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52.やはり、ハルはちょろかった…。

 ハルが随分と遅い朝食に向かったのは、既に昼食の時間だった。



来客用の金に縁どられた家具が揃えられた豪勢なダイニングに行くと、ハルが目覚めた事を誰か知らせたのか、既に侯爵とアスターが着席していた。


もうすぐ昼とはいえ、中途半端な時間に目覚めた私に合わせてランチを取る必要もないのに、寝坊していた自分より先に二人に着席して待っていてもらうのは、非常に申し訳なくて居たたまれない…。



「お爺様、アスター様、遅くなってしまって…ごめんなさい。まだ、お昼には早いのに付き合っていただくなんて申し訳ないです。それにまさか、こんなに早く来ていらっしゃるなんて…。」



慌てて、ハルは謝罪を始めたが、すぐに破顔したラナンクル侯爵が彼女の言葉を否定した。



「僕が君に早く会いたくて、待っていただけだから構わない。それに、昨日はあんなことがあったから、寝付けなかったのだろう?フォルテナ伯爵に理由は聞いているよ。」



『理由⁉』理由と聞いて、ついハルは顔を赤らめた。



一体、アスター様は、何て言ったのだろう?



ハルの頭の中には、昨夜、アスターにされた事と、聞き違いでなければ自分のことを『好きだ』と言う彼のセリフが思い浮かんでしまう。


すると、すかさず、当主の席に腰掛ける伯爵が、社交用の笑顔でハルに言葉を添えた。



「昨晩、君が寝付けないのではないかと心配して部屋を訪ね、しばらく話をしていた事を侯爵に伝えたんだ…君だって、普段から寝坊助だって()()()に知られたくないだろう?」



アスターの話を聞いて、ハルは胸を撫で下ろす。



良かった、あの行為については何も言ってないんだわ。

当然よね…そんなことをしたら私だけでなくて、アスター様だって恥ずかしい筈だもの…。



落ち着いて考えれば、わかることなのに動揺してしまった自分が恥ずかしいとハルは思った。


一方、侯爵の方はアスターに言われた、『()()()に知られたくないだろう?』の特に『お爺様』の部分が(かん)(さわ)るなと思いながら、聞いていた。



可愛い孫娘に言われるのは嬉しいが、直接呼ばれてなくとも、この図体がデカくて、むさ苦しい男に、間接的とはいえ『お爺様』などと発音してもらうのは、イ・ヤ・だ!



そして、見た目だけは年より若く見えるが、抜け目のない狸爺(たぬきじじい)の侯爵は、ハルが赤くなって動揺したのを見逃してはいなかった…。


当然、アステリオスが孫娘に何かちょっかいを出したに違いないと悟っていたが、それをおくびにも出さず、こちらもまた、社交用の笑顔をフォルテナ伯爵に向けていた。


その直後、侯爵はアスターの言葉を受けて、ハルの方を振り向く。



「いやいや、寝坊したって構わないよ?僕は彼女の唯一の血縁者だからね!でも、次に眠れない日があれば、伯爵が君の部屋を訪れる前に…僕の部屋を訪ねて欲しいな。ゲームでもして遊ぶのもいいし、僕なら昔話に事欠かないよ?」



ラナンクル侯爵がそう言うと、今度はアスターが苦笑いを浮かべて、彼の言葉にツッコミを入れた。



「そうですね。滞在されている時は、そうしたら良いかもしれません。ですが、侯爵閣下は、いつもハルと一緒に住まわれているわけではないですから…。」



ハルもアスターに続いて、侯爵に申し訳なさそうに口を開く。



「ありがとうございます。でも、夜に尋ねたりしたら、もう子供でもありませんし…。気持ちだけ、頂いておきますね。二度と、こんなことは無いと思いますし…。」



ラナンクル侯爵は、可笑しそうな顔をしたと思うと、少しだけ声を立てて笑った。



「あはは。もう無いと思う?うん、そうかもね…。」



と、次は意味深な顔をフォルテナ伯爵に向ける。



だが、すぐにハルの方を向き直して、優雅に席を立つと、まだ室内に入ってきて着席していなかったハルの椅子を引き、彼女に近寄って手を取った。


そのまま、流れるように彼女の手を引いて食卓の椅子までエスコートして彼女の椅子を押してやり、座らせると、自分も元の椅子に座り直して、しっかり彼女の目を見ながら話を続ける。


ハルと侯爵は向かい合わせに座っていた。


視線の横に座るアスターの表情はわからないが、なぜだか彼からは何となく不穏な空気が立ち上がっているようにハルには思えた。


侯爵の方はマイペースに、『遠慮しないで!』と彼女に言って、



「夜中、孫に叩き起こされたって僕にとっては嬉しい限り!今まで、離れて暮らしていた分、君に甘えて欲しいんだ。それにいくつになったって、孫は孫だろう?大人ぶったりされたくないな。それと、フォルテナ伯爵!」



と言葉を続けた後、アスターの方に会話を振った。



「いつもハルと一緒にいるわけではないと言ったが…僕は、ようやく孫娘に再開できた余生の短い老人だよ?できるだけ、彼女と過ごしたいと思っている。そういうわけで、しばらくは滞在させてもらうよ?フォルテナ領も見たいし…。」



アスターは目をカッと見開かせた!

(内心=(ジジイ)め!ハルとの間を邪魔する気か⁈と強く思ったのだ。)


ハルも驚きの表情を隠せない。


アスターは焦りつつも、間髪(かんぱつ)入れずに、侯爵に質問する。



「侯爵閣下が滞在されるのは構いませんが、ご自分の領地はどうされるのです?確か、手を入れなければならない場所が多いと見受けられましたが…長期滞在になると、お仕事の方が()まるのでは?」


「心配してくれるのかい、フォルテナ伯爵?」



侯爵の『おや?』という片眉を上げた顔に、アスターは威厳たっぷりに答えた。



「勿論ですよ。お互い当主ですからね…領地の運営は義務ですから。それから、私のことはアスターで結構です。どうぞ、そう、お呼び下さい。」


「それでは、僕のこともデュランと呼んでくれ。君に、お爺様呼ばわりされると、もっと年老いた気分になるから…。あ、でもハルはちゃんと『お爺様』って呼んでね!それと心配には及ばないよ。」



ハルが部屋から出て来るのを待っている間、執事が()れて行ったお茶を手に取りながら、アスターは眉間(みけん)に寄ったシワをもう一方の手で、密かにさすって直し、ラナンクル侯爵の気軽い口調に耳を向ける。

(『狸爺(たぬきじじい)』と心の中で叫びながら…。)



次の瞬間、侯爵が口にしたのは、



「領地運営の方は、ハルに手伝ってもらうから!」



という一言である…。



それと同時に、お茶を口に含んばかりのアスターが、むせだした!



「ブッ!ゴホ…。」


「ア、アスター様⁈大丈夫ですか?」



同じように侯爵のいきなりのセリフに、驚いたハルだったが、彼女はこれから使う予定の置いてあったナプキンを広げ、アスターの口元を()いてやる。


それを面白くもないような眼でチラリと見ながら、侯爵は何事も無かったように言った。



「ハルも浄化の手伝いをしてくれると言っていたし、僕が滞在した後は、うちの方にも泊りでおいで?色々、教えたいこともある。本当は、ずっといてほしいけれど…()()()()()が、()()…保護者だからねぇ。」



アスターはハルに手渡されたナプキンで口元を抑えて、咳き込むのを(こら)えながら、侯爵にやんわりと抗議する。



「当たり前です。ずっといたら、あなたの家に引き取られたようになってしまいます!ハルは、それを拒んだのでしょう?それに()()ではなく、私はちゃんとした保護者です。」


「ハル…その事なんだが、今更、僕は君に我が家に戻って来てくれとは言えないが、冥界の親族特定検査だけでも受けてもらえないだろうか?それに、たまに泊りに来るくらいは構わないだろう?」



ハルは侯爵の問いに考えを巡らした。

祖父と言っても、できたばかりの身内で、その距離感がわからなかった。

だからどう答えて良いのか、考えあぐねてしまうのだ。


彼女が考えている様子を見て、侯爵はもう一押しすべく、また、弱々しい老人を装って一言添えた。



「僕は今、一人ぼっちで…勝手だけど孫との思い出が欲しい。人間界に、いずれ行ってしまうなら尚更だ。」



必死な眼をしてハルを見詰めるラナンクル侯爵。



「お爺様…。検査を受けるのは構いませんが、いずれ地上に戻る予定の私に必要なことなのでしょうか?それに泊りに行くのも、図々しいと言うか…気が引けます。」


「何を言うんだ⁉君が泊りで来てくれれば、うちは使用人一同、大喜びだ!長年、客も無く私一人しか世話をする者がいなくて、皆、飽き飽きしている。君が来てくれれば、どんなに活気づくことか!」



ハルの言葉を大袈裟に頭を抱えながら否定するジイジ…ラナンクル侯爵。


近くで見ていてアスターは、大した百面相だと、年の功の表情バリエーションに呆気にさえ取られている。


ジイジは言った。



「検査の事は、出来れば受けて欲しい…。君がラナンクル家を継いでくれなくても仕方がないが、せめて冥界での戸籍くらいは、我が家の名字を名乗って欲しいから…。」



そこでアスターが、侯爵の演技めいたハルへの懇願に口を挟む。



「名字なら、ハルには既に『フォルテナ』と、名乗らせているのですが…。」



すぐに不敵な笑いを浮かべた侯爵が、アスターの言葉を覆いかぶせるように告げる。



「だが、それは名目上だけだろう?正式には、彼女の冥界の戸籍は名字欄が空白になっていた。すまないね…ハル。君の事が気になって、既にそう言う事は調べさせてあるんだ。」


「お爺様…アスター様…お気持ちは有り難いのですが、本来ならば、どちらの名字も私には過ぎています。」



ハルの言葉に今度は悲痛な表情を浮かべ、ジイジは目を滲ませた。



「僕は君の戸籍にラナンクル家の姓を贈りたい…。ラズベルだってそう望んでいると思う。この老いぼれと君の母の願いを叶えてやってほしい。」


「お、お爺様…でも…。」



『母親の願い』とまで言われてしまうと、ハルは弱かった。


母の本当の願いは知らないが、領地の魔法陣を自分に教えたりしていた辺り、いずれは、お爺様の言う通り、実家に自分を連れて行くつもりがあったのかもしれない…。


今となっては、本当に母が自分に現人神になって欲しかったのかさえ、ハッキリしていないのだ。

ただ、現世に暮らすことにおいて現人神養成学校が必要不可欠だったというだけで…。


両親は私をハグレ現人神にしない為に、学校に通わせようと思ってはいたが、ラナンクル侯爵が父を許し迎え入れれば、母とともに地上の生活を捨てたかもしれない…。


その時、私に地上で暮らすか冥界かを選ばせるためにも現人神養成学校の入学は必要だった。

だから、絶対に現人神にする為に、学校に行かせたかったというわけでも、ないように思える。


それに、自分の自由意志を尊重させてくれたからと言って、私がラナンクル家の名前まで拒否したら、母はどう思うのだろう。


ハルの気持ちは揺らぐ。



「君が成人するにはまだ一年ある。地上に戻りたいのなら僕は止めない。その権利がないからね…。イヤだと言うなら侯爵令嬢にならなくてもいい…仕方がない。」



考えるハルに、侯爵は続けて、徹底的に下手(したて)に出た。



「でも、せめて君の戸籍の空白を埋めるくらいはしてほしい。そうでなければ、僕は君に『お爺様』と呼んでもらう資格がないし、ラズベルに申し訳ない。」



アスターは、ラナンクル侯爵の言葉を黙って聞いていた。


侯爵の意図がハッキリ読めないからだ。


一つだけ分かることは、少しずつと見せかけて、急速にハルを自分の元に引き寄せていることだ。


うまい言い方をしているが、戸籍の欄を埋めるだけで、家に入らなくていいと言ったって、ラナンクル家の孫娘だと検査結果に認められ戸籍登録すれば、何もしなくたって冥界社会的には、ランクル侯爵家の令嬢と認可されるのだ。


表面上、好きにさせるからと言っているだけで、ハルリンド・ラナンクルになった瞬間に、自動的にフォルテナ伯爵家の保護下から抜け、後見人の権利とともに彼女の冥界での保護者がラナンクル侯爵に移る。


とはいえ、そうなったあかつきには、いずれ時期を見て、ハルとの婚約を結んでくれるという契約書を交わしているので、アスターとしては、人間界で現人神の男どもに、粉をかけられずに済むのなら、侯爵のハルを(だま)すかのような、うまいセリフを黙認すべきなのである。


しかし、アスターは、侯爵が約束を守るかどうかを心配しているのだ。


侯爵は思ったよりも腹黒い…。


契約はしたが、何だかんだと、うまく約束を反故にすることを、画策している可能性もある。

今回、急にハルにそうした持ちかけをしたのも、アスターには何の相談も無かった。

つまり、侯爵の独断の誘いなのだ…どうも、侯爵はワンマンプレイが得意なようである。


そういう訳でアスターは、侯爵の意図がハッキリ読めないうちは、余計な事を話さないようにした。


先程も、しばらく自分がこの屋敷に滞在して、その後は、ハルに『泊まりにおいで…』と気安く誘っていたが…。


その間に親族特定の検査の結果が出て、ラナンクル家の出自が認められれば、(はた)から見ると、我が家にハルがいることの方が当たり前ではなくなるのだ。


要するに、ラナンクル家からフォルテナ伯爵の元に、ハルが遊びに来ているという事になってしまう…。


世間体的に、侯爵がそれを許し、完全に自分の恋路に協力するつもりだとしても、あまり早急にそうした状態にされるのは、狸爺に弱みを握られているような気がしてならない。



悶々と頭を働かせながら、侯爵を無表情に眺めているアスター。



 そこにハルが、不意に口を開いた。



「…わかりました。戸籍の欄を埋めるだけでしたら検査を受けます。もし、お爺様の孫だって判明したら、冥界の名字もお借りします。アスター様の姓を名乗らせてもらうのは申し訳ない気持ちでしたし…確かに母は喜ぶかもしれません。」



ハルの宣言を聞いて、アスターは苦虫を嚙み潰したような顔になるのを、必死に抑えた。


アスターが、密かに横目でラナンクル侯爵の顔を覗くと、侯爵はこれでもかという程の満面の笑顔を浮かべて、ハルに向かって、喜んで見せる。



「ありがとう、ハル!!これで、ラズベルに少し顔向けできるような気がするよ。ああ嬉しいな。出来れば早く検査を受けたいんだけど、手配してもいいかい?」



侯爵の喜びようと勢いに飲まれて、ハルは簡単に頷いた。



「ハイ…。お爺様にお任せします。」


「そうか。君にラナンクル邸を案内したり、ラズベルや妻の話をしてあげるのが楽しみだ。今日は学校が休みだろう?フォルテナ領を案内してくれるかな?伯爵は仕事だろうから!」



勝手にサッサと事を進める侯爵にアスターは釘を刺した。



「いえ、侯爵…私の仕事は都合よく、本日、午後から領地の見回りだけなので、あなたとご一緒させて頂きますよ。ハルは昨日のストーカーの件で、まだ疲れているでしょうし…私が案内します。」



侯爵は、おもむろにがっかりした顔をして、『ええ~っ』と子供のような声を上げた。

それを見たハルがクスクスと笑い、侯爵とアスターに自分も一緒に行くことを申し出る。



「いいえ、アスター様。もう、私、たくさん寝たので大丈夫です。お爺様と一緒にいたいので、ご一緒させて下さい。」



気乗りしないのを隠すことなく、アスターは仕方なく了承した。



「わかった…。」



ハルが目線を外した隙に、ラナンクル侯爵はアスターに向かって、片目を瞑って見せる。



どういうつもりか⁈



アスターは一人、気付かれないように歯ぎしりを繰り返す…。



 そこにホルドがメイド数名と、ともに昼食を運び始めた。



「お話は、もうよろしいでしょうか?お嬢様がお腹を減らされているでしょうから、お食事をお持ちしても…?」



と、ホルドがアスターと侯爵の顔を(うかが)うと、『勿論』と侯爵が機嫌良く応じる。



アスターは狸爺がフォルテナ領を見て、ハルの婿に適しているかを計る気かもしれないな…と、考えて溜息をついた。


アスターがハルを見やると、彼女の視線はホルドの運ぶ昼食を見詰めている…。

ハルの無邪気な姿を前に、アスターは中身が侯爵に似ないで、本当に良かったなと思っていた。



 きっと、彼女の内面は、人間寄りの父親似なのだろう…良かった良かった。


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