21.一段落
ハルは異空間の歪みにより人間界と異界がつながるのを防ぐため、人間界の歪み地点に赴き、修正を施こすアルバイトをしているのだが…。
班長や那岐の話では、数年前に比べて特定の異界=冥界の瘴気が漂う地点が、やけに増えている気がするという話を聞いていた。
そういえばとハルは思う。
学校の実地試験でも、マッド・チルドレンの術者の女性が死霊をどこからか出していた。
ビルの地下…つまり土地自体から湧いて出てくるような感じがしたが、その際も確かに大量の瘴気が漂っていたではないか。
もしかすると冥界からの死者を使役していたのだろうか?
冥界で暮らせば善良な死者も、瘴気の中で人間界に呼び寄せられて、術者によって使役されると、途端に悪霊へと転じる…。
冥界の瘴気は死者が出すマイナスのエネルギーが渦巻き、毒と化したものだ。
生きた人間がしばらくあてられれば、途端に熱を出すしとても有害である。
死者でさえその大気に触れれば、腐敗し更に悪霊化する恐ろしい可能性の数々を孕んでいる。
瘴気は特に魔界や地獄と呼ばれる地の底の界に満ちているが、冥界にも突如として吹き出す地点が存在する。
冥界で瘴気が漂いやすい場所は特定されているが、そこだけに沸くかというと一定ではなく、突然、新たな場所に湧いてくる場合もあるのだ。
自分の領地に瘴気が湧いたとなると、そこを管理する貴族(神)がその度に除去したり浄化することで、冥界は平穏を保ち続けている。
だから冥界神は、瘴気を吹き飛ばすエネルギーや神力に富んでいるが、力の強い者ほど一般的に貴族としても上位の場合が多い。
ハルは、現人神養成学校で現世と他界の知識を一通り学び、それらにおける最低限の神力を現世においても体現できるように訓練した。
アスターの屋敷では家庭教師や屋敷の者、アスター本人に、直々に冥界神としての特有の能力や力の使い方など貴族の仕事と領地についてを学んでいた。
だからこそ、現世においても瘴気の穴を塞いだり、場を浄化するアルバイトは、ハルにとって、うってつけであった。
しかし、冥界でもない人間界にここまで瘴気が漂うというのは、今思えばペース的に確かに異常である…。
また、班長と那岐の声が頭に響くようだ。
『やけに最近瘴気発生が多いよな。どっから湧いてくるんだ?』…と。
正確には、湧いてくるのではなかったのだ。
そう、マッド・チルドレンの術を使える者達の手によって、彼らが瘴気を召喚していたのだ!
どういう訳か、彼らは冥界で大量に瘴気が発生している地点を的確に知っているようで、その地点と人間界が重なる地点に赴き、そこで冥界と隣接している空間を突き破ったり、境界線をそいで二つの界をつなげていたのだ。
派手につなげれば、お互いの界を管理している神々に悟られてしまう。
人間界であれば現人神達に。
冥界であれば冥王や冥界貴族達に。
マッド・チルドレンの術者達は慎重に完全に異空間の境を取り払わないように、その壁を薄くして瘴気だけを召喚していたのだ。
そして、もしものことがあれば、簡単にその壁を突き破って死者を呼び出すことを可能にしていた。
その際に瘴気を利用することで悪霊化させ、己を失った死者を使役する…実によく考えられている。
瘴気の使い道はそれだけではない。
『なぜ人間界に瘴気を満たすのか?』
それは、我々現人神達の動きを鈍らせる目的があるのだという。
人間にも悪影響がある瘴気だが、現人神…特に神道系の神が懸かっている者などは不浄を嫌い、穢れで能力が削がれる。
万が一、彼らが現人神とやりあうことになれば、少しでも自分達に有利にする必要がある。
マッド・チルドレンは魔神や悪魔と取引している者がほとんどで、もはや神の力を少しだけ受け継いでいる子孫というよりは、『闇に染まっている神から離れた者』という方が相応しい。
そんな爛れた彼らには、瘴気がむしろ、力になるのは言わずと知れたことだった。
冥界の瘴気は地上の神々の眼を欺くのに一役買う。
不浄の気に包まれると、神道系の神々はその神眼を持ってしても、余程、目を凝らさねばその中身を見ることができない。
マッド・チルドレンの術者は、冥界の瘴気発生地点に重なった土地を使って、闘技場や自分達の大事な施設を作り瘴気の結界を張ることで、そこをすっぽり現人神達から隠すことに成功していた。
その為、我々は闘技場などというものが存在することすら知らなかったのだ!
今回のカヤノの告白で、捕らえたマッド・チルドレンを尋問にかけることにより、早急にそれらの情報がそろい始めて彼らを大量に検挙することができた。
捕らえたマッド・チルドレンのうち情報採取などに利用できる者はセンターの牢に拘束され続ける。
そして用が無くなった者は記憶を消され、人間界に返される。
自分が現人神一族の力を喪失した末裔であることもマッド・チルドレンに落ちてしまったことも、何も知らない状態で人生をやり直させるのである。
ハルは心から、早くこの件が片付けばいいと思っていた。
そして本日、ようやく『闘技場』がどこにあるかが、捕らえたマッド・チルドレン達の自白と様々な情報を重ね合わせることで特定されたのだ。
これから、闘技場ごと現人神達により包囲されることになる。
その後のこともシルヴァスが教えてくれる予定だ。
この報告でようやく、カヤノも自分だけが助かったことへの罪悪感から解放されるだろう。
ハルはその連絡を受けたことを早速、カヤノに知らせるため孤児院へ向かった。
「カヤノちゃん!」
孤児院施設のリビングルームで彼女に再開し、ハルはこの事件の最大の問題である闘技場が現人神により落ちることを彼女に知らせるべく駆け寄った。
話を聞いて、カヤノはホッとした様子で、涙した。
これから、少しづつマッド・チルドレンの勢力の粛正が進んでいくに違いない。
ハルが孤児院でカヤノちゃんと抱き合って喜び、時を過ごしていて間もなく夕方頃だったか…、そろそろ冥界に帰ろうと支度をしていた頃に、シルヴァスが現れた。
随分と走り回っていたに違いない。
彼は眼の下を青くして酷く疲れた顔をしていた。
それでもこちらに向かって、シルヴァスはにっこり微笑んでいる。
孤児を保護する仕事がメインのシルヴァスだが、今回はそれ以外の仕事もかなり熟していたようだ。
アスターが屋敷で言った言葉をハルは思い出す。
「ああ、見えて軽い奴だがシルヴァスの奴は優秀なんだ。気さくで誰にでも分け隔てなく、学生時代から情報も早いし機転も利くし抜け目がない…。」
その通りだと思う。
今回の件で、彼は伝達からカクレ現人神の孤児達への聞き取り、それに新しく保護された子供たちのケアをしてきたのだ。
まだその仕事は落ち着いていないのにも関わらず、こちらの事も御座なりにすることなく誠意をもってカヤノに会いに来てくれている。
彼女の様子を見るため、そして現在の状況を説明するために…。
「シルヴァスさん、お疲れ様です!」
私もカヤノちゃんもそれがわかるからこそ、労いの言葉しか出ない。
「あれあれ、カワイイ二人にお疲れ様なんて言われると、まだまだ頑張らなきゃ~って気持ちになるなー。…状況はハルから聞いたかな?カヤノちゃん。」
少しだけ軽い調子でシルヴァスが声をかける。
「はい!本当にありがとうございました…。」
再び目に涙を滲ませながら、カヤノが答えた。
「シルヴァスさん闘技場の件は?」
すかさず、ハルが控えめに聞く。
「全て無事に取り押さえたよ。かなりの数のマッド・チルドレンとその関連人物や施設を抑えることができた。今回の規模は大きいから、マッド・チルドレンの力をかなり、縮小できた筈だ。」
シルヴァスは、そう説明すると、カヤノの方にチラリと視線を送って彼女を誉めてやる。
「このまま、奴らの悪事を根こそぎ、引っこ抜けるだけ引っこ抜かないとね!これもカヤノちゃんのお陰だよ?勇気を出して話してくれてえらかったね。」
シルヴァスは優しく笑んだ。
私もカヤノちゃんもその笑顔に胸が暖かくなる。
「実はハルにも一応報告がある…。いい事じゃないから、言うべきか迷う所なんだけど、後で耳に入っても同じだから…。」
「ハイ…どんな事でしょう?」
ドキリとしながらシルヴァスの言葉を待つ。
シルヴァスは疲れた体をどさりとリビングのソファーに沈ませて、息を一つ吐くと、私に話す態勢を作った。
「実はね、取り締まったマッド・チルドレンの供述でね…ハルのご両親の事故が…。」
私の心臓がシルバヴァスの言葉ごとに、ドキリドキリと早く打ち始めるのを感じる。
「偶然ではなかったんだ…。悪魔もトラックも事故に見せかけて、マッド・チルドレンの仕組んだことだった。」
私は一瞬凍り付いた。
何の為に…?と。
「一部の奴らが君の情報を持っていて明らかになったんだけど…。奴らはハルの事を攫い損ねたんだよ。」
攫う⁈私を?まさか!
まさか!本当にその為だけに電車事故を起こしたというのだろうか?
たった一人を攫う為に?
両親の命を奪い、一体どれだけの人間の命を危険に晒したと思っているのか。
「彼らの計算外は君のご両親だよ。まさか君の父上が悪魔を道連れにするとは思っていなかったんだろうね。それに君の母上が命を張ってあんな強い守護力を発揮するとは想定外だったんだそうだ。」
「想定外…?」
「ああ、母上の情報は彼らも把握しきれていなかったんだろう。正体があんなに強力な上級女神だったとは…ね。君を眠らせた母上は、守護魔法を存分に炸裂させた上で、君を抱いて離そうとしなかった…現人神の捜索隊が現場に着くまでね!」
結局、『タイムアウトでマッド・チルドレン達は君を攫うことができなかったんだ』と、シルヴァスは付け加えた。
「悔やまれるのは、母上が君の父親と正式婚姻を結び現人神と認可されていなかったことだ。」
「もし二人が正式に結婚できていれば、何か…違っていたんですか?」
「お母さんは現世用の肉体に改良する許可が下りた筈で…、神力の過剰放出によって消滅することも無かったし、君も既に戸籍を取得していただろうから、カクレ現人神にならないで済んだろうね。」
そう…、それは自分にもわかっていた。
もしそうなっていれば母は異界の違法滞在として扱われなかっただろうし、私達はこそこそ隠れて暮らさなくても良かったのだ。
幼い頃から何度も両親に対して、なぜ正式に婚姻を結ばないのだろうと自問自答していたのだ。
勿論、そんなことを言ってしまえば、父も母も悲しい顔をするのがわかっていたから、口に出すことはできなかった。
現世の現人神同士であれば、成人すれば本人達の同意のみで婚姻を結べるが、異界に籍を置く者同士の場合、お互いの両親、もしくはそれに代わる親(神)族の同意が必要になるのだ。
母の生家のように権力のある上級神(貴族階級)の場合、もし反対されるとその権力をにより、他の親族や知り合いにも同意させないように圧力や根回しをすることが徹底しているのだと聞いたことがある。
恐らく、二人が一緒になるためには、駆け落ちするくらいしか方法がなかったのだと今はわかる。
「でも悪い事ばかりでは無いよ。」
そう言うとシルヴァスは、その悪い事ばかりではない事をハルとカヤノに報告した。
「今回の事件を受けて、法律改正の臨時会議が開かれてさ…内縁の仲でも、ある一定の期間を過ごした場合や子供ができた場合は、法律的に婚姻を結んだ場合と同じ扱いを受けられるようにしようという案が可決されたんだ。」
ハルもカヤノもシルヴァスの声に聞き入っている。
二人とも微動だにせず、複雑とも言える表情を浮かべた。
シルヴァスは、二人の表情を見ながらも、更に話を続ける。
「それに改正案では、カヤノちゃんのご両親のように海外勤務先で子供ができた場合も帰国せずに仮戸籍を派遣先で発行できることになったんだよ。」
「それって…?」
「そうすれば、訳ありの子や妻でも行政サービスが受けられるし、海外で現人神が誕生しても国が見落とさずに済む。カクレやハグレ現人神の数を減らせるんだ。ハルのご両親やカヤノちゃんの辛い日々は、無駄ではなかったんだよ。」
「ええ、そうですよね。無駄では、ないのよね…。」
私はそう言いながら、頬から涙が落ちるのを感じていた。
「これからの子供達は、ずっと救われるようになる!」
シルヴァスは、目を輝かせて二人に断言した。
『お母さん…。』
私は、最後の母のぬくもりを思い出して、不覚にもカヤノちゃんよりも泣いてしまったのだった。
あの優しい腕を…お母さん、やはりあなたが最後まで守ってくれた!
「うっ、うっ…。ヒック…シ、シルヴァスさん、そんな気はしていたんです。そんな気が…。」
私は途中でしゃべれなくなっていた。
カヤノちゃんは私がしてあげたように、ずっと私の体をギュッとしてくれていた。
シルヴァスはただ、『うんうん』と頷き続けている…。
その後、フォルテナ伯爵家に戻った後で、自分の口からアスター様やステラに今回の事を全て報告することになったが、その時のハルの心は既にスッキリと、霞みが晴れたように、澄み渡っていた。
…涙が色々なことを浄化してくれたのだろう。




