魔法玩具師とぬいぐるみ妖精シャーキスの桜カブトムシ
工夫したのはそれだけじゃない。
かたん、ことん。
オオカブトムシの六本足が動くたび、見事な一本角が左右に揺れる。その先には桜の花が一輪。まるでカブトムシが桜の花を振り払おうとしているようだ。
その上にもう一工夫。
樫の木を彫刻して黒く塗られた背中にも、桜の花模様が二つ。花びらはピンクがかった真珠色。カブトムシが動くたび、キラキラ光る。貝殻の内側を花の形に貼り付けて磨きあげた、日本に古くから伝わる螺鈿細工の技法を取り入れた。
これぞ『桜カブトムシ』。この国の夏には見たことのないカブトムシ。それに、日本という異国から来た僕の中で、春の思い出の象徴とも言える花を組み合わせてみた。
僕は動きを止めた桜カブトムシの、お尻に付いている鉄のネジ巻きをギリギリと回した。
机に置いて、手を離す。
ふたたび、桜カブトムシが動き出す。カタリコトリ、角を左右に振りふり、桜の花を追って、あるいは振り払うように。
学校の古い木の机の上を端から端まで移動する桜カブトムシ。僕と机を取り囲んだ十人の友達は、「わあ!」と目を輝かせた。
「すごいや、これはニザが作ったのか」
「このピンクの花はアーモンドかい?」
アーモンドの花は確かに桜にそっくりだ。でも、僕は和風の何かを取り入れたかった。だから、この国には無い『桜の花』ということを強調した。春になると、日本ではたくさん咲く花であること、お花見と言って、花の下でお弁当を食べたりするのだと。
僕の名前はからくり仁左衛門。学校の友達は僕のことをニザと呼ぶ。
今から四年前、僕が親方の魔法玩具工房に入門してすぐ、親方は僕をこの学校に連れてきた。
この町にある学校は一つ。今から五百年くらい前、町が創建された頃に建てられたという、古い煉瓦造りの建物だ。当時は貴族階級や裕福な商人の子弟のための学び舎だったらしい。
今では、下は七歳から上は十五歳までの子供が学ぶ、市民の学校だ。ただし、この町に住み、授業料が払える裕福な家庭の子でないと通えない。この町では少ないけれど、家庭の事情で学校にいかない子もいる。
昔は、職人の弟子になった男の子は学校へ行かなくても良かった。だが、今は魔法玩具師になるにしても、社会一般の勉強は必要だ。……というのが、うちの親方の方針で、僕が魔法玩具工房へ来てすぐ、この学校へ通う手続きを取ってくれた。
親方に連れられて学校に来たときに、親方が「この子はニザです、よろしく」と僕のことを先生に紹介したのが切っ掛けで、先生も級友にも、僕はニザと呼ばれている。
「そうだよ。ネジ巻きで動くんだ。からくり仕掛けの玩具を作ったのは久しぶりだけど、我ながら良くできたよ」
僕を囲むこの十人は皆町の子だ。ほとんどの子の親が、商店街で店をしている。親方の魔法玩具工房もそうだから、僕が親方の弟子であることも知られている。
「ニザは器用だなあ」
「ちょっとだけ触らせてよ」
友達に褒められると、僕だってうれしい。僕は机の端まで進んでいた桜カブトムシをひょいと掴み、その子の左手のひらにのせた。
「足が細くて曲がりやすいから、丁寧に扱ってくれよ」
僕らがわいわいやっていると、そうっと近づいてきた者がいる。
廊下の窓から僕らの様子を眺めていた、隣のクラスのやつだ。
この学校のクラスは三つ。さすがに生徒全員の顔と名前は覚えていないが、ときどき校庭でやるサッカーゲームに参加する子だ。でも、サッカーはあまり得意じゃないらしく、この子がシュートを決めるところは見たことがない。けれど、顔見知りには違いない。
「あの、きみ、ニザくん、だよね」
僕の名はたいがいの子が知っている。僕が有名人なのではなく、親方が有名なのだ。国で一番良い腕の魔法玩具師であり、この町の市長を務めたこともある、町の名士なのだ。
「お願いがあるんだ。そのすごく珍しい玩具を、一日だけ僕に貸してくれないか?」
突然の提案に、「え?」とびっくりしたのは、僕ではなく僕と特に親しい三人の友達だった。彼と僕はあまり親しくないのに、ずうずうしい頼みだと思ったのだろう。
じつは僕もそう思った。
でも、頼んできた彼の表情はひどく暗かった。何か悩みでもあるみたいだ。じーっと僕を見る目付きはきつくて、睨まれているみたいだが、それは真剣だからだと、僕の未熟な観察眼でもわかった。
「悪いけど、これは壊れやすいから、ここで見るだけにしてほしいんだ」
壊れやすいのは嘘じゃない。できるだけ丈夫な素材で作ったけれど、木彫り細工の玩具だ。机から床へ落ちたら、木製の胴体は割れるかもしれないし、角や足はもげてしまうかもしれない。
「明日! 明日には必ず返すから! お願いします!」
彼が玩具を借りたい理由、それは病気で寝ている妹に見せたいとのこと。
必ず一日で返すから。
そう約束した彼に、僕は、桜カブトムシを貸してあげた。
そして翌日。
彼は学校に来なかった。
急に風邪でも引いたのかな。
学校から帰って、台所でホットミルクとおかみさん自慢の干しイチジクのトルタを食べていたら、
「るっぷりい、ご主人様、親方が工房にお呼びですよー!」
空中をピンクのテディベアがフワフワ飛んできた。
ぬいぐるみ妖精シャーキスだ。
僕が作ったぬいぐるみのテディベアに魔法の生命が宿り、ぬいぐるみ妖精になった。僕が初めて作れた魔法玩具でもある。
僕が作業場へ入ると、
「ニザ、これはお前の作品だね?」
親方の大きな手のひらの上には、桜カブトムシがあった。
その一本角は、根元からポッキリ折れて、角の先端に螺鈿細工の桜の花は、付いていなかった。
その夜、僕は考えた。
桜カブトムシが壊れて、あの子は学校へ来なくなった。
あの子が学校に来なくなったのは、桜カブトムシを壊したことを、僕に謝りたくないからだろうか。
それとも、本当に悪いのは、僕が桜カブトムシをあの子に貸したことかしら?
それとも僕が知らない間に、あの子に嫌な思いをさせていたのだろうか。
次の日から、学校へ来たくないと思わせるほどに……。
僕の方は、傑作の桜カブトムシを一晩貸してあげるという親切をしただけなのに。
僕は延々と考え続けた。
おかみさんが、ビスコッティの生地を作り、オーブンで二度焼きしてカントゥッチというお菓子を作っている間も考え続けていた。
「ニザ、おやつの時間よ」と声をかけられて、おやつのココアにカントゥッチをつけて柔らかくして食べている間も、考えた。
「まだ悩んどるのか、ニザは」
親方が呆れた声で感心しているのも聞こえていたけど、考えることに夢中だった。
「まあまあ、お友達が学校へ来なくなったことがよほどショックだったのね。かわいそうに……」
そうだ、おかみさんの言うとおり、僕はショックを受けた。
彼はいきなり学校へ来なくなった。
それは、桜カブトムシを壊したから?
それだって、わざと壊したわけじゃないだろう。そのくらい、僕にだって想像はつく。
それとも壊れた桜カブトムシを僕に見せたら、僕が怒り狂うとでも思ったのか。
僕に責められるのが怖くて、僕の顔を見るのが嫌で、学校を休んだのだろうか?
僕はそんなわからずやじゃないぞ。玩具が壊れたくらいで怒るほど、小さな子どもじゃないんだから。
いや、違うな。僕がぐるぐると考えている本当の理由はそこじゃない。
なにより腹が立つのは、どうして壊れた桜カブトムシを僕にではなく、親方のところへ(しかも、父親を通してだ!)修理のために持ち込んだのか、ということだ!
夕食の後、親方が僕を呼んだ。
「ニザエモンくん、ちょっといいかね?」
本名を「くん」付けで呼ばれることは珍しい。たいていは仕事についてのとても大切な話か、僕が変な失敗をしたりして、お説教があるときくらいだ。
親方の作業机には桜カブトムシが置いてあった。その傍らには樫の木切れや針金、細いペンチや彫刻刀など、必要な道具が並べてあったが、桜カブトムシはまだ壊れたままだ。
「この桜カブトムシだが、……わしが修理してもいいかね?」
「はい。親方に持ち込まれた仕事ですから、親方が修理してください」
僕は悩むことなく応えた。
親方は、はは、と力なく笑った。
「だがなあ、お前は、それじゃあ気が済まない、という目付きだぞ。本当は、どうしたいのかね?」
「だって、わざわざ僕を避けてまで僕の親方の所へ持ってきたんですよ。僕がやるわけにはいかないでしょう」
こうなったら、意地でも自分では修理をしたくない。
「そりゃそうだろうな」
親方は「ふむ、ふむ」とうなずいた。
「桜カブトムシが壊れたのは、僕が悪かったんです。あの子に貸した僕が悪いんですから、もう、いいんです」
「誰もお前を悪いとは言わないさ」
たとえ怒る時でも、親方はけっして声を荒げたりしないし、怖い顔もしない。僕がわかるまで丁寧に話をしてくれる。この前は道具の手入れを怠って遊びに行ったら、魔法玩具職人として良くないことだと、こんこんと諭された。
「でもな、まったく何も言わないと、目に見えない気持ちってものは、人に伝わらないんだぞ。その子に謝って欲しいと思うかい?」
「僕は……謝ってほしいわけではありません」
あの子が自分で話をしにきてくれたら、謝罪はいらない。ただ、桜カブトムシが壊れた事情を説明してくれたら、それでいい。
僕はすぐに許したとも。
そして、「気にしなくていいよ、自分で修理できるから」と言っただろう。
それだけの自分の気持ちを説明するのに、なぜだか涙が出そうになった。
親方はずっと生真面目な表情を崩さずに僕の話を聞いてくれた。そして最後にこういった。
「そうか。じゃあ、これは、わしが責任をもって修理しよう。今日はもう寝なさい」
その夜のうちに、桜カブトムシは親方の手で修理された。
魔法玩具師の親方には、からくり仕掛けの修理だって難しくはない。桜カブトムシの折れた角は元通りになり、継ぎ目は消え、曲がった足はきれいに修繕された。
角の先に付ける、螺鈿細工の桜の花は、作り直さなかった。
翌日、親方はすっかり直った、でも角の先には桜の花が付いていない桜カブトムシを持って、あの子の家へ納品にいった。
だが、親方は、桜カブトムシをまた持って帰ってきた。
「修理代をもらってきたよ。詫び料も渡されそうになったが、そっちは断った」
あの子のお父さんは、「壊してしまって申し訳なかった、わけあって息子は来られないが、お弟子さんにはこれで納めてもらいたい」と一応、謝ってきたらしい。
でも、あの子は自分で返しにすら来ないんだ。僕は馬鹿にされたような気がした。
あの子のお父さんは、壊れた桜カブトムシの修理を親方に依頼し、親方を通じて返した。
それに『詫び料』だ。金額までは教えてくれなかったが、魔法玩具師の親方が請け負うオリジナル玩具の修理代は高価。その親方が困惑したふうに話したくらいだから、修理代よりも高額だったのだろう。
名うての貿易商人が、何も知らずにそんなお金を使う気になるとは思えない。だったら、親方の弟子である僕とあの子の約束も聞き出したはずだ。
なのに、あの子が自分で僕に返すようにさせなかった。
子ども同士の問題を、大人の話にしてしまったんだ。
「ニザ、すごく怖い顔をしているぞ」
親方が会ってきたあの子の父親という人は、普段は首都に住む、名うての貿易商だという。この町には、病気の子どもの療養をかねて滞在するための、立派な別邸を持っているそうだ。
病気の子供というのは、あの子ではなくて、妹のことだろう。あの子が、妹がいると言ったのは嘘ではなかったんだ。
でも、僕は納得いかない。あの子はどうして、桜カブトムシが壊れた事情を、自分で僕に話しに来ないのだろう。
「ニザ、お前が怒る理由はわかる。確かにその子の態度は良くない。だがな、桜カブトムシはこうして修理までして返されてきたんだ、きっと何か事情があったのだよ。怒るのはそれくらいにして、もう許してやったらどうだい」
「桜カブトムシは、角に付いていた桜の花が無くなっているから、元通りじゃありません。それに、僕は怒っていませんよ」
本当は、桜の花なんて気にしていない。作り直すのは簡単だ。僕にとっては問題ですらない。それは親方も知っている。だから、桜の花が無いことは、ここで問題としてあげないんだ。
でも、僕は問題にした。
だって、ここで何かを問題にしなかったら、すべてが丸く収まってしまいそうだから。
うまく説明できないけれど、たった一つの『僕の哀しい気持ち』を残して、僕が何も感じなかったことにされてしまうような気がしたんだ。
「いや、怒っているとも。だがな、いつまでも怒りを抱えていると、自分がしんどくなるだけなのだよ。お前の大切な作品はこうして戻ってきたのだ。こういうときは、良い結果の方に目を向けていればいいのだよ」
その日の夕食は、僕の大好きなミネストローネだった。おかみさんは、デザートも僕の好きなものばかりを出してくれていた。
僕は全部食べ終えてから、それがボウルいっぱいのカスタードクリームと、たっぷり白いお砂糖をかけたイチゴだったことに気がついた。僕の大好物だ。なのに、どんなに美味しかったのかは、ほとんど覚えていない。
なんてもったいないことをしたのだろう。
夕飯の片付けがすむと、僕は早々に寝る支度をして、ベッドに潜り込んだ。
そして、2時間が経った頃、
「るっぷりい、ご主人様、眠れないのですか?」
シャーキスはいつも、ベッドサイドの椅子に座っている。たまに枕元に座っていることもあるが、たいがいはそこにいて、朝になると、僕を起こしてくれるのだ。
「考えすぎて頭が痛いよ」
僕は毛布をかぶったまま、返事をした。
「お気の毒に。ボクが何かおてつだいできませんか?」
「無理だよ。あの子が何を考えてこんな態度をとってきたかなんて、わからないもの」
「では、ボクが夢の中で本音を聞いてきましょうか」
「なんだって?」
僕は毛布から頭を出した。なんだか奇妙な提案が聞こえた気がする。
「ぬいぐるみ妖精はそんな魔法が使えるのか?」
お喋りをしたり、空を飛べるのは知っているけど、それ以外のことができるなんて、初耳だ!
「るっぷりい、ぬいぐるみ妖精は、夢の魔法の生き物ですから! 夢を渡って、子どもの夢の世界を訪れることができるのです。だから、その子の夢に入れば、その子が何を考えているのか、夢の中でなら教えてくれるかもしれません、ぷいッ!」
シャーキスは、椅子の上でポーンと弾んだ。
僕はゴソゴソ起き出して、ベッドの上に正座した。
「ぜひ、頼むよ。どうして学校を休んだのか、同じ町に居るのに、どうして自分で僕の所へ来ないのか、僕はそれが知りたいんだ」
「では、ご主人様、すぐ眠ってください」
フワリと飛んだシャーキスは、僕の肩をグイグイ押して、布団の中へ押し込んだ。
「いや、その理由が気になって、眠れないんだってば」
きっと理由がわかったら眠れると思う。
「るっぷ、夢を見てもらわないと、夢の道を渡れません」
「ちょっと待て。夢を渡って、というのは、僕が眠って夢を見ないと、シャーキスは夢の世界に入れないのか」
「その通り! さすがは魔法玩具師のご主人様です。理解が早いです、ぷいッ! さ、早くねんねしてください」
「むちゃを言うなよ、眠れないから困っているってのに……」
しかし、シャーキスに頭の上まで毛布を引き上げられ、小さな腕でトントンされたら、あれほど眠れなかったのに、あっという間に寝てしまったらしい。
心地よく眠りの中にいたはずなのに、
「では、行って参ります」
シャーキスの声がやけにハッキリ聞こえ、僕は、パチッ! と、目を開けた。
眠っていたはずの僕は、ベッドの端に腰掛けていた。
確かに真っ暗になって、何もかも忘れた気持ちのいい『眠り』に引き込まれたと感じたのに、どうして意識はこんなに鮮明なのだろう?
「待てよシャーキス、僕はまだ起きているぞ」
僕は目の前でフワフワ浮いていたシャーキスの足を両手で掴んだ。
シャーキスはじたばたと両腕を振った。
「るっぷりい、ご主人様は起きちゃだめです、ここは眠りの中ですよー。ご主人様の夢の世界なのです」
「いつもの僕の部屋だよ。何も変わっちゃいないって!」
「そこは、ご主人様の夢ですから!」
「おかしいよ、夢って、もっときれいな世界じゃないのか。ほら、春の花が咲き乱れている庭園だとか、羽の生えた妖精がいるとか」
「だって、ご主人様の夢ですもの!」
「どうして僕の夢だと、普通であたりまえの世界なんだ?」
「ご主人様がそう望んでいるからです。時間が無いから、もう行きますよ、ぷいッ!」
シャーキスはベッドの近くの窓へ顔を向けて「えい!」と右腕を振った。
窓が、パーン! と左右に開いた。
外は暗い。夜だから当たり前だが。
「あ、待てってば!」
シャーキスの足をつかんでいたら、僕の体も浮き上がった。
「え、ええッ!?」
毛布と掛け布団がすべり落ち、僕は、シャーキスと同じ高さでフワフワ飛んでいた。
「るっぷりいッ! ダメですよー、一緒に飛んだら!」
「なんで、これ、本当に夢なんだな」
「るっぷりいッ! しょうがないから、このままいきますよ~!」
シャーキスは窓から飛び出し、僕も寝間着のままで一緒に飛び出した!
星空に、黄金色の満月が輝いている。真新しいピカピカの金貨みたいだ。
町の上を飛んでいく。
家々の屋根が連なっている。おかみさんのお供で買い物に行く市場のある広場、商店の並び、その先には学校があって……。
「あ、あれ、なんか、町の様子が違う……」
学校へ行くまでの道は確かに現実と同じだ。が、その先にあるはずの方々の隣町へ続く土地は、崖のように黒く途切れていた。
そんな馬鹿な。細い道や牧場、林や森や、あっちの方には川もあったはずだ。
「大変だ、道が消えちゃった!」
「だいじょうぶですよ、これはご主人様の夢ですから!」
「なんで、僕の夢だと、道が無くなっているんだよ?」
「ご主人様が、町の外にいろいろな道があることを知らなくて、見たこともないからです。大人になって世界が広くなれば、たくさんの道がどこまでも続いていることがわかります」
「夢ってそういうものなのか?」
「そうなのです、るっぷ! そろそろ降りますよ~!」
シャーキスは、町外れの邸宅目指して降りていった。
「ここがあの子の家? よく知っていたな」
僕は知らなかった。これもぬいぐるみ妖精の魔法か、それとも夢の中だから何でもうまくいくという不思議さゆえなのか?
シャーキスは、えっへん、と胸を張った。
「昼間、親方に聞きました。桜カブトムシを納品しにいくのに、電話で住所を話していましたよ」
シャーキスはぬいぐるみ妖精だけど、住所を知った方法は、ごく普通だったようだ。
「よし、これからどうやってあの子に会うんだい?」
「玄関か、窓をノックして、おじゃまします」
それも夢の魔法という気がしない、普通の方法だな。
「あ、でも、僕は行かない方がいいのかな。きっと僕には会いたくないだろうし」
「どうしてですか?」
「だって、桜カブトムシを壊しちゃって、僕に会いたくないから、学校へ来なくなったんだから……」
「そんなの、ご主人様の思い込みです。本人に訊いてみないとわからないですよ。そのために夢を渡ってきたのですから!」
シャーキスは、エッヘンと、さっきよりもうんと背中を反らせた。
「そういやそうだな。よし、僕も行くぞ」
1階の玄関から入るか、2階の窓から飛び込むか……。
玄関にした。
僕もシャーキスも、あの子の部屋を知らない。
適当な窓から飛び込んで、もしも間違ってご両親の部屋に入ったりしたら、いくら夢でも失礼すぎる。
僕は立派な玄関扉を、そろそろと押し開けた。なんだか泥棒に入るみたいな、いけないことをしている気分だ。
入ってすぐに小さな玄関ホールがあり、白い大理石の天使が立っていた。
「こんばんは……。おじゃまします」
小声で挨拶しながら、入ったところでキョロキョロしていると、
「ご主人様、もっと堂々としてだいじょうぶですよ。夢だから、普通の人はぐっすり眠っているのです」
「でも、ご両親も居るだろうし」
「ここで起きているのは、夢の中でまで遊びたい子どもか、ボクのような特別な妖精だけなのです、ぷいッ!」
「でも、僕は起きているよ?」
「るっぷりい、それはぬいぐるみ妖精のボクと一緒に行動しているからですよ」
僕らは扉を次々開けて、部屋を見て回った。
どの部屋も物は少なく、棚なんかも空っぽで、室内のあちこちに大きな木箱やトランクが積んである。
「旅行の準備か。それで学校へ来なかったのか」
トランクと木箱に貼られた荷札は、船便用の送り状らしい。海を越えた遠い外国の、聞いたこともない町の名前が書いてある。
「るっぷりい、これはきっとお引っ越しです。このお家を引き払って、家族で遠い外国へ行くようですね」
それでもまだ町にはいるのだから、次の日に学校へ来るくらいはできただろう。
僕らはそれから三つの扉を開け、四つ目でやっとあの子を見つけた!
「グウ……」
ベッドの中でぐっすり眠っている。そりゃそうだ。子どもは寝ている時間だもんな。大きな声で呼びかけても、揺さぶっても、ぜんぜん起きない。
「これじゃ、桜カブトムシが壊れた理由を訊けないじゃないか」
なんか難しい表情をしてムニャムニャ言っているが、僕が話しかけても反応はしない。
「ごめんなさい、と言っていますよ。『桜カブトムシが壊れたのは、ぼくのせいだ、ぼくが止められなかったから』だって!」
「わかるのか」
「るっぷりい、ぬいぐるみ妖精ですもの!」
「じゃあ、壊したのは別人だな。学校へ来なかった理由は?」
「ちょっとお熱がありますね。ご主人様と同じです。ときどき考えすぎて出るお熱です」
「僕は悩みすぎて熱まで出さないぞ。ほかには?」
「わかるのはそれだけです、ぷいッ!」
「おい、話が違うじゃないか。夢の中でなら本音を訊けるって言っただろ」
「はい、ですから、夢の中での本音を聴き取ることはできましたよ。だって、ここは眠りの世界ですもの。でも、この子にはぬいぐるみ妖精がいませんから、むりやり起こして、お話をすることはできないのです、るっぷ!」
澄まして言うシャーキスを横目で睨んだ時、
――きゃっ、きゃっ。
どこか近くの部屋で、可愛いはしゃぎ声がした。
シャーキスが飛んでいき、すぐ戻ってきた。
「るっぷ、あっちの部屋に、赤ちゃんがいますよ」
そこは、壁にカラフルな動物の絵を描いたかわいい子ども部屋だった。
小さなベッドの上で、白いパジャマを着た幼い女の子が座り、右の拳を振っている。濃い栗色のフワフワ巻き毛、栗色の目をぱっちり開いてご機嫌だ。
シャーキスは赤ちゃんと言ったが、たぶん2歳くらいだろう。
「この子は起きているんだね」
「まだ赤ちゃんだからですよ。赤ちゃんは、眠りの間、夢で遊ぶものです。それにこの女の子は、夢で起きているのに慣れているようですね」
僕と目が合ったら、女の子は目を輝かせ、「はい!」と、右の拳をひらけた。
そこに、ポンッ! と出現したのは、桜カブトムシだ!
「ええッ!?」
でも、その桜カブトムシはずいぶん大きくて、小さな手が隠れている。たぶん、僕が作った本物の桜カブトムシの十倍はある。
「るっぷりいッ! なるほど、この子はこれがよほどお気に入りなのですね」
桜カブトムシの角の先には桜の花が一輪。淡いピンク色の螺鈿細工がキラリと光った。すると女の子が、パクッと口に入れた。
「るっぷりいッ、食べちゃいましたよッ!」
「わあ、だめだよ、食べちゃ!」
僕は慌てて桜カブトムシを取り上げようとしたが、女の子はイヤイヤと首を振り、しっかり抱えて角をかじっている。
「ご主人様、慌てなくてもだいじょうぶ、その玩具は夢ではお菓子になっていますから、食べても害はありません」
「それを先に言ってくれよ」
かじられた部分には歯形が付いていた。すごく美味しそうに食べているから、きっと、この女の子の好きなお菓子の味になっているんだろう。
「もしかして、本物の桜カブトムシの桜の花も、この子が食べちゃったとか?」
「るっぷりいッ! ご心配なく、現実では食べられていないと思いますよ」
「なんでわかるんだい?」
「ほら、そこの床に」
シャーキスが指さす方を見ると、キラリと光った。近づいてよく見ると、
「螺鈿細工の欠片だ!」
「じつは、このお部屋は、現実のお部屋と重なっているのです。花は食べられてはいませんが、ここで壊れたのは確かですね」
このとき、女の子の座るベッドに、眠っている女の子の姿が重なって見えた。
現実の方の女の子の顔色は青白い。夢で遊ぶ姿よりも小さく、幼く見える。
夢の中ではピンクの頬をして、こんなに元気なのに……。
「シャーキス、この子は病気なんだな」
「るっぷりい……。そうです、だからいつも、夢の中で遊んでいるのでしょうね……」
女の子は角をすっかり食べ終わると、いきなり桜カブトムシを放り投げた。
「わ、だめだよ!」
僕は手を出したが、間に合わず、桜カブトムシは僕の横を飛んでいった。
そして、空中で羽を広げた。
ブンブン飛んでいる。
ああそうか、夢だから飛べるんだ。
女の子は手を叩いて大喜びしている。桜の花が無くても、角が欠けていても、この子は桜カブトムシが大好きなんだ。
「るっぷ! 女の子は現実でも、さっきみたいに床へ投げちゃったのでしょうね!」
きっと今みたいに、周りで見守っていた家族の、一瞬の隙を狙ってぶん投げたんだろう。小さな子どもはよくやることだ。
「もう、いいや。帰ろう、シャーキス」
「ご主人様のお友達とは、お話しなくていいのですか?」
「知りたかった事情は、だいたい理解できたと思う。僕は満足だよ」
「るっぷりい、ぷう! そうなのですか。では、帰りましょう」
シャーキスは僕の右腕にちょんと触れた。
僕の体がフワリと空中へ浮き上がる。
シャーキスと一緒に窓を開けて、外へ出た。
夜の町が眼下に広がる。
すごい眺めだ。現実もこんなのだろうか。
僕が夢中で下を見ていたら、
「では失礼して、えいッ!」
シャーキスが僕の手を、パッと放した!
「え、わあッ!?」
真っ逆さま!
空の星明かりが消えた。
暗い空中をどこまでも落ちていく。怖いと思った次の瞬間、白く抜けた明るい空間が見えて、ベッドで眠っている僕がいた!
僕の周りが暖かくなった。
自分のベッドだ。僕は毛布とキルトの布団にくるまっている。
「おはようございます、ご主人様」
ピンクのテディベアが飛んでくる。僕のぬいぐるみ妖精シャーキス。
「おはようシャーキス」
僕は急いで起き出した。
朝ご飯までまだ少し時間がある。
僕は玩具作りの工房へ入り、作りかけの部品を入れている引き出しの中を探した。
「ご主人様は、何を探しているのですか?」
「桜の花の試作品と、螺鈿細工に使った残りの材料だよ、どこかこの辺りに……あった、これだ!」
僕は螺鈿細工で作った桜の花二輪と、僕の拳ほどある紅色の貝殻を見せた。
朝ご飯がすんだ後で、僕は親方から桜カブトムシを返してもらった。その寂しかった角の先に試作品の桜の花一輪を、少し手直ししてから取り付けた。
シャーキスが桜カブトムシをしげしげと眺めている。
「これですっかり元通りですね。もう一輪のお花はどうするのですか?」
「うん、こっちは別の玩具にするんだ」
もう一つの玩具は、1日かかって完成した。二つとも小さな物だが、持ち運びにも耐えるように頑丈な木箱に詰め、きれいな緑のリボンと可愛いピンクのリボンをかけた。
「るっぷりい、ご主人様、どうしてリボンをかけるのですか?」
「贈り物にするんだよ」
親方は常々「自分の作った玩具がどんなに良い出来でも、自分だけのコレクションにしてはいけないよ。手放せてこそ一人前の職人だ」と僕に言い聞かせている。
僕は、やっとその意味がわかった気がした。
次の日の午後、僕は親方に外出許可をもらい、あの子の家へ走った。
玄関でノッカーを鳴らし、出てきた白いエプロンの女の人に、あの子の学校の友達だと告げると、すぐにあの子を呼んできてくれた。
あの子は黙って僕の前に立った。
「こんにちは。引っ越しするんだろ」
僕の言葉に、「なんで知ってるんだよ」と怪訝そうな目を向けられた。
彼は学校で、誰にも引っ越すことを話していなかった。半年ほど前にこの町に来た無口な彼には、放課後、一緒に遊びにいくような仲の良い友達はいなかった。
それを僕が知ったのは、学校で彼のことを聞き回っていたときだ。
「お別れの贈り物を持ってきた。はい、これが君の。こっちのピンクのリボンは妹さんに渡してくれ」
僕の差し出したリボンをかけた二つの箱を見て、彼は目を丸くした。
「いや、そんなの、もらえないよ。だって、ぼくは君の……」
彼が「桜カブトムシ」と言う前に、僕は二つの箱を彼に押しつけた。
「じゃ、元気で!」
くるりと帰ろうと背中を向けたとき、
「ごめんなさい……」
小さな声が聞こえた。
僕は振り返らずに軽くうなずき、走り出した。
その日の夜は、シャーキスが夢を渡り、あの子達の様子を見にいった。
「あの子は桜カブトムシを机の上に飾っていました。女の子と一緒に遊ぶときも、壊されないようにとても注意しているようですね」
寝言で『気をつけて!』とか『触らないで!』とか言ってたそうだ。
「それに女の子は、自分だけのステキな夢を見ていました」
小さな女の子へのプレゼントは、『スノードーム』だ。ガラス玉へ、螺鈿細工の桜の花と、貝殻を削って作った小さなカブトムシを水と一緒に閉じ込めた。
「桜の花と小さなカブトムシは気に入ってくれたかな?」
スノードームの中なら食べられないし、スノードームをひっくり返せば雪とも花吹雪ともつかぬきらめきが降り注ぎ、紅い背中のカブトムシが、ふんわりゆらゆら、泳ぎ飛ぶ。
七色に光る水の宇宙。
ガラス玉には魔法を込めた。魔法玩具に仕立ててあるから、床に落としたくらいで割れたりしない。
「はい、夢の中のベッドの上で、スノードームを転がして、とても楽しそうでした」
「良かった」
「はい、良かったです、るっぷりいッ!」
シャーキスは天井近くをブンブン飛び回った。
それから僕は、からくり仕掛けの桜カブトムシをもう一つ作った。
自分のためじゃない。自分の玩具作りの技術を確認するためだ。
二つ目の桜カブトムシは申し分の無いできあがりだった。角の先に付けた桜の花も、思い通りの繊細な仕上がりにできた。
僕はそれを、親方の玩具の店へ預けた。
親方の魔法玩具工房は、この州では唯一の玩具専門店だ。
僕の作った桜カブトムシは、それから数ヶ月の間、店の隅っこに展示されていた。
それが売れたのは、僕が親方に預けたことも忘れかけていたある日だった。
僕が学校に行っている間に、若い夫婦が来て買っていったそうだ。女性が桜カブトムシをとても気に入っていたという。
旅行者の夫婦は、もうこの町には居ない。
それが、初めて僕のオリジナル作品が売れた日となった。
〈了〉





