54.強引な侯爵
ハルは放心状態から、ようやく我に返った瞬間、いきなり顔から火を吹いたようになってしまった!
「ボンッ!!」
っと、自分の中で大きな爆発音が聞こえたような気がして、その途端に彼女は真っ赤になってしまったのだ。
恥ずかしさで、視線もどこを見たらいいのか定まらず、アスターや侯爵から眼を逸らして下を向く。
しかし、ハルとは逆にフォルテナ伯爵は、真っすぐ彼女を射抜くように見つめていた。
そして、その瞳はどこまでも甘い…。
普段のアスターからは、想像もできない男性の色気とフェロモンを放っていた。
直視しないでもわかる…視線が怖い。
や、やめて!こっちみないで…と、ハルは心で叫ぶ。
嬉しさの反面、初心な彼女には、自分がどんなことを言ったらよいか、どんな反応をしたらよいか…などが、全くわからなかった。
しかも、忘れていたが、目の前には、自分と実際に血のつながった『お爺様』がいるのだ!
身内の前で、熱烈な告白とか…。
恥ずかしすぎる!!
ハルはそのせいで、通常の三倍増しくらいの居たたまれなさと羞恥を味わっていると感じた。
余りの恥ずかしさに、ついにハルはアスターから視線を逸らす為、自分の両の腕で顔を覆ってしまった。
その姿があまりに可愛くて、アスターと侯爵は不覚にも内心悶絶しているのだが…。
だが、ハルが恥ずかしがる姿を堪能するアスターより先に、第三者である筈の侯爵が沈黙を破った。
「なるほど。アスター君、フォルテナ伯爵の気持ちはようく、わかったよ。僕のハルにそこまで、思いを寄せてくれてありがとう。」
すぐに、アスターは侯爵の言葉を耳にして、誰が僕のハルだと思ったが、ググっと堪えて、口に出すのを留めた。
続いて、侯爵はアスターが大いに顔を引きつらせる内容を一気に話し始める。
「そこでだ!余計にハルはこちらで預かろうと思う。だって、そうだろ?自分の孫娘に思いを寄せる男と、いくら使用人がいるからって、一つ屋根の下で暮らさせるなんてさ…心配すぎる!!」
アスターの告白を逆手に取って、侯爵は次々と攻撃を開始したのだ。
有能な伯爵様であるアスターも、恋の前ではただの男。
侯爵の先制攻撃を呆気に取られて聞いていた。
「ハルは従来通り、侯爵家に滞在するといった形で遊びに来ればいいよ。検査はその間にしよう。アスター君の事は、その間に考えるんだ。ハルはわかっているのかな?」
俯いて今も顔を隠すハルに侯爵は、確認するように声を掛ける。
「どういうことかというと、伯爵は君に求愛してるんだ…。ハルが彼に応えるのなら、後見人制度で会えない期間を僕がどうにかしてあげる。でも、代わりに君は現人神として地上には行けないよ?」
「なっ⁉デュラン…あなたは、そんな勝手な!!」
抗議しようとするアスターを片手で制して、侯爵はハルに向き直り告げる。
「どうする?ハル…君はこのまま、この屋敷でまともに伯爵のことを考えられるのかい?今もさ…そんな赤い顔をしてさ…。」
ようやく停止していた思考が少しずつ動き始めるハルは、まだ赤い顔で、少しずつ自分の顔を隠した手をのけると侯爵に向かって弱々しくしゃべった。
「お爺様のお屋敷で少しの間…お世話になってもいいですか?あの、アスター様の気持ちは嬉しいし、私なんかの身には余ります。私みたいな者が愛されるなんて…その、身の程知らずというか…。」
ハルが、全部、喋り終える前に、アスターは声を荒げて叫んだ。
「何を馬鹿な事を言う⁉身の程知らずなどではない!恋にそんなモノ関係あるか?君を愛しているし、君には愛される資格がある!何も気にせず私の気持ちを受け入れてほしい!!」
それを受けて、ハルはやや涙目になる。
そして、言葉を続けた…。
「アスター様、本当にありがとうございます。でも、お爺様の家で、色々と自分の気持ちを整理してから考えたいと思います。」
「ハル!だったら…いつまで侯爵邸にいるつもりなんだ⁉このままうちに戻らず、地上に行くという事はないのだろうな?」
「アスター様…。」
テーブルを叩く勢いで興奮するアスターに、穏やかなラナンクル侯爵は言った。
「アスター君、落ち着いて。ずっと、君から彼女を取り上げるつもりで言ったわけではない。お互い色々考えるために、一度、離れてみるのもいいと思ったんだ。それに誤解しないでくれ…。」
そこで、会話を区切った侯爵は、そっとアスターの耳元に自分の口を寄せ、彼にだけ聞こえるような声で囁いた。
「僕は君の共犯者だ…味方だよ?」
と…一言。
侯爵はニヤリと笑う。
それがアスターには、より一層、不気味に感じられた。
なるほど、娘のラズベルの時は、確かに妻を失ったことで、まだ立ち直り切っておらず、侯爵殿はマトモな状態ではなかったのだろう…。
もし、ラナンクル侯爵が正常な状態だったら、ラズベルをあっさり失ったりなどしなかった筈だ。
本来の彼は、こんなにも狡猾な冥界神なのだから…。
アスターは黒い笑みの侯爵を鋭く睨みつけたが、そんなものは痛くも痒くもないといった風に、侯爵は満面の笑顔でハルに言った。
「それでは、話も決まったことだし…食後は早速、明日のために荷物を準備をしておくんだよ?アスター君は心配症だから侍女を連れて来てもいい。僕が君を取り上げると、疑心暗鬼にかかっているようだからさ!」
『ははは』と最後に愉快そうな笑い声を上げた侯爵は、その後、静かに夕食を口に運んだ。
全ての会話が終わったのを見計らった所で、ホルドが料理長渾身の作であるデザートを持ってくる。
それを口にした侯爵は、目を見開いて声を上げた。
「それにしても…アスター君の所のデザートはうまいな!!料理長は腕がいい!」
「恐れ入ります…デュラン…喜びますよ…料理人も。」
そう、答えたアスターはそっとドアの方に目を見やる…。
こっそり少しだけ空いたドアの隙間から、料理長のこちらを盗み見る影が映った。
ハルもそれに気付いたが、フォルテナ家の名誉のため、気付かないフリをする…。
その影が密かに、ガッツポーズをとるのを、アスターもハルも無言で見ないものとした。
そんな事に気付かないラナンクル侯爵は、美味しそうにデザートを頬張っている。
アスターは小さく息を吐いた。
遅かれ早かれ、ハルに今に至るまでの気持ちの全てを告白することは、構わないことだ。
そのつもりだったのだから…。
だが、侯爵の前で盛大に思いの丈を吐き出すのは失敗だった。
それに本当は、二人きりになって、もっとロマンティックに彼女に告げようと思っていたのだ!
昨日の晩も『好きだ』と彼女に言ってはいたが…今一、こちらの言っている事を理解しきれていないハルに、その経緯や今までの思いについて、後日、改めて絶好のシチュエーションを用意する筈だったのである…。
それなのに、今現在、侯爵の家にハルを攫われそうになっている状況だ…。
勿論、爺は『また帰す』と言っていたが、あの狸の事、怪しいものだ!
…とりあえず、私が今すぐせねばならない事は、ハルに自分の気持ちを改めて伝えようと思い、内緒で予約した店などの、早急なキャンセルである。
「クソッ!」
アスターは、誰にも聞こえないように、小さく悪態をついた。
無理もない…。
侯爵の単独プレーのせいで、彼は計画していた予定を潰された上に、ようやく自覚した愛する女性が明日から自分の元を離れ、ラナンクル領に行ってしまうのだから…。
『ラナンクル侯爵のせいで、全く計画は台無しだ!!』(アスター・心の声)
「はあっ。」
と、アスターからは無意識に溜息がもれた。
侯爵は、フォルテナ伯爵邸を訪れてから、わずかな間に最悪の出会いを遂げた筈の孫娘を、すっかり懐柔し打ち解けさせて、しばらくランクル侯爵領に滞在させるまでの約束を取り付けてしまった。
引き籠っていたとはいえ、元はやり手の狸爺だ。
今頃思っても後の祭りだが、ハルの誕生会に侯爵閣下を呼んだのは、とんだ間違いだったかもしれない。
「相手を見誤ったか…。」
アスターは、最初から侯爵の術中に、はまっていた事に気付き、悔しさを押し殺した。
そして、外面だけは笑顔を浮かべた。
フォルテナ伯爵邸の夕食の時は、過ぎていく…。
☆ ☆ ☆
次の日、ハルは侯爵の申し出通り、ステラを伴ってラナンクル領に出発する。
「領内の浄化活動の事もあるし、母の事も色々知りたいので、少しだけ…侯爵邸でお世話になってきますね!アスター様…私、色々考えてきます。お気持ちありがとうございました。でも、私…。」
行きがけに、何か言い出そうとしたハルの言葉を片手を上げて静止させ、アスターは彼女の言葉を自分の言葉でかき消した。
「ストップ!その話は今は無しだ。昨日は侯爵との会話の流れで自分の思いを洗いざらい告げたが、本当はもっとゆっくり君に話す予定だった。だから君の答えを言わないでくれ。君が18歳になった時に返事を聞く。ただ、私はこれから君を女性として口説くからな…。」
真面目な顔で自分の瞳を真っすぐに射抜いて来る草原のような緑の瞳に、落ち着かなさを感じ、ハルは改めて、『アスター様は本気で自分を女性として見てくれているんだ』と感じた。
本当は好みでなかった筈の自分の事を、好きになってくれたんだと思うと、ハルの中で周りを謀ってでも、地上に戻ったら出来る限り冥界に戻るつもりはないと思っている事に、罪悪感のようなものが生じ始めている。
何となく、居心地が悪いような気がして、アスターから眼を少し逸らした。
そんなハルの様子を見て、アスターが肩を縮めてから、優しく言葉を掛ける。
「…それでは、ラナンクル領に行っておいで。何かあればいつでも連絡するように。すぐ駆けつけるから。」
彼の気遣う声に、真っすぐ眼を合わせもしないハルは、薄っすらと瞳を潤ませた。
そして、少しづつ勇気を振り絞るように、ゆっくり顔を上げて、どうにかアスターに視線を向け、彼女は何か言葉を紡ぎかけて、口を閉じ、もう一度、開いて、
「ハイ、アスター様、ありがとうございます。それと…行ってきます…。」
とだけ告げ、何とか笑顔を作って見せた。
ハルとともにラナンクル領に向かうことになったステラも、彼女の隣に控えて主人の気持ちを酌んでいるのか、弱々しく微笑んでいる。
アスターは頷いて見せると、侯爵に彼女を宜しくと言葉を添えた。
「それでは、侯爵、私も本日は冥王の所に行かねばならない用があるので、先に失礼致します。屋敷を出る所まで、見送れなくて…大した歓迎も出来ずに申し訳なかった。」
侯爵は余裕の笑顔で満足気に応える。
「とんでもない。滞在中は良くして頂いた。それにハルの暮らしが見て取れたので、君には感謝している。ハルのことは任せると良い。それに誤解があるといけないので言うが…僕は君が気に入ったよ?馬車を待たせすぎているので、もう行くが…世話をかけたな。」
二人は最後に握手を交わし、ハルと侯爵はステラを伴い、フォルテナ伯爵邸に背を向ける。
一時滞在という形でラナンクル領に出かけて行くハルだったが、アスターには積年の別れに感じられた。
もう彼女が、このまま屋敷に返ってこないのではないかという不安さえ心によぎる。
主人のそんな思いが伝わるのか、フォルテナ伯爵邸全体が、重苦しい空気に包まれていた。
永遠の別れでもないのに屋敷内では、まるで彼女が家を出て行ってしまうような錯覚を起こしていた。
彼女の自立の歳が来る日の予行練習のようだと、誰もが思っていたからだ…。




