33.ラナンクル侯爵邸にて。
バーブナンの先導で愁いの森を抜けると、すぐに彼が近くの民家で侯爵家への連絡を頼みに行った。
ハルの作動させた一斉浄化魔法陣の効果で、この所、荒みを感じ始めていたラナンクル領の空気感は、一瞬のうちに随分と回復を見せている。
領民が久々に見た空に描かれた巨大な魔法陣を含め、ラナンクル侯爵家の屋敷の面々も何事かと大騒ぎになっていたのだ。
当然、ラナンクル侯爵家からは、すごい勢いで迎えがやって来た。
バーブナンからの連絡を受け、豪華な馬車と護衛騎士。
あまりの速さで迎えが来た所を見ると、もしかして侯爵家側は、既にいつでも迎えが出せるように待機させていたのかもしれない。…いや、連絡をした時には、もう癒しの森に向けて、迎えの馬車を向かわせていた可能性もある。
馬車に乗る際は、騎士の一人が『お疲れでしょうから』と、ふらつくハルを抱えて移動しようとするフォルテナ伯爵に、自分が変わると申し出てきた。
しかし、当然というように、伯爵はそれを断った。
「気遣いありがとう。だが、私は別に疲れていないし、ハルはうちの娘だから私が面倒をみるのが筋だ。気にしないでくれ!」
冥界騎士にしてみれば常識的な『申し出』だったのだが、アスターの意味がわからない非常識な『筋』を尊重して、騎士は黙って頷き、その事に誰も触れなくなった。
冥界神に限らず、『神様』が、お目当ての相手に対して、強い独占欲を抱くのは周知の事実。
当の騎士も周りも、わかりやすくハルにベタベタしながら世話を焼くフォルテナ伯爵が、今、そういう状況なのだとすぐに悟ったのだ…。
そんなやり取りをして、伯爵はハルを連れて颯爽と馬車に乗り込んだ。
騎士よりガタイがいいアスターなので、正直、本当に疲れていないし、『気遣い不要』だと納得できる。
そういう事もあって、ハルの方はアスターのセリフや行動に、『伯爵はこういう人』なのだと、特に違和感もなく不思議にも思わずにいた。
『いや、誰にでもこういう人っていう訳では、ありません…彼、あなたを狙ってますよー』とバーブナンを含め、一同、鈍めの淑女に、悲しい視線を送っていたが、彼女は何も気付かない…。
それから程なくして、アスターとハルは馬車に揺られながら、ラナンクル侯爵の本宅へと到着した。
外から見ただけでも、侯爵邸は豪華絢爛だったが、どこか品の良さを漂わせ下品な感じの全くない趣味の良い造りである。
屋敷に到達するまでに通った庭を見ても、そのセンスの良さを感じずにはいられない…庭師はさぞ、良い腕をしているのだろう。
それに、ラナンクル侯爵邸の庭は、どこか少女が喜ぶようなメルヘンチックな物で、木の剪定等が動物を模してあったり、ハートやカワイイ不思議な国に迷い込んだようなオブジェが置いてあったりするのだ。
人間界育ちのハルからすると、冥界貴族の庭というイメージではなかったので印象に残った。
そしていよいよ、屋敷の扉が開かれると、『いらっしゃいませ』と使用人一同が勢揃いして頭を下げ、執事服を着た老齢の男性(恐らく執事)の横に立っていた少し立派な男性が、一歩前に出てきて、挨拶を始める。
中の造りや家具のセンスも上品な物でどれも高価であるのが見て取れるが、主張しすぎない大人しめの印象で、白が基調の白亜の屋敷内は、本当にどこか天国に近いようなイメージを連想させる…だが、屋敷全体の空気感なのか、ハルはなぜか物悲しい雰囲気が漂っている気がしていた。
そうこう、彼女が観察しながら、色々考えていると、一歩前に出て挨拶を始めた男の声が頭に入ってきて、ハルは我に返った。
「フォルテナ伯爵様、今回は侯爵含め、領民一同、大変感謝をしております。私は当家の家令で、シャンディル・ビーノスです。以後、お見知りおきを!ささ、どうぞこちらへ、お嬢様を背負われて重いでしょう?」
ハルはシャンディル・ビーノスと名乗る男の言葉で、今更ながらアスター様にオンブ状態であることに気付き顔を赤らめた。
「ア、アスター様!もう、大丈夫です…支えてもらえれば何とか歩けますので、降ろして下さい。」
やや小声にして、アスターの耳元でハルがコソコソと告げるのだが、降ろしたくないアスターが大きな声で否定する。
「何を言うんだ、ハル!ふらつくのがわかっていて、降ろせる訳ないだろう⁉」
伯爵は地声からして大音量につき、侯爵家使用人一同に丸聞こえである…。
だが流石、侯爵家の使用人。
教育の高さが伺える。
何があろうが何を聞こうが、黙って平常心を保っている…。
無関心すぎる使用人達に、逆にツッコまれた方が、まだ居たたまれない気持ちから解放されるのにと、ハルは完全に茹で上がった顔を、アスターの背中にうずめた。
自分の背に、ハルが縋りつくような形になって、アスターは満足し、良い顔で家令に声を掛ける。
「ビーノス君、私はちっとも重くないが、気遣いありがとう。ハルも恥ずかしいようなので、部屋に案内してくれないか?まずは彼女を休ませたい…。」
「かしこまりました。こちらへどうぞ!バーブナン、君も一度下がって、身だしなみを整えておきなさい。ご苦労でした。」
奥に控えたバーブナンに最後に家令がそう告げると、彼は黙って頷いて姿を消した。
フォルテナ伯爵の申し出を聞き、彼に背負われている『ハル』と呼ばれた女性を客室に案内して、家令のシャンディル・ビーノスは目を丸くした。
フォルテナ伯爵が客室のベッドに彼女を降ろした為、その姿がはっきり眼に入ったからだ。
そして、改めて彼女を伯爵が紹介した。
「こちらは、うちで後見しているハルリンド・フォルテナだ。訳あって成人後、一時的に自立する為、社会勉強を兼ねて、私とペアの仕事をしている。」
目を見開いてハルを見詰める家令が、アスターの言葉を繰り返した。
「ハルリンド…フォルテナ、様…自、自立ですか?」
「訳あってな!」
あまり、その辺を聞いてほしくない伯爵が、語気を荒げて会話を終わらせようと言い放つ。
紹介を受けたハルは、二人の会話の切れ目を待って、家令にベッドの上から挨拶をした。
「シャンディル・ビーノスさん、ベッドから不作法でごめんなさい。フォルテナだなんて…アスター様は、私の名前に付けて下さったけど、私は伯爵家にお世話になっているだけの孤児ですから!」
人間界の庶民暮らしが長いハルは、名字についてと自分の身分が低い事を強調したように言うと、侯爵家の使用人に色々と勘違いされたくないと思い、自分の境遇を説明する。
「私には極力…気遣いせずに、お願いします。それに私、今は冥界にいますが、成人したら現人神として地上に戻る予定なんです。」
そう語るハルの声は、鈴の鳴るように澄んでいて、水の清らかな深い湖のように透明感があり、落ち着いている。
その声に卒倒しそうになりながら、家令は手の震えを押し殺して彼女に質問した。
「孤児と、おっしゃいますと…。」
普通なら触れることのない、不躾な質問だが、シャンディル・ビーノスには、そんなことに気を払っている余裕などなかった。
「私は人間界で現人神の父と冥界出身の母と暮らしていたのですが、両親を事故で失いまして…母の血が強かったので冥界で養育されることになったんです。でも、もうすぐ人間界に戻れます!」
「ハルリンド様…愁いの森から大きな魔法陣が展開されましたが、あの一斉浄化魔法陣を放ったのは、あなたなのでしょうか?」
家令は改めて聞いたが、もう彼にはわかっていた。
恐らく、あの魔法陣を展開したのがハルリンドだという事を…。
ただシャンディル・ビーノスは確信したかっただけなのだ…彼女の口から。
その二人のやり取りをアスターは、無表情で見守っていた。
家令の様子を静かに観察しながら…。
そんな折、ハルが家令の質問に気さくに答えた。
「ええ、使ったのは初めてだったのだけど…母に教えてもらった当初は知らなかったんですよ?咄嗟に森の地形を思い出して、冥界の物だと思ったんだけど…合っていて良かったわ。」
それから、おずおずと自信なさそうにハルが、言葉を続けた。
「もしかして、恐れ多いけど、母は侯爵様の親戚か何かかもしれないわ…手がかりは無いのだけど。」
家令はその件に関して食い下がり、ハルから色々と聞き出そうと必死になった。
アスターのことは、すっかり目に入らないようだ。
そこで、家令はようやくハルの現状を理解すると、取り乱していた心を少し落ち着かせて見せる。
「ハルリンド様、大変失礼な質問ばかりさせて頂き、申し訳ございませんでした。フォルテナ伯爵様、本当にあなた様には、いくら感謝しても、しつくせません!」
家令の物言いに、アスターは、一体なぜ、そこまで感謝するのかを不審に思い、怪訝な表情で彼を見た。
家令は、姿を現したばかりだというのに…その後もすぐさま、退出しようとするなど、不自然な態度を取る。
「重ねて失礼ですが、主人の方に色々と報告させて頂きますので、一時退室させて下さい。本来ならば主が直々にお出迎えする筈なのに、今、侯爵は体調が優れません。どうぞ無礼をお許し下さい。」
申し訳なさそうな気持ちと焦っている気持ちが入り乱れているような家令の様子を酌んで、『そこまで性急に、色々と何を報告するのやら?』と思いながらもアスターは頷いた。
「ああ、ハルも神力の使い過ぎで少し休まなければならん。気にせず、出て行っていいぞ?彼女を一人にしたくないので、私もここで休ませて頂く。隣の部屋にはリビングセットがあるようだしな。」
アスターは続き間の部屋に視線を送る。
「フォルテナ伯爵様、本当に大変失礼致します!ハルリンド様、何かございましたらすぐメイドに申し付けて下さい!すぐにお茶をお持ちしてお食事も用意させますから…しばし、お待ちく下さい。」
急いているのが丸わかりに、家令は最後にそう言い残すと、非常に丁寧な礼をして立ち去った。
しかし、立ち去る際にも、家令の視線はハルを常に食い入るように見ていた。
出来るだけ気付かれないようにしていたが、アスターはそれを見逃さなかった。
そして、侯爵家とハルは何か関りがあるのだろうと、感じていた。
あの曲者のアレステル・オグマの奴!
しれっと冥界でアルバイトなどと予定を組んできたが、何か図ったのかもしれない…。
アスターはそう考えながら、チラリとハルのマントや服のポイントについている紋章に眼をやった。
その模様が、ラナンクル侯爵邸の門や扉に施されている物と酷似していたからだ。




