港町の白い影 5
女中に案内された応接室には、既にジョージともう一人、若い青年がソファに腰掛けていた。
腕にシェリーを抱いて、緊張から顔を強張らせたシモンがぎこちなく会釈をすると、二人はソファから腰を上げた。
柔和な笑顔を浮かべたジョージがシモンへと近寄り、青年との間に入り紹介をした。
「シモンさん、こちらが従兄弟のヒューゴです。年は離れているのですが、彼が幼い頃からよく面倒を見ていたので、私にとって年の離れた弟のような存在なのです」
ジョージは中年に差し掛かろうという年頃に見えたが、彼の従兄弟のヒューゴはまだ若く二十代半ばくらいに見える。
ヒューゴと紹介された青年は、ずっと年下のシモンともまっすぐに目を合わせる実直そうな、育ちの良さを感じさせる青年だった。
挨拶を交わしてソファに腰を掛けると、憂鬱な顔をしたヒューゴは、重々しく口を開いた。
「無茶を言って遠くから来ていただき、すみません。相談というのは私の婚約者である女性、アイリスの事なのですが……」
一旦口を閉じたヒューゴは、考えを整理するようにテーブルの上に置いた自分の手を見つめ、難しい顔をする。
「半年前にアイリスの母親が亡くなったと言う話は……」
「ジョージさんから、伺いました」
そうでしたか、と相槌を打つヒューゴの瞳が哀惜に彩られ、陰る。
「元気な人だったのですが、春の終わりにこの町で流行った病を患って、あっという間に亡くなってしまいました」
「それは……、お気の毒でした」
神妙な顔を俯けながら、シモンは小さく頷く。
「傍から見ても仲の良い母娘だったので……、母親を亡くしてからのアイリスの憔悴ぶりは、それはひどいものでした」
「アイリスさんの、他のご家族は……?」
おずおずとシモンが尋ねると、ヒューゴは力なく首を横に振った。
「アイリスに兄弟はなく、幼い頃に父親を亡くしているので独りきりになってしまいました。だから次の春に予定していた式を早めて、一緒に暮らそうと誘いかけたのです。最初は彼女もその話に前向きでいてくれたのですが」
大きく溜め息を吐いたヒューゴは、言葉を区切る。
「……急に結婚を渋り出したのです」
「理由は? お聞きになりましたか?」
「ええ、もちろん。ですが、アイリスは何も答えてくれなくて。時折塞いで泣いているようなので、その都度理由を訊くのですが、黙ってしまう……。そのことで、アイリスと口論になり、彼女の家を飛び出してしまったことがありました。細かな雨に、霧の深い……。カンテラに灯りを点しても周囲がぼんやりと霞む、暗い夜でした」
シモンは「ええ」と相槌を打って、話の先を促した。
「勢いで家を飛び出したものの、精神的に弱っているアイリスを追い詰めてしまったかと後悔して、すぐに戻りました」
「アイリスさんの家に?」
「ええ。その時に、遠目に彼女の家から出て行く白っぽい人影を見掛けて。最初はアイリスだと思ったのですが、辺りが真っ暗なのに、灯りも持っていなかったのでおかしいと思い、確かめるために家に入りました。でも、アイリスは家の中にいて、人影の事を尋ねても、誰も来ていなかったと言い張るものですから……」
苦く、歯切れの悪い口調からは、アイリスが見ていないはずがないのにという困惑が透けて見える。
「もしかしてヒューゴさんは、……アイリスさんがその人影を見たと思っていらっしゃるのですか?」
小さく頷き「はい」とヒューゴ。
「私が家へ戻った時に、アイリスが外を気にしてすごく慌てたのです。それに、なんだか怯えた顔をしていたので、彼女も人影を見たのだと確信したのです」
さっぱり意味がわらない。
微かに眉を寄せて、怪訝な表情を浮かべるシモンが小首を傾げると、傾げた方の肩の上にいたシェリーは後頭部を這うようにして逆の肩に移動する。
「ちょっと、動かないで……!」
真後ろを通るシェリーに、囁く声で叱られる。
「しかも、それは一度ではなかったのです……!」
首を傾げたままのシモンを説き伏せるように、ヒューゴは熱っぽく語る。
「アイリスの家を訪れた帰りに、距離を置いて見ていたら何度か。でも、捕まえようと近づくとこちらの気配に敏感で、一定の距離以上近づけないのです。夜闇に紛れるように、さっと見えなくなってしまって」
「それで、アイリスさんの家に死霊が通っていると思われたのですね」
傾けていた首をゆっくりと戻し、シモンは納得した顔で頷いた。
「はい。それで先週、ジョージから死霊に詳しそうなシモンさんの話を聞いて、ここまで来ていただいた次第です」
話を終えて、ヒューゴは途方に暮れたようにシモンを見た。
「アイリスの母親が、何か未練を残して彼女に会いに来ているのでしょうか? 教区の牧師さまに相談しようかとも思いましたが、もしも彼女が悪い物に取り憑かれているなどと言われたら……。もちろん、この教区の牧師さまが、相談した内容を誰かに漏らすとは思えませんが、万が一どこからか周りに知られた時に母親を亡くしたばかりのアイリスが何を言われるか……。変な噂が立つかもしれない。……これ以上彼女に心労を掛けたくはないのです」
何かわかることはないだろうかと、縋る眼差しで詰め寄るヒューゴから、シモンは瞼を伏せることで視線を逸らす。
ヒューゴは、アイリスのせいで彼女の母が死んだと周囲の人々に陰口をたたかれることを恐れて、牧師に相談できずにいるのだ。
苦渋に満ちた表情で、ヒューゴは尚も言った。
「噂に尾ひれがつけば、それこそ彼女のせいで町に病が流行ったとも言われかねない……!」
「……だから、少し離れた町の教会の奉仕者である、僕なんですね」
この町の噂に関わり合いにはならないだろうから。
つい最近、呪われた教会にいるのに一人元気な奉仕者だとか、薄命な牧師は悪霊に呪われて寝たきりだなんていう不名誉な噂が流れていることを知ったシモンは、身につまされる思いで頷く。
そのうち、シモンが教会に来たせいで、セオバルドが呪われて死んだなどと噂が立ってもおかしくない。
だけど。
「……今のお話だけでは、何とも……」
何かわかることがあればいくらでも助言してあげたい気持ちはあるのだが、わからないものには口も出せない。
アイリスを想うヒューゴが、それこそ藁にも縋る思いで牧師でもない自分を頼ったことを知り、申し訳ない想いでいっぱいになる。
無知と無力さを痛感し、憂うシモンは口をつぐんだ。
ヒューゴの隣で、彼と共にシモンの様子を見ていたジョージが、緩く首を横に振って溜め息を吐いた。
「アイリスに新しい恋人ができて、夜な夜な彼女の許へ通っているのかと思い、私の方で人を雇って調べたのですが。今だ……」
え、と目を見開き固まるシモンの反応よりも早く、ヒューゴが立ち上がった。
「なんてことを……、すぐに止めて下さい! 彼女はそんな身持ちの悪い人じゃない!」
肩にいたシェリーが呆れたように目を細めて、シモンに視線を寄越す。
肩を竦めてシモンの耳許に口を寄せたシェリーは、張り上げられたヒューゴの声に潜ませ、こっそりと囁く。
「アイリスに、直接会った方が早いわね」
シモンは小さく頷いて応える。
わかるにしろわからないにしろ、乗りかかった舟。
シェリーの言う通り、ここに留まっていても仕方がない。
白い影が何なのか、アイリスに会って尋ねればわかることがあるかもしれない。
少しでもわかることがあれば、ヒューゴはアイリスの悩みに寄り添うことができるかもしれない。
シェリーがそばにいてくれることに安心感を覚えたシモンは、気持ちが前向きになる。
「ヒューゴさん。差し支えなければ、今からアイリスさんに会わせていただくことは、できますか?」
シモンは柔らかに微笑み、ヒューゴに寄り添う口調で言った。




