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男装少女は言い出せない  作者: 和奏
男装少女は言い出せない
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シモンの一日 2

 

 シェリーと同じテーブルに着いたシモンは、眠気で傾いていく頭を、頬杖をついて支える。

 ブランデーとミルクの香りをほのかに漂わせるマグを両手で持ち上げて、満足そうなシェリーをちらりと見遣ってから、手許のマグを覗き込んだ。

 マグから優しく立ち昇る湯気と、ミルクの甘い香りにくつろぐ。気持ちが和らいだシモンは、深く息を吐くことで重い気持ちを身体の中から追い出した。


 シモンに対しては素っ気なく口調もきついシェリーだったが、セオバルドには物腰柔らかに接し、気を遣っている。

「シェリーは、先生が好きなんだね」

 猫が主人に懐く感じだろうか。

 

 目を吊り上げたシェリーが、シモンを睨みつける。

「そうよ! 私なんて、頼み込んで情報を集める条件で、やっとセオのそばに……、教会(ここ)に居られるようになったのに!」

 悔しそうにきゅっと唇を噛んで俯くシェリーに、条件付きで衣食住を保証してもらう自分と変わらないのだと解釈したシモンは、「そっか」と頷く。

 衣食住を提供してくれるセオバルドのためにシェリーは情報収集している。ついでに雇用主であるセオバルドのことを慕っている。

 だから今日、セオバルドの足を引っ張らないように忠告したにもかかわらず、しっかり努めることの出来なかったシモンのことを怒っている。

 シモンの頭の中で、そう整理された。

「わかるよ……」

 眠気を(こら)えながら、シモンは同意して頷く。

 妖精猫も人間も、衣食住を確保するのは大変だ。


 ――シルヴィがシモンと名乗る前。

 教会へ転がり込んだ時の記憶はひどく曖昧で、どうやってここまで辿り着いたのか。伸ばした手で扉を開けたのかどうかも覚えていない。

 目を覚ました時に、知らない青年に抱えられていたことに息が止まる程驚き、必死に暴れて彼の腕の中から逃れた。再び人攫いに捕まったのだと思った。

「怖がらなくていい、君に危害を加える気はない」

 縮こまり震えるシルヴィに掛けられた、気遣いに満ちた静かな声。

 恐る恐る顔を上げて視線を巡らせ、シルヴィは自分のいる場所が、礼拝堂の祭壇前であることを知った。

「牧師、さま……?」

「私の名はセオバルドだ。君は?」

 その場を動かずに屈んで、シルヴィと視線を交わした青年は穏やかに尋ねた。

 セオバルドと名乗った青年が人攫いではなく、教会の人間であると認識したシルヴィは、徐々に落ち着きを取り戻していた。

「え、と。シ、……シモン」

 男装をしていたシルヴィが咄嗟に答えたのは、元いた村の隣家のお爺さんの名前。

 名前を偽ったのは、少しの混乱と初対面の男性であったセオバルドに対する警戒心から。

 ……成り行きで少年のふりをした。

 セオバルドに水を貰い何があったのか問われたシルヴィは、祖母が亡くなってからの経緯をぽつりぽつりと話した。

「シモン、君からわずかだけれど普通の人には無い力を感じるのだが、自覚は? ……たとえば、他の人に見えないものが見えたりはしないか?」

「! 見えます。あの、小さな人とか。――黒い……っ!」

 祖母以外に理解してくれる人を見つけた喜びで跳ねた声は、得体の知れないものへの恐怖と不安に塗り替えられ、震えて詰まった。

 相槌を打って目を伏せたセオバルドは、しばし真剣な顔で黙考してから口を開いた。

「君の目に映るものは、誰にでも見えるものではない。私の許で人ならざるものから身を護る術や対処の方法を学ばないか? そして、私の仕事を手伝って欲しい。もちろん、ここに住んでくれて構わない」

 行く当てのないシルヴィにとって、願ったり叶ったりの話だった。

 

 住み始めてみると、セオバルドの所はとても居心地が良かった。

 あれだけ悩まされた黒い影や靄のようなものは、教会の敷地内のどこにも見当たらない。

 人間ふたりと妖精猫一匹で暮らすには大きな家で、広い私室を与えられ、必要な物を揃えられるだけの金を渡された。食事もセオバルドと同じものを一緒の食卓で摂るようにと言われた。

 家事をこなし、授業をしっかりと受けていれば自由に過ごすことができた。セオバルドはシモンに関心がないのか過去のことを詮索せず、必要以上に干渉もしてこない。

 程よい距離感は、女性であることを隠しやすかった。


 教会に住み始めた当初、セオバルドに性別と名前を偽ったことを打ち明けようかと、何度も悩んだ。

 だが。

 助けられておきながら、初対面で信用できずに嘘を吐いていたのだと告白するのには、勇気が要った。 

 それに、セオバルドが必要としているのが少年としての労働力だったら……。

 少女であるシルヴィは、もう教会に置いてもらえないかもしれない。

 考えあぐねているうちに、時間はどんどん過ぎていった。

 結局、後ろめたさを覚えつつも本当のことを言い出せずに、少年のシモンとして今に至る。


 大きな町などでは、成人に満たない子供は一日中身を粉にして働き、ようやく衣食住を確保できるという話も、小耳に挟んだことがあった。

 だから、ここへ来るまでに仕事を求めて彷徨った時には、煙突掃除でも靴磨きでもなんでもするつもりだった。それを思えば、破格の待遇だ。

 小鬼を掴めと言われた時は驚いたが、いろいろな事象に対処できるようにシモンのことを育ててくれているのだとしたら、仕方ないのかもしれない。

 ……良い雇い主に恵まれたのだと思う。多分。



 シェリーは、セオバルドに雇われている同志。そう認識を改めると、今までにない親近感が湧いた。

「僕はまだここへきて半年だし、すぐに受け入れてもらえないかもしれないけれど、シェリーとは仲良くしたいと思っているんだ」

 人間だがセオバルドは雇い主であり、師でもある。歳も少し離れていて気さくには話し掛け辛い。

 その点、妖精猫であるシェリーは人を模ればシモンと同じ歳ほどの少女であり、口調はきついがよく話し掛けてくれるので親しみやすい。


「あなたと仲良くするなんて、ごめんだわ」

 突き放す口調の、つんと澄ましたシェリーの声。


 猫はプライドの高いイメージだったから、新参者の自分に対するシェリーの態度もこんなものかな、とシモンは微苦笑する。

 元々、猫は好きだ。

 陽だまりで丸くなって気持ち良さそうに眠るシェリーは、艶やかな銀色の被毛一本一本に光を受け止めてきらきらと輝く。その隙間にさえ、陽射しの暖かさを留めているようで、眺めているだけでもぽかぽかと幸せな気持ちにさせてくれる。時折ぴくんと小さく震えるビロードのように柔らかな耳は、愛らしく心が和む。

 陽だまりで昼寝をする妖精猫(シェリー)を瞼に浮かべたシモンを、猛烈な眠気が襲う。

 年上でも――。

 妖精猫の。

「シェリーは、……本当に可愛い」


 かたんっ、と隣で椅子が音を立てた。

 マグに焦点が合わなくなり、シモンの視界がぼんやりと霞む。

 何をしても、もう瞼は上がりそうもない。

(限界……)

 マグを倒してしまわないよう脇に避けて、シモンは机に突っ伏す。

 両腕を枕に顔を埋めて軽く頭を揺すり、心地よく頭の収まる場所をみつける。

 ほんの少しだけ目を閉じたら、部屋へ戻ろう――。



「シモン。起きなさい、シモン」

 キッチンへ、カップを返しに来たセオバルドが、声を掛けた。

 けれど、テーブルで腕を枕に深く眠っているシモンは、すーすーと気持ち良さそうに寝息を立てて起きる気配は無い。

「シモン」

 再び声を掛けたセオバルドは、シモンの肩を軽く叩き、揺する。

 長く伸ばされた柔らかな癖を持つ前髪が、一束。シモンの頬をくすぐるように滑り、顔を隠す。

 セオバルドの指が、淡い亜麻色の髪をそっと掬い上げ、シモンの耳に掛けた。

 しばらくの間、セオバルドは寝入るシモンの顔を見下ろしていた。

 シモンの瞼を見つめるセオバルドの青い瞳が、不意に陰る。


 ……しん、として無音。そんなキッチンが、徐々に冷え始めた。

 シモンが足した薪も、そのほとんどが灰になっている。燃え残っていた木片を、ちょろちょろと舐める小さな炎も、じきに消えるだろう。

 小さな溜め息を漏らしたセオバルドは、部屋の片隅に畳んであったブランケットを手に取って広げ、シモンの背中にかけた。

 

「……君は、後悔しているんじゃないか?」


 問いかける口調でありながら、ほとんど音を伴わない微かな声。

 尋ねておきながら、問いに対する答えを求めない、一方的な呟き。

 瞼を閉じることでシモンから視線を逸らしたセオバルドは、自身の運んできたカップと、テーブルの上に残されていた二つのマグを手に取り、片付ける。


 部屋に響くのは、穏やかなシモンの寝息と、セオバルドの片付ける陶器が触れ合う微かな音。

 そして、それよりも小さな、燃え尽きる薪の崩れる音。


 今日も、静かに夜が更けていく――。


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