46.揺れるハル(リンド)
ノックの音に、ステラが部屋のドアを開けると…やってきたのは、執事のホルドだった。
「失礼致します、お嬢様。」
何か用があるのだろうと、ハルもそちらの方へ歩み寄るとホルドが彼女をドアの外に導くようなしぐさをして、フォルテナ伯爵=アスターからの伝言を告げた。
「アスター様から、至急、大切なお話があるとの事です。それと、どうしても会わせたいお客様がいらっしゃるので、ハル様をお連れするようにと仰せつかって参りました。」
「お客様?」
ハルの脳裏に一瞬、先程のラナンクル侯爵の姿がかすめた。
もしかして、何か私に言う事があるのかしら?
勝手に浄化魔法陣を作動させたこととかで、文句があってとか…?
二度と、ラナンクル領に入るなとか…顔を見せるなとか…そういう類の事を言われるのかも?
どちらにしろ、もはや他人同様で関係は無いとはいえ、母の父親かもしれない人物に面と向かって、そういう事を言われるのかと思うと気が重い…。
ハルは重くなる胃をさすりながら、ホルドの示す方向に足を進めた。
「ハル様、大丈夫でございますか⁈お顔の色が優れませんけれど?」
気の重い私の表情を見て、敏感にステラが反応した。
「ホルド、今すぐ伺わなければダメなのかしら?」
ステラが心配そうに執事に尋ねるとホルドは有無を言わさずに頷いている。
「まずは、お顔をお出しになって下さい。その上でご気分が優れないとの理由で退席なさるのはハル様次第の事と思います。」
ホルドはそう言うと、ハルを促した。
そのまま、執事に導かれるままに、ハルは休憩用の客室を後にして、アスターの元へ向かうのだった。
ホルドに扉を開けられ、室内に入ると、思った通りソファにはラナンクル侯爵が腰かけている。
ハルの姿を目にすると、ラナンクル侯爵もアスターも席を立ちあがって、ハルが近くに来るのを待った。
アスターはハルを迎え入れて、執事に扉を閉めさせると、早々に口を開いた。
「ハル、大事な話があるのだが、その前に先日の一件でラナンクル侯爵が君に謝罪したいと仰っていてね…。君の返事を聞かずに申し訳なかったが、今日の誕生会に招待していたんだ。」
「え?」
ハルは咄嗟の事で言っている意味が良く理解できなかった。
そんな彼女をよそに、アスターは一気に話を続けた。
質問させる隙を与えない為である…。
「途中で会場に入られた所、タナティスの一件が起きて、侯爵閣下は君に挨拶に伺えなかったのだと言っておられる。だけど、ほら、君も侯爵には助けて頂いただろう?それで、できれば私からも、ラナンクル侯爵には寛大な態度で接して欲しいと頼みたい。」
アスターの言葉に必死に頭を働かせるハルが『助けて頂いた…?』という部分を繰り返し、侯爵を見て、アッと思う。
そういえば、会場で良く見えなかったけど、誰だろうと思っていた人物がいた!
それから、タナティスに攫われそうになった際に、最初に彼に飛び掛かってくれた男性がいた…。
その人の格好は…そういえば、今の侯爵様に一致する。
始めにお会いした時は、病人のような姿をされていて、全然、結びつかなかったけど、確かに私をタナティスから救ってくれた恩人は彼だった。
それも、何度も腕を殴られていたけれど大丈夫だろうか?
ハルは思わず、まだ起立し続けているラナンクル侯爵の方に、やや歩み寄って声を掛けた。
「ラナンクル侯爵様、すぐに気付かず、申し訳ありません!以前は、領地で大変失礼してしまったのに、助けて頂き、ありがとうございました。あの、お怪我は…、お怪我はありませんか?」
心配げな表情を浮かべたハルを見詰め、小刻みに震えたラナンクル侯爵が更に歩み寄り、彼女の目の前に立って、小さく口を開いた。
「怪我など…あの位どうってことはない。仮にしたとしても、君を守れるのなら本望だ。それより先日は失礼した…信じてもらえないかもしれないが、あれは、僕の本心じゃない。ただ、僕も動揺してしまって、娘を失くしたことへの怒りを…どこにやったらいいかわからず、君にぶつけてしまったんだ。」
苦痛に歪む侯爵の顔を見ながら、ハルは寂し気に笑う。
「そのことなら、いいんです。侯爵様は悪くありません。だって、侯爵様の言う事は本当の事だと思うから…、侯爵様にとっては、娘さんに帰って来てほしかったのですよね…。当然だと思います。」
ハルの言葉を聞いて、ラナンクル侯爵は更に辛そうな顔をした。
「許してくれ…虫のいい話だと思うのだが、私は間違っていた!冷静になって考え、今は君を守った娘を誇りに思っている。君さえ良ければなのだが、是非ラナンクル邸に戻ってくれないだろうか?今は君が生きていてくれたことが…君がこの世に生まれていたことが、本当に嬉しいんだ。」
侯爵の必死な訴えに、ハルの眼には薄っすらと涙が滲んだ気がした。
「そんな事を言ってもらえるなんて思いませんでした…。今日はもしかして私に何か気に入らない事があっていらっしゃったのかと…ごめんなさい。でも、嬉しいです。ただ、ラナンクル邸に戻るとは…?」
ハルが侯爵の意図を良くつかめず、首を傾げると、傍にいたアスターが代わりに口を開いた。
「侯爵は、ハルにラナンクル邸に来て欲しいそうだ。出来る事なら、君を引き取りたいと言っている…正式に孫娘として。」
アスターの説明にハルは目を丸くする。
それはそうだ。
つい先日、『おまえのせいで娘は消えた』とまで言われたのに、今更、孫娘として引き取ってくれると言われても返答につまってしまうのは、普通の事ではないだろうか。
それに、一時は冥界での養い親が欲しかった事もがあったが、今は伯爵邸でお世話になり、あと少しで学校も卒業出来て、現人神になるコースを選択するつもりでいるのだ。
仮に現人神の職務と寿命が終わったからと言って、冥界に行きたいとも思わないが、もしどうしても戻らねばならないならば、貴族ではなく一般庶神として細々と仕事をすればいいのではないかと思っている。
別にハルにとって、冥界でのステータスや貴族の身分など興味がなかった。
…なので、ハルは慌てて角が立たない言い方を考えながら、侯爵の申し出を慎重にお断りしようとした。
「ええと、お言葉は大変ありがたいのですが、私はもうすぐ現人神養成学校を卒業して、人間界に行くことになっています。ですから、既にお世話になっている伯爵邸でそれまでの期間を過ごさせて頂こうと思います。こんな私を誘っていただいてありがとうございました。」
しかし、意外にも、ハルの断りの言葉にラナンクル侯爵が噛みついてきた。
「待ってくれ。君は確かに現人神希望かもしれないが、まだ時間がある。冥界での生活を選択する気は無いのかい?現人神の寿命分は、冥界の寿命が削られるぞ?できれば最初から冥界にいた方がいいとは思わないか?それに、どうせ現人神の務めが終わると、君は冥界での残りの寿命を過ごさねばならないんだ…その時、私の孫でいた方が色々と後ろ盾になれると思う。」
やはり、一筋縄にはいかなかったかと、侯爵は彼女の説得に乗り出す。
「いえ、侯爵様。私の後ろ盾など、滅相もございません!私は普通に庶神での生活で構わないんです。どうぞ、侯爵様は私のことなど気にせずにいて下さい。」
侯爵は眼に見えるように悲しい顔をして、ハルを見た。
まるで捨て犬のようだ。
ハルの胸は少し痛んだ…。
「侯爵様…私のことは忘れて下さい。あなたは、何も気に病まなくていいんです!私は生きていてくれて嬉しいと言ってもらっただけで幸せです。でも私がいれば、侯爵様は母の事を思い出すし、私の代わりに母が生きていれば良かったと思う日が、また来るでしょう?それに私が、侯爵令嬢の娘だと名乗れば、侯爵や母の顔に泥を塗ってしまいかねません…。」
ハルは心を鬼にしたつもりで侯爵に告げる。
そして、腑に落ちないとでも言うように、ラナンクル侯爵は彼女に聞き返した。
「ラズベルは自らの意志で君を守ったのだ!君は娘の宝だったのだろう?娘に誓って、君の代わりに…などという事は二度と言わない!信じてくれ。それに、泥を塗るとはどういうことだ?君を見ていた限りでは、完璧だと思うが…。フォルテナ伯爵には、本当に感謝しているよ…孫を立派に育ててくれて。」
『孫⁈』、今、ラナンクル侯爵は自分の事を『孫』と言ったか⁈と、ハルはうろたえた。
アスターの方は、侯爵の言葉を受けて、彼の感謝を否定しながら笑った。
「いや、ハルは元々完璧に近かったですよ。あなたのお嬢さんが、冥界令嬢として彼女に色々と仕込んでいたのでしょう…。僕の所ではもう何も教えることがありませんでしたよ。ほとんどね!」
アスターの言葉に侯爵は頷くと、悲し気な顔のまま、こちらを向き、笑んでいる。
そして、ラナンクル侯爵に『泥を塗ると言う事はどういう意味か?』と再度、尋ねられてしまったので、ハルは説明した。
「泥を塗ると言うのは…そうですね。私が貴族らしくできるか謎ですし、私は基本孤児ですので…そのような情報は、皆さんのお耳にすぐ入るでしょう?仮に正式に迎え入れてもらっても、一時期孤児だったことは変わりませんから、何かあれば、侯爵に恥をかかせてしまいます。」
「そんな事は構わない!君にどんなに泥を塗られようと、私はそんな事は気にしないよ?可愛い孫娘の為なら恥などと思うものか。ただ、君が私の元に…ラズベルの愛しい忘れ形見を代わりに守る事が出来れば、そんなに幸せなことはない!どうか、この生きる希望を失った老人に希望の光を灯しておくれ。」
ハルは侯爵の言葉に、目を潤ませ、深く感動していた。
だがアスターは、『希望を失った老人』だと?と、自分の事を弱々しく言うラナンクル侯爵を見ながら、一人で腹の中でツッコミを入れながら、斜に見た考えを頭に浮かべていた。
ほう、『老人』ねぇ…?
髪は若い頃と比べ、年のせいで白髪になっているのであろうが、見た目は、30歳そこそこの青年貴族くらいにしか見えない。
確かに彼の本来の年齢は、かなりの高齢なのだろう…。
しかし、冥界神は能力が尽き、寿命が来るまでは、特に気の不足でもしていない限り、その能力も体力も死ぬまで落ちる事は無いのだ。
つまり、能力の大きさに乗じて冥界貴族もそうだが、一般的な神も、自分のエネルギー体の基本の年齢で成長が止まり、好きな年齢に化けることはできるが、元来の姿はその年齢に固定され、一般的にはその姿でいる事がほとんどなのだ。
前回会った時のように、生きる気力が不足し、神気の欠乏を招く状態ならまだしも、今のラナンクル侯爵は、ちっとも力が枯れているようには見受けられない。
アスターから見ると、そんな人間の『働き盛り・絶好調!』のような姿で、『なーにが老人なのか⁈』と、思ってしまうのである。
おまけに希望の光がどうのと、弱々しいフリまでして…。
侯爵がそんな玉ではないのは、オーラを見ればわかる。
そもそも、侯爵家のような大貴族の孫娘に孤児であると指をさすような馬鹿は社交界ではいない…ハルの陰口を叩くような怖いもの知らずがいれば、お目にかかりたいものだ。
そんな奴は、ラナンクル侯爵に抹殺されるだろう…侯爵がしなければ、私が消している。
そう思いながら、侯爵の三文芝居をアスターは眺めていたのだ。
とはいえ、冥界貴族の能力を色濃く受け継いだにも関わらず、地上生活が長く、内面は現人神らしい純粋なハルは、すっかり侯爵の弱っている姿に、心動かされているようだった…。




