67.ハル疲弊する…なぜ連日⁈
シルヴァスに言われたことが頭から離れずに、ハルは毎日、気持ちを重くして過ごしていた。
所詮、自分なんて魅力が無いんだから、シルヴァスさんの言う事は間違っていないように思える…。
そう思っただけで、ハルはアスターに対して、微笑みかけるのすらも、辛いと感じていた。
しかし、重くなった気持ちのせいで、シルヴァスにあった時も同じように、以前のように明るくは振舞えないでいる。
結局は、この数日間、ハルは冴えない表情をしつつも、わざわざ訪問してくれるので仕方なくアスターにもシルヴァスにも面会をしていたが、相手に失礼だと思われても仕方がないほど、儀礼的な受け答えしかしないように試みていた。
それなのに…。
アスターの想いだってちゃんと断った筈だというのに、今までに増して、連日、ハルは猛烈なアピールを受けているのだ…。
「アスター様は一体何を考えているのかしら⁉」
思わずそう口から出てしまいそうである。
彼は全くめげた様子も無くハルの元に現れる。
そのアプローチは、炎のように激しくストレートで、ハルを動揺させるものであり、彼女は度々ラナンクル侯爵家の使用人や侯爵自体に助けを求めようと、視線をそちらに向けるのだが、どういうわけか、ハルが助けを求める手前に皆、何か用を思い出したり、急に事件が起こって、その場を離れて行ってしまう。
その後、なぜか二人きりになっている状況に陥り、砂糖菓子をこれでもかと食べた後に、吐きそうになるくらいの感覚と大差ない状態に陥らせてくれるような甘い囁きが、毎日ハルの耳元で続けられるのだ。
ハルが生まれ育った地上の国である大和皇国では、さほど男性が積極的な風潮もなく、恥ずかしがり屋の男性が多い為、せいぜい『好きです』という思いを告げるのがやっとで、そんな風に女性をハードに口説き落とそうとしたり、甘い言葉を吐いたりという事は、ほとんど無かった。
なので、男性のアピールは、女性側も必然的に『そんなもの』だと思っていた節があり、アスターをのように猛烈な口説き文句を並べられると、ハルは動揺するばかりなのである。
正直言って、精神的にダメージを受けている…。
しかも、地上の大和皇国を主に活動地点にしているシルヴァスでさえも、それに負けず劣らず訪問してくれるのだから、困ったものだ。
とはいえ、こちらはどういうわけか急に使用人が現れたり、客が現れたりして、中々、二人きりで出会う事は無かったので、それが救いではあった。
しかし、シルヴァスの方では、それを不服に顔を歪めて、ハルに向かって叫んだ。
「アスターを含めて冥界の者達の嫌がらせだよ!僕は冥界人ではないからね…。君を地上に返したくないんだ。イヤらしいやり方だよ…汚い奴ら!!」
シルヴァスの言葉には、確かに『最もだ』と思うこともあるのだが、その反面、彼が優しかった顔を歪めてまで悪態をつく姿に、ハルは心が重くなるのを感じていた。
そんな風に男性二人に挟まれて、すっかり疲弊するハルを見て、ラナンクル侯爵はマイペースにも声を掛ける。
「おやおや、僕のハルはどうも、モテすぎるらしいな。」
祖父である侯爵の茶目っ気たっぷりの口ぶりに、彼女の方は渋い顔をして言い返した。
「モテているかはわかりませんが…困っています。私はお二人とも、大事に思っているけれど、そういう関係になろうとは、考えていないんですから。」
肩をすくめた侯爵が苦笑いをして言った。
「おや、可哀想に…どちらも君に本気のように見えるけどね。ハルは二人のどこが駄目なんだい?」
「お二人とも素敵な方です!でも選べません。」
「もっと好きな男がいるの?それとも恋愛対象じゃないだけ?だとしたら、どういう部分が駄目で、選べないのか考えたことある?」
ハルに他に好きな男がいるわけない事を知っているクセに、見た目だけ若い侯爵は、軽い口ぶりで、孫娘の顔色を窺う。
ハルは一瞬、動きを止めて、数秒後、頭を傾げて見せた。
「それは…勿論、迫られればドキドキしてしまいます。でも…。」
「でも?」
侯爵がややハルの方に身を乗り出して、聞き耳を立てる。
「私は欲張りなんです…。」
「ん?」
「前にも言ったように…自分の事を一番に思ってくれていないと嫌なんです。」
「まあ、恋愛感情を抱いた相手になら、そう思うことは当然なんじゃないかな?」
「そうなんですか?」
恐る恐るという感じに、自信なさげなハルが祖父の顔を見上げた。
祖父は感じの良い笑顔を浮かべて、ハルを見詰めている。
孫娘には、是非アスターを選択させて冥界に残ってもらいたい…その為に侯爵も少しづつフォルテナ伯爵に彼女の心が向くように仕向けて行かねばならない…。
そう言う気持ちを腹に、ラナンクル侯爵が続けて口を開いた。
「そうに決まってるよぉ。そんな感情、僕なんか妻に対して、いつも持っていたさ!けどね、ちゃんとその事をディアナに話していたよ?ハルはそんな自分の気持ちを、正直に相手に伝えたかい?」
「い、いえ…だって、そんな事したら、応えなければならないような気がして。」
「へえ、じゃあ、君はその相手を自分が好きだということは認めてるんだ…?応える事の何が怖いの?」
ハルは俯いて、唇を噛んだ。
少ししてから、口を開くまで、侯爵はそのままハルの答えをじっと待っている。
「その、その人の本心が信じきれないというか…もしかして自分に付属する何かが欲しくて、私はそれを得るためのオマケなんじゃないかとか…そんな風に考えてしまうんです。」
ハルの言葉を聞いて、侯爵は悲し気な表情を浮かべた。
「ハル…何てこと言うんだい。そんな事は誰もわからないよ…相手の頭の中身なんてさ。けどね、その相手をよく観察してごらん?その相手はハルのことをどんな風に見て、どんな風に扱っている?よく見てると、相手が自分をどう思っているかわかってこない?」
ハルは考えた。
そして、祖父の言葉に答えた。
「まるで、本当に愛されているのように思えてしまいます…。情熱的な瞳で私を見て…色々良くして下さいます。」
「そう、それなら、時にはそういう感覚を信じてもいいんじゃないかな。ちなみに、それは最近?それとも結構前から?いつからだったの?」
ハルはまた考える。
告白をされてから、特にそうだったが、タナティスの事件があった直後も自分に対して、もしかしたら好きな女性にするようなスゴイ事を、アスターからされてしまったようにも思える。
良くしてくれていたのは…ずっとだから、いつからとは言えない。
あえて言うならば、最初に出会ってからずうっとだ…。
そう考えると、ハルがラナンクル侯爵の孫だったとわかる前から、アスターもシルヴァスも自分に大変良くしてくれているのだ。
それは財産目当てや何か裏があっての事などではある筈がない。
最初に出会ってから、ついこの前までハルは孤児だったのだから…。
ただ、侯爵の孫だとわかってから、アスター様が自分に告白してきたことは事実だと思う。
とはいえ、彼の雰囲気が変わったのは…もっと前…確か、ベルセのお茶会辺りから、少しおかしくなったような気もするのだ。
何だか執拗に壁ドンされたり、妙に自分を女性扱いするように接してくるようになったようにも思える。
自意識過剰かもしれないのだが…。
ハルは首を垂れる。
なぜ自分は、疑いを抱いている気持ちや、自分に自信のない気持ちをアスター様に伝えるのが恐いんだろう?
シルヴァスの言葉で、洗脳されたように自分は、アスターに裏切られることが怖いのだ…。
ハルは何よりも自分を信じられないのである。
ラナンクル侯爵は、わかったとでも言わんばかりに彼女に言った。
「つまり君は自信が無いんだな。僕のせいで、冥界で一人ぼっちだった頃の記憶が君の幸せの邪魔をしているのかもしれない…。君は本来、もっと自分に自信を持ってもいい筈なんだ。」
「自信?自信ですか…。」
その通りだった。
それから、侯爵は更に言葉を続けた。
「だが、今までの会話からして、君は誰か一人の事を思い浮かべて話しているようだった。それはアスター君とシルヴァス君のどちらかなのだろう?つまり、既に君は二人の中のどちらかを選んでいるのではないか?」
ハルはビクリと肩を跳ねさせた。
祖父の言うことがことごとく図星だったからだ。
ハルの頭を子供のように撫でて、祖父は言った。
「まずは、疑うよりも信じることだ。それには勇気がいる。信じるためには、自分の気持ちを話し、相手の気持ちを聞くことも必要だ…そして、それにも勇気がいるな。つまり、ハル…君に必要なのは勇気だ。」
「ハイ…お爺様、その通りです。私には勇気が無いの。だって、こんな自分を好いてくれるなんて…ありえないって、思ってしまうんですもの。」
「だけどね…今、君が二人を振った所で、この先、違うお相手が出る度に同じ状況になると思うよ?だから今、逃げても、何の解決にもならない。」
「逃げる…?そうか、私、逃げているんですね?」
自分で自分のことがわかっていなかったように、ハルは侯爵である祖父の言葉を繰り返して、自身に聞かせた。
「君が思っているよりも一生懸命頑張っている姿は、人をも神をも美しくする。君は一人で頑張ってきた分、自分が輝いていることを知ればいいんだ。そんな輝きが無くても、私から見れば充分、君は愛おしいんだけどね。」
「お爺様…ありがとう。私、お爺様に会えて良かった。」
ハルは目に涙を溜め、両手を広げるラナンクル侯爵の胸に飛び込んだ。
「君の心の中にいるのが誰なのか…近いうちに教えてほしいな。」
侯爵は孫娘を慰めるのにまんざらでもない…にやける顔を押し隠しながら、ハルの体を包み込み、しばし、二人は抱き合っていた。
ラナンクル侯爵は、『心の中にいるのは誰か…近いうち教えてほしい』とハルに言っていたが、当然、その相手をあらかじめ推測して知っていた。
知った上で、この話を持ち込んだのだ。
祖父からしてみれば、この数日間食事を共にしたり、デートから戻った孫の様子を見て、とっくにハルがアスターを意識していると気付いている。
ハルは強引なアプローチに弱い事がわかりやすく、シルヴァスよりもアスターに対して、その傾向が強いのも見ていてわかっていた。
だから、ハルが素直にアスターを選べない事を疑問に思っているし、歯がゆいとも感じていた。
しかし、それを指摘して強引にアスターを勧めるのは逆効果だ。
いつか教えて欲しい…と濁しておくことで、ハルがその事について考える事を促進させようと目論んだのである。
我が孫ながら、何に悩んでいるのかは知れないが、あのアスターを信じられないなど、ありえないと思う…。
どう見ても、奴はハルにぞっこんだし、ハル以外には未だ朴念仁なのだ…よくあそこまで、孫娘の前だけに変われるものだと、むしろ関心さえする…。
あんな大男が華奢なハルのために、わざわざ自分の体を小さく押し曲げて(それでも全然縮まってもいないが…)大事そうにエスコートしたり、必死でデートプランを用意する様は見ていて、実に面白い…いや、微笑ましい。
シルヴァス君ならそういう様子がピッタリ当てはまる男だが、アスター君がハルのために色々するのは、必死感が同じ男として伝わってくるようだ…。
(ハルにはちっともわからないようで不思議なのだが。)
「本当に、なぜ、ハルはアスター君を信じられないのだろうな?あんな眼を見たら、疑いようが無いのにな…。」
フォルテナ伯爵の瞳には、熱に浮かされたようにハルしか映っていないのだ。
そういう所は、ハルは自分にもラズベルにも似ていないのだな…と思う。
まあ、だからこそハルと自分はラズベルと違って衝突しないのだろう。
侯爵からしたら、娘だって孫だって大事だが、ラズベルは自分に似すぎていて強引で頑固で強気で優雅で、愛しているのにどうしてもぶつかってしまうのだ。
それが孫になると、少し違う…自分との関係性もあるが、性格の違いもある。
ハルは自分に似た所も持っているが、それは瞳や能力面部分で、恐らくおっとりした性格や謙虚さは、ラズベルの相手の男に、見た目や声、優しい心は妻のディアナによく似ている。
だからこそ、侯爵ともラズベルともうまくいくのだろう。
これはもう、相性というのだろうか。
娘の忘れ形見である孫娘は、自分と相性が良い…これこそ、ラズベルからの最高の贈り物だと思うのだ。
あんなに一生懸命なフォルテナ伯爵を目の当たりにすれば、だれが何を言おうと、奴の愛など疑いようが無いと思うのだが…。
その辺が謙虚というか、悪く言えば自信が無いというか、そういうところが本当にカワイイのだが…ハルは自分と娘に全く似ていないな…と改めて思う侯爵だった。
「ラズベルも私もそういう所は自信満々だったからね…むしろ、相手の心が自分にないなら、こちらから奪いに行く位だから。そう言う意味では、確かにハルは地上向きなのかもしれないな。」
だが、もう手放してはあげられないけどね。
抱いていたハルを離して、部屋を出た侯爵は廊下でそんな事を思いながら、鼻歌を口ずさんでいた。
明日は、ついに冥王の謁見の日だ。
ハルにプロポーズをするとあらかじめ、アスターから聞いていた侯爵は、未来の婿殿に少しだけ手助けできたであろうと、上機嫌でハルの衣装部屋に足を延ばす。
メイドと老執事に、ハルの明日の髪型や服装に付いての最終チェックの相談をする為だったが、娘がいなくなって以来のこうした仕事に、侯爵は実に楽しそうに指示を出した。
「アスター君は、明日、一体、どんな風にプロポーズするんだろうな?王級の庭で二人きりになってひっそりととか…ダンスを踊って最後に指輪を渡すとか…。」
どちらにしろ、二人きりのロマンチックなシチュエーションを作り出して、ハルの侯爵令嬢としての社交界デビューに、プロポーズするのだろうと、侯爵はホクホクした気持ちになった。
数年ぶりの高揚する気持ちに躍るラナンクル侯爵の明るい姿を見て、家令や執事達も実に充実した気持ちになる。
ラナンクル侯爵邸の『気』は、ここ数十年来、ありえない程に、実に清々しく澄んでいるのだった。
「僕はもう2~300年、元気かもしれないなぁ。」
「はは、そろそろ引退しましょうよ、旦那様!キリの良い所で…ね。こちらは結構老いてますし、ハル様がこちらにいて下さるようになれば安泰ですから。」
執事は侯爵の軽口に、笑いながら答えるのである。




