53.ハルの揺れる心
昼食後、侯爵はフォルテナ領の視察に付き合い、自分の事を棚に上げて、アスターに向かって、
「ほう、若造と思ったが、なかなか、しっかり治められているじゃないか。」
と感心しながら言った。
領地の見回りと言って、侯爵を案内したのはフォルテナ領のメインである繁華街を有する地域だ。
フォルテナ領は比較的冥王の住まう王都に近く、ほぼ平地の恵まれた地域で、拓けた場所が多い。
ここに住まう人間の大半が、生前は何らかの技術者として活躍していた者で、その中でも伝統工芸などを取り扱う者がメインに暮らし、それら職人がフォルテナ領の地場産業を主に担っている。
そうした人間の領民に交じって、彼らのいくつかの問題や要望を叶える為に、冥界人の一般庶民(下級冥界神や神使)が混じり、各種機関の運営に携わり、人間達に争いや不満が生じないように、導く役目を果たしている。
フォルテナ領では、長い間、死者の暴動や不満も見受けられず、魂の浄化が進んで、次の階層に移動するまで、皆、満足して暮らしているし、冥界人達の仕事も安定していた。
アスターは自分に感心する侯爵に対して、『長年、仕事放棄していたアンタに言われてもな…。』と思ったが『ハルの祖父は自分の祖父』だと、本心を封印し、差し障りないように感じ良く対応をする。
「恐れ入れいます、デュラン。」
アスターが侯爵にそう答えるのを聞くや否や、ハルは祖父に彼がどれだけ、立派に『伯爵』業をしているかどうかを誇らしげに話した。
「…それでね、お爺様、アスター様はいつも領民のことを、第一に考えているのよ?それに冥王様からのお仕事もあるのに、何でも簡単に熟してしまうの。」
過去の様々なエピソードとともに、自分を誉めまくるハルにアスターは悪い気はしないが、恥ずかしいさで居たたまれない。
「ハル…もうその辺にしてくれないか?私はそんなに立派な者じゃないよ。君のお爺様に、本人以上の過大な評価をされてしまうかもしれないと思うと、正直、辛い…。許してくれ。」
侯爵は軽く笑顔で受け流し、アスターに言った。
「はは!そう、否定しなくてもいいのでは、アスター君?ハルがそう言うのだから、本当に君はそういう男なのだと思うよ?それに、君が有能なのは…良く知っているからね。」
侯爵はアスターに向けて、一瞬だけ意味深な笑顔を見せる。
そんな事には気付かないハルは、それを聞いて驚きの声を上げた。
「ええ⁈お爺様ってば、いつの間にアスター様を良く知ったのかしら?実は、面識があったのですか?」
「ははは、内緒だよ…ね、伯爵…いや、アスター君。」
黒い侯爵の笑みに、アスターは本来彼に向けていた険しい表情を、瞬時にかき消して、同じように笑んで見せる。
「そうですね、デュラン…。ハル、実は君の誕生会後に侯爵殿とは、男同士の話で、すっかり意気投合したのさ。」
男同士の話の内容が、自分の将来の『嫁入り先の決定』だなどと、思いもしないハルは、自分を差し置いて二人だけ仲良くなっていたのかと、少し拗ねたようなそぶりを見せた。
「何だか、ズルいですね!男同士の会話だなんて…。仲間外れになった気分です。」
少しツンとしたハルの顔がカワイイ!
侯爵とアスターは二人で揃って同じことを思っていた…。
その辺もある意味、意気投合しているのだが、本人達に自覚は無かった。
様々な領民の家に顔を出しながらも、午後の領地の視察では、三人は途中に寄った店で、お茶をしたり、職人の仕事を見学したりと、日帰り旅行のように時を過ごしながら、すっかりハルはラナンクル侯爵と打ち解けていった。
夕飯の時間が近付き、屋敷に戻って、着替えを済ませて広間に降りると、すかさず侯爵が彼女をエスコートする。
最初の出会いとは、想像もつかない侯爵の貴族を絵に描いたような振舞いに、ハルは自分の身内ながら、少しだけ頬を染めてしまう。
ラナンクル侯爵は同じ貴族でも、堂々とした振る舞いと威厳のあるアスターとは違い、どちらかと言うと、実際の押しの強さをも、ひた隠すエレガントさと、シルクのような柔らかい雰囲気を漂わせている。
その為、周りの者は、近付きやすく、ラナンクル侯爵は相手の懐に、いとも簡単に入るのを得意としていた。
ハルも例外ではなく、わずか一日前に正式に和解し、本日半日ほど過ごしただけで、既に前からこうして一緒に過ごしていたように、侯爵はその力量を持って彼女に錯覚させた。
警戒するアスターをよそに…。
侯爵は夕食の席で、口を開く。
「アスター君、ハル、今日はありがとう。短い間でもフォルテナ領の事をよく知れた。」
実に艶やかに早急に、事を進めるラナンクル侯爵の優雅な力技には、さすがのアスターも為すすべもない…。
「とても、いい統治をされていて、伯爵は良い主だし、領地も領民達も良い者達だった。何の申し分もないな。これ以上滞在しなくても、フォルテナ伯爵の素晴らしさが理解できたよ。そこで思ったんだが…。」
侯爵の含みある会話に、渋い顔を浮かべるアスター。
それとは、対照的に祖父の言いかけたことを、心待ちに耳を傾ける可愛らしいハル…。
「最初私は、しばらく滞在して、今までのハルの生活を垣間見たいと考えていたのだが、検査の事もあるし…予定より早くなってしまうが、明日早速、ラナンクル領の方に遊びに来ないか?ハルにも、是非、うちに遊びに来てほしい…。」
「ラナンクル邸へ?」
「ラナンクル領にだって⁈」
ハルとアスターの声が重なった。
二人の反応を見て、侯爵閣下はニッコリと微笑んでいる。
「そう。ハルさえ良ければ滞在しにおいで?来年から、地上で勤務することになるのだったら、冥界にいつ戻って来れるかもわからない。僕は孫娘ともっと仲良くなりたいし…。」
「お、お爺様…でも、急ですと予定が…。フォルテナ伯爵邸以外には、学校に繋がる異空間転送用の扉の用意もありませんし。」
ハルが戸惑いの言葉を零すと、意気揚々と侯爵が返す。
晴れ切った彼の表情を見れば、誰もが『侯爵がそう言うのなら大丈夫』だと思ってしまいそうだ。
「何より、ラズベルを知る召使達にも、早く君を紹介してやりたいんだ。学校の方は気にしなくていい。うちのドアからも通えるように特別措置を取ってもらって、繋げてもらうから!」
アスターは侯爵を睨んだ。
もう現人神養成学校の方には、既に連絡済みなのだろう。
『異空間を結ぶ設定を、フォルテナ伯爵邸とラナンクル侯爵邸の二軒の屋敷と結ぶ特別処置を行うようにと、早急に圧力をかけて学校側に許可させたのだ…。』
と、アスターは瞬時に悟った。
完全に侯爵家の権力を使った力技である。
全くなんて、抜かりないんだ。
手回しの早いことだ!!
恐らく、ラナンクル侯爵はハルの誕生会に参加する前から、その特別処置を学校側に申し出ていたに違いない。
つまり、この流れは全て、この狸爺の思惑通りという訳だ。
面白くない!
実に、面白くない!!
アスターは生まれて初めて本気で、はらわたの煮えくり返る思いをしていた。
いや、正確には、初めてではない…。
ハルを引き取ってから、初めてそういう思いをしたというのが正解だ。
一度目は、ベルセがハルを突き飛ばした瞬間。
二度目は、タナティスがハルを攫おうとしていた瞬間。
三度目は、自分を出し抜いてハルを攫おうとしている侯爵を目の当たりにしている『今』だ!!
それまでの生活で、アスターが心の底から湧き上がるような怒りに見舞われたことは、ただの一度だってなかったのだから…。
平々凡々として生活を送る中では、周りから『朴念仁』と噂されても仕方ないような毎日を送っていたのだ…。
ハルへの恋心を認識したアスターは初めて、自分の中に灯った胸の熱い思いと、それに付属する様々な感情を経験しているのである。
侯爵はアスターの感情を、まるで全て知っているみたいに、面白がっているようだった。
険しいアスターの顔を笑顔でのぞき込む侯爵が、優雅に千切ったパンを口に入れてから、彼に声を掛ける。
「おや、アスター君。どうしたのかな…気分でも優れないのかい?顔色が悪いみたいだ。」
口調は心配していたが、侯爵の向ける顔はそんな事、少しも思っていないというのがよくわかる。
随分と嬉しそうに聞くじゃないか…爺!!
アスターは、心の中で世界中に轟くような叫びをあげながら、良い顔を作って冷静な声を侯爵とハルに向ける。
「ご心配には及びません。侯爵の申し出に、私は動揺してしまっただけです。この通り、私は独り身で家族もいない身です…この数年間、すっかり妹同然で過ごしてきたハルがこの家を空けるかと思うと…寂しくて言葉を失ったんです。」
「おやおや、伯爵殿。いくら、妹同然に我が孫を見てくれていたからと言っても、大袈裟すぎやしないか?彼女はいずれ、現人神としてこの家を離れる予定なんだ。それなら、慣れる為にも余計に離れる練習をしてみた方がいいな。」
一件、親身にも見えるように、侯爵はアスターに語りかけた。
ハルの方は至って感激している…。
「アスター様、そこまで、思って下さるなんて…私、幸せです!ありがとうございます。」
ハルの言葉を確認すると、アスターはすぐに彼女に懇願するように言う。
「そう思ってくれるなら、ハル。ずっと、この屋敷にいてくれないか?ラナンクル邸に遊びに行くのも構わないが…成人するまでの間、君には、できるだけ私の傍で過ごしてほしい。侯爵の言う通り、出て行かれるのなら…少しでも長い時間、君といたい!」
アスターの声に、今度はラナンクル侯爵も黙ってはいない。
「先程も言ったけど、僕だって同じだよ!つい昨日、身内であると認識ばかりのハルと僕では、君より、短い時間しか過ごせない…。ハルが現人神になってしまうといのなら…ね。ハル、少しはお爺様と一緒にいておくれ…。」
二人に同時に似たようなことを言われ、ハルは困ってしまった…。
そんな事を言われても、自分の体は一つしか無いのだ。
分霊することも可能だが、それは地上に与えるご利益、もしくは人間の強い願いに係る時のみの限定だという規定がある…。
「アスター様、お爺様、ありがとうございます。私にとっても、お二方とも大変大事で…選ぶことは出来ないというか…ごめんなさい。どうしたらいいのか、わからないんです。」
それでも、ハルの選択を待つ両者の視線にたじろぎながら、彼女は身をすくめて申し訳なさそうに付け加えて言った。
「受け入れてもらうだけでもありがたい身の上で…今まではそんな風に言ってもらった事も無かったし…お爺様やアスター様にも、最初は拒絶されていた筈だから。自分で選ぶという選択肢が無かったので、初め手の経験というか…。」
濁されるハルの言葉に、侯爵とアスターは一瞬、口を噤んだ。
一度は彼女を否定して、酷い事を言ってしまった自覚が、お互いにあり、ばつが悪かったのだ。
だが、すぐに二人は、我先にとハルに言い訳合戦を繰り広げて見せる。
まずは侯爵が、
「初めて君に会った日を思うと、僕は自分が恥ずかしい…が、君が目覚めるまでの間、実は僕は君に見とれていた。あまりに妻に似ていて…急に君が目を覚まし焦った。その瞳の色を見て、更に僕は動揺した。紛れもなく君がラズベルの娘だと直感して…混乱したのだ。」
そう、悲痛な叫びを繰り返した。
「とにかく、その悔しさをあんな形で…爆発させた。でも信じて欲しい…。あの時に言った言葉は、心にない事だった!」
続けられる侯爵の言葉に…ハルは『それでも全く心にない事ではなかった筈よね』と考えていた。
だって、少なくとも母に生きて欲しかったことは確かだろうし、侯爵がもし自分と母をどうしても選ばなくてはならなかったら…どっちが大事か、はかりにかけた時、自分を選ぶことはないと、ハルは知っていたからだ。
仮に孫と娘のどちらかを捨てなければいけなくなれば…どんなに可愛がっていても、自分の娘を選ぶのではないだろうか?
父にとっても、ハルと母なら母を選ぶような気がする。
ハルにとっては、自分が世界で一番だと言ってくれる人がいるのは、本当に羨ましい事だと思えた。
悲しいことに、誰かと比較して自分を一番に思ってくれる人は、今のハルには誰も思い浮かばなかったのだ。
実を言うと、恐らくシルヴァスなら、ハルを一番だと言っただろうし、それを信じられる筈なのだが…残念ながら彼女には、彼の思いが全く伝わっていない…。
ふんわり軽すぎるシルヴァスの雰囲気がそうさせるのである。
シルヴァスにとっては、非常に気の毒な性に他ならなかった。
だから、次のアスターの言葉に、彼女は深く心揺さぶられてしまう。
「ハル!確かに私は、初め、君の事を本当は引き取りたくないという態度を取っていた。だがそれは、私も動揺していたのだ…。聞いてくれ。」
アスターはそう言うと、ハルへの思いを説明し始めた。
まず、アスターがシルヴァスに聞かされていた少女について、勝手に自分の想像していた姿とハルが違ったこと。
それにも関わらず、始めて彼女に会った時、まだ子供であったハルに、見惚れてしまったこと。
その為、睨んでいると誤解されてしまったのだということ。
現人神のアルバイト先を見学した時に、他の男神がハルに気安くするのが面白くなかったこと。
それから、ベルセに会っても、ハルの方が気になっていたこと。
知らず知らずのうちに、舞踏会で彼女の出会いを潰してしまっていたこと。
出来ることなら、現人神の道ではなく、冥界でこのまま暮らしてほしいという気持ち…。
いつの間にか、自分が彼女の事を大事に思っていて、妹以上の気持ちを持っていたこと。
そう、アスターがハルを愛してしまったと告白したのだ…。
「ハル!今更、虫がいいと思うかもしれないが…君のお爺様にも聞いてもらいたい。私は君を愛してしまった…世界で一番!私の全てをかけて!君を愛している!誰よりも何よりも君が大事だ。ラナンクル領に泊りに行くだけでも、君と離れると思うと心が苦しい!」
狂おしい程の熱い思いを、アスターは真摯にハルに告げる。
「本当はこんな所で全てを告白する気はなかったが、侯爵との会話で地上に行ってしまうというという事実を改めて想像すると…少しでも早く君に伝えなくては…と思った。せめて、少しでも私の思いを知って一緒にいてほしい。」
悲痛に言葉を告げるアスターに、ハルは目を離せないでいた。
そして、ゆっくりその瞳が大きく開き、潤み始める。
昨日の眠れない晩に訪れたアスターの行為が思い出された…。
その時も彼は、『君が好きだ』と言ってくれた。
しかし、そこに至るまでの経緯を、すっかり話されたことで、よりハルへの思いの大きさを感じさせてくれたのだった。
侯爵は細めた目を泳がせながら、アスターのセリフを邪魔せずに聞いていた。
彼にとっては、『ケッ!芸のない口説き文句だ…』と眉を掻きながら思っていたのだが…ハルにとって、アスターの言葉は、大きな衝撃だったようだ。
特に『誰よりも何よりも、君が大事だ…愛してる!』の部分はハルの頭に何度も、リフレインして響き続けていた。
私のことが、一番大事だって!
世界で一番、愛しているって⁉
ハルは、赤くなるより先に、しばらく、この瞬間、放心状態に陥っていた…。




