表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
44/86

38.アスターは甘く笑う。

 ラナンクル侯爵領から戻ったハルは、すっかり心に傷を抱えてしまったようだ…。



フォルテナ伯爵邸に戻ってきて、しばらくしても眼に見えて落ち込んだ様子で、食事もろくに(のど)を通らない。


帰ってきた時などは、屋敷内に入ってステラの顔を見ると、早々に泣き出してしまったくらいなのだ。


今までハルが泣くなんて所は誰も見た事が無かった。

いや、もしかして人知れず泣いたこともあったかもしれないが、皆の前で泣くようなことはなかったのだ。



 あれからもう、四日も経っている…。



アスターはどう慰めていいのかわからずに、ただ、ハルの傍にいて甲斐甲斐(かいがい)しく世話を焼くことが増えた。



「ハル…、またこんなに残して!食事を残すと体が参ってしまうぞ?そんなでは、アルバイトに行かせることはできない!もう少し食べなさい。」


「アスター様…。」



夕食を済ませ、部屋に戻ろうとするハルは、うつろな目でアスターを見た。

彼女はもう椅子から立ち上がっている。



「でも、もう本当にお腹がいっぱいなんです。」


「そうかもしれないが、体が持たない!だったら明日のアルバイトは休ませる…危険だ。」


「それはダメです!私がオグマ先生に無理を言って、請け負った仕事なんです。やらなければ、迷惑になる筈です!」


「じゃあ、もう少し食べろ!仕事先で体調を崩した方が迷惑だ。」



アスターがほぼ命令に近く言葉を発して、ようやくハルはもう一度、着席した。

そして、力なく『…ハイ』とだけ返事をして、味の無い物を食べるように残っているパンを口に運び始める。ハルがしっかり食べるのを監視するように、目の前で腕組みしているアスターをやや恨めしそうに、時折、チラリと見ながら、ハルは何とかパンとスープだけは完食することができた。


もうこれで文句はないだろう、というような顔をして、彼女はアスターに『ごちそうさまでした』と言い残し、今度こそ本当に自室に戻ろうと椅子から立ち上がった。



「アスター様、お先に失礼いたします。」



そう、挨拶した彼女は、もう既に泣きそうになっている…。


アスターは無言で頷いて、ハルを見送った。


部屋に戻ると彼女が大体、泣いて過ごしているのは、わかっていた。

彼女付きの侍女であるステラからも聞いているし、伯爵自身が何かと気にかけ、彼女の部屋の前を通るとしゃくりあげるような音や泣くのを堪えているような、声を耳にしている。


時には、好きなだけ泣いて、涙が出なくなるのを待つ方がいい。

その方が人も神も浄化される筈だ。

だからアスターは、そんなに堪えながらコソコソと涙するのではなく、本当はハルに思いっきり泣いてほしいとさえ思っていた。


そして、早く前向きになってほしい。


もうすぐハルの誕生日だ。

今年もこの屋敷に、ハルのクラスメイトやシルヴァスを迎えて、誕生日会を予定している。

そこで、少しでも、いつもの明るい可愛らしい彼女を取り戻してほしいものだ。


アスターは引き取ったばかりの頃の彼女の事を思い出していた…。

あの頃のハルは、恐らく寂しさと不安でいっぱいだったのだろう。

丁度、今より少しマシになった程度の顔をしていた。


それがうちに来てから…学校に通うようになって、少しづつ、明るくなっていったと思う。

彼女の母親の願いでもあった、現人神養成学校に入学したことで、心が軽くなったのかもしれない。

ハルにとって、やはり両親の存在は大きかったのだ。

『両親の願いを叶える!』それが彼女の大きな神命を全うする動力になっていたのだろう。


だが、今回はその両親の…自分の母親の親であり、彼女の祖父でもある者から、拒絶のような言葉を浴びせられてしまった。


そのショックは、いかばかりかと考えると、私も本当に胸が痛い。


アスターは一人、溜息をつきながら、食事を終えたことをホルドに告げ、自身も席を離れた。



 ラナンクル侯爵領から戻って、すぐに、アスターは約束した通り、シャンディル・ビーノスに連絡を入れていた。


使者を使って手紙を届けるのが、冥界内のこの地区流なのだが(※冥界には現代風ゾーンや和風ゾーンなど様々な場所が存在している)、直接、会話をして話し合いたいと思い、緊急用の『電話』を利用しての連絡だった。


ちなみにこの地区で使用している電話はレトロタイプの装飾が施されているもので、現人神統括センター内の電話のように、ファックス機能やら留守電機能やらが付いているわけではない。


とにかく、それ以来、一日に一度は必ず電話で向こうの家令と連絡を取り合っている。


お互いの状況を耳に入れるためだ。


アスターはハルの現状を家令に話し、向こうは侯爵の事をアスターに報告してくるといった具合だ。



「さて、本日も侯爵邸のビーノスに電話をするか…。」



食後、退席して直行したのは、自身専用の執務室だった。

ハルが自室に引きこもっている間を利用して、伯爵は執務室にある冥界貴族らしい、レトロな上に骸骨を模した…少々、フォルテナ家の趣味には似つかわしくない受話器に手を取る。

 

電話はこの地区ではあまり使わないので、注文すると冥界洋風レトロ地区管理局の方から支給されるようになっていて、あまり注文内容のデザインの希望は反映されないようだ…。


『しかし、これはないよな…』と思いながら、いつもアスターは使っている。 



「今度担当の職員に裏で手を回して、交換させるか。」



そう(つぶや)くと、伯爵は急に威厳たっぷりの話しっぷりに口調を変えた。



「もしもし、ラナンクル邸か?フォルテナという者だが、シャンディル・ビーノスに代わってくれ。」



心得たとばかりに、この所、お馴染みとなっている伯爵様からの電話を、交換手がすぐさま、シャンディル・ビーノスに取り次いだ。


電話の向こうから、家令の声が聞こえてくる。



「お待たせして申し訳ございません、フォルテナ伯爵。実はただいま主人は当家の家宝の一つでもある真実を映す『時を(つな)ぐ鏡』をご覧になられているのです…。」


「ほう、それは聞いたことがあるな。あらゆる時間の真実を見ることが出来るという奴か…ラナンクル邸にあったのか…。」


「ええ、何だかんだ申しても、やはりラズベル様に娘がいたという事は、全てを失ったと思っていた主人には衝撃だったのです。行き場のない怒りと悲しみを、ハルリンド様に向けてしまった自覚がおありなのでしょう。」


「それはそうだろうな…だが、たった一人の娘の忘れ形見になるのだろう?」


「勿論、酷い事を申してしまった手前…意地を張っていますが…彼女が気になるのです。」


「だが、ハルは相変わらず侯爵のお陰で、見ていて痛々しい。私はこのまま彼女を冥界にいさせたいが、本人が現人神になる選択するのなら、養い親が離れなけばならない期間終了後、即、地上から(さら)おうと思っている。」


「フォルテナ伯爵…しかしもし、ハルリンド様に誰か、お相手が出来てしまっていたら…。」


「勿論、同じだが?婚約していようが結婚していようが子供がいようが…攫うよ?安心しろ、血が(つな)がっていなくても、我が子同様、私はハルの子供ならば可愛がれる!!」



『ええと…』とシャンディル・ビーノスは、自分の姿が伯爵に見えない事をいいことに、数日前の件で奔走(ほんそう)し、疲労困憊(ひろうこんぱい)した顔を更に歪ませながら額を押さえる。


その、伯爵様の爽やかで男らしく思慮の深い、立派な青年っぷりからは、想像もつかないような冥界神そのものの思考に面食らったのだ。


執着が蛇並みで、悪気無く奪い、全てを捨てても…例え相手に嫌われても、愛し抜こうとする気質…おお、恐ろしい…こんなのに好かれては、ハル様は逃げられないでしょうね。



人間界育ちだという彼女が、フォルテナ伯爵の事をどの程度、知っているのか不安に思いながら、また心から同情をする家令ではあったが、特にアスターを(とが)めることはない…。


今回の件でフォルテナ伯爵は重要な存在だし、ラズベルの時と違って、反対する理由もないからだ。

伯爵は冥界貴族…それもかなり『婿』としては、有望である!


ハルリンドへの自分勝手な思考(恋情)さえ取り除けば、パーフェクトに近いのだ。


それに、現人神で薄まった血統もフォルテナ伯爵との婚姻を結べば、すぐに冥界神としての濃厚な貴族の血が復活するだろう。


フォルテナ伯爵は母親が人間界勤務の天使だと聞くが、本人は冥界神の血が濃くて、ほとんどその血を受けていない…。

地上生活用のボディと他の冥界神より、多少ばかりの癒し能力や心が広いといった特性がある程度だろう。

どちらにしろ、伯爵家は代々続く名家であり、名だたる冥界神を輩出している名門。

爵位こそは一つ落ちるが、財政だって、権力だって、ラナンクル家に引けを取らない…。


むしろ、こんなのを吊り上げてくるとは、さすが我が姫、ハルリンド様!


まあ、ハルリンド様が我が屋の令嬢として正式に認可されれば、更に上の婚約者を求めることも容易だろう。

(神世界に女神は引く手あまただ…ただでさえ数が少ないのだから)



そのうえ、彼女はとても優秀だ。



ビーノスはこの四日間、すっかりハルの身辺を調査していた。

学校の成績、アルバイト先の評判、今までの生い立ちと施設での彼女を知る者の聞き込み…etc。


そして、少し接して感じたことだが、とても心根が優しい明るいお嬢さんだ…正直、何も伯爵にやる必要もないような気もするが…今までの事もある。



彼女を引き取り、育ててくれた…そして今も守っているのだ…。

ハルリンド様も多少、知っている男の方が情も湧くというもの…。



そういう考えがあって、特にフォルテナ伯爵のハルへの執着には、見て見ぬふりをしていた。



ただ、あまりにも生々しい心情を聞くのは(攫うとか…)、やはりちょっと気持ちが悪い…。



 侯爵家・家令の頭痛の原因になっているとは、全く思わないアスター=フォルテナ伯爵は、そのまま、話を続けた。



「そう思っているからビーノス君…私は、無理に侯爵とハルを会わせなくてもいいという結論に達したのだが、どうだね?そちらもそのまま、そうっとしておいた方がいいのでは?領地の浄化の件は私から冥王に報告する。ハルは、私が励まし、立ち直らせて…。」



伯爵の発言に目を丸くしてシャンディル・ビーノスは、慌てて話を遮った!

シャンディル・ビーノスは元より、仕事ができる男であり、侯爵家の有能なブレーンなのだ。



「ちょ!ちょっと待って下さい!!伯爵様、それは困ります。」



シャンディル・ビーノスは、電話口で取り乱しながらアスターの意見に異を唱える。


そして、現在、主人である侯爵にハルの調査書を見せ、その優秀さや品格について知らせてあること、家宝の鏡を使って、彼女の今までを映し出し、主人が深く心を痛めたことを話した。



「主人は今、動揺して、ハルリンド様に心無い事を言ってしまったことを深く後悔して、憔悴しているのです!どうか、お二人を会わせないなんて…そんな事、おっしゃらないで下さい!!」


「そうか…?」



アスターは考えた。


侯爵家の娘になられるより、このまま弱った所に付け込んで、うんと甘やかし、自分がハルの中で必要な存在だと思わせるように仕向けた方が、良いのではないかと…。


感の良い家令は、『マズイ』と思い、すぐにその考えを察知したように付け加えた。



「それに侯爵様がハルリンド様を正式に迎え入れれば、当家の令嬢になります!そうすれば、あなたの後見人契約は無効ですよ?本来の保護者が現れたのですから、あなたが契約により、彼女に近寄れなくなる期間も無くなります。」


「ほう?」


「ええ、18歳になったらハルリンド様を当家に迎え入れさせてもらい、そのまま、婚約すれば宜しいではないですか!家同士にも良い事だとハルリンド様に私の方から全面推しして、協力します!伯爵は素晴らしい方ですからね。」



ここで伯爵に後見人としての効力を発揮されて、もうラナンクル家とは関わらないと言われたらおしまいだ!

まだ適性検査をしたわけではないし、ハルリンド様が侯爵の孫である、ちゃんとした証拠を用意していない…。


何が何でも、フォルテナ伯爵の機嫌を取らねばらないと、家令は踏ん張った。



しかし、アスターの方だって抜かりはない。

簡単な口約束で騙されるようでは、伯爵家当主など務まらないのだ。



「で、それは、侯爵はご存じなのか?」


「え?いえ…まだ、そこまでは主人に話は詰めておりません…。」


「そうか…では、私も約束はできないよ?君が言う事は侯爵の同意が無いとできない事だ。だが、その侯爵に確認していないというのではな…。私は最初に、ハルの立場で判断させてもらうと言った筈だしね。」



伯爵は何も、侯爵家にハルリンドを戻さなくても、こちらは構わないと言っている。


協力するには、それだけの見返りを求めるという事だ…。


ちゃんと侯爵に、見返りを寄こすように確認しろと要求しているのだ。


つまり、いずれハルリンド様を自分に寄こせ!…と言っているのに他ならない。


しかし、この要求を飲まねば、この男(伯爵)は侯爵家へ彼女を戻さないと言い始めるに違いない。



シャンディル・ビーノスは、手に汗を握った。



少し、フォルテナ伯爵を軽んじていたのかもしれない。



もう、家令の出せるカードは一つしか残っていなかった…それでも、ハルリンド様を侯爵家へ迎え入れなければならないのだから…。



「伯爵様…お約束します。主人は絶対にハルリンド様を迎え入れる筈です。私も伯爵様をいずれ彼女の婚約者にするように…旦那様に約束を取り付けて参ります。そしてそれが、侯爵家にハルリンド様を返すフォルテナ伯爵家からの条件だと伝えます。」


「そうか。家令殿、良い返事を待っているぞ?」



電話口ではわからないが、小刻みに震えるシャンディル・ビーノスに、アスターは良い笑顔を浮かべて告げた。



「そういえば、2日後にハルの誕生日会を予定しているんだ…。」



 話を終えたアスターは受話器を置いて、一人、甘く笑う。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ