71.プロポーズは突然に。
ハルはアスターにエスコートされてダンスフロアに戻った。
お互いが礼をすると、曲が始まる…。
二人は見詰めあって、たくさんのパートナー達が円を描くように踊る波の中に消えて行った。
シルヴァスのような派手さの無いアスターのリードは、うまいが人並みである。
けれど、安定したステップと力強い腕に支えられると、不思議なくらいに安心感が得られるのだ。
ハルは優雅にアスターの腕の中で踊らされて、離れては引かれ、また彼の胸に戻される。
この瞬間、時間が止まったように思えた。
このままずっと、二人だけの世界に居続けるのではないか…と。
そう言う錯覚を図々しくしてしまう自分に、ハルは狼狽える。
そんなハルの気など知らずに、アスターはダンスのさなか、彼女の耳元で囁いた。
「先程も言ったが今日は一段と…凄く綺麗だ。元々、綺麗な少女だと思っていたが、成長して一層、美しい女性になっていくな。これ以上美しくなって、他の男の元に行くのかもしれないと思うと、私は胸が苦しい…。」
朴念仁のアスターならば、こんなセリフも恐らく、口説くつもりで言っているわけではないのだろう…。
彼は純粋に思ったままを言っているだけだ。
だから、余計に普通なら気障すぎると取られてしまうようなセリフでも、ハルを赤面させてしまう。
アスター様ってば、真顔で破壊力のある言葉を…!
一体、どこの王子様なの⁈
と、ハルは心中、穏やかではない。
実際、アスターは王子様には見えない…。
あえて言うなら魔王の方がしっかりいく見た目なのだが…。
ハルにはそう映っていないようだ。
既にアスターを見る眼が他人が彼を見る眼と違がって見えてしまうこと自体、彼女の心が誰にあるのか一目瞭然だと言えるのに…当の本人は未だ、それに気がつかないらしい。
ただ赤くなるだけのハルは、恥ずかしくて言葉が見付からなかった。
ずっと、下を向いて踊っている彼女に、再びアスターが話しかける。
「緊張しているのか?大丈夫だ…今日の君は完璧だ。」
と、励まし始める。
「あ、ありがとうございます…完璧かどうかと言われたら、まだまだ私は未熟ですが、アスター様がいて下さるので、心強いです。」
いつまでも黙っているわけにはいかないと、ハルはアスターの言葉に挙動不審になりながらも、何とか返事をした。
常にハルの気持ちを狙っているフォルテナ伯爵=アスターは、たった一言の彼女の返答でも会話を終わりにさせないようにと、繋げにかかる。
「そうか…心強いと思ってくれるのなら、このままずっと、俺の傍にいてくれれば嬉しいのだが…。俺のこの胸の苦しみを取り除いてほしい。」
出た!ここで、まさかの『俺呼び!』
ハルはアスターが自分の事を『俺』と呼ぶ事に萌えながらも、返しづらい会話の内容をどう答えればいいのかと頭の中でグルグルと考えた。
「ええと、傍にいられればいいのですが…私も色々と一人で生きて行かねばならないので…。」
歯切れ悪く、ハルはとりあえず自分の中のテンプレな言葉を口に出しておこうと小さな声で呟いた。
「前から聞きたいと思っていたのだが、どうして一人で生きて行かねばならんのだ?それが本当に君の望みか?君が思っている以上に一人は心細いぞ。正直に言ってくれ…君の隣にいるのが、俺ではダメか?俺では男を感じないか?」
そう言って、アスターはハルの顔を両手で包んだ。
ダンス中にも関わらず、手を離した大胆な行動に、ハルは周りの目を気にして焦り出す。
しかし、アスターとハルは器用にも、足だけはダンスのステップを巧みに操り、周りからは浮かないようにと踊り続けている。
両手でハルの顔を固定したアスターは自分の顔を近付けた。
一瞬、アスター様に『キスされる!』とハルは不覚にも思ってしまった。
自分の顔をまじまじと覗き込むアスターの端正な顔が至近距離に見えて、ハルはいよいよ心臓の鼓動が異常な速さで打ち始めるのを感じ、赤信号が頭の中をかすめる。
「綺麗な眼だな…君の心を映し出したように澄んでいる。この美しい瞳が表すように君の心はいつも強く美しい…だから、俺は君がウソをつけないのだと知っている…。」
アスターが言葉を紡ぐ合間、ハルは息を呑んだ。
「つまり、俺の質問に答えられないということは、本当は俺でもダメではないということだな?」
そう言うと、アスターがフェイントでハルの瞼にキスを落した。
ハルは瞼のキスにも動揺したが、アスターの言葉にも大きく動揺したことで、彼の唇が離れた瞬間に目を見開いた。
アスターは、ハルの顔を押さえてた両手をサッと引っ込めて、普通のダンスの体勢に戻り、彼女の腰に手を回して、今度は自分の体を押し付ける。
色々と動揺したハルが、強引さを見せる伯爵の力技を実際に体験して、涙目で訴えるように相手の顔を見ようと顔をあげると、アスターは苦痛に歪んだ表情で自分を見下ろしていた。
「ア、アスター様…あの、どうして…。」
「しっ、ハル…君が何を思っているかは言ってくれなくてはわからないが、まず先に俺の言いたいことから言おう。男なら、大事なことは男らしく告げるべきだからな!」
「えっ?えっ?」
何の話をしているのか、さっぱりわからないし、度重なるアスターの男性を感じさせられる積極的な行動に、すっかり翻弄され、普段の落ち着きを見失っていたハルは、取り乱したようにお粗末な返答をし、頭の中では『?』マークを連発させていた。
その時、アスターが推し量っていたように、丁度、ダンスの曲が切り良く終わる…。
その切れ間を見計らったように、フォルテナ伯爵がいきなりその場で片膝をついた!
近くに踊っていたダンスフロアのペアの何人かはチラホラとその伯爵の姿に気付き、皆、興味深げにこちらに注目しているのがわかる…。
ハルの方は、注目されること自体に慣れていないので、彼らの興味本位の視線に気まずさを感じているが、アスターの方は、さすが伯爵家当主だけあって、注目される事に慣れているのか、そうした好奇の視線には動じていない。
「ハル…今日は言おうと決めていた。もう君無しの日々など考えられない。どうか、俺から君を取り上げないでくれ。君が俺の愛に応えてくれるなら、俺は何もいらない…君のためなら全てを捨てる。好きだ!結婚してほしい。」
膝をついたアスターがポケットから取り出した箱を開けて、ハルに向けて差し出した。
お決まりの大きなダイヤのついた貴族クラスのリングが、ハルに向けて眩い光を放っている。
公衆の面前のまさかのプロポーズに、ハルは令嬢らしからぬ口をあんぐり開けた状態になった。
「ハル…冥界には、特にこういった風習は無いが、人間界ではプロポーズの際に指輪を送ることが一般的だと聞いた。俺の愛の輝きは、永遠だと断言できる…受け取って欲しい!」
アスターは大きな体に見合う大きな声で宣言した。
そのせいで、すっかり周りに丸聞こえな状態になり、音楽を奏でる楽団もこの状況を気にして、次の曲を見合わせている…。
いくら何でも、これは断り辛い状況であることがわかるが、あまりの動揺で何と答えるのが最適なのか、わからない…。
だって、まだ全然、そう言う段階ではないと思っていたのだ。
本来ならば『もう少しだけ考えさせてほしい』と言えば良かったのだろうが、不意打ち過ぎて、フリーズ状態のハルは思考も停止しているらしく、その言葉すら出てこなかった。
口を開けた状態の冷や汗が出始めたハルの前で、アスターは、また皆の前で口を開いた。
「黙っていないで何とか言ってほしい!私は自分の気持ちを偽りなく君に伝えた。君の本心を知りたい!」
ハルはアスターの返事を迫る言葉に体をビクリと震わせた。
首を縦に振らざる得ないような、絶体絶命を思わせる状況に、ハルは反発して口を結ぶ。
それを感じ取ってか、少しだけ、瞳の奥に仄暗さを宿したアスターが、言葉を付け加えた。
「ちなみに言っておくが、もし君が今…断っても構わない。なぜなら、また君にプロポーズをするからだ…。何度でも…君が首を縦に振ってくれるまで…俺は君を諦めない。」
ちょっとストーカーじみてきたアスターの言葉に戦慄を覚えながら、それと同時にそこまで、思ってくれる彼の気持ちに喜びを感じている自分があった。
たくさんの人の前で、羞恥心に耐えながら、ハルは何とか一言でもしゃべろうと努力をする。
ずっとこのまま、ダンスを止めたままにしておくこともできないのだ。
そして、これ以上、注目されるのは辛い。
早く何か言って、通常通りの場の雰囲気に戻さなければ!
「あの、アスター様、私、実は…。」
ハルがアスターに向けて、何かしゃべりかけ始めた瞬間…遠くの方からシルヴァスの声が聞こえてきた。
「ちょっと、待った~!!」
かつて両親が健在で、地上で暮らしていた時に人間の友達と話題にしていた、くだらないヤラセテレビのお見合い番組みたいだ…。
ハルはそちらの方に視線をやって、目を見開いた。
走ってこちらにシルヴァスが向かってきているのだ。
それにしても彼は、陸上の選手か何かだろうか…何だか恐ろしく早い…。
あっという間に駆けつけてくるシルヴァスの姿を目にとめて、アスターはハルの指に問答無用で差し出していた指輪をはめてしまった!
『私、何も返事をしてないのに⁉』と心の中で焦るハル…。
そして、立ち上がったアスターがハルに向けて言う。
「指輪は、預かっておいてくれ…返事はアイツを何とかしてからもらう!」
「え⁈あ、はい…って、アイツっていうのは…シルヴァスさん…?」
何が何だかわからない状態で混乱するハルは、的確な言葉がまるで出てこない。
ただ自分の薬指に輝く指輪が、冥界とアスターと自分を結びつける枷のようにずっしりと重く感じた。
そうこうしている間に、目の前までやって来たシルヴァスがアスターに抗議を開始する。
「ちょっとアスター!僕が眼を離した隙に…いきなりハルにプロポーズだなんて…黙ってらんないな!ハル、指輪をちゃっかりハメられちゃっているけど…コイツと一緒になるって決めたの?もう地上での仕事は諦めるのかい?」
アスター同様、周りの目を気にしないのか、興奮して気が動転でもしているのか、シルヴァスの声も大きかった…。
ハルは『お願いだからもう少し小さくしゃべって!』と何度も言おうとするが、その度にアスターかシルヴァスの声にかき消されて、口だけがパクパクと魚が餌を求めるような状態になっている。
アスターはハルの代わりにシルヴァスに言い返した。
「現人神の仕事とお前は言うが、何事も時の流れで変わるのだ。学校を卒業したって、何もその後の生活を地上にこだわる必要はない。地上で仕事をしなくても学校で学んだ時間は無駄ではない。」
シルヴァスはアスターを睨みつけた。
「それでも僕はハルが冥界に残るのは反対だよ。冥界男は天使みたいな女性が好みだって聞くし…平気で好みが変わる図々しい男、僕は許せないね!それに何てったって、ハルのご両親の思い出は地上にあるんだろう?娘が冥界神になるなんて、両親は考えてなかったんじゃない?」
『ぐっ』とアスターは、シルヴァスの言葉に打撃を喰らったような声を出した。
しかし、すぐに切り返す。
「お前は単に自分がハルを取られたくないから、そんなことを言っているだけだろう?恋は好みでするもんじゃない!ある日、突然に落ちるものだ!好きな気持ちに理由なんてあるか!」
今度はシルヴァスが『ぐっ!』という声を上げた。
それを受けて、アスターが更なる一撃を喰らわせるように、言葉を連ねた。
「ハルの両親だって、地上にいるために必要だから学校に通わせようとしただけで、二つの選択肢を提示して、将来はハル自身に選ばせるつもりだったんじゃないか?それが証拠に彼女の母上は冥界の知識を彼女に自然に植え付けいたじゃないか!」
二人が大声で言い合う物だから、ダンスは未だ脱線しており、ハルとアスターとシルヴァスの三人はダンスフロアで注目の的である…。
さすがに真っ赤だった顔もこれ以上、赤くなれないと今度は、ハルの顔色が青くなり始めた。
このままではマズイと、ハルは全身全霊で二人の言い合いを止めようと口を開いた。
「もう、やめて下さい…二人とも!!皆さんの迷惑です!!ダンスフロアで曲が始められない状況になっていますよ。せめて、端に行きましょう!」
アスターとシルヴァスは揃ってハルに振り向いた。
「ああ、ハル…申し訳ない…一生の思い出に残るようなスムーズなプロポーズを考えていたのに…シルヴァスの奴が邪魔をして…良ければ向こうでもう一度やり直してもいいか?」
(アスターの声)
「ああ、ハル…可哀想に、僕が眼を離した隙に…こんな大人数の前で朴念仁が、恥ずかしがり屋の君の気持ちも考えないでプロポーズなんてするなんて!こんなに注目を浴びて…嫌だっただろう?」
(シルヴァスの声)
二人は息の合った双子のように、いっぺんにまくしたて始めた。
そして、端に行こうとハルが勧めたにも関わらず、お互いの言葉に腹を立てる。
「何だと⁈シルヴァス、お前にそんな事を言われる筋合いは無い!ヒトの邪魔ばかりしている分際でこれ以上、邪魔をするとこちらも容赦しないぞ!」
(アスター)
「何だって⁉僕が邪魔したって?フン、僕が邪魔なんてしなくたって、ハルに返事を貰えてなかったクセに…むしろ僕のお陰で、すぐに振られなくて済んだんじゃないの?感謝してほしいね。」
(シルヴァス)
そういうと、売り言葉に買い言葉で…再び『何だとぉ~~!!』と二人そろって激しくお互いに怒りをぶつけだし、とうとうハルが『あちらに行こう!』という言葉を無視して、二人はダンスフロアで取っ組み合いになった!
これに驚いたハルは一歩下がると、止めようとした冥界貴族数名がアスターとシルヴァスに跳ね飛ばされて、危うくぶつかりそうになる。
「きゃ!」
と、ハルが小さな声を上げた瞬間、取っ組み合っていた二人は動きを止め、同時にハルに手を伸ばす…。
そして…。
「ゴツン!!」
という音と共に、親友同士は衝突…。
ハルの方は咄嗟に出てきた手に体を引かれて、跳ね飛ばされた男性との接触を免れていた。
彼女が咄嗟に自分を守ってくれた手の方向を見ると、それはいつの間にか現れたラナンクル侯爵で、ハルはすっかり涙目になって祖父の顔を見詰めた。
すると侯爵が優しい笑顔を孫娘に向けて言う。
「ね?ハル…頼れる身内がいるっていいだろ?お爺様はハルにとって一番頼れる味方だよ?アスター君もシルヴァス君も選ばないで、僕の傍にいれば、一番安心だと思わないかい?」
「お、お爺様…。」
次の瞬間、ハルは祖父の腕の中で、力が抜けたように安堵の息を漏らした。
祖父は続けて、お茶目な表情を孫娘に向けて口を開いた。
「地上に行ってしまったら、ラズベルと同じで守ってあげられない…。ハル、学校を卒業したら、ずっとお爺様の元にいるっていう選択肢があるのを忘れないでね?」
最後には、侯爵はウィンクをした。
まさかのダークホースとなった侯爵の言葉に、取っ組み合いを止めたアスターとシルヴァスが再び大声をあげる!
「何イィィィッ⁈侯爵!それはないだろぉ!!」
(アスター&シルヴァス)
侯爵の登場で、騒ぎが大きくならないうちに収まり、冷静になったアスターとシルヴァスは自分達の争いを止めようとした冥界貴族に謝罪をして回っている。
それを見ながら、侯爵はハルに『おいで。』と手を出してエスコートし、その場を離れた。
その二人の姿にアスターとシルヴァスは気付かず、周りに謝罪を続けていた。
程なくして、楽団が演奏を再開して、優雅なダンスが再開された…。
結局、指輪を渡したきり、ハルからの返事をもらえないでいるアスターが振り返った所で、ハルと侯爵の姿がない事に気付く。
シルヴァスも同じく目を丸くしていた。
二人は顔を見合わせた…。
しかし次の瞬間、ダンスフロアを離れて二人は『プッ』と吹き出し、大笑いを始めた。
「アハハハ…バカみたいだな?僕!」
シルヴァスが自虐的に笑い、アスターも大笑いをしながら、頷いている。
「全くだ…ハハハハハ!!全く…何なんだ?あのジジイは⁈結局、侯爵にしてやられた気がするな!」
笑いながら、二人は結局、侯爵が一番、黒いと意気投合して、いつのまにかわだかまりが溶けたように、親友の絆を取り戻したようだった。
しかしながら、ハルを巡ってのライバル関係は変わらない…。
「さて、狸爺に連れさられたハルに再びプロポーズの続きをしてくるぞ!」
アスターが、決意新たにハルの姿を探し始めると、シルヴァスもそれに続いた。
「じゃあ、僕も最後まで邪魔をしてやる!仮に勝負がついていたっていいんだ…そう易々と引き下がりたくない。」
二人は会場を笑いながら、走り出した!




