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32.愁いの森

 『愁いの森』のかつての入り口に三人が到着すると、そこには大きく『立ち入り禁止』の文字が書かれた看板が出ていた。


更に、入り口には、鉄線やロープが張り巡らされ、侵入禁止を強調している。

訪れようとする者に、その危険度を知らせているようだ。


しかしそれだけでは不充分とばっかりに、強力な結界も張られている。

絶対に何者も入ることは許されない処置が至る所に施されていた…。


バーブナンは今回の伯爵の訪問にあたって、侯爵から結界解除の呪文を教えられていた為、彼が結界を解除し、入り口から入ると、中から再び誰も入れないように結界を張り直す役を(にな)った。



無事、森の中に侵入した所でアスターが今後の対応を軽く話す。



「それでは、ここから先も私が前に行くから、バーブナン、君は最後尾でハルに危険がないか確認しながら、案内を(おこな)ってくれ。ハルは、真ん中を歩く事。」



アスターの指示を二人は黙って聞いている。

そして、その二人の表情を確認しながら、アスターは手順について軽く流して説明をした。



「まずは瘴気の吹き出している場所をピンポイントで探し出して、そこを塞いでから大気に散っている残りを手分けして、拡散、浄化をしていくぞ。」


「はい!」



ハルが元気よく返事をした。



だがバーブナンの方は、

『伯爵家の当主様に一番前を歩かせたのでは危険があった場合、申し訳が立ちません』と食い下がった。



「どうぞ、伯爵…私を前に行かせて下さい。」


「バーブナン、君がどのくらいのスキルを持っているのか知らんが、この森はハッキリ言って、維持にかなりの神力を必要としている。流石(さすが)は、侯爵クラスの領地の森と言った所だ…。」



アスターは、侯爵を遠回しに誉めるような言葉を述べてから、首を横に振り、バーブナンに真摯な視線を送って再び声を掛けた。



「その侯爵が持て余している状態の物を…君がどうこう出来る(わけ)ではないよな?確かに君がいれば助かるが、私の代わりを務められるとは思えない。」


「フォルテナ伯爵…。」


「君の気持ちはありがたいが、私に従ってくれないか?」



バーブナンは最初、渋っていたが、アスターの真剣な眼差しと説得に折れて、結局は従う事になった。


 

 ようやく、折り合いが付き、立ち入り禁止の文字を尻目に三人が森の中を進む。



しばらくアスターを先頭に、瘴気の濃いと思われる方向を歩いたが、水場などの観光スポットとなっていた現場に出くわす度に、何かの動物に遭遇した。

恐らく、昔は愛くるしい冥界動物だったに違いない…。

瘴気の濃い森の中に生息していることで、すっかり狂暴な魔物化してしまっている。


攻撃を仕掛けてくることなく、こちらの様子を窺っている場合は放置して、向かってくるものはアスターが瞬時に剣で成敗して行く。



流石(さすが)、歴代が勇猛果敢で名を馳せたフォルテナ伯爵現当主!

ここまで、ハルもバーブナンも全く出る幕などなかった。



 しかし、瘴気の濃い方向を追い求めて行きついた先では、完全なる怪物に遭遇してしまった…。



瘴気の吹き出している源とでもいうような地点に三人が到達したのと同時にドスンという音がして、視界が揺れたような気がしたのだ。


次の瞬間、三人の目の前に上空から巨大な生き物が降って湧いたのだ!


ハルは息を呑んだ。


目の前にいるのは…。

頭が獅子、体がヤギ、尾が大蛇の怪物。



「キ、キメラだ…。」



バーブナンから声が漏れた。



キメラ!



正確には、大昔の神話に出てくるそれとは異なる化け物だ。



冥界でも一部の地区に当時の神話に登場する冥府神の治めている地域が存在するが、現在は人間の利用者も少なく小規模運営のゾーンとなっている。

キメラはそこの地域の神話の流れを組む怪物ではあるが、それと同一の怪物がこの領地に現れたわけではない。

旧神話の一つに出てくる本物は、既に英雄に退治されているのだ。



あくまで、我々が言う『キメラ』は複合怪物の総称であり、目の前のキメラは、元々ここに生息していた冥界動物の成れの果てだろう。


しかし、単なる複合怪物ではなく、目の前のキメラは正確に神話のキメラを再現しているかのようだった。


瘴気には、過去の人間の負の意識や世界のあらゆる負のエネルギーが、渦巻いて生じる(けが)れの塊が含まれており、その情報も勿論、混入している。


人の負のエネルギーに取り込まれた冥界動物達が混ぜ合わされ、瘴気を通じて旧神話の一つであるキメラの情報が、再現されたのかもしれない。


ハルもアスターも瞬時にそう推測していた。


もし、神話通りに冥界動物を混ぜ込んで再生成されたキメラが、正確に再現されているのであれば…。


バーブナンはアスターの指示を仰ぐべく、携帯している剣を(かま)えた。



「もしかすると…あいつは火を吐くよな?」



アスターがキメラを刺激しないようにと、小声で二人に向けて声を掛けた。



ハルとバーブナンは黙って、頷いた。


英雄は確か…キメラと槍で戦った記録が残っている。


三者はとりあえず、剣を持っているが、巨大な怪物相手に至近戦は不利だ。


愁いの森が、瘴気と穢れをこういった形で、こんなにも大量に()め込んでいるとは予想外だった。


バーブナンのように領地に住んでいる者ですら、立ち入り禁止区域になってからは足を踏み入れていないのだ。

恐らく、冥王に報告されている情報も過去の状況から更新されていないに違いない。


それにも関わらず、今回のスケジュール表の一番、初日にマークされていたのだ。

(つまり昔から、早くどうにかした方がいい地域ナンバーワンだったということだ…。)


調査された当時でさえ、既にかなり状況が酷かったことが想定される。


それからどれほどの間、この森は放置されていたのだろうか…。



「アスター様、どうしましょう。」



ハルが固まりながら、伯爵に聞いた。


アスターにしてみても、このような状況なら討伐隊を引き連れてきたのものの、報告書によれば、状況は酷いが、一人でもなんとかなりそうな状態であると記されていた。



これは、いくら何でもおかしい…。



調査書が古かったとしても、それならば再調査の必要ありと伝えられている筈だ。

いくら、自分がいるとしても、ハルのようなアルバイトに振っていい仕事ではない。


調査機関に、きな臭さを感じながら、アスターはハルとバーブナンに向かって、小さく声を掛けた。



「あいつは既にこちらに気付いているから、降り立ったんだ…我々がどの程度の力を持っているか(はか)っているから、すぐに攻撃を仕掛けてこないだけだ。逃げれば自分が優勢なのだと判断して襲ってくるだろう。」



バーブナンとハルがゴクリと(つば)を呑み込んだ。

こうしている間にも、枯れ果てた木々の隙間から、キメラがこちらを(うかが)おうと空中に飛び跳ねたり、地面に足踏みしたりを繰り返している。


まるで、威嚇(いかく)をしているかのようだ。



「とにかく、神話の英雄がキメラを倒した方法をやってみよう。まず、本当にあいつが火を吐くか、確認しなければならないな。」


「火を…。」



バーブナンとハルの声が揃った。



「もしダメなら、そのまま私が一騎打ちをするが、その場合、君達は急いで森から出ろ!侯爵家を通じて、冥王様に状況を報告してくれ。」



勇敢にもそう言い放つアスターだったが、これにはバーブナンもハルもすぐに賛同できなかった。



「そ、そんな!それではアスター様はどうなってしまうんですか?私も何かお手伝いします!」



ハルが涙目で、主張したがアスターは首を振る。



「悪いが女性は足手まといだ…それに君に傷でもついたら、私の一生の不覚になる。フォルテナ伯爵は女性一人、守れなかったとな…大変な不名誉だ。ハル、その剣は…絶対抜いてはいけない。」



項垂(うなだ)れるハルを横目に、アスターは厳しい顔で有無を言わせない。



「そ、それでは!ハルリンド様には、状況報告をされる役目をしていただいて、私はフォルテナ伯爵のお手伝いをさせて下さい。(おとり)になって、隙を作ります。」



バーブナンが剣を握りしめ、血気盛んに申し出た。



「そうだな…。しかし出来れば、私は君には森を出るまでハルの警護を頼みたいんだが…。この森は女性一人では危険だ。」



アスターが、バーブナンの申し出を受けて、答えを渋った。



彼は戦闘が本業ではない。

恐らく、全くの未経験者ではないだろうが、こうした状況を侯爵が的確に把握(はあく)していれば、戦闘専門の騎士を寄こしてきただろう。


そこで今度はハルが、毅然とアスターに発言した。



「だったら、アスター様、英雄の退治方法を試した後も少しだけ私やバーブナンさんに協力させて下さい。もうこれ以上、危険だと判断したらアスター様の合図で私達は報告に走ります。」


「しかしな…。」


「剣を抜くことはダメと仰られましたが…無理をしない範囲で協力させて下さい。」



ハルの主張にバーブナンも続いた。



「私もハルリンド様の意見に賛成です!」



それを受けたアスターが溜息をついた。

そして、『仕方ないな』という顔をして、二人をジロリと睨んだ。


いつまでも話し込んでいれば、(しび)れを切らしたキメラが襲ってくるだろう。



「全く、聞き分けの無い。それでは私が合図したら、二人とも森から一目散に駆け抜けて、出て行くんだぞ⁈それから、ハル!絶対に無理をするな?約束を破ったらアルバイトは即、辞めさせる!」


「かしこまりました!」

(バーブナンの声)


「はい!」

(ハルの声)



バーブナンとハルの返事がそろった。



一瞬頭を押さえたアスターだったが、すぐにキリリとした表情で顔を上げ、二人に行動の開始を言い放つ。



「バーブナン、私が物質変換で剣を槍に変えるから、君はキメラの気をそらして火を吐かせるように挑発して逃げてくれ!ハルは何か動きがあったり、発見したことがあれば声をかけろ!それでは、二人とも行くぞ!」


アスターはすぐに、地面に低く手を付き片手で剣を大地に立て、呪文を唱えると剣を槍に変化(へんげ)させた。


それを確認して、バーブナンが剣を片手に、キメラの前に(おど)り出る!



「あ、馬鹿!早っ!!君の剣も槍に物体変化(へんげ)させようと思ったのに…。」



アスターが叫んだが、あとの祭り…。



キメラはバーブナンを確認するや否や、火を吐いた。



やっぱり…火を吐くのか⁉と、ハルとアスターは思った。



「あちちちちち!!」



お尻に火が少しかすったバーブナンが慌てて逃げる。



仕方ないので、ハルが自分の剣を学校で習った変化の術で槍に変えて、バーブナンに投げた。



「使って下さい!バーブナンさん!!」


「あ、ありがとうございます。ハルリンドさまぁ~。」



すっかり情けない声のバーブナンが槍を手に、キメラが一定の距離より近付かないように振り回しながら、逃げ回った。


『鬼さんこちら』とでも言うように、ちょこまかするバーブナンに苛立ったキメラが、牙をむいて飛び掛かろうとする。



そこで、アスターがバーブナンに近付いた。



アスターが作り直した槍の先は、鉛に変えられている。



英雄がキメラを倒したようにうまくいけば、怪物が火を吐く瞬間に槍を口に差し入れ、熱によって溶けた鉛が(のど)(ふさ)ぎ、キメラは窒息死する筈である。



キメラがバーブナンに飛び掛かろうとした瞬間、再び火を吐こうとする姿勢に入ったのをアスターは見逃さなかった。


『今だ!』という絶妙な隙をついて、アスターが怪物の口に己の槍を投げるように差し入れた!


出来るだけ、奥の方まで力いっぱいに…。


すぐに、火が飛び出してくるギリギリの所で伯爵は手を離し、凶悪な化け物と化した元・冥界動物から飛び退()いた。


バーブナンは(すん)での所で、尻もちをついたがキメラの火を()けて、事態を見守るように目を見開いた。


ゴオオオォォォォッという炎の音と同時に、キメラの断末魔のような雄叫びが聞こえた。



怪物が激しく暴れ狂う!



キメラは恐ろしく苦しんでいるようだが、死に至るようには見えない。



「ア、アスター様?」



ハルが少し間抜け気味に、対象の怪物から目を離し、アスターの方を振り返った。



言いたいことはわかるとばかりに、アスターが悪態をついてから、ハルに説明をする。



「実際には槍の先に鉛の塊をつけてことに及ぶのだが、即席の物質変化では材料が足りないため、仕方なく、槍の先自体を鉛に変えたのだ…どうやら、鉛の量が足りなかったようだな。」



アスターの説明によれば、鉛は予定通り溶けだして、キメラの気道を塞いだが、完全ではないので窒息には至らないのだろう。


三人の顔が、少しづつ青くなる。


事態が酷くなったというか…。


キメラが苦しみから、暴れ続けているのだ。


森の結界でも破ったら、侯爵領の民家が大変なことになる。



伯爵はバーブナンの剣を借り、キメラに飛びついた。



「ハルリンド!キメラの動きを弱めるように緊縛の術をかけてくれ。封じきれないだろうが、少しは動きが鈍るだろう。」



ハルは頷いて、養成学校で習った術の一つを作動させるために、空に印を結んだ。


バーブナンが槍で、キメラの獅子頭の眼を狙う。



とにかく、無事にこの仕事を終わらせねばならない!

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