45.ハル、思う…。
ハルは、散々な誕生日パーティの後、アスターから消毒と称してされた、ありえない行為に驚きを隠せないでいた。
しかしまさか、『特に何か意味があるわけではないよね?』と、自分に言い聞かせる。
だって、元々アスター様は、私のことなんて好みの範疇ではない筈だし…。
けれど、その行動はハルにとって、とてもではないが、何でもないような振る舞いとは思えないし、ただの後見人のする行動なのかどうか疑問だった。
ハルは色恋事には、アスター同様で疎い。
でも、あの時のアスター様は、凄く色気があったし、ちょっと怖かった。
アスター様の意図がよくわからない…。
だって、あれじゃあ、まるで…。
(まるで自分の事を女性として見ていて…好きみたいではないか!)
それからノックと共にやってきた来客への驚き…。
前に見た時と、うって変わった貴族の紳士然とした姿で現れたラナンクル侯爵の突然の登場には、今も動揺してしまう。
一体、どういった意図があって、ここに現れたのか…?
その事で、ハルの戸惑いは更にMAXにまで、押し上げられている。
これでもかという位の盛りだくさんの出来事に、今年の自分の誕生日は、かなり忘れられないものになったと言えよう…皮肉なことに。
それに、忘れられないといえば、タナティスの件はどうなったのだろうか?
アスターの謎の行為ですっかり頭がグルグルし、記憶から抜け落ちかかったけれど、今日一番の珍事件は、彼の狂気とも言える犯罪行動なのだ。
驚いた事に、彼は自分の母を『好きだった』と言っていた。
「私のこともずっと見ていたって…施設から引き取ろうとしたけど、許可が下りなかったって…。」
彼はずっと自分の事を知っていた。
マッド・チルドレンの事故についても口にしていたのだから、底知れないくらい前から私達親子を観察していたのかもしれない…
(冥界から⁈)。
それなのに、社交界で初めて会ったように装い、接していたのかと思うとゾッとする。
これを地上の言葉で言うのならば、まるっきり、『ストーカー』という奴ではないだろうか?
あのタナティスの狂気めいた行動と常軌を逸した眼を思い出して、本当に彼に引き取られなくて良かったし、その許可が下りなくて助かったとのだと思う。
彼は、パーティ会場で、私を引き取る許可が得られないのは、シルヴァスさんが何か画策したのではないかとも疑っていたが…もしかして?
いや、多分それは…そうかもしれない。
シルヴァスさんは、朗らかで軽く見えるけど、繊細な面を持っていて、カンが良く、本当に良くものごとを見ている。
頼れる現人神だ。
主に現人神の孤児を保護する仕事をしているが、自分が携わった子供達に対して、非常に責任感が強く情が厚い。
私が冥界の血と能力が強すぎて、地上よりも適性があるからと孤児院を移された後も、責任を持って
対応してくれた。
冥界の孤児院に移された段階で、情の薄い担当者ならば、『地上に戻るまではそちらの管轄だから…』と、冥界の機関に私を丸投げしても、おかしくない筈なのだ。
正直、私には、冥界の孤児院に引き取られた時点で、現人神であることを完全放棄して、冥界のみで生きるという選択もあった。
だが、自分が現人神養成学校に通うことを嬉しそうにしていた母の姿が忘れられず、私自身がそれを強く望んだ為、シルヴァスさんはそれに色々と尽力してくれていたのである。
しかし現人神養成学校に通うということは、現人神の権利を取得するということ。
冥界の孤児院で『現人神』の親を探してはくれないし、かといって親が決まらねば、現人神の戸籍すら取得できず、そのまま現人神の権利を放棄しなければ、『ハグレ現人神』にされてしまう。
母はもしかすると、私の『現人神』としての寿命が終わった時を想定して、現人神としての権利を取得した後、自分の実家に私を連れて行くつもりだったのかもしれない。
それは多分、私が現人神としての『生』を終えた後を想定してだ。
私のように異界の神と地上の現人神の混血は、両方の寿命を持っているらしく、適性の弱い方を放棄することもできるが、現人神を選択した場合、その『生』が尽きた後も冥界神としての寿命が残り、そちらで残りを過ごさねばならないのだ。
(現在、私は冥界の方の寿命を放棄できないものかと悩んでいるのだが…こちらの方が適性が強いらしく難しい事がわかっている。しかし、こんなに疎まれた環境に身を置きたくないのも事実である。シルヴァスさんに相談してみようかな?)
私の両親は、一方を選択するのではなく、自分達の両方の権利を私に持たせたかったのだろうけど…。
きっと、両親にしてみれば、それが二人の結ばれた証なんだろう。
私の存在だけが、二人の愛の証だと、いつも母は語っていたのだから。
そういうわけで話は飛んでしまったが、当時の私にはどうしても養父母、もしくは後見人が必要だった。
それも冥界から異界の現人神養成学校に通わせてくれ、尚且つ冥界での教育を家庭で施すことが可能な財力と能力を持つ貴族クラスの養い親が!!
しかしそれは、かなり難しい条件で、あのままでは、ハグレ現人神になるか、地上を捨てて冥界のみで孤児として生活するかしかなかった。
自分自身もそうせざる得ないと、半ばあきらめていたし、絶望の中で暮らしていたのだ…。
余談だが、冥界は孤児院に迎え入れられた時点で、すでに戸籍に登録してもらえるし、義務教育を行ってくれるので、仮に養い親が決まらなくても、そのまま孤児院を出る年になれば、普通の冥界の市民として、仕事を探して生きていける。
ここは現人神の社会と大きく違い、日々人間の死者を迎え入れているせいか、入って来る者に対しては、寛容なのだ。
逆に一度こちらの世界に完全に入ってしまうと、出る方が難しいという特徴もある。
自分の都合で冥界を捨てるには、それなりのペナルティーを科せられることがほとんどだ。
母が良い例で、父との駆け落ちで執拗な追手に悩まされたのも法律的に絶対的な身内の承認を始めとする数多の許可が必要だったにも拘らず、強行してしまったことが原因だ。
これが、現人神の社会なら、他の異界に行きますと言っても、本人が簡単に手続きするだけで、特に難しい事がある訳もなく、地上で大任にでもついていなければ、比較的自由なのだ。
成人していれば、両親(現人神の親)が止める権利も特にない。
全くの本人の意志尊重型である。
そういう違いの中で、一度、現人神の孤児として私を保護したシルヴァスさんは、冥界側の管轄の保護施設に移動したからといって、半分、現人神の子供であるには変わりないからと、ずっと面倒を看てくれているのだ。
責任を感じて、フォルテナ伯爵を養い親に取り次いでくれた後だって、定期的に様子を見に来てくれたり…恐らく私が人間界に無事に戻り、軌道に乗るまでは、気にかけてくれるつもりなのだろう。
本当に子供好きで、素晴らしい人だ…。
だからハルは、タナティスの言うように、勘の良いシルヴァスが何かを感じ取って、彼を近付けないように、もしくは自分を引き取ることができないように、手を回してくれていた可能性はあると思っていた…。
そんな風に、色々なことをパニックを起こしそうな頭で、考え続けていると、ドアのノックと共にアスターの指示でやってきたステラが、普段着のドレスの中から比較的楽な物を持ってきた。
彼女の顔を見ると、自分が緊張して張りつめていたのだと気付かされる。
体から自然と力が抜けるのがわかったからだ。
そんな自分をステラは歩み寄って、抱きしめてくれた。
優しい母のような対応に、急に涙が滲んだ。
安堵の涙だと思う。
「ステラ…あのね…。」
色々と言いたいことがありすぎて、そしてそれは、喋ってもいいものなのか考えあぐねるものばかりで、口を開きかけたけれど、私は次の言葉が中々、続かないでいた。
すると、彼女は優しく笑って、更に強く抱きしめた後、体を放して私に言った。
「無理に何か、おっしゃらなくてもいいのですよ?今はただ、お着替えをして楽になりましょう。そして何も考えず、休むのが良いと思います。一息つきましたらハル様のお部屋の方に参りましょうね!」
ステラの優しい言葉に、私はホッとして、もう喋らずにただ、彼女に寄りかかって、放心していた。
普通に側に寄り添ってもらうだけで心地良い…。
そして何もしなくても、何も話さなくても良いよと、言ってもらうことは、私の心を逆に軽くしてくれたようだった。
着替えをしている間も私は始終、放心状態で何も言葉は発さず、ステラに着替えさせてもらっているだけだった。
しかしボーッとしていても、『思考』というものは、勝手に動いてしまうのらしい。
タナティスと一緒に出て行ってから、シルヴァスさんも帰ってこない。
カヤノちゃんの話では、また戻って来ると本人は言っていたそうだが、いつになるのかわからないという理由で、アスター様は彼女の為に馬車を手配し、人間界の孤児院まで使用人に送らせていた。
無事にカヤノちゃんは地上に戻れただろうかと思いながら、窓の外の方を眺める。
すると、外の城門付近にシルヴァスらしき姿が現れたのを確認する。
「あ!シルヴァスさんかも⁈」
私は思わず声を出していたが、丁度その時だった。
ほぼ同時に、客室のドアにノックの音が響いたのだった。
「トントン。」
と…。




