」

 暗闇を凝視し、耳を澄ますも音は戻ってこない。

 シモンは手燭を前へと突きだし、そろそろと廊下を前へと進み始めた。

(確か、二階部分の中央、壁の曲がり角に……)

 一階へと降りる大階段がある。


 視線の先。

 灯りに浮かび上がる廊下の曲がり角に、細く白い指が、ぼぅ……と浮かび上がる。

「……っ!」

 息を呑むシモンの双眸が、零れそうなほど大きく見開かれた。

 蜘蛛の脚のように細い指が壁を掴むと、次いで、ひょこっと白い顔が突き出てこちらの様子を覗う。

 さらり、と絹糸を思わせる銀の髪がまっすぐに垂れ下がった。


「シモン」


 細く無感情な声で名を呼ばれたシモンは竦み上がり、硬直する。

 悲鳴が零れないように、咄嗟に息を止めた。

 曲がり角から、するりと全身を晒したのは、黒いワンピースを着た少女姿のシェリーだ。

 

 気が緩んで、どっと疲れたシモンは肩の力を抜いた。止めていた息を大きく吐き出して、呼吸を再開する。

 猫なだけに夜目が利くのか。

 シェリーは灯りを持っていなかった。

「……シェリー? もう……。脅かさないでよ。こんな夜中に大きな声出したらどうするの」

「……」

 知ったことかとばかりに、シェリーはすぅっと目を細める。

 前方から現れたシェリーに、シモンは、はっとして顔色を変える。

「ねぇ、今そっちに黒い塊みたいなものが行かなかった? あと、変な音も聞こえなかった?」


 くすり、と小さな笑みを零したシェリーは、長い銀の髪を後ろへと払う。

「音が、暗いのが怖いの? いやぁね、お子様シモン」

 くすくすと笑いながら、シモンの顔を覗き込んだ。

 子供たちから解放され、一人部屋で悠々とくつろいでいたのだろう。……シェリーはすっかりいつもの調子に戻っていた。


「……じゃあ、年上のシェリーが先を行って」

 お子様でもなんでもいい、怖いのは嫌だとシモンはむくれて言い放つ。

 驚きと呆れを混在させた表情で、シェリーは大きく目を瞠った。

「はぁ!? なんで私が……」

「夜目が利くんでしょ?」

「あなた、灯りを持ってるじゃない!」

 先行することを拒むシェリーに、シモンは拍子抜けした顔をする。

「あれ? もしかしてシェリーも怖いの?」


 心外だと言わんばかりに、シェリーは眉をひそめて嫌ぁな顔をする。

「シモンじゃあるまいし……、怖いわけないじゃない。何か出てきた時に怪我をしたくないの。それだけ! 結界を張れるあなたが先に行きなさいよっ」

 それが道理だと片手を腰に当てて背を反らせ、ふんぞり返る。シモンの背後に回り込むと、シェリーは、とんと背を押した。

「ほら、早く歩きなさい」

 背を押されて言い切られ、渋々と先に立って歩き始めたシモンは、馴染みのある音が聞こえないことに気づく。

「シェリー、いつも付けている銀の鈴は?」

「教会を出る時に、セオに外されたの」

 背後に立つシェリーの声が、感情を抑え込むようにわずかに低くなった。

 声の調子、温度からシェリーが不機嫌になるのがわかった。

 シモンは首を巡らせ、シェリーの表情を窺い見る。

「……どうして?」

「……」

 表情すら無くして、シェリーは物想う顔をした。

 軽く瞼が伏せられ、繊細な玻璃を思わせる銀の睫毛が、紫の瞳を柔らかに(けぶ)らせる。

 遠くを見つめる眼差しで、シェリーは(うっす)らと、口を開く。

「綺麗な鈴の音色は、悪い妖精や悪霊を除けるものだから……、よ」

 先程とは打って変わって、無感情に凪いだ、静かな声音だった。


「シェリー? ……どうか、した?」

 シモンに見つめられていることに気づいたシェリーが、はっと我に返った。


「別に……、なんでもないわ」 

 シェリーは微かに眉を寄せて、ジト目でシモンを睨みつけると、ぴたり、と足を止めた。

「それよりも、シモン。あなた、私が別室なのをいいことに、どさくさに紛れてセオのベッドに潜り込んだりしないでしょうね!?」

 シモンはぎょっと目を剥き、シェリーに向き直る。

「は、はぁ!?」

 とんでもない言いがかりだ。

 だがしかし、これは渡りに船。

妖精猫(シェリー)じゃあるまいし、なんで僕がそんなことしなきゃならないの! だったら部屋を変わってよ」

 シモンが勢いに任せて言い返すと、シェリーは、ぐっと顔を顰めて口を引き結ぶ。

 慣れない環境と、不特定多数の子供に囲まれるストレスから解放され、悠々と休むことのできるひとり部屋は、何物にも代えがたいらしい。

 不意に表情を緩めたシェリーが、ふん、と鼻で笑う。つんと顎を上げて、シモンを見下す。

「……あら、セオと同室が嫌なの? あなた、セオと一緒だとなにか都合が悪いことでもあるのかしら……?」

「べ、別に? シェリーこそ。いつも先生と一緒なのに、部屋を変わりたがらないなんて。……先生となにかあった?」

「……」

「……」

 シェリーとシモンの双方が口をつぐんだまま、じぃっとお互いを見つめ、顔色を探り合う。

 そして。

 どちらともなく、ふぃ、と目を逸らすと無言のまま階段を降りた。



 マシューとローラと待ち合わせた談話室の両開きの大きな扉は、わずかに開いていた。

「あの子たち、先に着いているわね」

 シモンの後ろに立つシェリーが言い終えるか終えないかのうちに、扉が動き、マシューとローラが顔を覗かせる。

 視線が合うと、マシューが手招きをした。

 シェリーとシモンを談話室に入れると、マシューは廊下に誰もいないことを確認して、そうっと扉を閉めた。


 閉じられた談話室は真っ暗で、大きな窓に嵌め込まれた硝子が月の光をうっすらと反射し、半透明に浮かび上がる。

「ふたりとも、灯りは?」

 廊下は真っ暗だったのにと首を傾げるシモンに、ローラはくすりと笑った。

「目隠しをしたって歩けるわ。……少し暗いけれど、灯りはシモンのそれ一つでいい? 最近は、小さな子たちが音を怖がってすぐに灯りをつけるから、蝋燭がすぐに無くなってしまうの」

 灯りが無くても歩けるというのは、確かなのだろう。けれど、ローラの申し訳なさそうな声音と言葉から蝋燭を節約する意図を察して、シモンは頷く。

 

 がさがさと音を立てて、マシューがテーブルに一枚の大きな紙を広げた。

「見せたかったのは、これなんだけど……」

 シモンはマシューの隣で手燭を翳し、シェリーと共に広げられた紙を覗き込んだ。

 絵を描く子供たちのために用意された紙を、何枚も繋ぎ合わせて作られた大きな紙は、テーブルいっぱいにもなる。

 紙には、大人が優にふたりは入ることのできる、大きな黒い円が描かれていた。

 他には、何も書かれていない。

 それが何を意味するのか理解できずに、眉を寄せたシモンは首を捻る。


「もう一枚が、これ」

 マシューは、掌ほどの別の紙をテーブルの中心に置いた。

 小さな紙に記されていた文字――短い文に目を通したシモンは、大きく目を瞠る。

 マシューやローラでも読めるよう記されていた文字は、呪文。

 古代言語を発音したもの。

 大きな紙に描かれていた黒い円と、小さな紙に記されていた呪文の組合せが、シモンの中であるものと繋がる。

 それは、普段シモンが身を護る時に張る結界に、近しいものだった。


(手書き……?)

 魔力を備えているシモンは、イメージに伴い自己の魔力を奔らせ円を描く。古代文字の形も意味も正確に頭に思い浮かべてなぞり、発音することができる。

 紙に描かれた円が、どのくらいの効力を発揮するのかわからないが、マシューとローラがそれを持っていたことに、シモンは胸騒ぎを覚える。

「これ、は……?」

 ふたりがこれを使わなければならない、何かがあるのか。

 わざわざ夜中に呼び出して見せたのだから、理由があるはずだ。


「これは、何のためのもの……?」


 顔を上げたシモンは、真剣な面持ちでマシューとローラに尋ねる。

 持っていた三枚目の紙をシェリーの目の前に置いたマシューが、シモンと視線を合わせた。

 シモンの表情と声音から、何か良くないものを感じとったのか。表情を曇らせたマシューとローラが、視線を交わし合う。

「えぇ、……と」

「……それは」

 ふたりは困ったように口ごもると、ばつが悪そうな顔をして、俯いた。


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