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31.ラナンクル侯爵領

 過密アルバイトスケジュールについて、アスター様と話したばかりだと思っていたが、ラナンクル侯爵領に向かう日は瞬く間にやって来た。



当日の朝、私は服装について、悩んでいた。


人間界で仕事に(おもむ)く時は、場合によってはセンターの制服が支給されていたのだ。

(勿論、普通の人間に(ふん)しているだけの時もあったが。)


『冥界ではそういう物があるのかなぁ?』

私は冥界で採用されたわけじゃないから服装に困るなぁ…。


アスター様やラナンクル侯爵領の地区はレトロな洋風貴族系ジャンルの地帯なので、現人神の現代風の仕事着とかセンターで借りてきて着たら、すごく浮きそうな気がする。


結局、悩んだ末、アスター様に相談すると、アスター様も一緒に考えてくれた。



「制服?冥王様の騎士でもやっていれば騎士服などもあるが…別に動きやすい服装で行けばいいのではないか?ドレスはマズいが…。君の場合は学校の実習で初めて転じた、自分本来の姿が良いのではないか?」



『本来の姿』というのは神性本来の基本姿の事を言っているのだ。


私の場合、必要に迫られた事が良かったのか、あの時、初めて己の本来の神スタイルを体現できた。


と言っても、服装とちょっと髪や目の色味が変わるだけで他のクラスメートのように、羽が生えたり、派手な変身では無かったのだが…。


ハルは家紋らしきマントと剣を携帯するという女性騎士のようなスタイルを体現したのだ。

『家紋』とは貴族の場合、一族によっては血の中に受け継ぐ場合がある。

高位の貴族ほど、その傾向があるらしく、冥王などは定められた後継ぎは、血の中に王の証である剣を受け継ぐのだという…。

(どうなっているのか見たことは無いが…まさにオンリーワンである。)


因果なもので認知もされていない母の家の家紋ではないかと思うが、同一族なら同じ家紋を持っている為、母が一族のどの家、出身かなど特定できるものではない。


特に私の母は勘当されているのだ。

母の実家がわかった所で、今更、母の娘ですと言い出せる訳がない。

そもそも、母の冥界での名前も知らないのだ…人間界で使っていた名前も本名かどうか疑わしい。


それにハルにしてみれば、本当は冥界の能力など体現できなければ良かったと思っている位だ。

そうすれば、人間界の現人神専用孤児院にいて、人生(神生)はもっとスムーズだったような気がするのだ。



 でも、確かに瘴気浄化や魔物討伐をするには、私の神様スタイルって、適性がありそうだわ…。

(だから、こういう仕事が回ってきているのかもしれないけど。)



ハルは出発時、アスターの意見通り、本来の神性を体現した冥界神スタイルに転じて行くことにした。



実を言うと実習以来、この姿を現したことが無かったので、使用人達はハルの冥界神らしいコスチュームとその神気を目の当たりにして喜んだ。

見送りには、ハルの姿を一目見ようと屋敷中の使用人が集まってくる始末である。


ステラなんて、眼に涙が溜まっているではないか。



「ハル様!何て冥界女神らしい立派なお姿なのでしょう…。ああ、このままこの屋敷の女主人になって下さればいいのに!」



もう、『当家のアスター様が変態だろうがストーカーだろうが、くっついてくれればいいのにと』、ステラは頭では無理だとわかっているのに…思わずにはいられなかった。


ハルの見た目は数少ない女神系の中でも、完璧な冥界神の凛々しい姿だったのだ。

当然、独身の主人を持つ使用人達も熱狂する筈だ。



ハルリンドが人間界に行くなんて、恐らく能力の…『宝の持ち腐れ』すぎる!



だがステラの発言に、ハルは目を丸くして否定に入る。



「な、何てこと言うの…ステラ⁉そんなの無理に決まってるじゃない。お屋敷の女主人はアスター様の奥様になる人(神)なのよ?私じゃ、釣り合わないのに…。冗談、やめてね。」



そして、最後に『おかしなステラ』と、少しハルが笑う。


「くーうぅ、カワイイ…鼻にかけた所の一切ないうちのハル様は、本当に非の打ち所がないお嬢様だわ!全くうちの馬鹿主人ときたら…⁉」



ステラは口の中で小さく呟きながら、アスターには、いつものように内心で悪態をつく。


冷静な執事、ホルドも…。



「初めての共同作業ですな…あ、失礼。共通のお仕事でした…。」



と、地上式・結婚式のケーキの入刀みたいな、変な言い回しをしているし…。


ハルは、使用人の二人は、相当アスターを結婚させたい為、ついに自分すら適性令嬢に見えるようになってしまったらしい…と思い、密かに小さく首を振り、溜息を吐きながらも『気の毒に』と思っていた。



 そんなこんなで、ハルにとってはアルバイトに赴くだけ、アスターにとっては、普段の仕事に大差ない勅命を少々(こな)してくるだけ…だったが、やけに盛大な使用人達の見送りを受けて屋敷を出発することになった。



フォルテナ家の使用人達は相変わらず個性的だな…と、ハルは思っていた。



 ☆   ☆   ☆



 フォルテナ邸を早朝に出て、問題の領地に到着したのは、9時を少し回った所だった。


領地に入る際の関所(せきしょ)(あたい)する機関へと二人が到着すると、フォルテナ家に勅命が届いたのと同時に、冥王から知らせを受け取っていたラナンクル侯爵家の者が待機していた。

こげ茶の髪をした痩せ型の眼鏡こそしていないが、地味な男である。(服も茶色い…。)

見た目年齢は、人間で言う所の30代前半位だろうか…。



「お話は伺っております。私はラナンクル侯爵家で侍従の一人を務めているバーブナンです。私が領内でご案内させて頂き、全てが済んだ後は当家の家令が参りますので、それまでは私に何なりと。」



挨拶を始めたバーブナンに、アスターが『堅苦しいのはいい』と止めた。



「こちらは冥王の命で来ているのだし、そちらには今回、失礼にあたると重々、承知している。仕事が済んだら、すぐに退散するのでお気遣いも不要だ。早速、愁いの森に案内してもらおうか。」


「フォルテナ伯爵…恐縮です。案内役が私風情で申し訳けありません…。」



アスターはそのまま歩き出そうとしたが、ふと、自分の後ろに隠れているハルを思い出したように見た。



「すまん、紹介し忘れた。こちらは我が家で後見しているハルリンドだ。バーブナン、社会勉強と自立を兼ねて、まだ学生だが私とペアを組んで手伝いをしてくれている。」



そう言って、控えていた彼女を前の方に押し出した。



「初めまして、バーブナンさん。人間界では少しアルバイトをしていたのですが、冥界での仕事は今回、初めてなんです。粗相がないように頑張るので宜しくお願いしますね!」


伯爵の陰で、よく表情が見えなかったハルが、前に出て礼儀正しく挨拶をする。

ニコリと笑むハルを見て、バーブナンは目を見開いた。


そして、我を忘れたように固まった。

何事かと思い、ハルがもう一度、彼に話しかけてみる。



「あの、バーブナンさん?私、何か…?」



すぐに、ハッと気付いたバーブナンが慌てて、挨拶をする。



「し、失礼いたしました!ハルリンド様が、その、美しい方なので見惚れてしまいました…。こちらこそ、どうぞよろしくお願い致します。」



深々とハルに頭を下げるバーブナンに、アスターは線のような眼をして、陰険な視線を注いだ。


ハルは少し頬を染めて、恥じらう姿を見せた。



「イヤね、バーブナンさんてお上手だわ!」



 そのまま、彼の案内で二人は、直接『愁いの森』に向かう。



ラナンクル侯爵領は、見回しただけでも実に緑の多い豊な地区だった。


高い山は無いが、街や民家の間にも、平地にいくつもの森らしき一体があり、歩きながら、小川や噴水、泉を目にすることもあった。

一瞬、天国と錯覚するような、水と緑の自然あふれる領地だという事が歩いただけでもわかる。


しかし、少し統治者の神力不足だろうか…所々、枯れた木々が見受けられた。


 バーブナンは、卒なく案内を(こな)し、時折、後ろからハルを見詰めていた。

それに対して伯爵が氷の視線を送るのだが、バーブナンは特に気にする様子もなく、アスターをイラッとさせた。



「あいつ!またうちのハルを見てる。初対面の女性をジロジロと侯爵家の使用人のクセして、無礼な奴だな!」



アスターはそう思いながら、無意識を装って、バーブナンの視線とハルの間に割って入った。



「随分歩いたが、愁いの森には、どの位かかる?」



そう言うアスターだったが、歩き始めて30分程度…伯爵のようなエネルギーの塊男から見たら、散歩にもならない距離である。



「申し訳ありません、伯爵。そう遠くはないのですが…もう少しです。」



歩きを止めて、バーブナンが答えた。



「そうか。」



アスターは別に疲れたわけでも、あとどの位か本当に知りたかったわけでもない。


ただ、ハルからバーブナンの視線を逸らしたかっただけなので、とりあえず何でもいいから、声を掛けただけである。

聞いておいて、サラリと流し、また歩き始めた。


何となく、空気感が悪いと感じ取ったハルが、バーブナンに話しかける。


そこで内心、アスターは『チッ』と舌打ちしたが、ハルから話し始めたので仕方なく、大人しく歩き続けていた。



「バーブナンさんはずっと、ラナンクル侯爵の元で仕事をされているのですか?」


「はい、父の代からこちらでお世話になっております。ハルリンド様は、伯爵様が後見されてらっしゃると伺いましたが…。」



どこまで聞いていいのか、考えあぐねたのだろう。

バーブナンが先を濁して言葉尻を終える。

ハルは特に気にせず、バーブナンに自分の身の上を軽く話した。



「実は私、地上の現人神なのですが、両親の死後、冥界の血が濃いとかでこちらの孤児として連れてこられたんです。そこでアスター様が私の養い親として後見して下さっているんです。」


「そうでしたか…。」


「でも、もうすぐ自立の歳になりますので、それに備えて、色々仕事をして社会勉強をしているんです!」


「自立ですか?大変失礼ですが、成人後…伯爵家をお出になるということでしょうか?」



怪訝な顔をして、バーブナンが聞いてくる。

それはその筈、後見までしておいて、すっぱり自立の年齢に家から出すなんて話は、滅多に聞かない事だった。



「はい!地上に戻って、現人神として仕事をしようと考えています。」


「!!」



バーブナンは驚きを隠せない面持ちだ。



そこまで傍観していたアスターだったが、ついに黙っていることも出来ず、苦虫を嚙み潰したような顔をして、話に介入をする。



「…私の落ち度だ。恥ずかしい話だが、後見制度をよく理解していなかったようでね…引き取る際、書類のある欄への記入を怠った…。法律もこんなに厳しくて、このような自体になるとは想定外だったんだ。」


「書類をの記入を⁈それはまた…。」



部外者である自分が余計な事を言いすぎてもいけないと思い、バーブナンは言葉を咄嗟に濁した。

それを見てアスターは、ばつが悪そうに続ける。



「自分の浅はかさが嫌になるよ…。だが、一時自立したら、すぐに我が家に戻ってくるようにハルには約束をしてもらった!」


「はあ…。一時、自立後に伯爵家に戻られるのですか?また?」



疑問符だらけの顔で、バーブナンが思わず(つぶや)いたように声を漏らした。

そして、そこに今度はハルが不本意とばかりに口を挟んだ。



「ねえ、バーブナンさん、おかしいですよねぇ?せっかく自立したのに、また戻るなんて…。やっぱりこれ以上フォルテナ家でお世話になるのは心苦しいので…。」


「その件についてはもう話し終わっただろう⁈ハル!約束は守って欲しい!!私が君を心配しているのがわかってもらえないのか?」



全部、話し終える前にアスターがやや声を荒げて、ハルの言葉を遮った。



「いえ、アスター様。そういう訳では…。」



アスターが少し苛立ち気味に声を荒げたので、渋々、ハルは口をつぐむ。



伯爵の機嫌が斜めになるのは困ると、今度はバーブナンが気を遣って話を変えることを試みた。



「あっ、伯爵様!ハルリンド様!見えてきましたよ。あちらが、愁いの森です!」



歩きながら話をしていたので、いつの間にか、森の近くまでやって来ていたのだろう。


 

ハルとアスターの目に前には、広大な緑地が広がっていた。



随分と広いその森は、『愁いの森』と呼ばれるだけあって、どこか悲し気で寂し気な独特の透明感ある冷たいオーラを放っている。


しかし、本来は寂し気であるそれに、どこか優しさを孕んでいるであろう森に鬱々とした黒い物が立ち込めているのがわかる。


神眼で見てみると、それは黒いおどろおどろしい負のエネルギーに転じ、瘴気を放っていた。


随分、長くその状態を放置したのだろう。


瘴気が濃くなっていて、遠く離れていても薄っすらと森から漏れ出しているのがわかる。

これは、マッド・チルドレンによく今まで狙われなかったというレベルだ…。


危険度MAXの森を眺めながら、三人はそこに吸い寄せられるように近付いていく。


これは、絶対、今日中に浄化しなければならない…。



なぜ、オグマ先生のスケジュール表の初日にラナンクル侯爵領が上がっていたのか、ハルは正しく理解した。



「早急に手を打たねばならない場所順に、予定表は作成されていたのね…。やっぱりオグマ先生って、抜かりないわ…。」



独り言のように思わず呟いたハルの声に、アスターも無言で頷いた。


『いけ好かないヤローだが、アレステル・オグマよ…仕事はデキルようだな…。』と。


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