15.アルバイトにGO!
初めての舞踏会にハル=ハルリンドが出席して以来、度々パーティの招待が増えた。
元々フォルテナ伯爵家には様々な招待状が届いているのだが、ハルが小さな子爵家の舞踏会に参加してから、その量は比ではない。
フォルテナ伯爵の屋敷では、年頃の娘を後見しているという噂がすぐに広がったからだ…。
嫁候補と少しでも多く知り合いたい貴族青年や貴族青年を持つ親が、自分の家のパーティに招待しようと招待状を送って来るのだ。
全ての招待に応じるのは不可能なので、執事のホルドに吟味してもらったものだけに赴いている。
そして、相変わらず、どのパーティに赴く時でも、アスターとシルヴァスは同行してくる。
既に社交界のこの手の集まりで、ハルは順調に男性からのアピールを受けていた。
彼女の立ち振る舞いは自然で美しいし、顔だちも整って綺麗だ。
明るいタイプではないが、凛とした印象と透明感ある涼しげな美しさがしっとりとした彼女の魅力であり、ミステリアスだと言われている。
ハルが無意識のうちに両親から教育されていた賜物か、はたまた母親を見て育ち自然に身についたのか、彼女は施設育ちとは思えない…生まれながらの貴族にしか見えなかった。
付け焼刃のマナーや態度ではなく、元来そういう風であったということが伺えるからなのだろう。
ただ、自己肯定感の低いハルはそんなことなど露知らず、
『貴族男性はこんなにも魅力のない自分にも気を遣ってくれるのだ さすがだな 素敵だなぁ』
と純粋に感動していた。
ハル本人は、自分への評価に全く疎く、社交辞令で周りが寄ってきてくれているのだと思い込んでいるため、異性が自分に積極的にアピールしにきているということをわかっていなかった…。
残念な事だ。
…が!
屋敷の者達には『フォルテナ家のハルリンドの評判』がしっかり入ってきている。
ステラとホルドは、『うちのお嬢様』が引く手あまたなのだと耳にして、日々ほくほくしていた。
自分達がお世話して、磨いたハルリンドが評価を受けているのだ。
フォルテナ家の他の使用人達もハルの境遇を知っている者ばかりで、望まれているのなら、どこへ嫁いでも愛されるだろうと彼女の幸せを確信し、誇らしいのと同時に喜ばしく思っていた。
『これできっと、ハルリンド様も現人神として地上に戻る考えを改め冥界に残るだろう』
と使用人一同、考えていた。
それなのに、歓迎しない事態が起こっている…。
ハルが人間界で現人神のアルバイトを始めたのだ!!
貴族令嬢がアルバイトをする必要は無い。
(フォルテナ家で後見している以上、養女ではなくてもハルリンドは冥界では貴族階級に属する。)
有能さが評価されて令嬢でも仕事を請け負うことはあるが、それはお願いされるからであって、報酬が発生するとはいえ、ボランティアの延長という感覚に他ならない。
勿論、仕事を持ちたいというアクティブな令嬢も存在するが、大体は跡取り娘や一人っ子の女性で、婿を取って家を継続させる使命を持っている女性だ。
自分でも領地の安寧に携わらねばならないことや婿によっては自分が女当主として立たねばならない場合を想定して、世間知らずを回避するために『仕事』をするのだ。
片親が現人神だったりする場合は、人間界の勉強にもなるので、腰かけ程度に現人神の仕事を一定期間だけ経験する場合もある。
だがいずれも、ハルのように社交界デビューしたばかりで、そんなことをする令嬢は皆無に等しい。
今は社交界での位置を確実にする時期であり、不動の位置を確保できてから仕事をしつつ社交もするというのが、自然の流れである。
特にハルの場合は、子供の頃から貴族として冥界にいたわけではないので、顔も知名度も知られていないのだ。
知り合いが少ない分、今は仕事なんてしている場合ではないのだと、ホルドとステラは口角に泡を飛ばして主張する。
しかし!
そこに立ちふさがったのがハルの現人神養成学校での担任教師、アレステル・オグマであった。
ハルはアルバイトをすると言い出す際に、担任を屋敷に伴ってきたのだ。
彼はフォルテナ家の面々に骨のある敵となり、壁のようにハルとの間に割って入る。
「そうは言いますが皆さん、それはあなた方の冥界貴族令嬢はこうでなければならないという偏見でしょう?ハルリンドさんのことを思えば、アルバイトに協力してやれる筈ですよ。」
担任が口を開けたと同時に、屋敷の者vsアレステル・オグマのゴングが鳴った!
先行=アレステル・オグマ
「18歳を過ぎたら彼女は一人で生きて行かねばならないんだ。少しでも働いて、生活のために蓄えをするのが当たり前です。」
それを受けて、今度は使用人達ではなく…対するは、伯爵アステリオス・ザンザス・フォルテナが直々に出てきた。
「ハルリンドを心配して下さるのは結構ですが、それには及びません。私は18歳になったからと言って、彼女を放り出す気はありませんし、自立の手伝いを最大限したいと思っています。」
「ほう?」
「それに彼女は、社交界入りしたばかりなので、今はそちらに専念してほしい。将来の良い相手を見付けられるかもしれませんし。持参金を含め、そのための後ろ盾も私がするつもりです。」
『それに』とフォルテナ伯爵が付け加える。
「現人神として当面、地上で生きていく選択をしても、いつでも冥界に戻れるような受け入れ先を確保しておいてやりたい…自立のための費用も出してやる予定です。」
「なるほど…。」
「ですから、急いでアルバイトをして資金をためる必要はない!他の学生と同じように授業をしっかり受けて、冥界での社交を熟してもらいたいのです。」
何も問題はないといったスタンスのフォルテナ伯爵=アスターの熱弁を聞いて、担任教師アレステル・オグマは、怯むことなく意見を返す。
「伯爵様はわかっておられない…。金さえ与えれば良いという訳ではないのですよ?いきなり現人神として、学園卒業後デビューしても、苦労するのは目に見えています。」
「何を…?苦労だと⁈」
「その前にアルバイトを始めて、社会に慣れておいた方が良いと言っているのです。勿論、自立のためにお金を稼ぐのも大事です…一人でやっていくには、あなたの援助があっても、自分で稼いで困る事は無いでしょう?」
『ふう』と息を吐いて、担任教師は立て続けに抗議を開始した。
「あなたは18歳になって自立をはじめた時、しばらく、ハルリンドさんに関われないのですよ?伯爵は自分でそういう契約をしてらっしゃいますよね?」
担任教師の言葉に、伯爵・アスターはビクリと体を揺らした…。
「つまり、彼女が現人神として困ったことが浮上した時に、保護者であるあなたを頼れないのです。私が何を言っているかわかります?ハルリンドには恐らく…何もわかりませんよ?彼女は神世界の事に特に疎いですから。」
アスターはハッとする。
保護者不在のハルの周りには、恐らく現人神の男神が群がるだろう。
彼女はうまくやり過ごすことができるだろうか…。
いや、簡単に誰かに捕まることが目に見えている。
彼女の意に沿わない相手かもしれない。
親や男兄弟がいれば、目を光らせて、本人に気が無い相手を排除したり、条件の良い相手を厳選してやれるが、成人早々でペーペーの小娘がたった一人でそんなことができるわけがない。
引き取ってわかったが、ハルは孤児院から来た娘とは思えない程、世間知らずだったのだ。
多分、担任の教師はハルの性格も良く見ているのだろう。
彼女は人間気質が抜けきれないところもあり、『人外男子の狡さ』や『神である男』が以下に鮮やかに女性を落とすかなんてわからない筈だ。
神は慈愛に飛んでいるが、伴侶にしたい相手を前にすると実に計算高い…。
賢くはあるが、そんな駆け引きなど…ハルには理解できないだろう。
誘われれば、ホイホイと信用してしまうに違いない姿が目に浮かぶ…。
確かに自分はその時、彼女に接触することすら禁じられているだろう。
意に沿わない相手に捕まってしまう様子が容易に想像される。
神の種類によっては龍神など、伴侶を番と呼び、囲う習性があるものもある。
そんなものに捕まれば悪くて監禁、良くて軟禁生活が余儀なくされるのだ。
後々そういった相手と結ばれるにしろ、生まれていくらもたっていない身空(18年程度)で、そんな生活をしなければならないなんて…不憫でしかない。
出来れば避けたい相手だ。
しかし、そういった神々の性質だってはっきりわかっていないのだ。
うちのハルリンドは…。
アスターは片手で顔を抑えた。
容赦ない担任教師の言葉は続く。
もはや、アスターには、教師の並べ連ねられた言葉が、呪文か何かに聞こえて来た…。
『ですから、早く現人神社会に出して、
あなたが保護者として効力を発揮できるうちに、
少しでも社会と仕事に慣れさせ、
近づいてくる者達を見定めてハルリンドに
教えねばなりませんね!
そんな時どうしたら良いか?
そういう相手は近づかない方がいいとか、ね。
それに早めに内部に入り込むことで知人を作り、
協力者を増やすこともできます。
あなたが彼女と関われるうちなら、
信頼できると思う相手に、
伯爵様から直接、お願いすることも…
できるでしょう?』
アスターは言い返す言葉を探したが、何も出てこない。
その機を逃さずにアレステル・オグマは、最後の一撃をフォルテナ家一同に打ち込んだ。
オグマが戦闘系の神が懸かった現人神としての本領を発揮する瞬間だ…。
「それに社交界デビューが良い結果を出しているにも拘わらず…『良いお相手を見付ける』という面では、あまり芳しくはないようですね。何でも、彼女が優良青年と良い雰囲気になっていると、途中で邪魔が入り、連れ去られてしまうとか…?」
「・・・・・。」
「私、学生時代の友人に冥界神(貴族階級)と現人神の親を持っている男がいましてね。今、人間界でなく冥界で暮らしているんです。」
ニッと担任教師が不敵な笑いを見せる。
「ハルリンドさんが気がかりで、社交界に探りを入れてもらっていました。」
アスターは教師に冷たい視線を投げたが、アレステル・オグマは動じずに続けた。
「それで聞いたんですよ…。ハルリンドさんに青年達がアプローチを始めると、しばらくして養い親が途中で連れ帰ってしまうと…。」
フォルテナ伯・アスターが驚きの色を浮かべる。
「そういう噂らしいですよ?おや、そのお顔を拝見するに、ご存じなかったですか?いや、もしかして『無意識』でしていらしたとか…。」
『無意識でした。』
アスターは思わず心の中で答えていた。
両手で頭を抱えてしまいたい。
「それでは『将来のお相手』とやらが決まる可能性は少なそうですね…いえ、全くないという訳ではありませんが、ハルリンドさんには限られた時間しかありませんし、可能性にかけるより、まずは自立・独り立ちを踏まえて計画を立てる方が効率的だと思いませんか?」
フォルテナ伯・アスターの傍にアレステル・オグマ先生がズズィと近づいた。
そして、耳元で言い聞かす様に語りかける。
普段とは違う、保護者向けの顔を張り付けて…。
「学校の授業と社交界の予定の邪魔にならないよう仕事を入れます。安心して下さい。その辺、お任せいただければ両立できますよ。悪い話ではないでしょう?そうすれば保険を掛けながら、社交活動ができるってものだ!人間界でアルバイトの件…承認してもらえますね?」
アスターはゆっくりと頷くことしかできなかった。
この担任、アレステル・オグマの話を聞いていて、屋敷の使用人達は密かに主人に毒づいた。
「何ぃ~!!なぜ、社交界での出会いの邪魔をしているんだ?アスター様は、何考えてるんだ!」
「まさか、いつも早めにお戻りだったのは、アスター様が早く切り上げて連れ帰っていたのか!」
「何の為の社交界デビューだ?!」
使用人達は、伯爵であるアスターには聞こえないよう、口々にそういった言葉を(小声で)発している。
何してるのだ、アスター様は…。
特にステラはやるせない思いで、歯ぎしりをする。
アスターさえしっかりハルのお相手を考えていれば、彼女にはもう婚約者ができていたかもしれない。
舞踏会や晩餐会などに参加した後に、そこで面識ができた貴族からだろう…次のような内容の手紙が屋敷に届けられることも多々あったのだ。
『孤児と聞いたが、自立の歳までの養育予定しかないなら、是非先にうちにくれないか?』という用件である。
花嫁の青田刈りだ。
そういえば、この件に関してもアスター様は見て見ぬふりをしていたようだった。
無意識…、そう無意識ですか。
…始末に悪い。
ステラはアスターに対し、相変わらずの朴念仁っぷりに頭痛を覚えていた。
誤作動を繰り返す主人は、自分の気持ちに気付くことさえ、未だ、できない。
気付いたところで、もう手遅れの可能性が強いなら、気付かぬままの方が良いのかもしれないと放置していたが…。
放置することで、ハル様の方にしわ寄せがくるのはいただけない。
一度伯爵には、自分の気持ちを正確に認識していただき、自分の誤作動を認めさせた方が良いのかもしれない…。
その方が無駄が無くなり、ハルの事を諦めることで、しっかり彼女の婚約者候補を選定し始めるかもしれない。
主人が(恐らく)失恋して玉砕するであろうことは残念だが、結果的には認識しなくても無意識のうちにそうなるのだから、同じである。
そう考えて、ステラはハルと他の青年が一緒にいる回数を今以上に増やし、アスター様が無意識に嫉妬して、『なぜそうなるのか?』ということを考えさせるように仕向けていこうと画策した。
アスター様・嫉妬
→ハル様に恋心(気付く)
→契約上、手放さなければならない
→数年後ハル様が他の男神に取られている可能性大
→現実を考え諦める
→ご自分の誤作動の正体を知り、前向きにハル様の婚活に取り組んでもらう!
この流れをめざそう。
ステラは頭の中に図を思い描いた。
それを知ってか知らずか、ハルの担任教師がこちらを見ている。
そしてまるで何を考えているか見透かすように、ニヤリと笑んだ。
ステラは全身に鳥肌がたった。
食えない男。
得体のしれない一教師だと、震撼してしまったのだ。
それから数日経ち、その間何度かハルは地上のアルバイトに出向いていた。
「ステラ、今日は学校が終わったら直接、人間界入りするから。夕食までには帰れると思うわ!」
ハル様が元気よく朝食の席で、今日の予定を告げてくる。
「そうですか、いってらっしゃいませ。本日はどのようなお仕事ですか?」
「それがね、このところ場所によって人間界と冥界の境が弱まっているらしいの。原因がわからなくて、冥界側をいじるわけにはいかないから、特定された場所の境の弱まった部分を人間界側から穴が開かないように補強するお手伝いよ。」
「まあ、ご立派にお仕事をされているのですね!」
「そんなことないわよ。何人かでやるから、私の担当場所はちょこっとよ。」
ハルが肩をすくませる。
「それだって、立派なお仕事ですよ。ねえアスター様!」
ステラが話を主人に振る。
「ああ、大したものだ。」
アスターも同意した。
「アスター様、本日ご予定は無かったとホルドに伺いましたが、たまにはハル様のお仕事ぶりを見学されてこられたらいかがです?」
今だ!と思い、ステラはアスターに声をかける。
アルバイトであるハルが参加するのは、全て数人で取り組む仕事ばかりだ。
ともに職務を熟すのは、ほぼ男神。
女神が少ないのだから当然だ。
『さあアスター様!是非、やきもちを焼いてきて下さい』と心の中で付け加える。
「ええ、そんなの恥ずかしいですよ!アスター様、本日はせっかくのお休みですから、お屋敷でのんびりされて下さい。」
ハルが慌てて断る体制に入った。
「でもアスター様、一度くらいはハル様のアルバイト先の状況を見てみないと心配ではございませんか?」
負けじとステラもたたみかける。
朝食を終えていたアスターは、紅茶を飲みながら新聞に目を落としていたが、『そうだな』と言って新聞をたたんだ。
「ハルのアルバイト姿も見たいし、職場での状況も確認したい。信頼できそうな現人神には、ハルの事を頼むと私から告げたいとも考えていたんだ。これからも時々、見学させてくれ。」
アスターの言葉を聞いて、ステラは内心にんまりした。
「それで、今日は何時頃に授業が終わるんだ?迎えに行って一緒に人間界に行こう。仕事は邪魔にならないように見学するから、安心してくれ。」
続くアスターの言葉にハルは引きつる。
仕事見られるって…恥ずかしすぎる!!
というより、職場に保護者が来るのって、人間感覚の強いハルにとって、過保護が過ぎるに他ならない。
アスター様の顔を覗き込むと、満面の笑みを浮かべている。
あの仏頂面の得意なアスター様が…。
更にステラの方を見やる。
余計なことを言って…という思いで彼女を見ると。
これまた、企みでもあるのかというような満面の笑顔。
ハルは溜息をつきながら、諦めた。
本日、保護者連れにてアルバイトを敢行。
…予定。
『フォルテナ家のハルリンドの評判』は屋敷に入ってきていても、『フォルテナ伯爵の噂』の方は使用人一同の耳には、入ってきていなかった。
使用人ガックリ…の巻でした。




