赤髪の青年 6
ユアンの精霊が模った姿は何なのか。
シモンはもらったヒントを基に、身近な生き物の中から選ぼうと考える。
一番身近な動物は、妖精猫のシェリーだ。
シェリーは時折、つんとしてきつい物言いをするが、ユアンの方はもっと遠慮がなく乱暴に思えた。
雰囲気が共通のものではない。
(猫っぽくは、ない……)
失礼なのは理解している。けれど、いってしまえばユアンの第一印象は攻撃的で狡猾そうなイメージだ。
「……はっ!」
ぴったりな動物を思いついたシモンは、弾かれたように顔を上げる。
おそらく間違いないと確信する。
「ユアンさんの精霊が、わかりました」
「お、自信がありそうだな」
ゆったりと構えるユアンに、背筋を正したシモンは挑みかける眼差しを向けた。
「狐、ですね?」
「狐……」
一瞬きょとんとしたユアンは、そのまま物言いたげにセオバルドの顔を覗き込む。
ユアンに顔を覗き込まれたセオバルドは、気づかない振り……なのか。平然としてカップを持ち上げ、紅茶を飲んでいる。
反応しないセオバルドからシモンに視線を転じたユアンは、自分の顔を指差す。
ぱっちりと見開かれた琥珀の瞳が微かな驚きの彩りを帯びて、まっすぐにシモンを見つめる。
「狐? 俺が?」
手ごたえを感じて、シモンは明るい顔をする。
「はい!」
だが、ユアンは自分の顔を指していた指を、そのままセオバルドに向けた。
指の動きを琥珀の瞳が追いかけ、横目でセオバルドを見遣る。
「狐はこっち。俺は犬」
「い、犬ぅ!?」
犬も猫と同様、可愛い動物だと考えるシモンは、信じられないといった声を上げて、ぱっと口許を手で覆う。
身体を少し引いて、驚愕の眼差しでしげしげとユアンを眺める。
「そんなに可愛いイメージじゃないんですが……」
「じゃあ、狐はどんなイメージだったんだ? ん?」
言ってみろといわんばかりの口調で、ユアンは口許にうっすらと笑みを浮かべる。シモンの狐のイメージを見透かすように、目を細めた。
初対面の悪い印象からユアンを狐に当てはめたシモンは、うっと息を呑む。セオバルドの精霊が狐であるなら尚更、言えるはずがない。
目を白黒とさせるシモンに、セオバルドは溜め息を洩らす。
「シモン、気にしなくていい」
「……だ、そうだ」
短く言葉を添えて、小さく肩を竦ませたユアンが話を切り上げ、柔らかに表情を緩めた。
「シモンの犬のイメージは、可愛い――愛玩犬のイメージなんだな。それか、ご主人様に懐く忠実な下僕ってところか。でも、それはあくまで人間から見た一面。たとえば犬を別の面から見たら? 犬は本来狩猟する動物だ。狩られる側から見た犬は怖いぞ?」
『犬』と一括りにしても――。
人々の生活に溶け込み身近に寄り添う犬は、狩猟はもちろん、羊を追う牧羊犬や、鋭い嗅覚を生かして定められた標的の匂いを追跡し、捜索の役を担うもの。俊敏性や忠誠心を買われて番犬となるもの等、様々だ。
なるほど確かにいろいろあるのだと、シモンは頷いた。
それなら、シモンの精霊の模った蝶も、自分の知る象徴以外に何か別の意味や見方が出来ないだろうか。
放浪癖になんとなくしっくりこない、納得いかないシモンは、この際だからと訊いてみたい気持ちが湧き上がった。
蝶の象徴するものを、指折り数えて確認する。
「あの、蝶は……。蝶も『死者の魂』や『不死・復活』、『浮気性』に『放浪癖』といくつか見方があるんですよね。他にも何かありますか?」
無表情でいたセオバルドが、はっとしたように目を瞠り、驚愕の表情を浮かべた。
「シェリーか……?」
不快そうな声音と共に、すぐさま眉をひそめる。
ちりんっ!
驚いたように、銀の鈴がひときわ大きく硬い音を立てた。
暖炉の前のシェリーが勢いよく首を動かしたのだろう。シモンは、慌てて首を横に振って否定する。
「いいえ! 亡くなった祖母に教えてもらったんです。この間、先生は蝶にあまりいいイメージがないから話を避けてくれたんですよね?」
「避ける?」
不可解な顔をして首を傾げるユアンが、セオバルドに視線を向けた。
「蝶だったのか?」
「ああ」
肯定して黙るセオバルドの表情を、ユアンは、じっと覗き込む。
「……ふぅん」
一度視線を落とすと、ユアンはシモンと顔を合わせた。
「そんなに気にしなくても、精霊の種は術者が使役するための物。もしくは、術者の魔力の質を深く知るために使われる物だ。精霊の模る姿は、魔力を通して術者を捉えた物であって、使役するための便宜上のものでしかない。おまけみたいなもんだ」
以前にセオバルドから受けた説明を、もう一度ユアンの口から聞いたシモンは「はい」と答える。
けれど。
「参考程度に、いいところがあったら嬉しいな、って」
躊躇いがちにぽそぽそと小声で呟き、シモンは視線にわずかな期待を込めた。
そんなシモンの心情を察したのか、ユアンの声音が少し柔らかに笑みを含む。
「別に、悪いことなんてないだろ」
「でも、……浮気性とか?」
言い出しづらく、シモンの声がくぐもった。
「ちっこいのに恋愛に絡めているのか? いろいろなことに興味を持てるってことかも知れないぞ?」
興味を持たないと何をしても身にならないからなーと、ユアンは明るく言ってのけた。
微かに眉を寄せて渋い顔をするシモンは、ちっこいのは余計です、と心の中で返してから尋ねる。
「放浪癖とか……」
「ずっと一か所にいるよりは、いろいろな場所を沢山見られて見聞も広がるから、楽しい。だろ?」
ユアンは声を張るのでもなく、考え込むのでもない。穏やかにすらすらと答えるのだから、彼の本心なのだろう。
「……前向きというか、明るいですね」
底抜けに。
毒気が抜けて呆気にとられるシモンに、まぁな、とユアンは笑った。
「蝶、ねぇ……」
表情を真面目に改め、すっと目を細めてシモンを見据えるユアンは、考えを巡らせるようにしばしの間、黙った。
「……他にも、まぁ、あるよ。蝶は卵から、芋虫、蛹、蝶と成長過程で変態し続ける、『変身』の意味合いもある。そうだなー……。たとえば、シモン。お前、今はまだちっこいけど、急に背が伸びてごつごつの大男に育ったりして」
なぁんてな、とユアンは独りごちて、とんっと軽やかに椅子から腰を浮かせる。
椅子を離れて一歩シモンに近寄り、シモンの腕を掴んで引き、その場に立ち上がらせた。
「あの……?」
なんだろう。
急に立たされたシモンは、困惑の表情を浮かべる。
ユアンはシモンの腕を掴む手はそのままに、もう片方の手をシモンの耳のすぐ下――首筋に添えた。
首筋に触れるユアンの手は決して無骨ではないが、長い指の関節が少しごつごつとした、手の皮の硬い大きな手。
手は、首筋から肩へゆっくりと滑り、肩の厚みを確かめるように軽く掴む。
指先や掌から感じる力は強すぎず、かといって弱すぎず。大きな手からは想像もできないくらい繊細な力加減だった。
丁寧に扱われていることがわかる。だからこそ、不快には感じない。
物の触れ方を熟知しているその手が、シモンの上腕を握り軽く圧迫する。
「利き手は、右だな?」
「はい……?」
一度両手を放したユアンは、先程までとは打って変わって真摯な眼差しでシモンの頭の先からつま先までを目視する。
片手でシモンの右手を掬い上げて、視線を這わせる。もう片方の手でシモンの右手を開き、掌を指で押し肉の付き具合と関節を探るように指で撫でた。
へぇ、と感心したように声を洩らしたユアンは、表情を緩めセオバルドを振り返る。
「心配だったんだが、お前の見立てで間違いなさそうだ」
シモンの右手を放し、口許に笑みを湛えた。
そして。
「シモン」
シモンの顔に掛かる長い前髪を、ユアンの長い指が掻き上げて、後ろへと持っていき押さえた。
唐突に前髪を持ち上げられ、シモンの視界が明るくなる。顔をあらわにしたシモンは目をぱちぱちと瞬かせ、淡い翠の瞳でユアンを見上げた。
食い入るようにシモンの顔を眺め下ろすユアンは、意外そうな顔をして首を傾げる。
「ん~。目が大きくて睫毛が長いからか……? だけど、毛深くもない。……なんか、思っていたよりもずいぶんと女顔だな」
は? とシモンの目が零れそうなほど大きく見開かれた。
そんなシモンに構わず、ユアンは不思議そうに言葉を継ぐ。
「それにしてもお前。頭蓋は小さいし、首も細い。肩も薄くて骨格も華奢だな。……次に会った時に髭を生やした大男になっていても面白いが……、逆に、っていうかこのまま? 女に育っていたりして。そうしたら、この長い前髪を編み込んで上手く結い上げて、飾ってやるんだが」
似合いそうだと呟き、ユアンがぷっと吹き出した。
誤魔化しようのない、女性的な骨格を指摘されたシモンの表情が強張る。
「……え?」
このまま、女に……?
訊き返すことも笑い飛ばすことも出来ずに、シモンは酷く動揺して黙り込んだ。




