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男装少女は言い出せない  作者: 和奏
男装少女は言い出せない
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冬の始まり 2


 教会に戻ったシモンは、空を見上げた。

 太陽は、まだ高い位置にあり、白く輝いている。

 日暮れの早い時期とはいえ、暗くなるまでには、まだ少し時間がありそうだ。

 今なら、栗を拾いに森へ行っても明るいうちに帰って来られるだろう。

 けれど。

 帰ってから講義をするといったセオバルドの言葉を思い出したシモンは、わずかな間逡巡する。

 シモンの瞼に、ふっくらとした栗が浮かぶ。


 焼き栗は、もちろんのこと――。

 栗は、鶏肉とスープにしてもほくほくして美味しい。食卓に出せばセオバルドも喜んでくれるはず。

 考えているうちに、シモンは栗が欲しくて堪らなくなる。

 森は教会から目視できる場所にあった。走っていけば、時間もかからないはずだ。

 それに、栗のことを教えてくれた男性の身なりは整っていて、靴はぴかぴかで、汚れてはいなかった。きっと森の奥まで行かずとも、栗を拾えるのだろう。


 シモンは心を決める。

 行くと決めたのなら急がないと。セオバルドの講義の後には、夕食の準備だってあるのだから。

 大急ぎで買ってきた物を片付けたシモンは、セオバルドの部屋をノックして帰宅を報せる。

「先生、頼まれていた物をキッチンのテーブルの上に出しておきました。すみません、少しだけ出かけてきます」

 扉越しに早口で伝えると、シモンはセオバルドの返事を待たずに踵を返す。

 キッチンに置いてあった籠を掴んで、裏口から外へと出た。

 駆けだしたシモンは、教会から町を結ぶ小道を途中で脇に逸れて、森へと向かった。



 少し遠くに見えていた森も、実際に走って来てみれば、あっという間の距離。

 ほんのりと汗ばみ軽く息を切らしたシモンは、森の前に立って、眺めまわす。

 燃えるような赤や橙、金色に紅葉した葉に彩られた森は、陽光を受けて、とても明るく暖かく見えた。

 足許には落ち葉が敷き詰められて、まるで暖色の絨毯のようだった。

 美しい秋の景色に囲まれたシモンは、思わず感嘆の溜め息を漏らした。


 森に入ろうとして、シモンは、ほんの少し躊躇う。

 亡くなった祖母に、森へ入らないよう戒められていたことが思い出されたからだ。

 しかし、この森は祖母と暮らした村の森ではない。

 町で会った男性も入った森なのだから大丈夫だろうと、躊躇いを振り切った。


 シモンは、慎重に森へと足を踏み入れた。

 栗を探すために、足許に目を落として歩く。

 一歩足を進める度に、踏みしめられた落ち葉と、湿った土の濃い香りがする。

 森独特の湿気と空気に、一抹の不安を覚えたシモンは、来た道を振り返る。

 明るい森の入口と原っぱは、そう遠くない所に見えた。

 ほっと胸を撫で下ろしたシモンは、ぐるりと首を巡らせて栗の木を探す。しかし、それらしいものが見当たらない。

 栗の木は、どの辺りにあるのだろうか。

 葉を落とした梢の隙間から、陽光が差し込み、森の中は思っていたよりもずっと明るかった。

 これだけ明るいのだから、もう少し森の奥に足を延ばして探してみよう。

 シモンは、また少し森の奥へと分け入った。



 注意深く地面に視線を這わせて歩き続けると、ようやくいくつかの栗が見つかった。

「……あった!」

 屈んだシモンは拾った栗を一つ二つと籠に放り、見つけては移動して、また拾う。

 しばらくの間それを繰り返し、夢中になって栗を拾ったシモンは、籠が一杯になると満足して腰を上げた。


 ふわ……。

 視界の隅を、淡い灯りが通り過ぎたような気がした。

「あれ……?」

 一度顔を上げて。

 改めて籠に視線を落とすと、ふと、栗の色が……、籠の色が影を纏っていることに気づく。

 自分の腕や景色が、仄暗い薄影に染まっている。

 辺りを見回すと、陽が射し込んで明るかった森は、薄墨を刷いたようになっていた。地に落ちた影の輪郭が曖昧になっている。

 梢の上にある空の色は、(うっす)らと紫がかっていた。

 はっとして後ろを振り返るが、森の入口は、もう見えない。

 うっかり森の奥へ入り過ぎたのだ。そう確信したシモンは、身を竦めて立ち尽くす。

「どうしよう……」

 栗を入れる籠以外、何も持っていない。

 火種を飛ばすことはできるが、受け止める手燭(しゅしょく)もカンテラもない。

 むやみに火種を飛ばし、落ち葉に炎が燃え広がったりしたらと思うと、それは怖くてできない。

 足許に冷気が纏わりついた。

 吸い込んだ森の、冷ややかな空気が咽を通る。

 気温が下がり始めたのを肌で感じて、シモンの肝が、すう、と冷える。


 ――とにかく、戻らなければ。

 

 込み上げてくる焦りから口許を片手で押さえ、考える。

 真っ直ぐに歩いてきたはずだ。

 だから、来た時と同じように真っ直ぐに戻るだけ。


 朧げな記憶を頼りに、シモンはゆっくりと引き返し始めた。

 きょろきょろと辺りを見回す。木々を見上げて見覚えのあるものがないかを探し、足許に目を落として自分の足跡を探す。

 だが、落ち葉の積もった地面は、土の上を覆う葉がクッションとなり、足跡は見つからない。

 それに、戻ったつもりで進んではみるものの、なんだか一度通ったという気がしない。

 ここまで、時々周りの景色を確認しながら進んだつもりだったが、薄暗くなってしまい周りの景色がわからない。

 陽は大分傾いたのだろう。斜陽は木々や梢に遮られ、森の中には届かない。

 みるみるうちに暗くなり始め、周囲はその様相を、がらりと変えた。

 どのくらい森に入ったのかわからない。帰り道どころか、たった今歩いてきた経路すらわからない。

 危うい現状を認識したシモンの額や背筋から、冷や汗が噴き出した。


 ぽぅ……、ぽぅ。


 薄闇に閉ざされた森の、遠くの方。

 シモンの視界に、いくつかの淡く青白い灯りが映り込んだ。

 灯りは木々の間をゆらゆらと揺れて、点いたり消えたり――、幹の間をゆっくりと移動している。

 この森に、自分以外にも誰か人がいる。

 灯りの許へ行けば、一緒に森の外へ連れて行ってもらえるかもしれない。そう考えて、シモンは灯りの方へと進もうとした。


 くぃっ、と。


 突然、ズボンの裾が後ろに引かれて、シモンは飛び上がりそうなほど、びっくりする。

 声が漏れないよう口許を押さえて、恐るおそる足許を確認する。

 目が合ったのは、掌よりも少し大きな人の姿をした者。尖った帽子を被る、白い顎髭を生やした老人のような小人が、足許からシモンの顔を覗き込んでいた。

 小人は、片手でズボンの裾をきつく掴んだまま、首を左右に大きく振った。

 灯かりの許へと行こうとしたシモンを、止めるような仕草だった。


「えっと、あの……?」

 どういうことなのかと尋ねようとするシモンに、小人は空いている片手の人差し指を唇に当てて、しぃっ、と声を出さないよう示す。

 わからない顔のまま口をつぐみ、こくりと頷いてみせるシモンに、小人は細い腕を伸ばし、手招きをする。


 木々の輪郭がかろうじて見えるほどの薄闇の中、小人は、シモンからほんの少し離れると立ち止まり、振り返って手招きをする。

 まるで、ついて来いと言っているかのように見えた。

 戸惑うシモンは、小人と、遠くにちらつく青白い灯りを交互に見比べて迷う。

 灯りの方へ行けば、人がいるかもしれない。

 動こうとしないシモンを、ちらりと一瞥した小人は、また少し離れて立ち止まり、振り返る。

 掌ほどしかない小人の姿は、森の暗闇に溶け込んで、すぐに見えなくなってしまいそうだった。

 

 青白い灯りは気になるが……。

 シモンは、自分をどこかへ案内しようとしている小人の後ろをついて歩いた。

 身軽に進む小人を見失わないよう蔦を払い、草を掻き分け、木の根に足を取られながらも懸命に追いかける。

 先導する小人は、やがて一本の木のそばで立ち止まった。シモンが追い付くと、小人は木の根元にある小さな茂みを指差した。


 ――なんだろう?


 シモンが屈んで茂みを覗き込むと、小人は背後に回り込み、入れと言わんばかりに足首を押してくる。四つん這いになって茂みに入り込むと、身体に当たった葉が擦れ、清涼感のある若木の香りが、ふわりと鼻孔を掠める。

 茂みは、鼻を衝く独特の爽やかな香りで満たされていた。

 向き直り、うずくまったシモンの前に小人が立ち、再び唇に人差し指を当てる。

 しぃっ、と仕草で黙っているようシモンに指示すると、小人は身を翻す。

 まろぶような軽やかさで、颯爽と駆けだした小人の姿は、あっという間に暗闇に霞んで消えた。


 心細くなり、小人の消えた方角を見つめてひたすら待つも、小人は戻ってこない。

 物音ひとつない真っ暗な森に、シモンは独り、取り残された。


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