43.侯爵は折れる
ラナンクル侯爵は、アスター(フォルテナ伯爵)の言葉に震えながら、口を開いた。
「君の条件について、詳しく話せ…。」
目を細めて、アスターは片手で廊下の先を指し示し、侯爵に言った。
「では、別室にご案内します。細かい事を話し合いましょう?ハルには、その後、あなた次第で引き合わせて差し上げますよ。」
侯爵はフォルテナ伯爵が歩き始めると、ノロノロと後に続いた。
途中、アスターはホルドを呼んで、部屋にいるハルに後で行くから、それまで少し休んでおくようにと伝えさせ、ステラに着替えをさせるようにとも指示した。
ラナンクル侯爵は、それをジッと見ながら、抜け目のない恋する冥界貴族に、知らぬうちに囲われつつある孫であるかもしれない娘に、申し訳ない気持ちでいっぱいになっていた。
もっと早く自分が見つけていれば、将来の相手に対しても、もう少し選択の自由があったのではないかと…目の前の男は同じ貴族だというのに、タナティスとは偉く違う。
もっとずっと、大物で狡猾であり、既に爵位持ちだ。
シャンディル・ビーノスの早急な調べで、フォルテナ伯爵が朴念仁で恋に奥手という噂を聞いていたが、見る限りでは運命の相手と認める女性に会う前の事だろう…。
今は既に何かのスイッチが入っているのが見て取れる。
半分は現人神の血が入っていると自分でも言っていたが、怖い位に冥界神の能力が滾っているのを感じるのだ。
神の能力は両親の力の強い方に影響されるのが一般的だ。
フォルテナ伯爵も元々冥界神の血の方が強かったのだろうが、ここへ来て、意中の娘が出来た為に、覚醒したのだろう。
完全に冥界神として…。
それもかなり濃度の濃い冥界貴族・フォルテナ伯爵家代々の執着気質と伴にだ。
こんな男に、小娘が仮に抗った所で、落とされるのは時間の問題であろうという事が、容易に見て取れる。
冥界神系統は、自分もそうだったが…しつこいのだ。
アスターに案内された部屋に入ると、ラナンクル侯爵は溜息をつきながら、用意されたソファに腰かけた。
どうやら彼の執務室らしい。
部屋を一望して、そのまま伯爵であるアステリオスの方に目を向けると、彼が机の中から書類をいくつか出してきて、自分の前に置いた。
「侯爵殿、どうぞ、眼を通して下さい。確認して、宜しければサインをお願いいたします。」
これといった説明もなく、いきなり良い笑顔を向け、侯爵から見れば若造の伯爵・アスターが早期決断を迫ってくるではないか。
なるほど、今日以外は受け付けないと言うことか…。
フォルテナ伯爵は絶対にこの機を逃さないつもりらしい。
シャンディル・ビーノスなどの邪魔者のいない間に…自分の本拠地に、ラズベルの娘の誕生会を餌に
して単身で呼び寄せ、決断を迫る…とは、良く計算されたものだ。
ラナンクル侯爵は、そう考えていたが、結局はフォルテナ伯爵の条件を受け入れる事しか、自分には決断が残されていないのも理解していた。
侯爵は、とにかくもう一度、ラズベルの娘に会いたかった。
あの子の眼も髪もラズベルと同じだった…。
声や顔立ちが、亡くした妻によく似ているのにも驚いた。
喋り方も妻が戻ってきたのかと、一瞬、錯覚した位だ。
瞳の色は私から、濃い紫の髪の色は、妻のディアナから受け継いだ…ラズベルもそうだった。
検査など受けずとも、一目で私にはこの娘が自分の孫娘だと…確信してしまったのだ。
だから、僕は動揺した。
驚きのあまり、咄嗟に、つい酷い事を言ってしまった。
自分でも衝撃を受け、虚勢を張ったのだと思う。
書類に軽く目を通し、いくつか質問を終えると…、侯爵は促されるまま、アスター=アステリオス・シザンザス・フォルテナ伯爵の示す場所にサインをするのだった。
契約書は、冥界名をハルリンドとされる娘が、ラナンクル侯爵の孫であると証明された場合、フォルテナ伯爵は『後見人』を放棄し、『ラナンクル侯爵』に権利を譲るというもので、代わりに侯爵家から、将来、ハルリンドとの婚姻を約束されるというものである。
書類では既に、正式な婚約を結ばされてしまい、あとはラズベルの娘との血縁関係が証明されれば、その効力を発揮する。
更にフォルテナ伯爵は、この契約の事を彼女には、知らせないでほしいと言ってきた。
僕の方としても、これから彼女がラナンクル邸に戻って来てくれるかは別として、孫を売るような契約を勝手に結んだなどと知られないで済むのなら、その方が良いと頷いた。
この男は契約ではなく、心から自分を愛するように小娘を落とす気でいるのだろう。
…強欲なことだ。
書類を全て仕上げると、僕は執務室で伯爵邸の執事がお茶を入れるというので、それを待ちながら、あの衝撃の日から、酷い事をラズベルの娘に言ってしまったことへの後悔の数日を振り返っていた。
フォルテナ伯爵の方は机の椅子に座って、僕のサインした書類を再確認する為、隅々まで目を通している…全く用意周到なことだ。
ハルリンドと呼ばれる小娘に会ったのは、冥王からの使者が来てすぐだった。
侯爵領は年々、荒みを増していたし、愁いの森が酷い状態だったのは何となくわかっていたので、いずれ上の方から何か言われる日がやって来るとは思っていた。
そんな時に、人間界でマッド・チルドレンが現人神を恐怖に陥れるような事件を起こしたのだ。
自分には関係ない事だと思っていたが、まさか、その事件が全くの無関係ではなく、娘のラズベルが命を落とした要因だったとは、思いも寄らなかった。
ラズベルの娘であろう少女の出現で、家令の早急な調査の結果、マッド・チルドレンの仕組んだ事故で孫娘が狙われ、ラズベルは自分の娘を守って命を失ったのだというのだ。
もしも、私が下級現人神の男との仲を認めていれば…ラズベルの人間用の肉体が『仮』の物でなければ…恐らく命を落とすことは無かったのだという。
この件が発端で、現人神社会では正式な婚姻者でない内縁の夫婦の扱いを変えようという流れが起きているそうだ。
とにかくその事件のお陰で、冥王は人間界から瘴気の扱いについての再確認を要請され、私の現状を問題視し、他貴族で有能なフォルテナ伯爵とその養い子である現人神志望の冥界の孤児を私の領地に派遣したのだ。
そこで、運命か偶然か…出会ってしまったのだ。
あの娘に!!
優秀だと使者に聞いていたフォルテナ伯爵と孤児の娘!
その日のうちに何とこの小娘は、ラナンクル領の瘴気や荒みを一瞬にして緩和して、領民を含め屋敷の者達の度肝を抜いた。
しかも、その娘が使ったのは、我がラナンクル侯爵家の正当な跡取りしか使えない魔法陣だったのである…。
後になって、娘であるラズベルが、孫娘にその魔法陣を伝授していたのだと思うと涙が出た…。
きっと、この娘をラズベルは、いずれ侯爵家に、私の元に、連れてくるつもりだったのに違いないと思ったからだ。
そうでなければ、魔法陣を自分の娘に教えたりしないだろう。
ラズベルは、元々、自分が侯爵家の跡取り娘であるという事をしっかり自覚していた。
いつか必ず孫を連れて、私の元に帰って来るつもりだったのだ。
もっと、自分が早く…娘に寄り添っていれば…。
ハルリンドと呼ばれる娘に言ったことは、完全に八つ当たりだった。
悪いのは、自分。
全て『僕』なのだ。
悲痛に顔を歪めた侯爵は、思った。
だからこそ、今度は間違えてはいけないと…。
自分は無駄なプライドを粉々に砕いて、今度こそ、正直でありたい。
そう、早く、ラズベルの娘に会わなければ…。
会って、謝って…許されるならば、抱きしめたい。




