68.初めての冥王城
ついに、この日がやって来た。
ウキウキしているのは美しく着飾ったご令嬢…
『ラナンクル侯爵家のハルリンド』
…ではなくて、その隣にいるラナンクル侯爵=デュラント・シルバ・ラナンクルである。
「どうだい、ハル。緊張しているだろう?何かあったら、すぐ僕に言うんだよ。まあ、僕の完璧な孫娘にどうこう言ってくる奴なんて、そういないと思うけど…たまにバカがいるからなぁ。」
侯爵の言葉に、ハルはクスクスと笑ってしまう。
「お爺様ってば…そこまで過保護にしてもらわなくても大丈夫です。でも冥王様のお城は、やっぱり大きいですね。すごく荘厳な感じがします。建物の様式は、これと言った時代や宗教に影響を受けたりはしていないのでしょう?」
ハルの質問に侯爵が答える。
「そうだな…冥界の全ゾーン別のエリアを全て総合的に管理するのが冥王様だからね。特定の影響を受けていないというよりは、逆にあらゆる影響を受けていると言った方がいいかな?」
「あらゆる影響を?」
「冥王とその側近達は、多様な宗教の管理をしているし、その要素は城や冥王様自体にも少しづつ体現しているんだ。だから和洋折衷で、八百万の大和皇国の神道なんかに通ずるものがあるかもしれない。」
「なるほど…。それから、お爺様、現在の冥王様って女性なのでしょう?」
「そうだよ。随分と長い時を治めているが、歴代の王の中でも優秀な現王様は女王だ。城はどちらかと言うと洋風な作りになっているが、冥王様自体は仙女のような出で立ちをされたお着物を召していてミステリアスで素敵な美女だよ。」
冥王城の扉を入ってから、歩きながら侯爵に色々と聞いていたハルだったが、侯爵が冥王について『でも優しい方だから緊張しないでも大丈夫!』と言ったのを聞くと、首を横に振ってしまった。
「お爺様ったら、そんな事をおっしゃっても、緊張しないなんてありえない…。だって、冥王様に初めて会うのよ?どうしたって緊張してしまうわよ…だから、絶対隣にいて下さいね!」
「勿論だよ。今日ハルを冥王様に紹介するのが、どれだけ楽しみだったかわかるかい?僕に孫が出来たことを久しぶりに会う貴族社会の知人達に自慢できることが夢みたいだ。」
「うふふ…お爺様たら。」
「僕はずっと…傍に君がいてくれたら、どんなにいいかと思うよ。本当はね…。」
ハルは侯爵の喜びように、一緒に来て良かったと思ったが、すぐ次に放たれた言葉を聞いて、押し黙ってしまった…。
『ずっと傍に』…祖父にそう言われても、人間界寄りの決意をしているハルには、今後、どの程度冥界に関わるかどうかを何も踏み切れていない…わからない状況なのだ。
ここで、不用意に口を開き軽く同意するのは、『約束できない身』としては、あまりに軽薄である。
ハルは不用意なことには口を噤み、祖父と軽いおしゃべりを続けて、会場である城の大広間へと移動して行った。
広間へ続く冥王城の階段は広く、クリスタルで出来ている。
何とも幻想的な世界だった。
クリスタルの階段の上に引かれた絨毯はペルシャ絨毯のようで、シンデレラ城や雪の女王の城を合わせたような造りの城と相反するのに、妙にしっくりいくという上級のセンスが感じられる。
照明も大きなシャンデリアがあるかと思うと、東洋風な照明が配置されてたりと。チグハグな世界を統制する…という冥王らしい城だった。
中にいる騎士や招待客も出身エリアや担当場所により、洋風であったり様々な民族衣装だったりと、まるで世界各地の人間が招待されたような華やか且つ千差万別な服装や容姿で彩られている。
階段を登り切った所で、案内係がやってきて会場まで誘導されると、広間はヨーロピアン風な作りで構成されつつも冥王が控えるであろう王座の位置は、天子の席のようだ。
仙女風の姿をされているという女王に似合ったティストで作り上げられているに違いない。
「お爺様、随分皆様、色々な姿をされているのですね。」
一歩、二歩と会場へ足を進めながら、ハルは侯爵の腕にピッタリと寄り添い、少し怖気づいたように、小声で耳打ちした。
「まあね、普段自分の領地や同じエリアに暮らしていると同じ冥界人だというのに、違う世界から来たように見えるな。こうして冥王の所に収集される事で、我々も同じ冥界の様々な面を知る事が出来る。」
祖父の言葉に、ハルの頭には以前アスターとした冥界デートが思い浮かぶ。
そして、アスターの言った言葉が繰り返されるように鮮明に自分の中で再生された。
『冥界は人間一人一人が描いた、おとぎ話で出来た世界だ…。』
(本当にアスター様が言う通りだわ。)
『私と伴にこの世界を…たくさんの魂の物語を完成させていかないか?』
(でも、その誘い文句は反則です…。)
心の中でハルは、アスターに問いかける。
アスター様、あなたは、本心からそう思ってくれているのでしょうか?
私は信じていいのでしょうか?
ハルは一人、物思いに耽っていた為、大広間に入るや否や会場係の大きな声でラナンクル侯爵と共に紹介されるまで、ボーッとしてしまっていた…。
自分達を紹介する声に体をビクつかせ、我に返ったハルは一瞬、焦りを見せて祖父の顔を見た。
隣の祖父は、さすが侯爵…余裕の貫録でハルにニコリと微笑み、『大丈夫だよ、落ち着いて。』とでも言うように、エスコートの腕にやや力を入れて、ハルを更に自分の体に近寄らせる。
そして、周りには聞こえないように、『君が一番、輝いているよ。』と彼女に告げた。
途端に相手は、自分の祖父だというのにも関わらず、気恥ずかしくなる…。
ハルは、薄っすらと頬をピンクにして、侯爵に対して小さく笑んだ。
その初々しい姿が会場にいる王侯貴族の男性陣からは、実に可愛らしく映ったようで、特に独り身の青年達は彼女の姿に釘付けになっている。
ハルは事なきを得て、会場入りをし、祖父と共に全ての出席者が会場に入って来るのを待った。
ハルとラナンクル侯爵が数組の紹介を聞いていると、アスターやシルヴァスも続々と会場に入ってきたのがわかった。
アスターとシルヴァスの方は、こちらがどこにいるのか気付かない為、会場入りしてすぐの場所で、後に続く出席者の紹介を聞いているようだった。
アスターは自分と同じく体の大きな騎士隊長と立ち話をしながら、その場にいたが、シルヴァスの方は上司であろう現人神と二人でやって来ていた。
アスターは冥界貴族として、冥王の招待でやって来ていただけだが、シルヴァスの方は現人神のセンター長が仕事がらみの関りで冥王に個人的に招待を受けていたようで、その付き添いとして仕事を兼任しての出席だった。
ただ、その上司の付き添いが、なぜ孤児専門の部門に在籍しているシルヴァスなのかという事においては、どうやら裏でアスターが彼を指名するように糸を引いていたのである。
今日、ハルにプロポーズをすると言っていたアスターが、ライバルでもあるシルヴァスの前で堂々とそれを行おうという意図が見て取れるというものだ…。
一方、当のハルはそんなことなど知らずに、初めての冥界の最高峰である重鎮たちの面々を前にして、好奇心に瞳を輝かせていた。
最後に冥王が会場に入ると、今宵の舞踏会についての挨拶をして、催しが開始される。
ハルは遠目で初めて拝む冥王の姿に溜息を漏らした。
何て、凛として美しくて、それでいて妖艶なのに、厳しさの潜む澄んだ瞳の女性なのだろう!
ピンとした背筋、着物の襟から覗く色っぽいうなじ。
切れ長な冥王の証である黄金の瞳。
漆黒の髪には夜露のように光が所々、輝いており、長い髪は立派な簪が刺され、高く結いあげられている。
唇は薄く形が良いが、時折、冥界を統べる『王』らしい冷たさを連想させる笑みを浮かべている。
その色は真っ赤な紅で縁取られ、まるで鮮血のように赤かった。
白く長く細い指で命じられれば、誰も彼女に逆らう事など出来ないであろうと、ハルは本能的に感じ取った…。まさに、彼女こそが『冥王』なのだと…。
ラナンクル侯爵より、ずっと長い間、冥界を治め、歳もかなり召しておられるとは聞いていたが、見た目の年齢は全くわからない…それ程に王は、強大な神力の持ち主なのだろう。
「冥王様…やはり、素敵な方…お爺様、どうしましょう。私、ちゃんとご挨拶できるかしら。」
ハルは今更ながら、心配になる。
あんな素敵な方を前に、粗相などしたらどうしよう…と。
そんな孫娘を見て、侯爵はクスリと笑って、背中に手をかけた。
「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ…僕が…お爺様が、君の傍についているだろう?何かあれば、僕が代わりに答えるし、冥王様は若い娘に意地悪なんてしないよ。」
祖父の優しく頼もしい言葉に、ハルは少しだけ緊張がほぐれるのを感じる…。
彼女は、自分より年上の身内が側にいてくれるという事が、いかに頼りになるのかという事実を、両親の死以来、久しぶりに実感していた。
ハルが緊張する気持ちを少しづつ押さえつけるのに成功した所で、次々と別室に移った冥王に呼ばれ、要人達が謁見を終えて、会場に戻って来始める。
程なく会場の係の者に声を掛けられ、次がハルと侯爵が王の謁見を受ける順番になった事を告げられた。
それからすぐに冥王に呼ばれ、ハルと侯爵が部屋に通される。
冥王は、申し込まれていた全ての謁見を終えてから、再び会場に戻ってきて催しに参加する事になっているのだ。
「二人とも、顔を上げよ。さて、ラナンクル侯爵は、久しいな…随分と長い事、引きこもっておったから心配していたぞ?」
冥王は侯爵とハルに楽にするようにと告げた後、まず祖父に声を掛ける。
「ご心配おかけしまして申し訳ございません。一時はこのデュラント、爵位を冥王様に返上して、引退を考えておりましたが…今はこうして思いがけず孫娘に出会い、まだまだ現役で頑張ろうと奮起して参りました。」
侯爵は冥王にそう告げると、ハルを紹介した。
「どうぞ、私の孫娘をお見知りおき下さいませ。我が娘、ラズベル・ケルドウィン・ラナンクルの忘れ形見、ハルリンドです。ハル、冥王様にご挨拶なさい。」
侯爵の合図に、ハルはサッとドレスの裾を持ち、淑女の礼をとる。
「冥王様、初めてお目にかかります。私ごときが、このような場違いな所にいることを、どうぞ、お許し下さい。」
ハルが謙虚にそう言うと、冥王は娘を持つ母親のような慈愛に満ちた笑みを見せてくれた。
「そのように畏まらなくとも良い。ハルリンド、お前は現人神の片親を持っているようだが、どうやら冥界の色が強く出ているように見受けられるね。冥王としては、是非、お前にデュラントの仕事を引き継いでほしい。」
ハルは恐縮しながらも、その事については、あいまいにぼかした方が良いと考え、冥王には自分がまだはっきりと冥界に残るかわからないようなニュアンスのしゃべりをするにとどめておく。
「はい、その事については冥王様のお言葉を胸に、よく考えてみようと思います…。いい加減な考えでは、いけないので。」
「ふふ、侯爵、ハルリンドは実にしっかりしておるな。のう、ハルリンドや、私も娘を持っていてね…お前くらいの年の子がいると、中々大変なのを知っているよ?」
ハルは冥王の意味深な言葉に首を小さく傾げた。
すると冥王は、さも、おかしそうに言葉を続けた。
「どうやら、ラナンクル侯爵家の孫娘は、既に冥界貴族の男どもに眼を付けられてしまっているようだしね…。特にあの、朴念仁のアステリオスが首ったけなのには驚いたよ。」
アスター様⁈
冥王の会話でアスターの名が出たことにハルは驚いた…。
一体なぜ、冥王様がアスター様の事を…もしや自分の事をアスター様は、冥王様に何か言っていらっしゃるのかしら?
ハルは気が気でなくなった。
それが顔に現れたのかもしれない…。
冥王が、少し困ったような顔をして笑った。
「そんな顔をするな。アステリオスがお前に熱を上げるのは嬉しい事だ。あれが今まで、色恋事に興味が無さすぎたので私は微笑ましく思っているよ…こう言っては何だが、ハルリンド。アステリオスは良い物件だぞ?」
冥王にまで、そんな事を言われて、ハルの顔は真っ赤になった。
それを見て冥王は、クスクスと扇に口元を隠しながら笑んでいる。
そしてすぐに、侯爵の方に向きなおり、今度は痛ましそうな表情を浮かべて口を開いた。
「それはそうと、侯爵、ハルリンド…その節はトゥオネル子爵の長男の事件、大変だったな。私も深く遺憾に思っている。ラズベルの事も人間界のマッド・チルドレンの問題と合わせて、本当に恐ろしいことだ。」
「冥王様…ラズベルのことは、私に責任があります。妻を失ってから…自分を見失ってしまっていました。しかし、孫娘に会い、目が覚めたのです。私の目の黒いうちは、二度とこのような事件を繰り返させぬように致しましょう。」
「うむ、今後は地上とも情報を共有し、今回のような裏切り者や事件を出さないように私も尽力することを約束しよう。そのためにも、お前達、貴族の協力は不可欠だ。宜しく頼むぞ。」
「はい、勿論でございます。」
「まあ、お前の目が覚めたというのなら…しばらく、冥界の風紀も安泰だな。ラナンクル侯爵の完全復帰か…喜ばしい。」
侯爵は冥王の言葉に、深く首を垂れた。
その後、冥王はトゥオネル子爵家の長男であるタナティスについて、今後の裁きの内容を教えてくれた。
冥界の信頼を著しく損なわせた上に、裏切ったという罪は非常に重いが、親であるトゥオネル子爵夫妻の事を考慮し、その身の完全消滅を免れたタナティスは、今までの重要な記憶を奪われる『忘却の刑』を受ける事になったのだという。
勿論、ラズベルの事もハルの事も、彼の記憶からは削除されるのだ…。
これで恋に狂うタナティスの記憶は永遠に封じられるだろう。
これだけの事件を引き起こしたことで、タナティスの貴族としての未来はもうなくなったも同じだった。
トゥオネル子爵も社交界には、もう出られない…。
しかし、トゥオネル子爵家をタナティスの代で終わらせることはしたくなかったのだろう子爵夫妻は幸いにも引き取って育てていた養い子のベルセとタナティスを結婚させる予定なのだという。
タナティス同様、ベルセも犯罪を犯した兄のいるトゥオネル子爵家の者ということで、今更、社交界に出ても求婚者など現れないだろうと見込まれている。
かと言って、庶民暮らしを良しとしないベルセなら、貴族の暮らしを捨てるより、社交界から爪弾きにされようとも、子爵家との婚姻をとることにしたのだろう。
全てを忘れてしまったタナティスは廃人同様らしいが、それはかえって、家族やベルセには都合がいいのかもしれない。
ベルセは何代か代を置けば、自分の孫辺りには、社交界に復帰できるかもしれないという希望を持ちながら生活しているようだ…。
弱り切ってしまった子爵家には、ベルセのようにギラギラした野心の強い嫁が、丁度良いだろうと冥王は意地悪く片方の唇を上げた。
ハルは、その事については、ドキドキと心臓を鳴らしながらも、心して聞いていた。
形はどうであれ、タナティスのしてしまったことは、本人の人生も含め、大きな過ちの数々だったけど、母と自分に対するどうにもならない持てあました恋愛心を抱いた結果であることも事実なのである…。
誰かを想う気持ちは誰にも止められない。
その事に関しては非常に複雑だったが、その罪を償うのに、どうこうしろというような気持には、到底なれなかった。
事件は結局、誰にとっても悲劇しか生まず、タナティス本人もその家族も大きな痛手を被っているのだ。
ハルは視線を下に落として、冥王の説明を黙って聞いていた。
そうこうしているうちに、説明を終えた冥王が、今度はハルリンドに視線を向ける。
「ハルリンド、お前は大変魅力のある娘だ…このような事件がまた起きないように、お前を守ってくれる良い夫を迎えると良いと思うぞ?話を先程に戻すが、アステリオスなどは、お勧めじゃぞ?フフ。」
冥王は、そう言ってハルに会場の方を指し示して見せた。
ハルがそちらの方向に、目をやるのをためらっていると、冥王がまたアスターについて話してから、舞踏会の方へ誘うようにハルを目線で送り出した。
「あれは丁度、私の娘と歳の頃が近くてね…幼少時は何人かの貴族の子女と共に我が子の遊び相手に城に来させていたから…よく知っておるのだ。まあ、選ぶのはお前だ。これ以上は何も言わん…長くなってしまって悪かったね。舞踏会に戻るがいい…楽しんでおいで!」
ハルは冥王の言葉に頷いてから、差し障りのない返事をした。
「ハイ、ありがとうございます。冥王様…。」
心の中でハルは、『アスター様は冥王様のお子様と幼馴染だったという事よね…』と思いながら、ラナンクル侯爵と共に謁見の間を後にした。
それにしても、なぜ冥王様は、ああも自分に対して、アスター様の事を勧めてくるのだろう?
それは勿論、事前にアスターと侯爵からハルの前では、フォルテナ伯爵を絶賛してほしいと、裏で頼まれていたからなのだが…。
旧知のラナンクル侯爵と子供の頃から見知るフォルテナ伯爵から二重に頼まれては、冥王も苦笑しながらもハルにアスターが『冥王からのお墨付き』という情報を示さねばならない。
とはいえ、伯爵は優良な貴族だし、ラナンクル侯爵家にハルが入り、跡取りができるのは冥王からしても喜ばしい事であり、出来れば二人の縁組がスムーズに行ってほしいと思っているのも事実だった。
冥王は、不思議そうな顔をして、自分の前から立ち去る娘の姿を目で追いながら、クスリと再び口元に笑みを浮かべた。
「まあ、もうハルリンドは冥界に残ってくれるだろう…。あのデュラントとアステリオスの入れ込みようだ…他の貴族青年諸君には、残念だがね。」
冥王がそんな独り言を口にしているのも気付かず、ハルは頭に『?』マークを浮かべながら、会場に戻るのだった。




