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*小説・エッセイ・散文・その他*

彼と私のパッションフルーツな未来

作者: a i o

 二人でするドライブが好き。遠出ならもっといい。1DKの狭いアパートから、更に狭い軽自動車に乗り込んで、一日限りの逃避行。助手席の窓からスライドショーのように変わる景色を眺めると、まるで風にでもなってしまったような気持ちになる。

 高速を下りて、国道に入ると視界の半分が海になった。助手席側の窓を半分ほど開けると、潮の匂いがして、私はそれを思い切り吸い込んだ。


 湊大(そうた)とは、社会人デビューを契機に同棲を始めた。幸い互いの勤め先も離れていなかったし、私も湊大も学生時代からどちらかの部屋に入り浸りだったから、同棲話はお互いの両親に話を通してからはサクサクと進んだ。

 ほぼ毎日一緒にいたんだから、同棲なんて余裕! なんて思っていたけど、現実はやっぱり厳しい。恋人と云えど他人と生活を擦り合わせるのは、想像以上に労力の要ることだった。逃げ場のないストレスに疲弊し、慣れない社会人生活を始めたばかりの私達は、嵐のような毎日を送るはめになった。些細なことに苛立ち喧嘩になる日々が続き、別れるのも時間の問題かな、と落ち込みながらも覚悟しはじめた夜、湊大が持ちかけたのがドライブだった。

 半ば投げやりな気持ちでその提案に乗ってはみたけれど、意外にもろくに目的地も決めないまま夜のアスファルトを切り開く様は、私に例えようのない解放感を生み出した。

 外灯のぼんやりとしたオレンジ。疎らな車のテールランプ。ところどころのネオン、そして背にある暗闇。カーステレオから流れる湊大のお気に入りのアーティストは、低く通る声で失った恋を切々と歌い上げた。

 まるで世界から切り取られたかのようにふたりぼっちで、だけど、私と湊大はどこまでも他人で。その事実は私をうんと切なくさせて、そして同じくらいホッとさせた。その日、私と湊大はポツポツと話をした。柔らかな雨のようなトーンで。喧嘩腰の日々が嘘のように、くだらない話をしては笑い合った。

 それからの私たちは、憑き物が落ちたかのようにお互いを許しあった。仕事のある生活に慣れてきたこともあるかもしれないけど、一番の理由はあの日、もう一度二人が一人に立ち帰れたことが大きかったんじゃないかと私は思っている。


「美希、風が強くなってきたから窓閉めて」

 十分ほど海沿いを走っていると、湊大が呟くようにそう言った。私は「はぁい」と聞き分けの良い子どものように素直な態度で、窓を閉める。運転手の手を煩わせない。これが私達のドライブのルールだ。運転手は湊大だったり私だったりするけど、車の中は私達の聖域にも等しいから、たとえ喧嘩中であってもそのルールが破られたことはない。

「ねぇ、そろそろ休憩しない?」

 家を出てから、かれこれ一時間弱。湊大も疲れた頃合いだろうし、私自身そろそろお尻が痛くなってきた。

「おー。小腹も空いてきたし、どっか入るか」

 早目の昼食をとったにしても、三時のおやつ、と言うには少し早い時間だった。だけれど、食いしん坊の私はすぐさま「賛成!」と大きな声で返事をした。初めて来る場所じゃないので、立ち寄るお店は二人の気に入りのアイスクリームショップになった。湊大はそこの果物を使ったアイスクリームをことのほか気に入ってるし、私はもちもちとした生地のアイスクレープの虜だ。

 すっかり機嫌を良くした私を横目に、湊大が呆れたように笑う。

「美希はどうせまたクレープ食うんだろ?」

「湊大だってどうせフルーツ系のアイス食べるんでしょ」

 フロントガラスから夏の日差しが射し込む。その先にある入道雲へ、まるで一目散に突き進んでいるような錯覚すら覚えた。

「フルーツといえばさ、ほらこの前買ったパッションフルーツ」

「あー、美希がご当地フェスで衝動買いしたやつね」

「湊大がスーパーより安いって言ったから買ったんじゃない!」

「そうだっけ?」

「そうだよ!」

 不毛な言い争いをしながらも、湊大も私も唇の端が上がるのを抑えきれなかった。

 先週、偶々(たまたま)立ち寄った場所で購入したパッションフルーツ。一昨年、湊大の親戚からお裾分けしてもらったそれを食べてから、二人ともすっかり嵌まってしまったのだ。買った当時はまだ皮がツルツルとしていて酸味も強い状態だったので、追熟する為に常温で保存していたのだけど、今日見てみると丁度いい具合に皺が寄っていた。

 とろりとした黄金色の果肉。爽やかな酸味。夏を凝縮したような風味と追熟で得た甘味を想像するだけで涎が出る。

「バニラアイスにさ、パッションフルーツかけるのも美味そうじゃね?」

「なにそれ天才」

 湊大の思いつきに、私は小さく拍手を送る。

「なぁ、今日のアイスはさ、近所のコンビニに変更しない?」

「うーん……ま、いいよ!」

 アイスクレープに未練はあるけど、新レシピを試したい好奇心の方が勝った。あのアイスクリームショップにはまた今度行けばいい。今の私達なら、次の機会を気軽に想定できる。

「……パッションフルーツってさ」

 私が穏やかな心持ちで窓の外を眺めていると、湊大は少し真剣な声で話し掛けた。

「店頭に並ぶものはみんな形もいいし艶もいいけど、俺達が好きな食べ頃は皺が寄って梅干しみたいになっててさ、正直見た目はイマイチだろ?」

「うん、初めて見たときは腐ってないか心配になった」

 私が正直な感想を述べると、湊大は「俺も」と言って大きく頷いた。

「でも、あの皺になった頃がいい感じに甘くなって美味いんだよな」

「そうそう」

「……だから、俺達も皺くちゃになった頃が一番美味しくなるかもしれないから、その……気負わずやってこうぜ」

 湊大の横顔が少し照れ臭そうに歪む。私は一瞬息を呑んで、ハンドルを握る恋人をじっと見つめた。もしかして。ひょっとして。

「それってプロポーズ?」

 ずばり聞いてしまえば、湊大がぐっと唇を噛む。湊大は照れ屋だ。甘い言葉を吐こうとして、失敗したことは数知れず。だから、私は彼から甘い言葉を貰うことを諦め、その努力を買う方向へ切り換えた。

「……の予行演習」

 予行演習って言っている時点で、プロポーズだよなぁ。そう頭の片隅でツッコミながらも口元がにやけるのを私は抑えきれなかった。

「皺くちゃ、楽しみだね」

「……おー」

 どっちの、とは言わない。

 私達の帰りを待つ皺の寄ったパッションフルーツのために、コンビニで少しお高いバニラアイスを買おう。たぶん湊大は量の多いリーズナブルなバニラアイスを勧めて、また少し揉めるんだろう。でも、そんな日常の先が一番美味しいって隣で言ってくれるから、私も一緒にその先を楽しみにしていたい。

 いつの間にか目の前に立ち聳えていた入道雲が、サイドミラーに映る。

 海面に跳ねる光を目で追いながら、私はこれから二人で迎えるだろういくつもの夏に、そっと思いを馳せた。

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