寂れた教会 2
――半年ほど前。
少年の姿をしたまま、シルヴィはこの教会に転がり込んだ。
身寄りがなく、行く当てのない少年シモンとして、セオバルドの厚意で教会に置いてもらえることになった。
住まわせてもらう条件は、二つ。
そのうちの一つは、身の回りのことは自分でするということ。
そんな当たり前のことでいいのかと驚き、セオバルドの身の回りの世話をしたいと申し出たシモンに、セオバルドは、自室の掃除も洗濯も自分でできるから構わなくていいと言った。
だったらせめて、と。
住まわせてもらう以上、共用部分の掃除と食事の支度くらいはさせてもらいたいと、シモンは半ば強引に仕事を貰った。
元々、身体を動かす家事が嫌いではない。
むしろ、幼い頃からきれい好きな祖母と二人で暮らし、手伝いをしていたこともあって料理も掃除も好きだった。
今朝もそう。
シモンは各部屋の窓を開けて埃を出し、床を箒で掃き、硬く絞った雑巾で磨く。
動いたことでうっすらと汗ばみ、額に張り付いた長い前髪を拳で拭い、大きく息を吸い込む。
開け放たれた窓の外から、秋の爽やかな空気が古びた建物の中へと入り込む。汗ばんだ身体の熱を冷えた風が奪うように通り過ぎて行く。
心地よい風に乗って、どこか遠くから聞こえるのは駒鳥の囀り。シモンは瞼を閉じて、その声に耳を傾ける。
「窓辺を使いたいのだけど、ここの掃除は終わったのかしら」
後ろから聞こえた声にシモンが振り返ると、腰を下ろした銀色の妖精猫が、前足を床に着けたり離したりしている。
――床に汚れが残っていないか、チェックをしている。
「うん、今終わったところ。……どうかな?」
「……」
じぃっとダークピンクの肉球を覗き込み、汚れが付いていないことを確認すると、シェリーはつんと顎を上げた。
「まぁまぁね。でも、行き届かなかったりさぼったりしたら、小妖精につねられてしまうんだから」
「ありがとう、気を付けるよ」
及第点を貰いほっとしたシモンは、にこりと笑う。
シェリーは、ほんの少しシモンに冷たく素っ気ない。あからさまに嫌われたり疎まれることはなかったが、シェリーにあまり快く思われていないことは、日頃の彼女の態度から窺い知れる。
セオバルドが住むことを許した手前、不承不承受け入れているといった様子だ。
シェリーは、磨かれた窓枠にひょいっと飛び乗り、陽射しと涼やかな風を浴びて機嫌良く目を細める。
猫はきれい好き。
だから、妖精猫もきっときれい好き。
(人並みに、家事ができて良かった)
シモンは一通りの家事を仕込んでくれた祖母に、心から感謝をする。
その後は、礼拝堂の掃除。
小さくこじんまりとしているので掃除はそんなに大変ではない。
ただ、あちこちが痛んでいるし、壊れている。
住宅部分も同様に古いが、壊れているところはないのに……、と訝しむシモンは、改めて礼拝堂をぐるりと見回してみる――。
ステンドグラスには派手にひびが入り、今にも崩れ落ちてしまいそう。強い衝撃を受けてひしゃげた祭壇。祭壇の後ろに掲げられている十字架ですら、一部が折れて傾いている。
せめて十字架くらい直したらいいのにと、シモンは胸の内で呟く。
一体何があったら、こんなふうに壊れてしまうのか。
その他にも、壁の亀裂から隙間風が吹き込んでくることや、天井に数か所の雨漏りの染みがあることも確認済みだ。
――住まわせてもらっている手前、とても口には出せないが。
廃墟にしか見えない。
天井の雨漏りの染みに気を取られて歩いていたシモンが、うっかり腐った床を踏んだ。
「ぅわぁっ、……と」
ふかふかとした床がシモンの体重を受け止めて沈み、たわむ。
床を踏み抜きそうになったシモンは、ひやりとして片足を上げる。
雨漏りを放置した結果、床に張られた木材が腐ったのだろう。ふかふかとした床はもちろん、この一か所だけではない。
近い将来、そのどれかを踏み抜いて、床に嵌る自分が容易に想像できる。
ああ、と溜め息をついて物憂げな顔をするシモンは、足先で床を突き、床のしなり具合を確かめる。
「板や道具が買えたら、僕でも応急処置程度には、直せるんだけどなぁ」
まだシモンが教会に来たばかりの頃、セオバルドに礼拝堂を直さないのか尋ねたことがあった。
セオバルドは、「今はお金がない。そのうちまとめて直す」と言っていたが、直されないまま今に至る。
礼拝堂には、地下室もある。
昼間でも小さな窓から細い光が差し込むだけの地下室は、夜を閉じ込めたかのように、暗い。
地下室に下りたシモンは、ひやりとして淀む空気の中に土埃の匂いを感じ、地上部に作られた小窓を開けて、換気をする。
がらんと広い地下室の片隅には、使われていない家具や荷物がまとめて置かれているだけ。
地下室は石造りで丈夫だからか。特に壊れている個所は見当たらない。
陽が高く昇る頃には、礼拝堂の祭壇、床や長椅子の並んだ会衆席も磨き終わっていた。
最後に扉を拭いたシモンは、入口から礼拝堂を見回すと、満足して頷く。
「まぁまぁ、かな」
壊れている個所は仕方がない。目を瞑ろう。
私室へと戻ったシモンは、簡単に身なりを整えて薄手のコートを羽織り、町へ出掛ける準備をする。