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50.恐怖の余韻

 「シルヴァスさん、やめて!そんなことしないで。」



悲痛な表情を浮かべたハルが少し大きな声を上げて、シルヴァスに近寄った。

何となく、憤慨を続けるアスターは、ハルに押し退けられて、寂しい顔をする…。



そしてハルは、すぐに両手で深く頭を下げているシルヴァスの肩に手を添えて、彼の上半身を起こそうとする。



「それにねぇ、結局は君の誕生会をぶち壊してしまったし…本当は秘密裏にあいつを拘束する予定だったんだ…僕ら、失敗しちゃったんだよ?」


「そんなの、どうでもいい!私こそ、シルヴァスさんにいつも守ってもらってたのが、改めてよくわかったわ。シルヴァスさんのお陰で、今は幸せになったと思うの。」


「ハル…。」


「感謝することはあっても、謝られるようなことはないじゃない。」



ハルの声に頭を起こしたシルヴァスが、彼女を見て頭を()いた。



「でもねぇ、やっぱりあの時…冥界の孤児院にいた時ね…君は誰でもいいから引き取ってくれる義親を探していたでしょ?君の条件に(かな)った後見人がなかな見つけられなくて…心細かったと思う。」



再び、申し訳なさを滲ませた声で、シルヴァスはハルに寄り添うように彼女の頭を軽く撫でた。

アスターは二人の様子を無言で見詰めていたが、その目は線のようになっていた…。

冥界孤児院での話題が出ると、侯爵閣下の方は、ばつの悪い思いを抱いた面持ちになる。



ハルはシルヴァスに対して、首を小さく振ると、(こら)えきれず片方の目から一筋だけ涙を垂らした状態で、微かに彼に対して微笑みを作る。



「心細かったけど、いつもシルヴァスさんが支えてくれたもの!それに簡単に後見人希望者の許可が下りていたら…タナティスさんに引き取られていたのよ?もし、そうなっていたらと思うと…怖い。」



そう話すハルの顔は、シルヴァスが語ったタナティスの執着を思い出したのか…心底、恐ろしさに歪んでいて、一瞬、小さく震えも走ったようだった。



「本当にシルヴァスさんには…感謝しているの。」



今度は弱々しく(ささや)くハルに、シルヴァスが無意識に彼女の肩を抱いた。



それを見たアスターは眼を三角にしている…。


孫娘に現人神とのフォーリンラブ反対を()げる侯爵の方も、気が気ではない…。


一部始終の話を聞いて、孫娘に親身になってくれたシルヴァスには、彼も心から感謝をしているものの、寄り添う二人には渋い表情を作ってしまう。



しかし、次にハルが、



「そのお陰で、結局フォルテナ伯爵家で、お世話になれて…アスター様にも会えたのだし。」



と話した途端、アスターの顔がパッと輝いた!



そして、現金な伯爵様は胸を張りだした。



「当然だ!ハル、君と私が会うことは運命だったのだ。」



自己中化したアスターの発言にシルヴァスは、ハルがそちらを向いている隙にすうぅっと目を細める。口の中では小さく『馬鹿か?』という言葉を聞こえないように呟いている…。


そんなシルヴァスの態度には気付かないハルは、アスターに向かってクスリと笑んで、



「フフ、ありがとうございます。アスター様みたいに素敵な()()()が出来て、本当に幸せな毎日を過ごさせてもらえました。」



というと…。



今度は、アスターは口を開けたままで固まり…数秒経過した後、『()()()()⁈』と、シルヴァスにならったように、今度はアスターが口をパクパクさせて声にならない声を披露した。



確かに自分はハルを引き取った当時、兄のように思ってほしいと言ったが…まだ兄としか見られていないとしたら問題だ!


アスターの心に焦りが浮かんだ。


その様子をハルの頭越しに、彼女に気付かれないようにシルヴァスが見物しながらニヤリとほくそ笑んでいる。



相変わらず渋い顔を浮かべているラナンクル侯爵も、その後のハルの一言で態度を豹変させた。



「それにシルヴァスさんがアスター様と接点を持たせてくれたお陰で…本当のお爺様に会うことも出来たんです。私、まさか自分が受け入れてもらえるとは思っていなくて…本当に嬉しいです。」



彼女はそう言うと、シルヴァスに向けていた体を侯爵の方に向けて、ニコッとして首をやや傾けた。



『その動きがまた、カワイイ!』と、ラナンクル侯爵は萌えて、目尻を自然と下げてニコニコしている。


更に、侯爵は大袈裟に両手を広げながらハルに向かってオペラ歌手のように語った…。



「ハル!僕だって、同じだよ。君に初めて出会った時の己の誤作動をどんなに恥じたことか!許してくれ。そして私の方こそ嬉しい!!これから、祖父らしいことをさせてもらうからね。」


「そんな、ありがとうございます…。本当に気持ちだけで嬉しいですわ。だって、私にとってお爺様がいて下さるだけで充分なんですもの。」



ハルの声を聞いて、侯爵は震えながら破顔した。



「何て優しい孫娘なんだ!本当にハルは、ディアナによく似ている。」



そう言いながら、素早く進み出てきたと思うと、誰かが止める間もなく、ハルの体を両腕ですっぽり包んでしまった。



ハルを抱きしめる侯爵に、シルヴァスとアスターは冷たい視線を送っている。

『よくやるよ…爺。』『ついこの間まで引きこもりの癖に…。』という心の声を駄々洩(だだも)れにしたような視線であった。



 しばらく四人はそんな調子を繰り返し、タナティスの異常っぽい行動に対する恐怖を、ハルはあまり実感しないで済んだ。



しかし、そんな時間もやがて終わりを告げる。


シルヴァスが、これからカヤノの元に寄るため、そろそろ(いとま)すると言い出したのだ。


やはり、ハルの予想した通りであった…彼は、とても忙しいのだ。

そんな中、タナティスの事を知らせるために、伯爵家と自分の様子を見る為に、わざわざ来てくれたのだとハルは思った。

更に、彼は現人神のセンターに瘴気の事件の黒幕の身柄拘束を、報告しにも行かなければならない筈だ。

ハルは申し訳ない思いでいっぱいになる。



 そして、シルヴァスを見送った後、ハルは急に寂しい気持ちになった。

何だかんだ言って、シルヴァスの春風のようなふんわりした温かいオーラと軽快で楽しい口調は、いつも場を和ませてくれるし、明るい気持ちにさせてくれる…。

子供の頃から、面倒を()てくれていた事もあり、彼が屋敷を離れると途端にハルの心には、今日の出来事とタナティスにずっと見られていた!という、おぞましい気持ちが(あふ)れ出るように湧いてくる。


彼が帰った後、ステラに付き添ってもらいながら自分の部屋へ戻ったハルだったが、一人になれば一層そんな感覚に悩まされた。

今更ながらに、恐怖が自分を襲う。


もし、タナティスが脱獄などしてきたら、どうしよう⁉とか、悪い事ばかりが頭をよぎるのだ。


勿論、自意識過剰かと思われるのだが、母に対する執着を知って、ハルはどうしても怖くなってしまう。

()みをしている瞬間も着替えをしている瞬間も、ベッドに入った瞬間さえも、振り向いたら後ろに彼がいるのではないかと怯えてしまうのだ。


『今日は色々な事があったから、早く眠りましょうね。』と、ステラがベッドサイドに少しの間、付き添ってくれていたが、彼女だって仕事があるのだ。いつまでも自分の傍にいて欲しいとは言えず、ハルは強がって『もう大丈夫』と彼女に告げた。


大丈夫ではなかった…。


今、この屋敷にはアスター様の勧めで、ラナンクル侯爵が泊っている。

両親の死後、初めて出来た身内に甘えられるものなら甘えたい…。

だが、今日初めて孫と認めてもらったばかりで、そんな図々しいお願いなど出来る筈はなかった。

この屋敷に引き取られたばかりの年齢位ならギリギリ、もう少し誰かに甘えられたかもしれない…。

いや、両親を亡くして気を張っていた自分は、当時から誰にも甘えないで頑張っていた。



「そうよ。あの時は、悲しくても乗り越えることが出来たじゃない!今だって、怖がってばかりじゃダメよね。昔の自分を思い出して、勇気を持たなくては!!」



ベッドの中で独り言を言い、自分で自分を奮い立たせる。


けれど、怖いものはやはり怖い…。

タナティスに立ち向かう勇気を持っても、恐怖が消えるわけではなかった。

高い神力はあっても、そこそこ剣や護身程度の術を使えても、ハルは別に武道の達人でもなく、中肉中背の大人になる手前の少女でしかない。


人間やマッド・チルドレンを相手にするなら、彼女の方が上かもしれない…。

神力が明らかに上回っていれば自分に勝機があるけれど、男神相手では恐らく敵わないだろうと思う。

タナティスは一応貴族…格下の能力だとしても力は男神には敵わない。

襲われれば、時間稼ぎをすることは出来ても戦って勝てるかどうか疑問だ。


先程だって、用意に彼に連れ去られてしまう所だった…。

自分はあんな風に男神に担がれてしまえば、手も足も出ないのだということを実感してしまったのだ。


その事実がハルを余計に恐怖でいっぱいにするのである。


どうにもならない思いに耐えながら、ハルはひたすら明日が来るのを待った。

ベッドの中で丸まって、体を固くしながら…そして寒くも無いのに…震えながら…。



 そんな状態が一、二時間程続いたように思えた。


夜はすっかり更けていたと思う。


相変わらず、眠れずにハルはベッドの中で丸まっていた。


すると部屋の外の廊下からヒタヒタという足音がこちらに近付いてくるのがわかった。


もしや、タナティスでは⁉と、疑心暗鬼に陥るハルの体は強張った!


緊張が高まり、震えと涙が同時に出始める…。


そして恐れていた足音は、ハルの部屋の前に来ると、ピタリと止まった!


『ヒッ!』と心の中で悲鳴を呑み込み、いよいよ彼女の緊張は頂点に達する。


目を(つぶ)って、身構える彼女は森の小動物のように、小さくて弱々しい。


ドアが開かれるかも⁉と思っていると…。



「トントン。」



という、ノック音が聞こえてきた。



もしタナティスが自分を攫いに来たのなら、ノックなどするだろうか?


そもそも、廊下からやってくるのだろうか…正式に、足音を立てながら廊下を歩いて…。


少しだけ冷静に頭を働かせて、ハルはそう気付く。



「タナティスさんでは…ない…わよね?」



恐る恐るベッドの中でハルは、自分にそう言い聞かせると、勇気を振り絞って、ドアに向かって返事をした。



「ど、どなた…ですか?」



すると、力強くて優しい声が返ってくる。



「私だ…、ハル、夜分にすまない。もう寝ていたら良いと思ったのだが…。」



『アスター様の声だ!』そう思うと、ハルの全身から力が抜けた。



「レディの部屋をこんな時間に訪問して不作法だとはわかっているが、このドアを開けても良いかな?」



ハルには内緒だが、年頃の娘を持つ後見人として、アスターは招かれない者はドアを開けることが出来ない魔法をかけていた。かけた本人だから簡単に解除することは出来るが、また魔法をかけ直すのが、面倒くさい…。


そんな事は知らないハルだったが、怯えていたこともあり、無意識にアスターに返事をしていた。



「ハイ…。」



そう、たった一言だけ。


すぐに、ドアがゆっくりと開かれ、アスターが部屋に入ってくる。

相手がタナティスではなかった安堵から、ハルはもそもそとベッドの掛け布団から顔を覗かせた。

余裕がなかった彼女は、滲んでいた涙の事も忘れていた…。


アスターはそんな様子の彼女を見て、ベッドに近寄った。



「大丈夫か⁉ハル?ちゃんと眠れているか心配になって、様子を見に来たのだが…ノックをして返事がなければ戻ろうと思って、念のため確認したんだ。」



そう説明したアスターにハルは、思わず縋りそうになった。

とても心細くて、怖くて仕方がないのだと!


近寄ってくるアスターに夜明けまで傍にはいてもらえないだろうかと…。


だが、それは17歳になった少女としては、レディとしてあるまじき『お願い』である。

喉まで出かかって、ハルはその願いを止めた。


しかしベッドの傍にまで来たアスターは、彼女の頬を伝っていたであろう涙の痕に触れ、顔を歪ませる。



「泣いていたのか?布団に入っていた割には、体も冷たいな…。」



同時に手を取って、アスターは彼女の体温を確認する。



「どうやら、ちゃんと眠れていなかったようだな…。」



そう言われてしまえば、嘘をつくのもおかしいし、この状況で瞬時になんて言い訳をしたらいいのか、今のハルにはわからなかった。


仕方なくコクンと頷く彼女に、アスターは続けて声をかけた。



「眠れないなら、ホットミルクか…何か温かいものを取ってこよう。ハーブのお茶などのリクエストはあるか?」



アスターが調理場の方に向かおうと踵を返した瞬間、一人が怖かったハルは咄嗟に無意識の言葉を発してしまった!



「いや、行かないで!」



と…。



 言ってしまってから、ハルは自分の間違いに気付いた…。


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