42.ノックしたのは誰?
「コンコンコン。」
というノック音を聞いて、アスターが休憩用に用意されていた部屋のドアを開けると、背の高い痩せ身の紳士が立っていた。
そして、開口一番、アスターが紳士に声を掛けた。
「やあ、これは…こちらからご挨拶に行かねばならなかったのに。まだハルが落ち着いていなかったので、失礼致しました。あなたの方から来させてしまうなんて恐縮です。まだ、部屋で休まれていてはどうでしょうか?」
丁寧な言い方をしてはいるが、わざわざ訪れた相手に、また部屋で休めとは、少々、無礼に聞こえるが…。
ハルに背中を向けるアスターの顔は見えない。
だが、感謝の言葉を紡ぐ口とは裏腹に、伯爵の眼は少しもそんな色をしてはいなかった。
むしろ、鋭い視線を相手に向けている。
そしてその相手に対し、伯爵がまた口を開いた。
「何と言っても、あなたのお体はまだ、健康とは言い難いでしょうに…?無理なさらないで下さい。」
「余計な世話だ。それより、変な魔道具を装着されていたが…娘に大事は無かったのか?」
「ああ、それでしたら、今まさに、その趣味の悪い金属片をはずしていた所ですよ。無事に粉砕しましたから、ご安心を。それよりあの気持ちの悪い蛆虫のような男をあなたは御存じで?」
「ああ。昔のことで定かではないが、ラズベルにランダムに勧めた…貴族青年の中の一人だ。あの頃は…現人神の男から娘を引き剥がす事に躍起になっていて、冥界貴族なら誰でもいいとばかりに見合い相手を娘に差し向けていたんだ…私が間違っていた。」
アスターともう一人の貴族男性の話が、離れた所に腰かけているハルの耳に入ってきて、彼女はハッと気付いた!
そう言えば、この声には聞き覚えがある。
ゆるやかなクセのある白髪も…短く綺麗にカットされていたから気がつかなかったけれど…あの背の高さも、そうだ。
あの日はボサボサ頭で、寝間着姿の病人のような出で立ちだったので、そういうイメージしかなかったが…この会話内容を照らし合わせれば、今、アスター様と話をしているのは、ラナンクル侯爵に違いない!
けれど、一体なぜ⁉
ハルはもはや、裏切られることを恐れ、侯爵には何の期待も抱いてはいなかった。
何をしに来たのかは知らないが、私には関係の無い事だろう。
もしかしたら、領地の浄化で訪れた件について、何かアスター様に確認したいことでも、あったのかもしれない…まあ、こんな日にやって来るなんて、ラナンクル侯爵家は前ぶれなく他家に来るのか…?と、疑問だが…どちらにしろ自分の知る所ではない。
そう思い、ハルは部屋のソファの上で、アスターとラナンクル侯爵らしき人影から、瞳を逸らしながら、座っていた。
すると、侯爵がアスターを通り越して、後ろに視線をやり、部屋でソファに腰かけているハルの姿に気付いたようだ。ハルは視線を感じたが、意識的にそちらの方には目を向けないようにした。
アスター越しから侯爵は、そちらを覗き込もうと、体をずらして確認しようとする。
しかし、意地悪でもするように、フォルテナ伯爵も一緒にその方向に体をずらし、侯爵殿の視界を塞ぐ。
やや、苛立ったように侯爵は、押し殺した声で、アスターに耳打ちした。
「あそこに座っているのはラズベルの娘だろう?会わせてくれ…この前の非礼を詫びたい。」
侯爵の申し出にアスターはチラリと彼に視線を向けて、すぐに何か考えているように今度は目を上に向け、小声で侯爵と同じように、耳打ちを返した。
「家令殿から、話はお聞きになっておりますか?」
そう言って少し顔を離し、フォルテナ伯爵は侯爵殿に笑顔を見せた。
「…脅迫するつもりか?」
ラナンクル侯爵の問いに、今度は、どちらかというと大男の部類に入るフォルテナ伯爵が、可愛く小首を傾げて見せた。(この体格でそのしぐさは異様だ…。)
「まさか…ですが以前、家令殿にお伝えした条件を呑んでもらわねば、彼女に会わせられません。あなたは既に彼女を傷つけた!出した条件は、永遠に私が彼女を守るというものです。悪い話ではないと思いますが?良く考えて下さい…色々と。」
フォルテナ伯爵の図々しい話ぶりに、肩をワナワナ震わせながら、侯爵は睨みつけて言う。
勿論、ハルに聞こえないように、小声で加減をしながらだが…。
「こちらは一度、娘で失敗しているんだ。だから、結婚を強制することはできないし…君の条件は飲めない。」
侯爵にとって、アスターが突き付けてきた条件は、伯爵自身が第二のタナティスに、他ならないように感じられたのだ。
「そうですか。今日は条件を呑んで下さったから、いらっしゃったのかと思いました。まさかの断りを入れにやって来られたとは…残念です。ならば、もう会話は無用ですね。迎えを呼びましょう。それとも、うちの方で送らせましょうか?」
「おい、待て!条件を聞くことはできんが、娘にもう一度だけ会わせる位、いいだろう?ボクはわざわざ、ここまで来たのだぞ!」
「断りにでしょう?ですから、別室でお話しましょう。」
「い、いや…。」
ラナンクル侯爵は慌てて、ハルの方に目をやるが彼女は遠くの方に視線をそらし、こちらの方を見ようともしない…。
そうこうするうちに、アスターは、長年、部屋に閉じこもっていて筋力の落ちている侯爵の体を、己の体で無言にグイグイと押し出してしまった。
廊下に出た所で、ハルを部屋に残したまま、アスターが後ろ手にドアをそっと閉めた。
「侯爵、結婚を強制だなんて…人聞きの悪いことをおっしゃいますね。私は強制などしませんよ?ただ、あなたの正式な許可を得たかっただけです。」
「だが、シャンディル・ビーノスによると、侯爵家にラズベルの娘を戻したあかつきには、いずれ君に差し出すように条件を付けてきたと聞いているが?」
「何か問題が?私は婿には入れませんが、いずれハルと私の子が侯爵家を継げば問題ないでしょう?一人っ子にするつもりは、ないので…。」
しれっとした顔で伯爵が答える。
「問題はそこではない!本人の意志もなく、勝手にラズベルの娘を、君に差し出したりできないと僕は言っているんだ。」
「ですから、彼女が私と婚姻を結ぶことを了承すれば良いのでしょう?了承させますよ。(邪魔者も全て消しますからね…)あんな子爵家の男などと一緒にしてもらっては困るな。私は騒ぎを起こしたりしませんから。」
フォルテナ伯爵の黒い笑みに侯爵は息を呑む。
「一体…どうするつもりなんだ。」
病み上がりに近いような弱々しい状態でなかったら、ラナンクル侯爵はもっと、ガツンとアスターを退けたかもしれない。
だが、侯爵はずっと引きこもっていて、ほとんど部屋を出ず、今まで寿命の訪れを、じっと待っているような暮らしをしていたのだ。
力だけでなく、気力や頭のキレもすっかり鈍っていて、わずか数日で元通りである訳が無い。
侯爵にはフォルテナ伯爵が何を考えているのか…次のアスターの行動が読めないでいた。
しかし、そんな侯爵の問いにアスター(伯爵)は答えた。
「お宅の家令にも、申しましたが、別に私は彼女が侯爵家の娘でなくても構わないんです。あなたに私の条件を聞いてもらわなくてもいいので、お引き取り下さい。」
「だから、少しだけでも会わせて…。」
侯爵が全てのセリフを言い終わる前に、アスターはそれを遮って、付け加えた。
「ですから、会わせられません!あなたが条件を聞かないならば、ハルは孤児です。これ以上、侯爵家との接触は見逃せません。侯爵と孤児では身分違いも甚だしい!」
「は?み、身分違い⁈」
「これから私は、後見人としての権限で彼女を孤児らしく扱い、冥界貴族に彼女を嫁がせることも接触することも許しませんし、社交界に出すのもやめます。いずれ冥界を去ると…本人が望んでいるようですし…。」
そして、心の中で、アスターは『自分以外の者とはね…』と付け加える。
侯爵の方は、アスターにつかみかかり気味で必死な声を出す。
「何を言うんだ…彼女は私の娘の…ラズベルの子供なんだぞ。身分など関係ないだろう?」
侯爵の引きつった顔をよそに、ハルのいる部屋のドアの前で通せんぼをするように立ちはだかりながら、アスターはまた、しれっと答えた。
「いえ、彼女があなたの孫である証拠はありませんし、ラズベルさんの子であることも特定されてはいません。調べれば特定されるかもしれませんが…。」
「だったら、検査をすれば…。」
「申し訳ありませんが、別に私はその事を調べる義理もありませんし、後見する娘を勝手に調べられる許可を与える気もありません。これ以上、翻弄しないでいただきたい。」
それに、と、アスター=フォルテナ伯爵は弱っている侯爵様に囁いた。
「あなたは、おっしゃったじゃありませんか。ハルがいなければ、自分のお嬢さんが消えずに済んだのに…と。そんな心持ちの方に養い子を会わせようと思う後見人はいませんよ?」
「それは…私もあの時は、行き場のない思いをぶつけてしまったのだ…反省している。その事について彼女に謝罪したいだけなのだ。」
「ですから…条件を聞いて下されば妥協しようと思ったのですが…私には、良い話でしたから。」
その後も侯爵の繰り返す訴えを退けて、アスターはきっぱりと『謝罪は結構です。』と告げ、どうしてもというのなら、自分から彼女に伝えるので、もうこちらに接触してくれるなと言い放った。
更に、『彼女を落とすのにあなたの与えた失望を有効に使わせていただきます。』とも…。
今の状態では、法律的に彼女と侯爵は無関係な者同士だ。
検査を重ねて、結果により、初めて侯爵家の繋がりが生まれるが、その前に後見人がそれらを拒否すれば無理に検査を行うという事はできない。
つまりアスターの決断次第で、ハルの出生が確定されるかされないかが変わる。
よって、接触するなとフォルテナ伯爵が言っているのに近付けば、侯爵と言えど、ストーカーとして扱われることになる。
それからアスターは、
「私は彼女の望み通り、現人神として地上に送ってやり、自分が接触を許されない数年間、様子を見守って報告次第では冥界を捨てます。そうすれば冥界の法律は適用されず、すぐに彼女に接触可能になります。」
と、侯爵につけた条件など、自分にとってどちらでもいい事だというように、今後の計画を話し出した。
「ありがたいことに母のお陰で、私は現人神として生きる選択肢を持っていますから。」
アスターは自分の母親に陶酔するような表情で胸に手を当てながら目を瞑って見せる。
次々に侯爵の耳元で言葉を重ね、囁き続けるアスターに、ラナンクル侯爵は激しく動揺する。
この男なら、本当にそうするに違いないと…。
そう侯爵が恐れを抱いていると、ついにアスターが、侯爵のもっとも揺さぶられる一言を口にした。
「そう言えば、あなたが許可をくれなかったので、数年後、接触可能の時を待ち、彼女を冥界に攫う予定でしたが、状況次第で私が現人神になったとすると…。」
「現人神…。」
「ええ、そうすれば…あなたは娘だけでなく、自分の孫かもしれない娘も…現人神に奪われることになりますね!」
アスターはクスリと笑い、目を見開く侯爵を見て、最後のチャンスを与えるとばかりに問いかけた。
「私は彼女を決して手放すつもりがありませんから、どちらにしろ彼女が私と結ばれるのは、変わりありませんよ?あなたがどんな決断をしようとね…結果は同じです。」
顔を引きつらせる侯爵を前にアスターは愉快そうに言う。
「どちらがいいのでしょうね?彼女が冥界の伯爵夫人になるのか…地上の冥界系・現人神の妻になるのか…?ハハハ、私は彼女さえ手に入れば、どちらでも幸せになれる。」




