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34.シャンディル・ビーノスの思い

すみません、ネタバレな展開です。

 その、屋敷に長年仕えてきた家令のシャンディル・ビーノスは、お客様に案内した部屋を出ると、大慌てで執事や使用人に様々な指示を出した。


まずはメイドに、お茶を出すように言いつける。

バーブナンから再度、愁いの森での出来事を詳しく報告させて、いくつか新しい用事を頼む。


そして、執事に食事の用意を頼んだ。

執事も当然、侯爵領の浄化魔法陣を使いこなしたであろうハルについて家令に尋ねていた。

古い老齢の執事に家令は耳打ちすると、執事の瞳に涙が浮かんだ。


そのまま家令は、執事を置いて走り出した。

彼はすらりとした細身の体をしており、どう見ても頭脳労働型の男であるが、今日は随分と急いで侯爵の部屋に向かって走っている。

普段滅多に走ったりしない、冷静沈着な男。

それがシャンディル・ビーノスの筈だった。

だが今、彼は非常に緊急な事柄を報告しなければならず、一刻も早く侯爵の元へ行かねばならなかった。


彼の灰色の髪を伝って、汗が額から垂れる。



家令は侯爵の元に急ぎながらも、昔を思い出していた。



 数世代前には先々代の冥王の血も引く、大貴族のラナンクル侯爵家。

かつてはその大貴族の名に相応しく、社交界でも栄華を極めていた。

勿論、何代にも渡って冥王様の信頼だって厚い!



 しかし、侯爵の最愛の妻であったディアナ・ロウヒ・ラナンクル様を失ってから、雲行きはおかしくなってきたのだ。


彼女の死後、主人は目に見えて、活力を失い、落ち込まれた。


冥界神としての寿命が終わっただけで、彼女は次の転生を待って力を蓄えているか、グレートソウルの一部としてのんびりしているだけなのだが、ご自分の使命が終わらない限り、妻の元に行かれない侯爵は、人間同様に深く悲しまれたのだ。


もし、自分の職務を放り出して、冥界神として死しても、彼女の元には行かれない…自分の職務を全うして初めて、彼女のいる場所に転送されるのだ…つまりそれは、長い間の孤独を指し示す事だった。


古来より神々の愛情は大変深いものだが、その中でも狼や龍系統の神と並ぶほど、(じめじめと粘着質な)冥界神の妻への愛情は深いと言われている…。


我が主人も例外ではなかった。


しかも比較的、高齢で妻を(めと)り、当然、自分の方が妻に最期を看取ってもらおうと考えていた侯爵の落ち込み様は半端(はんぱ)なく、数年にも及び職務がろくに手に付かなかったのである。



 そこへきて、たった一人の侯爵の娘であり、最愛の妻の忘れ形見であった我が侯爵家の跡取り令嬢…ラズベル・ケルドウィン・ラナンクル姫が主人と大喧嘩の末、家を出て行かれた…。


ようやく、主が妻の死から立ち直り、領地経営や屋敷を取り仕切り始め、再び冥王の元に集う社交界へ…王都へと出向こうとしていた矢先だった。


二度にわたる打撃は、主人を再起不能にした。


最初はラズベル様がすぐに戻って来ると、誰もが考えていたのだ。


けれど、愛娘への主人の異常なほどの溺愛が、逆にそれを(はば)んでしまった。


ラズベル様は、妻の死に落ち込む侯爵を助けようと、早く領地の運営に携わろうと考えておいでだった。


そこで、父上が悲しみに沈んでいらっしゃる間にも、ご自分の悲しみを押し殺して、冥界でのボランティア活動をはじめ、社交界などにも精力的に参加されていた。

明るくて聡明で積極的で華やかで旦那様に似て、少し頑固なラズベル様がいたお陰で落ち込む主人がいても、屋敷はいつも明るく、使用人達は前を向いて過ごして行けたのだ。


だがそんなラズベル様に冥界のご友人から、人間界での仕事を紹介されたことで、運命は大きく変わってしまった。

その仕事は人手不足なので、後任が決まる間だけでも手伝わないかというものだった。

ラズベル様にしてみても、このまま、ラナンクル領の跡取り娘として小さな世界しか知らないで終わるより、知らない仕事に携わり、人間界という違う世界を見てきたいと思ったのだろう。

元来、積極的で行動的な方だったのだ…(私も彼女が小さい頃は、おてんば娘で手をよく焼かされていたものだ)。


しかしそれで、彼女は、地上で運命の恋に出会ってしまった!


あろうことか、地上の…それも大したことのない下級現人神に恋をしてしまったのだ…我が姫は!!


そんな男の一体、どこがいいのか…すぐ目を覚ますだろうと、あらゆる冥界の美麗貴族を差し向けたが、頑固で強情な気質のラズベル様は、その男以外に眼を向けなかった。


旦那様の方も、妻の死から立ち直りかけての矢先、どこの馬の骨ともわからない現人神の男を婿に迎えるなどとんでもないと、ラズベル様と大喧嘩…結局、お互いに良く似た気質を持っている両者は折れることが出来ず、頑固者同士の決着はつかぬまま、とうとう旦那様がラズベル様を勘当してしまわれたのだ…。


ラズベル様は身一つで人間界に出て行かれてしまった!


しかし、どうせどこへ逃げても、身内の承認を得られなければ、現人神の男とは結ばれることは無いと(たか)(くく)っていた主人と我々は、侯爵家の権力を使って、身内や冥界、人間界など、ありとあらゆる圧力をかけて、二人の間を裂こうと手を尽くした。


それもラズベル様を愛する気持ちがあればこそだったのだ…。


結果、誰の承認も受けずにラズベル様と相手の男は姿を完全に消して、消息をたった。

全くどこでどうしているか、わからなくなってしまったのだ…。

主人もさることながら、我々もすっかり頭に血が上っていて、相手の男がどこの誰かも調べないでいた。

調べるのに値しないと思っていた。

そんなことをしないでも、すぐに嫌になってラズベル様が、戻ってこられると思っていたからだ。


人間界の仕事を紹介したご友人も、その職場の知人も、相手の男の事を聞くと、知らないの一点張りだった。誰かをかばっているのか、ラズベル様に口止めされているのか、はたまた、本当に知らないだけなのかは、わからないが、いくら侯爵家の威光があろうと、拷問にかける訳にもいかず、それ以上は何の情報も得られずに月日は過ぎた。


 

最初、強がっていて、ラズベル様がいなくても大丈夫だとばかりに、むしろ精力的に仕事を再開された侯爵様も日が経つにつれて、遠い目をするようになった。


娘は今頃、どうしているのだろうか。

嫌がらせばかりしてしまったが、辛い思いはしていないだろうか。

その男はラズベルを粗末にしていないか。

明日はラズベルは帰ってくるだろうかと、彼女のお気に入りの庭の方を眺めては、独り言を言う日が増えた。


『娘は世間知らずな所があったから、人間界でちゃんとやれているのだろうか…なぜ一度くらい顔を見せに来てくれないのか。』と一度、私に声を荒げておっしゃったこともあった。


そして、苦し気に顔を歪めた主人が、『自分がラズベルを勘当なんかしたから、帰りたくても帰れないのではないか。』と何度も後悔された。


もしかしたら、門の前で入れないでうろうろしているかもしれないと、一日に何度も屋敷の敷地の外を見に行かれた日もあった。


段々、奥様を失くされた時のように、仕事をされない日が増えて行った。


(かろ)うじて領地が荒まない程度の仕事だけは(こな)されていたが…。


それでもいつかは、ラズベル様が屋敷の扉を叩いて、戻られる日がやってくると信じていたのだから!




 そこまで思って、シャンディル・ビーノスの眼が光った。

いつの間にか暖かい液体が頬を伝っていたのだ。

主人のそうした毎日を思い返すだけでも辛かった。

侯爵家の遠縁だったシャンディルは幼少の頃より、主と共に育ったのだ。

自分が少し年下ではあったが、幼馴染でもある侯爵の辛さは本当に己の事のように辛かった。

ラズベルの事もシャンディルだって、生まれたその日から実の娘のように可愛がったのだ。

 


 ある日の午前、何の変哲もない日常の中でそれは起こった。


侯爵様が、荒み始めた愁いの森の見回りと浄化に出向かれた際、動きを止められたのだ。

そのまま、震えはじめた主人は浄化を行う前に森を出て、屋敷に戻ってきてしまった。


森に深い悲しみを落として…。



 屋敷に戻られた主は一言、蒼白な顔で呟いた…。



「ラズベルが消えた…。」



正式な婚姻を結ばない状態の者が、仕事以外の理由で人間界に暮らすという事は、冥界神の仕事を放棄して、運命と宿命に逆らい、生活する事に他ならない。

人間界での仮の肉体が滅べば、その冥界神としての寿命が残っていても、魂ごと大いなるグレートソウルに吸収されてしまう。

それは『個』が残った状態で、その中に溶け込むのとは違って、全くの『無』にされて吸収されてしまう為、ラズベル姫の存在自体が消えてしまうのだ。


死に分かれたディアナ様とは訳が違う。

長い間の孤独に耐えうることになろうとも、侯爵様が神としての寿命を全うすれば、彼女とは再び一緒になれるのだ。


それに引き換えラズベル様は、その存在ごと…そう、それは死ではなく、本当に消されてしまったのだ。

生まれてきた事に意味がなかったかのように!



恐らくラズベル様が消える瞬間、最後の力を振り絞って、父親である侯爵の元へ自分の魂の欠片を飛ばし、その最後を知らせたのだろう…それは一瞬で消えてしまったのだと旦那様は言う。


『短い別れだった…お父様、さようならと、そう言ってラズベルが笑ったかと思うと、その残像が…消えたのだ』と旦那様は言った。


侯爵のショックは、計り知れず…それ以来、部屋から出てくることもなく、ついには死を待つように、寝付いてしまわれた…。




 それが、つい数年前の出来事である。



恐らくそれは、ハルリンド様がご両親を失くされた日と同じ日なのであろう。




そう、彼女は…ハルリンド様は恐らく、ラズベル様の娘に間違いないのだ!!




家令は、確信していた。




ハルリンド様の瞳は侯爵家の特徴とも言える主人と同じ青紫色をしており、あの黒の中に透けるように見える濃い紫の髪もラズベル様とよく似ている。

しかし、顔だちはラズベル様とは違い非常に穏やかで、恐らくこれは相手の男にも似ているのだろう…だが、侯爵夫人であられたディアナ様にも似ている!

顔の造りや表情が恐ろしいくらいディアナ様に似ていて、最初自分は目を疑ったのだ。


遠目で見た時、何てディアナ様にそっくりなお嬢様だろうと…。


衝撃を受けたのは、初めてハルリンド様の声を聞いた時だ。

喋り方も声質もまさに、ディアナ様に彼女は、瓜二つだったのだ!


正直、彼女の話を聞く間もなく、自分は確信していたのだと思う。

彼女が、侯爵の孫娘に違いないと!



ああ!何てことだろう!!

なぜ、ラズベル様が消えてしまわれたという事を知ってから、自分は人間界や冥界の孤児院施設をしらみつぶしに探さなかったのだろうか⁉

片親が生きていれば、勿論その施設にハルリンド様はいなかっただろうが、同時に両親を失くされている可能性だってある。

侯爵家の力を使えば、ラズベル様が消えられた周辺の日に保護された子供を探せば、すぐに彼女に行きついた筈だ…。

人間界に冥界貴族の血を引いた孤児など、そういるものではないのだから!



彼女が屋敷を出てから十年以上の時が経つのだから、子供がいても不思議ではなかったのだ!


だが我々の中では、ラズベル様の出て行ってしまったあの日から時が止まっていたのだ。


そんな事、思いもしなかった。


それに相手の男までもが、絶命しているとは知らなかった。

ハルリンド様の話によると、二人は同じ道を歩んだのだと聞く。



私達がもっと旦那様に二人の仲を認めるように説得さえしていれば、ハルリンド様も施設暮しなどしないで済んだし、ラズベル様も生きておられた筈だ。


それにラズベル様の消息が全く不明だったことは、その日から社交界には隠していた。

家の恥だと侯爵も私も、その時は思って、伏せたのだ。


ただ、妻の死から、侯爵は社交界に出入りしなくなっただけだと周りには告げ、ラズベルの事は人間界で仕事をしていると通していた。

そのうち、誰とも付き合う事が無くなったので、同時に体裁を繕う事も無くなった。



だが、ラズベル様が人間界で行方不明になったと、正式に届出を出してさえいれば、ハルリンド様が冥界の孤児院に来られた時、もしかすると当家に連絡が来たかもしれない。


恐らく検査の結果、彼女は冥界に送られてきたのだから、侯爵が検査を受けさえすれば、すぐに孫娘だとわかって、里親などに出されずに済んだのだ。


今となってはどうしようもないが、後悔の数々は悔やんでも悔やみきれない…それは旦那様だけではなく、自分も同じである。




 シャンディル・ビーノスの頬に伝った涙は、いつしか止めどなく流れ、彼は足を止めた。



手でその涙を拭っても拭いきれず、家令はその状態のまま、足を止めた先の目の前のドアをノックしていた。




「デュラン、私だ!入るぞ。」


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