↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
男装少女は言い出せない  作者: 和奏
男装少女は言い出せない
24/152

冬の始まり 4


 茂みの中に隠れたまま動けずに、どのくらいたっただろうか。

 再び、森の中を葉擦れの音がした。

 草藪や梢を払う音は、どうやらシモンの隠れている茂みの方へと近づいてくる。


 ――戻ってきた……?


 ぞっとするシモンの頭から一気に血の気が引いて、一瞬、ふわりと身体が浮くように感じる。

 探しに行った先にシモンがいないから戻って来たのか。

 それとも、この茂みに隠れていることを気づかれたのか。

 生きた心地が、しない。

 シモンは暗闇を漂う(ウィル・オ・)(ザ・ウィスプ)の灯りを頼りに、茂みの葉の間から恐る恐る目を凝らす。


 森の中をゆらゆらと行き来する青白い鬼火の中に、一つだけ固定されたかのように揺れず、真っ直ぐにこちらに近づいてくるものがあった。

 その鬼火は、何かに閉じ込められているようにも見えて、シモンは怪訝に眉をひそめる。

 なんだか、とても見覚えのある――。


(あれ? もしかして、……カンテラ?)

 鬼火の灯るカンテラに、シモンは目を疑う。

「……え?」

 それは、ふわりふわりと宙を漂う他の鬼火にも奇異なるものらしく。カンテラに纏わりついて飛ぶ鬼火の数が、そこだけ妙に多い。

 いくつもの鬼火に照らされて、カンテラを携える怪しげな人影が、ぼんやりと浮かび上がった。

 

「…………え?」

 目を見開いたシモンが、茫然となる。

 鬼火に囲まれる人影は、黒髪と青い瞳の、シモンのよく知る背格好の若い青年だ。

 ただ、鬼火に照らされた黒髪は青みがかり、白い肌は血の気の無い蒼白に見えて死者のよう。

 鬼火を複数引き連れて、青白い焔の灯るカンテラを携え、足許に目を落として歩く青年の姿は現実味がない。

 異様な光景だった。

 

 コートを着込んだセオバルドが、シモンの隠れている茂みの前で足を止めた。

「シモン」

 確かに、セオバルドの声だった。

 返事をして茂みから出て行きたい。

 けれど。

「……」

 行先を告げずに出て来たシモンは、鬼火に照らされる青年が本当にセオバルドなのか疑心暗鬼になり、返事をすることができない。

 葉擦れの音一つ立てることができない。

 しん、とする茂みの前にセオバルドが屈んで、地面に片膝をついた。

「買い忘れた物でもあって、また町へと出掛けたのかと思った。シモン、……無事か?」

 穏やかだが慎重な声で尋ねるセオバルドは、茂みの中に手を入れたりせずに、シモンの返事を静かに待った。

 セオバルドの姿勢は、初めて彼に会った時と同じもの。

 茂みを透かしてセオバルドを見据えるシモンは、そっと息を吸い込む。

「……はい」

 咽を滑らせた細い空気は寒さと不安から、力のない掠れた声となった。

 

 ほう、と。

 シモンの声を聞いたセオバルドが緊張を解き、深い溜め息を吐いた。

「迎えに来た」


(迎え、に……?)

 シモンはセオバルドの言葉を胸の内で反芻する。

 それは、帰るべく場所がある人にかけられる言葉。

 自分の帰りを待ってくれる誰かがいる、確かな言葉。

 身寄りのないシモンにとって、……特別なもの。


 セオバルドの口から当たり前に紡がれた一言が、シモンの心を占めていた不安や恐怖といった感情を、拭い去る。

 凍えていた心が和み、ぽわっと暖かな灯火が点った。

 シモンの胸に沸き上がる、安堵ともう一つの感情は――。

(……嬉しい)

 

「どこにも怪我はないか?」 

 優しく気遣う口調で尋ねられて気が緩み、硬く強張っていたシモンの身体から、すとんと力が抜けた。

 心細い思いをしていたシモンの瞳が、じわぁっと潤む。

「はい」

 鼻の奥がつんと痛くなり、意図せず涙声になる。自分の声に驚き、慌てて息を呑み込んだシモンは、口を引き結んで俯いた。

 一度、呼吸を整えてから言葉を継ぐ。

「すみません……。町で、森に栗が落ちているって教えてもらったんです。でも、暗くなって帰り道がわからなくなってしまって……」

 涙が零れないように潤んだ目をぱちぱちと瞬かせ、すんっと鼻をすすってから顔を上げた。


「……無事で何よりだ。古い暦の上で今日は冬の始まりとされている。死者の魂の住まう世界と現世が近くなり、死者の魂が現世に戻るとされている日だ。この森は異界と波長が合うのだろう。現世との通り道となって異界との境界が曖昧になっている。……死者の魂が多い」

 それをこんなに深い所まで入り込んで……、とセオバルドは呆れの滲む声で呟く。

 ふと、何か気づいた様子のセオバルドが、カンテラを頭上に掲げて青白い灯りでシモンの隠れている茂みと、そばに立つ木を照らす。


「ジュニパーか」

 セオバルドは眉をひそめて、難しい顔をした。

 覚えのある名に、シモンは記憶を探る。

 以前セオバルドに習ったもの。確か、弱者を隠す逸話を持つ香りの強い魔除けの木だったはず。

「……ジュニパー、だったんですか」

「ああ」

「白髭を生やした小人が、ここまで連れて来てくれて、僕を隠してくれたんです」

「必要なら君の保護を、と妖精に依頼したんだ。……君の許へ私を案内してくれたのも、その妖精。この森に住まう地の妖精だ」

 茂みを覗き込むセオバルドが、カンテラの灯りでシモンを照らす。

 どうしても青白い灯りが気になるシモンは、おずおずとカンテラを指差した。

「先生、そのカンテラの中の灯りって……」

「鬼火だ。……今日この森の中で橙色の炎は目立つ。代わりに捕まえて閉じ込めた。森の出口まで案内しなければ解放しないと言い付けたから、帰りの案内はこれがしてくれる」

 顔色一つ変えずに平然と言ってのけるセオバルドを、シモンはぽかんとした顔をして見つめる。

(鬼火を、脅す……?)

 人を迷わす鬼火を捕らえて道案内をさせる発想は、シモンにはない。


「出るんだ。あまりゆっくりはしていられない」

 セオバルドに茂みの中から出るように促されるも、長時間同じ姿勢でいたシモンの身体は、寒さで冷え切ったことも相俟(あいま)って上手く動かない。

 茂みの中から出ようと四つん這いの姿勢になり、再び固まったシモンをセオバルドが訝しむ。

「どうした?」

「……すみません、寒さで固まった関節がぎしぎし痛くて」

 ついでに、足も痺れていた。

 カンテラを置いたセオバルドは、自身も四つん這いになりながら肩までを茂みに潜り込ませる。

「引き出すから、首に捕まりなさい。急いで」

 セオバルドは有無を言わさず、シモンの片腕を掴んで自分の首に回させる。そのままシモンの背を引き寄せて、茂みの中から引き出した。


 細身であるにもかかわらず、セオバルドはシモンを支えたまま、すっと身体を起こす。腕を預けたセオバルドの肩は幅も厚みも女性のものとは違う。シモンの背に回された腕の力強さも男性のもの。

 女性である自分とは、明らかに違う体躯。

 厚着をしているとはいえ、あまり密着したらセオバルドが何か気づいて不審に思うかもしれない。

 本当の性別がばれたら、ものすごく困る。

「あのっ、ありがとうございます! もう大丈夫ですからっ」

 ひやりとして、シモンはセオバルドの首に回していた手をぱっと離し、立ち上がろうとする。だが。

 痺れた足に力が入らない。

 ふらりとよろめいたシモンの腕を、すかさずセオバルドが掴んで支えた。

「すみません」

「……いや、いい。それよりも、歩けそうか?」

 セオバルドが目を伏せて、小さな溜め息を洩らした。

 結局支えてもらうことになり、申し訳なさと気まずさから、シモンは急いで固まった身体を伸ばす。徐々に痛みが引いていく感覚に「はい」と答えた。


 一人で立てるようになると、シモンはくるりと辺りを見回す。

 茂みから出たことで、香りを辿る男が戻ってくるかもしれないと不安になる。

「先生、町で栗が森に落ちていることを教えてくれた男の人が、ついさっき、茂みの前を通って行ったんです。『あの子供のいい香りがする』って。実は、町でその人に同じことを言われていて……。僕の事を探しているみたいでした」

「そうか」

 神妙な顔をするセオバルドは、懐から何かを取り出してシモンの前にぶら下げる。

 長く細い紐の下には、小さな布袋が括られている。

 ふわりと鼻孔に届く香りは、ジュニパーとは違う。けれど、清涼感のある透明な香り。

「これは……?」

 手を差し出して布袋を受け取ると、セオバルドはシモンの冷たく(かじか)んだ手を両手で包み込んで、しっかりと握らせる。

「匂い消しのようなもの……。間に合わせだが、魔力を込めて作ったポマンダーだ。現世の境界が曖昧なこの森で、生者なのか死者なのか、人間なのかそうでない者なのか、分かり辛くなるだろう。落とさないように持っていなさい」

「はい」

 凍えて力の入らない指で細い紐を摘まんだシモンは、紐を首に掛けて布袋をコートの中に滑り込ませた。


「あ、そうだ! 栗が……」

 拾い集めた栗を茂みの中に置いたままだったことを思い出し、シモンは身を翻して手を伸ばす。

 伸ばした手が茂みに届く前に、ぐいっともう片方の腕を引かれて、その場に留められる。

 掴まれた腕を。次いで、セオバルドを振り返ったシモンが、きょとんとした。

「先生?」

「それは籠ごと、ここへ置いていくんだ。森へ入ってから何も口にしていないな?」

 シモンを通り越して、茂みを見据えるセオバルドの表情は厳しく、彼が神経を尖らせるのがわかった。

「はい。生の栗は硬くて渋いですから」

 栗は好きだが、さすがにそこまで食い意地は張っていない。

 そもそも、散々怖い思いをして、口に物を入れようなんて気にはならなかったのだが……。


 ほっと安堵したように、セオバルドは表情を和らげた。

「なら、いい。……顔が見えないようにコートのフードを深く被って、私のコートをしっかり掴むんだ。そして、下を向いて付いておいで。不安定な異界との境だ。死者の魂の他にも、悪魔や魔物と出くわすかもしれない。もしも何かに声を掛けられても、振り返ってはならない。返事もしてはいけないよ。私が良いと言うまで、下を向いたまま声も出さないように。いいね?」

「はい」


 シモンがコートのフードを深く被ると、セオバルド自身もコートのフードを深く被り、シモンに背を向ける。

 前に立つセオバルドのコートをシモンがしっかりと掴んで俯くと、セオバルドは一歩足を踏み出し、暗い森をゆっくりと進み始めた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。