37.目覚めたら衝撃
ラナンクル侯爵邸の、とある一室。
アステリオス・シザンザス・フォルテナ伯爵と侯爵家の家令であるシャンディル・ビーノス、また老執事の三者は、声を潜めて、ハルリンドと侯爵本人についての今後について話し合っていた。
「では、そのように…ハイ、致しましょう。」
(家令)
「それでは今回の件は、うまくいくまで他言無用で…。」
(伯爵)
「伯爵様、本当に素晴らしい案でございます!!」
(執事)
三人は、ハルが目覚めたという報告を受けるまでの間、しっかりと計画を練り進めていた。
そして、最後には、共犯者としての友情のような不思議な感覚さえ生まれ始めていた。
「いやぁ~、うまくいくといいのですが…。」
(家令)
「まあ、何事も予定通りいくとは限らんからな…その時はその時で、また策を練ればいいさ。」
(伯爵)
「流石は伯爵様!!常に前向きでエネルギッシュでいらっしゃる!フォルテナ伯爵の代々の豪胆ぶりは健在でございますなぁ。」
(執事)
和やかな雰囲気が流れ始める一室の中で、まだ計画が始動する前から、これから予定外の出来事が浮上するとは、三人とも考えも及ばなかった…。
そして、三人はそのまま祝杯を挙げるかのように、『一杯だけ』と言って乾杯をしたのである。
その頃、ハルはまだ、侯爵邸で借りた客間のベッドの中にいた。
久しぶりに母の夢を見たような気がして、幸せな気持ちに包まれながら、薄っすらと彼女の意識が覚醒を始める。
随分と、ぐっすり眠れたと思う。
この屋敷の雰囲気が、初めて訪れたというのにも関わらず、自分に対して皆、好意的だったからかもしれない…。
体中に神気が漲り始めて、完全に回復しているのが自分でもわかった。
ハルはゆっくりと眼を開いた…。
屋敷の可愛らしい野イチゴの模様の天井画が眼に入る。
ハルは『この屋敷は、所々が少女が好きそうな…というか、可愛らしいのね。』と思っていた。
昼食の際、執事がこの屋敷のお嬢様は、ザクロジュースが好きだと言っていたから、彼女の趣味なのかもしれないと考えながら、しばし、じっと天井を見詰めながらハルはボーッとする。
だが、今は何時頃だろうかと、不意に気になり始めて、慌ててベッドから起き上がり、座った状態で時計を探そうとした。
「そうだった、アスター様がいらっしゃるんだった!私のせいで帰りが遅くなっちゃうわ!」
何をボーッと、あわよくば二度寝に入ろうかなかな~なんて思っていたんだ自分!
と、ハルが自分で自分にツッコミを入れる。
しかし、飛び起きた瞬間…。
ハルに衝撃が走った!
いや、戦慄が走ったと言った方がいいのかもしれない!
彼女は体を強張らせた状態でビクッと揺らした。
そのまま、固まる…。
ある一定の方向を向いて…。
そして、その方向には…いたのだ。
そう、彼女が目覚めると、そこにはいたのだ…。
彼女が眠っている間、ずっと彼女の寝顔を眺めて、立ち尽くしている誰かが…!
その人影は、未だ彼女を見詰め続けている。
起きたばかりで、まだ覚醒しきっていないハルは、眼の焦点を合わせて、逆光で見え辛い、その誰かを見るために眼を凝らした。
ハルが、まじまじとその相手を見ると、シルエットでどうやら男性であることがわかる。
少しハルは体を動かして、窓の光が反射しない位置にずれてみた。
すると相手の男性は、ウエーブのかかった真っ白の髪をまるで伸ばし放題にしていて、自分の瞳と同じ色のうつろな眼で、こちらを見ていたのだ。
体はそんなに小さくはない…身長もアスター様とそう変わりないように見えた。
けれど、その人物はアスター様より痩せているためか、小さく弱々しく彼女の眼には映った。
服装が寝間着な所を見ると、ずっと床にでも臥していたのか。
年齢は不詳だ…冥界神もそうだが現世の肉体を持たない神は神力の相性やその大きさで適した年齢層の見た目を取る為、本来の年齢は分かり辛い…、だが、目の前の人物は髪の色からして若くはないのだろうと思う。
神として生きる気力も無いような、そんなやつれた風貌の男性を見詰めながら、ハルは首を傾げた。
そのしぐさは小鳥のようである。
二人はしばし、見詰めあった。
ずっとそのままの状態が続いて、ハルはついに意を決して、立ち尽くす男性に話しかけることにした。
そこで、彼女は慎重にベッドに捕まりながら、己も立ち上がり、侯爵家で借りた比較的、普段用の簡素なドレスを摘まんで、レディらしく礼を取って見せる。
すると男が一瞬、眼を見開いたように感じられた。
「こんにちは、私は今日、仕事でこちらの領土に伺った者です。少々、想定外の事が起きまして神力不足に落ち入り、こちらのお屋敷のお部屋をお借りしております。」
相手の男性は、何も聞こえなかったのか、まだ沈黙している。
ハルは弱った表情を浮かべつつ、誰か呼ぶべきか考えていると、その男性が突然、我に返ったような表情をして、小刻みに体を揺らし始めた…。
「⁈」
ハルはどうしたのかと思い、彼の顔を覗き込むと、どうやらパクパクと口を開けて、声を出そうとしているようなしぐさをしているのがわかった。
そして、揺れているように見えたのは、どうやら男性が震えているようだった。
男性はそのまま震えながら、小さく何かを発声した。
「な、な…、が…、いる。」
「?」
何を言っているのか聞き取れず、ハルは耳を澄ます。
「な…ぜ、お前が…ラズベルの…。」
ラズベル?
ラズベルとは誰かしら?
もしかしたら、こちらの令嬢かしら?
そう思い至って、男の視線が自分の服にあることに気付き、ハルはピンときた。
『そうか、借りた服がその方の物だったから問いただしているのね?』と…。
「ごめんなさい!着て来た衣装が休憩用らしくなかったから…これをお借りしてしまったの。もしかして、着てはダメだったのね?ラズベルさんという方の物だったの?。今、自分の服を持ってきてもらって、お返ししますから。」
ハルは申し訳なさそうに、彼にそう伝える。
しかし、男はまだハルに何かを言っていた。
そう、とても穏やかとは言えない表情を浮かべて…。
「お前の…。」
「ハイ?」
返事はしたものの、相手のあまりの鋭い気の放出に、ハルは少し怖気づいて、体をすくめてしまう。
そして更に、何か話している男の声が次第にハッキリしてくるのがわかる。
何かを繰り返し言っているような男の声が、ついにきちんとした発音に変わり、ハルの耳にもようやく容易に聞き取れるようになった。
そこで彼女が改めて耳を傾けると、男はこう言った。
「お前のせいで、ラズベルは消えたのか。」
「ラズベルさん…???」
聞き覚えの無い名前に、ハルは耳を疑う。
一体、誰?
聞き違いかしら?…と。
男は次に、ハルにとって決定的な言葉を紡いだ。
「お前の母親だろう⁉」
『母』と聞いたハルの瞳が揺れ動く。
頭の中には、彼の声が何度も繰り返されたようにリフレインしている。
『お母さん⁉私を最後まで守って、消えて行ったお母さん?』心の中で、ハルは自分自身に質問を投げかけた。
すぐにハルは、目の前の男性の眼をもう一度、まじまじと覗き込む…。
同じ!
私と同じ色⁉
「あ、あなたは…?」
思い当たる予想の結果に、どう形容していいのかわからない彼女が期待と不安の入り混じった感覚で、彼に問う。
「ラナンクル侯爵だ!」
声を荒げて男性が叫ぶように告げた。
ハルは驚きに目を見開いて、動くことも出来ずその場に固まった。
だが、瞳だけは最後まで、彼を見ていた。
そして、自分をラナンクル侯爵と名乗った男は、更にハルに向けて声を放った。
「何という事だ!ラズが…ボクの可愛いラズベルが…、ただの下級現人神と伴に消えてしまったなんて…。」
侯爵のその一言にハルの体はビクリと揺れた。
『下級現人神』…父の事をそう呼んだ侯爵の言葉に鋭く胸をえぐられたように感じたからだ。
消えてしまったけど、二人は愛し合っていた…。
本望だったのだと、ハルは思っている…。
しかし、侯爵の言葉はそれだけでは、終わらなかった。
「本当なら、この屋敷の門をくぐるのは、お前ではなくてラズベルだった筈なんだ…。」
声を荒げていた侯爵だったが、今度はとても弱々しく呟いた。
けれどハルの胸には、侯爵のその言葉が、何よりも力強く突き刺さった!
もう思考さえ停止したように、ハルは両腕をだらんとして、突っ立ったままの状態で、ただそこに存在するだけの置物のようになった。
そうしている間に屋敷の中が騒がしくなり始めた。
先程、侯爵が鋭い気を大量に放出したので、アスターや家令をはじめ、屋敷の者達がそれに気付き、侯爵を探し始めた為である。
程なくして、ハルの借りている部屋のドアが開かれた!
一目散に入ってきたのは、アスターで、それに家令と若さの差ゆえに遅れを取った老執事が続く。
三人は、あと一歩の所で、駆けつけるのに間に合わなかった。
なぜなら、ドアが開かれた瞬間に、入ってきた皆の前で、侯爵がハルに決定打になる一言を投げてしまったのだから。
「お前さえいなければ、ラズベルは消えずに済んだのに!」
なぜ、生き残っているのが、ラズベルではなくて、あの男の娘なんだ…と。
侯爵がその言葉を言い放った後で、ようやくドアから飛び入った家令のシャンディル・ビーノスが彼を取り押さえるように引っ張っていく方向に体勢を整えた。
ハルはその一部始終を黙って、ただ見詰めている。
彼女は無表情に顔色一つ変えずにいたが、その頬には一筋、頬を流れる涙が伝っていた。
「ハル!」
大慌てで駆けつけたフォルテナ伯爵に抱きしめられながら、ハルはそのまま二筋め三筋めと涙の線を顔に描いた。
顔を隠すとか拭うとか、そういう事も出来ずに放心している彼女を自分の胸に抱き寄せ、アスターは彼女の顔を覆った。
その間に侯爵はシャンディル・ビーノスと執事に拘束されて、部屋の外に追いやられて行った…。
マズい事になったな…。
アステリアスは想定外の事態に面食らう。
そして、八つ当たりに近い感情で『おのれ、アレステル・オグマめ!』と心の中で唱えた。
とりあえずアスターは、シクシクと声も上げずに涙を流し続けるハルが、少し落ち着いて口を開くのを待ち続ける。
そして、ようやくハルが話せるようになると、彼女の言葉に従った。
「もう、ここから出たいです、アスター様…。早く、帰りたい…。」
ハルの最後の言葉を耳にした、ラナンクル侯爵邸の使用人一同は悲しみに顔を歪めて彼女を見送った。
ランチの時までは、明るく幸せそうにしていた彼女に誰もが幸せな気持ちにさせられていたのだ。
まるで、ラズベルやディアナが帰ってきたようだと錯覚するほどに…。
それに本来ならば、彼女が『帰りたい』という家は、このラナンクル侯爵邸の筈なのだ!
使用人達は、彼女のその場所が、ここではない事に悔しさを感じていた。
特に、家令のシャンディル・ビーノスは、ひとしおに!!
家令はアステリオス・シザンザス・フォルテナ伯爵に必ず、戻ってから連絡をしてもらうよう頼んでいた。
とにかく、旦那様があんなでも、ハルリンド様には、ラナンクル領の人間や屋敷の者が困っていると、情に訴えかけてでも、領地の浄化や管理を侯爵が出来ない事を口実に、定期的にこちらに寄こしてほしいと願い出るつもりでいるのだ。
最悪の場合は『ラズベルはあなたに後を継がせたかった筈だ』と、ハルリンド様を説得しようと思う。
もう、この際、ラナンクル侯爵には引退してもらい、領地の外の別荘にでも移ってもらっても構わないとまで家令は腹を決めていた。
ハルリンド様を正式に『ラナンクル侯爵家に戻す!』と!!
ハルリンドが屋敷の庭を通って、フォルテナ伯爵と共に門を出て行こうとする後姿を、家令と使用人達は、名残惜しそうにいつまでも、見詰めていた。
その姿が、出て行ったラズベルの、最後の姿に重なって見えたのだ。
そして、屋敷の自室の窓から、ベッドを下りて立ち上がったラナンクル侯爵も、その姿を眼にしていた。
ハルとアスターの姿が消えても、ラナンクル侯爵はずっと庭の先にある大きな門を眺めていた…。




