寂れた教会 3
教会のある丘から細い道を下れば、町の大通りへと出ることが出来る。
大通りに一歩足を踏み入れたシモンは、道の両脇に立ち並ぶ店をぐるりと見回して、顔を綻ばせる。
この町は大きくないが、中心部を貫く大通りには食料品や衣服、雑貨などを扱う店が建ち並び、ショーウィンドウに飾られている商品や、きれいな店内が覗き見えるだけでわくわくする。
人通りは多すぎず、かといって物寂しさを覚えるほど少なくもない。店先には足を止めて雑談する人たちも散見される。
「こんにちは、シモン」
「こんにちは」
店の人や通りをすれ違う町の人も顔見知りが多くなり、挨拶を交わす。
この町の穏やかな雰囲気が、シモンは好きだ。
けれど、そんな小さな町だから。
町はずれの古びた教会にシモンがやって来た時も、あっという間に町中に知れ渡り、驚いたのだった。
シモンは大通りの一画にあるパン屋の扉を開けて、ドアベルを鳴らす。
教会に住み始めた当初から、町のことを教えてくれたり、シモンを町の人に紹介してくれたりと、色々世話になってきた馴染みのパン屋だ。
「こんにちは!」
愛想良くにっこりと笑顔を作ったシモンは、余所行きの声ではきはきと挨拶をする。
来客を報せる軽快なドアベルの音に、朗らかな笑顔を浮かべるのは、恰幅のいいパン屋の夫婦だ。
「あら、シモン。いらっしゃい」
「なんだ、今日も一人か! たまには牧師さまも町に連れてきてくれよ。シモンが来てから、さっぱり町にこなくなったじゃないか」
「はい……」
セオバルドのことを言われて、シモンは曖昧に笑ってごまかす。
町へ来るたびにセオバルドのことを尋ねられるシモンは、荷物持ちに徹するつもりで何度か彼を町に誘ったのだが、断られたのだ。
困った顔をするシモンに、パン屋の奥さんが苦笑する。
「礼拝堂がまだ直らないから、気兼ねされているのかしら」
「どうだろうね」
パン屋の主人が肩をすくめた。
「なに? 牧師さまの話?」
「礼拝堂がなんだって?」
壊れた礼拝堂や、町に顔を出さないセオバルドに話が及ぶと、店内に居合わせた町の人たちが話の輪に入ってきた。
すすす……と一人のお婆さんが寄って来て、シモンに囁く。
「あの教会、化け物が住んでいるって前の牧師さまが逃げ出されてから、ずっと放っておかれて誰も近寄らなかったからね。……化け物、出てないかい?」
シモンから何か新しい話を聞き出そうとするお婆さんと、町の人たちの好奇の目。
噂が回るのが早いはずだ、と微苦笑するシモンはぎこちなく目を逸らす。
このお婆さんだけではない。町の人達に何度も聞かされ、尋ねられた事柄だった。
お婆さんとシモンを横目で見て、パン屋の主人も口を挟む。
「そうだよ。外から見ても本当にボロボロで、教会の鐘は傾いて鳴りそうもねぇし、窓硝子が割れて屋根だって穴が開いてるじゃねぇか! 婆さんの言う通り、化け物がいそうだ」
冗談めかして、体を揺すって豪快に笑う。
妖精猫が一緒に住み、時折、小妖精が夜中にこっそり掃除をしてくれたりはするが。
「化け物とかは、出ないです」
笑顔を浮かべるシモンは控えめに静かな口調で、けれどはっきりと言い切る。
事実、シモンの知る限り、あの教会に悪いものが出たことはない。
「それなら、牧師さまに早く礼拝堂を直すように言っておくれよ。町長から礼拝堂が直るまでは教会にいかないようにと言われているから」
「お婆さんの言う通りだ」
町の人たちが、不快に思っているのでもセオバルドを責めているのでもないことは、わかっている。ただの世間話。だが、教会に世話になっているものとして、シモンはなんだか肩身が狭い。
「すみません。先生も直したいと言っているんですが、今は余裕がないそうで……」
申し訳なくなり、それとなく教会の懐事情を匂わせるシモンに、町の人達の声色が変わる。
「いや、まぁ。牧師さまも、シモンが来る半年ほど前に町にいらしたばかりで、ようやく一年経ったところだから……」
「元々古い建物だったうえに、壊れてから長く放っておかれた教会だから、不自由はないし」
「そうそう、町長の口利きで隣町の立派な教会のお世話になっているし、別に無理に直さなくても、なぁ?」
「それよりも、牧師さまはどこか身体を悪くしていらっしゃるのかい? だから、なかなか町にもいらっしゃらないとか?」
「そういえば、物静かで俯きがちな人だったな……」
町の人の視線が、一斉にシモンに注がれる。
「えぇ?」
注目されて戸惑うシモンは、小首を傾げて少しだけ考える。
――セオバルドは。
朝は、ほぼ決まった時刻に起きて来て、寝込んでいるのを見たことはない。身体の具合が悪いという話も本人から聞いた事がない。
セオバルドが健康であることは、疑う余地もない。
「……まぁ、確かに――」
口数は少ないですけれど、と。シモンはそう言おうとした。シモンの言葉に食いついたのは、目を輝かせたお婆さんだ。
「やっぱり……!」
「やっぱり?」
え? とシモンが目を瞬かせる。
なにがどう『やっぱり』なのか、理解が追い付かなかった。
「そうだったのか……。それなら仕方ない」
「どおりで、陰のある人だと思った」
「町に顔を出せない程に……」
「そんなに」
「なんてこと」
思い思いに呟き、気の毒そうにシモンを見つめた町の人は、いたたまれないかのように散っていく。
そそくさと、店を出て行く。
「? あの……?」
他の客がいなくなり、ドアベルの鳴り響く店内にシモンは一人、取り残された。
なんだか噛み合わなかったような気がするが……。
納得してくれたようだし、まぁいいかと、シモンは鞄の中から紙の袋を取り出し、パン屋の夫婦に向き直る。
「あの、これ。僕の合わせたハーブティーです。この間美味しいって言っていただけたので、同じものですが良かったらどうぞ」
パン屋の奥さんの体調や好みを聞いて調合したハーブティーを差し出す。
実はセオバルドに見てもらって、ほんの少し魔力を込めて効能を高めてある。
袋を受け取ったパン屋の奥さんは、満面の笑みを浮かべた。
「あぁ、嬉しい! ありがとう。これ、香りが良くて飲みやすくて、ほっとするんだよねぇ」
自分の作ったものを喜んでもらえたことが嬉しくて、シモンははにかんで微笑む。
「すみません。それと……」
ごそごそと財布を探し出し、掌に硬貨を乗せて、それに目を落とした。
「申し訳ないんですが、昨日のパンや切れ端とかあったら、このお金の分譲って頂けませんか?」
先日の売れ残りのパンがあれば、少し安く売ってもらえる。
セオバルドは、がつがつと食べる方ではない。シェリーに限っては殆どミルクだけ。祖母と暮らしている時から粗食に慣れてはいたが、朝食からしっかり食べるのはシモンだけだ。
セオバルドからシモンに与えられる生活費は不自由ないが、決して多くもない。
人一倍食べるのも気が引けたから、たまに安いパンを譲ってもらい食費を浮かせて、昼食や夕食にお金を回す。
不安気に表情を曇らせたパン屋の奥さんが、躊躇いがちに小声で尋ねた。
「……ちゃんと食べているの?」
「はい! あ、でも、先生は食が細いので、僕ばっかり沢山食べるのは何となく気が引けてしまって……」
大人の男性よりも食べていると思われてしまうだろうかと恥ずかしくなり、シモンの声は尻窄みになる。
視線を落として、頬にかかる前髪の中に表情を隠した。
「シモン、いくつになったんだっけ?」
「先日、十四になりました!」
そこは精一杯明るく主張するも、パン屋の奥さんはますます気の毒そうに眉をひそめる。
頬に片手を添えて、パン屋の奥さんが溜め息をついた。
「なんていうか、歳の割には小さくて、腕なんか細いんだよねぇ……」
パン屋の主人が無言で袋にパンを詰め始めた。
「昨日の売れ残ったパンだ。無料でいいよ。持っていきな」
「いえ、そんな。……お金はちゃんと払います」
おまけとは言い難い、予想外に沢山のパンを詰めてもらって驚き、恐縮する。
慌てて追加の硬貨をだそうと、一度しまった財布を両手で探しだした。
そんなシモンを制するように、ぐいっと袋を突き出す主人がニカッと笑う。
「最近誕生日だったんだろう? 今日だけだから。ほら、いいから持っていきな」
袋をシモンの胸許にぐいぐいと押し付ける。
その隣でパン屋の奥さんが大きなパンを薄く切り、肉切り包丁に持ち変えて、こんがり焼けた肉を厚めに切り落とす。焼けて間もないのか、まだ熱を持っている肉の塊から透明な肉汁がしたたり落ちた。
手早くそれにソースを塗り、パンに挟んでサンドイッチを作ると、紙で包んでシモンに手渡す。
「端っこの切り落としのパンと肉だから、遠慮しなくていいよ。これは、ハーブティーのお礼だから」
「すみません。……ありがとうございます!」
声を弾ませるシモンは、香ばしい香りを漂わせる包みとパンの入った袋を大事に胸に抱き締め、笑み崩れる。
「おうよ」
パン屋の夫婦に頭を下げて店を後にしたシモンは、豪華なサンドイッチはセオバルドと分けて昼食に、沢山貰ったパンは夕食にしようとほくほくする。
足取り軽やかに、秋めいた柔らかな陽射しの降り注ぐ町の中を進んだ。