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男装少女は言い出せない  作者: 和奏
男装少女は言い出せない
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幕間 ~寂寥~


 天に懸かる月も、瞬く星も、空を覆う雲にすっぽりと隠されてしまっていた。

 深淵を思わせる濃い闇夜。

 風もない、静かな夜だった。

 教会の居住部分の一室の窓から、ほのかな灯りが透けて見える。


 暗い部屋の光源は、セオバルドの机の隅に置かれている手燭(しゅしょく)の小さな灯りのみ。

 ぱたん、と机上で長い銀色の尾が上下に大きく振れた。

 巻き起こった(かす)かな風に小さな灯りが揺らめき、机上に薄く映し出された妖精猫の影が、伸縮する。

 内緒話をするように声を潜めるのは、影の主である銀色の妖精猫(シェリー)だ。

 凛と澄んだ声は鈴を転がすように弾み、心なしか笑みを含んでいる。 


「それでね、あの子ったら『助けてーっ!! 人攫いぃーっ!! 赤髪の男に攫われる―っ!!』って叫んで逃げたの」

 昼間、町でユアンと会った時に何かあったのかと、セオバルドに問われたシェリーは、見たものをそのまま彼に話して聞かせていた。

 ――セオバルドの欲しい情報を、シェリーが集めて渡す。

 それは、そばに置いて欲しいと願ったシェリーをセオバルドが受け入れる際に、両者の間で取り決められたもの。

 いくつかある条件のうちの、一つ。


 セオバルドの机の隅にちょこんと腰を下ろすシェリーは、ころころと機嫌よく喉を鳴らす。

 手許の写本から顔を上げたセオバルドが、無感情にシェリーを一瞥した。

「……わかった」

 そして、再び手許の写本に目を落とす。

 セオバルドは、もうシェリーを見ようとはしない。

 感想を述べるのではなく、それ以上話を広げるでもない。

 シェリーの話を情報として受け取り、把握したという意味なのだろう。

 口をつぐむセオバルドに、シェリーは喉を鳴らすことを止めた。


 話が途切れ、静まり返った部屋の中。時折聞こえるのは、セオバルドによって捲られる乾いた写本の音だけ。

 そんな些細な音も、灯りの届かない闇の中に吸い込まれて消えていく。


 灯りを点している蝋燭の芯が(くすぶ)り、炎は頼りなく消え入りそうに小さくなる。刹那、じじっ……と音を立てて、再び炎が燃え上がった。

 黒い(すす)を立ち昇らせ、朱色の炎が大きく揺らぐ。


 芯の燃える音が、耳のすぐ側で鳴ったかと思うほどに、静かだった。

 何事もなかったかのようにまっすぐに立つ炎を見つめながら、シェリーは物足りなさを覚える。

 静かな空間が好きで、煩いのは嫌い。

 声をかければ相槌なり、反応が一つ返ってくれば充分だ。

 月明りでも、蝋燭でもいい。

 明りは自分で道を選んで歩ける程のものがあれば、充分だった。

 セオバルドのそばは、それらを満たしている。

 望む場所で満たされているはずなのに感じる、物足りなさ。

 それは、シモンが教会(ここ)へやって来て、馴染み始めた頃に芽生えたものだった。


 微かに揺れる炎先(ほさき)から目を逸らし、シェリーはセオバルドの漆黒の髪を見つめた。

 そして。

 心の奥底。物足りなさの奥にある感情に、気づかない振りをした。

 

「それと……、この間、貴方に尋ねられた村の話だけど」

 シェリーが口にしたのは、今朝、教会に戻って早々にシモンと外へ出されて伝えそびれていたこと。

 一度、言葉を区切ることで話しを続けてもいいか、セオバルドの反応を窺う。

「ああ」

 写本を閉じて顔を上げたセオバルドが、聞く姿勢をとった。


 村の様子を思い浮かべるシェリーは、げんなりとして溜め息を洩らす。

「村を一回りして調べてみたけれど、とにかくひどい匂いだったわ。それから、猫も妖精猫もいなかったから……、魔物については貴方から教えられた以上に深い話は聞けなかったの」

 ひどい臭気が鼻孔に蘇り、軽い頭痛と眩暈を覚えたシェリーは額に皺を寄せる。

 冷めた声音で、見知ったことを淡々とセオバルドに報せた。

 

 ――異変が起きている村のはずなのに。

 昼間は何事もなく穏やかで、誰も異変について口にしない。

 けれど、周囲の音や変化に過敏に反応する村人たち。

 話す声は小さく、何かに怯えるように肩を窄め、お互いを窺い合う。

 まるで、村人全員が異変について口外することを禁じられているかのような不自然さがあった。

 陽が落ちる頃になると、人々は早々に家の中に姿を消す。扉も窓も固く閉じられて、一筋の灯りも零れ出ない。

 家畜以外の動物は村から遠ざかり、生き物の気配が消える。

 村全体が息を潜めて、静かな夜の中に溶け込む――。

 

「依頼を持ちかけてきた村長といわれる人間と、近くにいる人間を見たのだけれど。私の姿を見るなり石を投げつけてきたの。当たらなかったけれどね。……猫は、悪魔や魔女が姿を変えたものか、その遣いかもしれないから村に入れるな、ですって」

 嫌悪から不快の滲む声で、シェリーは顔をしかめる。

 理解できないものを知ろうとするのではなく、悪いものとして排除する考え方の人間だった。だから、村には妖精猫がいなかったのだ。


 もう一つ。

 村長の家を覗いた時の光景を思い浮かべたシェリーが、口調を軽くした。

「余談だけど……、対価について揉めていたみたいだったわ。今までは、この町の町長から金持ちの横繋がりで、高価な対価も言い値でばんばん払える輩ばかりだったけれど、あの村自体は裕福でもなんでもないから。……どうするのかしらね?」 

「……そのために、交渉の機会を持つんだ」

 セオバルドの返事に、シェリーは小首を傾げる。


 普段、鍵の掛けられていないぼろぼろの礼拝堂には、建物とほぼ同じ大きさの地下室がある。

 地面よりも上に設置された小窓から、ほんのわずかな陽光が射しこむだけの暗い地下室。

 週に何度かシモンが窓を開けて換気をし、床を掃除するのに入るだけの場所。

 一昔前には、地下礼拝堂として使われていたのか祭壇の名残もあるが、現在はがらんとして特に使用されていない。

 強いていえば、放置されていた前の牧師の私物が地下室に運び込まれて、片隅が一部、物置になっている。

 荷物の中には財布やら絵画やら、金目の物も埃を被っている。シェリーがミルクと共に愛飲しているブランデーも、その中から見つけたものだった。 


 なんとなく、腑に落ちない。

 シェリーは、セオバルドの部屋の収納へと視線を滑らせる。

 収納の扉の内側、無造作に置かれている革袋の中身が、金持ちの依頼人からセオバルドが巻き上げた対価の金であることをシェリーは知っている。

 セオバルドが革袋の紐を緩めるのは、シモンに生活の金を渡す時のみ。

 暮らしぶりも派手ではなく、堅実な部類だろう。

 彼自身が金に執着があるようには、見えない。


 ぎ、しぃいぃぃぃ……。


 セオバルドの部屋のものではない扉が、開閉して軋む音。

 部屋の外から聞こえた微かな音に、ぴくん、とシェリーは耳をそばだてる。

 目を細めて凝らし、音のする方へと顔を――両耳を、向ける。

 シェリーの様子から、部屋の外の何かに気づいたセオバルドも、部屋の外へと顔を向けて耳を澄ませる。


 廊下をシュルッ、シュルル……、と歩幅間隔に擦って動く布の音。

 ぱた……、と靴の底が床に当たり、そうっと床を踏みしめて進む、密やかな足音。

 足音は時々止まり、それに伴い音を成さずに囁くシモンの声がする。

「……シェリー」

 慎重に進む足音は、セオバルドの部屋の扉の前で、ぴたりと止まった。

「シェリー……」

 空気の漏れるような音で名を呼ばれたシェリーの髭が、ぴくんと震え、背筋がぞわぁっとする。どうして名を呼ばれているのかわからないが、気味が悪い。

 首を巡らせたセオバルドに返事をしないのかと問う眼差しを寄せられて、シェリーは額に皺を寄せる。鈴の音が鳴らぬように身体を動かさないまま、声も出さずに表情だけで、嫌だと返事をした。

 ――関わりたくない。


 やがて、シモンの気配は部屋の前から遠ざかり、布を擦る音が階段を下りていく。

「……何をしているのかしら、シモンは」

 深夜、家の中を徘徊するシモンに、シェリーは呆れの滲む小さな声で呟いた。

 セオバルドは、階下に下りたシモンが気になるのだろう。眉を寄せて扉の外に顔を向けていたが、椅子を引いて立ち上がり、手燭を手にする。


 灯りが持ち上げられて遠のき、シェリーのいる机上が、すぅっと薄闇に包まれた。

 目を背けたばかりの感情が、再びシェリーの胸の奥底で、小さく燻る。

「……見に行くの?」

 そっと尋ねた声に、セオバルドは一瞥を返した。

 声を介したものではなかったが、シェリーはそれを肯定の返事と受け取る。

 放っておけばいいのに。

 喉まで出かかった言葉は、言っても無駄になるだろうと予測されて、呑み込んだ。

 願いを絡めた言葉が無駄になれば、嫌な想いをするだけ。

 存在を軽んじられたような気がして、惨めになるだけだから。


 鋭い鈎爪を立てられたように、シェリーの胸がぎりっと痛んだ。

 なんだか、とても面白くない。

 そんな思いから、シェリーの声音は棘を含み、きつくなる。

「疲れたから、私はもう休むわ。シモンが私を呼んでいたけれど、訊かれたら、眠ったって言ってもらえる?」

 腰を上げてシェリーは一度大きく伸びをすると、鈴が鳴らないように静かに歩く。

 机上から、ひょいっとベッドへと飛び、着地と同時に鈴の音が響かないように、布団に身体を沈ませる。

 セオバルドは、音を立てずに部屋の扉を開けて出て行く。

 彼の後姿を見送ったシェリーは、ベッドの隅にくるんと丸くなった。


 光源が無くなり、闇の深淵を思わせる静かな部屋に、独り。

 けれど、それはほんの一時のこと。


 シェリーは深く息を吐きだして、胸の奥底で燻る想いを外に追い出す。

 瞼を閉じることで、視界の中から闇を締め出した。


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