港町の白い影 2
市場で自分を探していたらしいお婆さんの様子から、シモンは不安になる。
紳士の身に、何か良くない事でもあったのだろうか。
小首を傾げて訝るシモンの肩を、噂好きのお婆さんが、ぽんぽんと軽く叩く。
「あんたの言った通り、あれから特に問題ないんだって!」
「そうですか、それは本当に良かったです」
平和な会話の流れに、シモンは胸に手を当ててほっと安堵の吐息を洩らす。
それでね、と噂好きのお婆さんは生き生きとした表情で、幼い子供のように目をきらきらとさせた。
問題なかったという割には、どことなくそわそわと楽し気なお婆さんの様子に引っかかるものを覚え、笑みを形作るシモンの口角が、ぴくりと引き攣る。
「その話を別の人にしたら、是非、あんたに会って話を聞いてもらいたいって言い出したんだって」
「はいっ!?」
突拍子もない話に、シモンは目を剝いた。
戸惑いがそのまま声になって口から零れる。
「ぇえぇー……」
そんなことを言われても困る。
ものすごく困る。
紳士の話を聞いて会いたいという話の流れなら、死霊とかそっちの類の話であることは、間違いない。
何かが見えたとしても、シモンは、自分がセオバルドのように適切に対処できるとはこれっぽっちも思えない。
だが、噂好きのお婆さんは、おろおろとするシモンの様子を気にも留めない。
「市場の入口近くに、この間の人が馬車を停めて待っているっていうから、行ってきておくれ。そのぶら下げている肉は、私が事情を説明しがてら、あんたの所まで届けてやるから!」
「え、……あっ!」
溌剌とした笑顔を浮かべ、噂好きのお婆さんはシモンから肉の入った袋を半ば強引に奪い取り、ほらほらと背を押す。
シモンの足はささやかな抵抗を示し、その場に留まろうとするが、噂好きのお婆さんはお構いなしだ。
「あのっ、要件もわからないのに……。それに僕、まだ買い物も途中で……」
「帰ってきたら、詳しく教えておくれね」
問答するが埒が明かない。
ぐいぐいと力強く背を押され、シモンの顔は困ったものから諦めへと変わった。
噂好きのお婆さんを振り返り、曖昧に虚ろな笑みを浮かべる。
ここでお婆さんの機嫌を損ねて、また新しい変な噂を流されるのも困ってしまう。
「……わかりました、行ってきます」
そう。
市場の外で待っているという紳士に、直接断ればいいのだ。
噂好きのお婆さんを説得することを諦めて、シモンは市場の外で待っているという紳士の許へと足を向けた。
教えられた通り、市場を出てすぐの道に立派な馬車が停まっていた。
馬車の前に立つ紳士に見覚えがあり、シモンは足を止めた。
「あ、あの……」
「ああ、良かった! よくて来てくれました! 確かシモンさんとおっしゃるのですよね。申し遅れました。私はジョージと申します。その節はありがとうございました」
「ジョージさん、何事も無くて良かったです。それで、あの、申し訳……」
「良かった、良かった。私の住む町はここから少し離れた港町にあります。さぁ、どうぞ。お乗りになって下さい」
シモンの肩に手を回して、ジョージはぐいぐいと馬車へと押し込む。
馬車の中に押し込められる形となったシモンは振り返り、ジョージの悪意のなさそうな、朗らかな笑みを見て呆然とする。
先週の、市場でのやり取りを思い出す。
(ああ、そういえば……)
噂好きのお婆さんだけでなく、この人も彼女と似た感じの人だった。
「あの……」
とにかく断わろうと口を開くシモンをよそに、ささっと馬車に乗り込もうとするジョージ。
ちり、ちりん、と聞き覚えのある澄んだ鈴の音が鳴った。
ジョージの足の隙間から、一匹の猫がするりと馬車の中に身を滑り込ませた。
同時に馭者によって、馬車の扉が閉じられた。
「猫!?」
「シェリー!?」
驚きの声を上げるジョージに慌てたシモンが、首に白いリボンを結わえた銀色の猫を抱き上げた。
紫水晶を思わせる青みの深い紫の瞳は物言いたげに、眼光鋭くシモンを睨みつける。
――早く、降りると、言いなさい!
目は口程に物を言う。
ぱっと顔を上げて、シモンは口を開く。
「すみません、僕の猫です……。あのっ」
一緒に降ろしてもらえないかとシモンが言葉を紡ぐ前に、ジョージは「そうですか」とにっこりと頷き、椅子に腰を下ろし軽く咳払いをすると、堂々とした声で馭者に合図を出した。
「出してくれ」
悉く、聞いてはくれない。
――がたん、と馬に引かれて馬車が動き出した。
「いやー、シモンさんが快く応じてくれて、良かった、良かった」
にこにこと安堵の笑みを浮かべるジョージを前に、何を言っても無駄な気がして、シモンは絶句する。
憂鬱な顔のシモンと不機嫌なシェリーを乗せて、馬車はゆっくりと走り出した。




