9.人間界にて①
久しぶりの人間界。
ずっとそこで生まれて育っていた筈なのに、肉体を使って動くのがキツイ。
冥界では肉体が必要ないので、センターに保管されていたが、しばらく使っていなかったら、こんなに体って重かったっけ?
とか、こんなに現世は空気が悪かったっけ?
とか、人間界で生活していた時には、感じなかったことに気付く。
「何だ。現世生まれのクセに、へばっているのか?そんなんじゃ、明日の実習で合格点をもらえないぞ?」
アスター様が意地悪く、声をかけてくる。
その顔は、笑顔だ。
私は今、現人神養成学校の実習のため、現世にやってきている。
なぜそこに、アスター様がいるのかというと…。
いつだったかアスター様が『いつか一緒に人間界にいこうな』といって下さったのを覚えてたようで、自分も急遽、人間界での仕事を入れ、便乗して着いてきたのだ。
もっとも、本当に野暮用だったアスター様の仕事は、朝一番で終わっている。
学校の同級生含む生徒の多くは、普段は現世で暮らしていて、『異空間』には学校に通う時くらいしか行かない場合が多い。
冥界暮らしの私をはじめ人間界以外に住む生徒のことを考えて、実習は次の日に行うことになっている。
いつも、肉体不要の空間で暮らしていると、いきなり生身の体に転じても、本調子が出ないからだ。
そのため、体をうまく扱えるように現世に馴染ませて、実習を行えるよう、実習日の前日に人間界にやって来て、一泊することになっている。
一泊目に何も予定が無いのならと、『せっかくだから人間界を楽しもう』とアスター様が提案してきて…ついてきたのだ。
そして…。
アスター様と私は、冥界とはガラリと違う人間の町並みを歩きながら、海の見える港の公園を散歩していた。
停泊している船や出店、美しく植えてある花壇などを眺めていたが、早くも私は人の多さに少々酔っている。
人間の出す毒素が多い場所だと疲れるのが早いのだ。
毎日少しずつ慣らしてけば良いのだが、久々だったので休憩を入れたくなった。
せっかく約束通り、人間界に来ているというのに、早々に休みたいなどと…一体、何と言って切り出そうかと考えていると、アスター様が意を酌んでくれたのか、
「向こうにうまいパンケーキを出す店があるらしいぞ。プリンアラモードも人気だと書いてある。」
と、先に話しかけてくれた。
アスター様の手には、こちらで買ったらしいガイドブックが握られている。
大きな体に小さなガイドブックが、何となく可愛らしい…。
「海を見ながら食べれるぞ。行ってみないか?」
「はい!この町の喫茶店てお洒落なんですよね。是非、行きたいです!!」
「よし、休憩タイムだ。」
アスターがいたずらっぽい、表情を浮かべる。
髪は元々純黒のアスター様だが、今日は目の色も黒く変えていた。
実習を行うのは勿論、現人神が多く存在する大和皇国なので、目立たないようにするためだ。
服装も人間に紛れ込むため、現世で流行りの格好を取り入れつつ、定番のジーンズに白いシャツをベースにしている。髪もいつものようにセットせず、自然な感じの黒髪が潮風になびいて無駄にセクシー。
体が大きく、長身のアスターは仏頂面をしていると、強面に見えて近寄り辛いが、元々ハンサムな顔立ちをしているのだ。
今日みたいに笑顔やイタズラな少年のような表情を浮かべると、本当にモデルさんのようにカッコイイ。
先程からすれ違う女性達がやや頬を赤くして、チラチラとアスター様を盗み見ている。
実を言うと、私も直視すると顔が赤くなりそうで、困る…。
自分がこんなに素敵な男性の隣にいるのが、何だか申し訳ない。
人酔いの疲れとは別に、違った疲れを感じていたので、お茶タイムの休憩は純粋に嬉しかった。
二人は喫茶店の方へと、そのまま自然に向かっていた。
それにしても、現世育ちの私よりもアスター様の方が、人間社会に体を馴染ませることができる上に元気だというのは…一体、どれだけ体力があるんだと思う。
腑に落ちない顔をしていると、アスター様が『ん?』という顔でこちらを覗いてくる。
一瞬、アスター様の影が近づいてきた。
思春期の乙女心に疎いアスター様は、構わず私の額に自分のおでこをくっつけてきた!
何ごと~~~!?(心の声)
思わず声をあげてしまう。
「な!なっ、なっ、何…すんですかーーー!!」
『何だ?』という顔つきのアスター様は、
「熱は無いようだ。しかし顔が少し赤いぞ。大丈夫か?」
と、マイペースで語っている…。
いや、熱なんてありません…。
その様子を遠目で見ていた道行く女性達が、次々に顔を赤くして、『きゃあきゃあ』と、悶えているではないか。
私は足早に喫茶店へ向かうべく、急いでアスター様から離れて背中を向ける。
「暑かっただけですから、御心配には及びません。」
スタスタと歩いて行く私の後を、一瞬きょとんとした顔をしていたアスター様が、何となくご機嫌な様子でゆっくり追いかけていた。
入った店は、落ち着いた雰囲気だけど、かわいい雑貨や女性が好きそうなピンクのテーブルクロスなどでコーディネートされた素敵な所で、重厚な家具が置いてあり、椅子もソファを使っている。
休憩というより、そのままずっと居たくなるような気持になる店だ。
私はプリンアラモードを頼んだ。
パンケーキがおススメの店だと言っていたアスター様は、チョコレートパフェにコーヒーという組み合わせをセレクトしていた。
いかにも甘いモノなんて食べなさそうな見た目をしているアスター様だったが、結構な甘党の様でパフェを頬張る姿がカワイイ…。
無心で黙々とパフェを食べる姿につい、吹き出してしまったら、アスター様はちょっと拗ねた様子で、
「帰ったら、私がここで何を食べたか誰にも言うなよ!」
と、脅してきた。
そして、『隙あり!!』と私のプリアラモードに乗っていたさくらんぼを生クリームごと攫っていく。
「ああ、アスター様、大人げない!」
頬を膨らました私を見て、アスター様がしてやったりと片方の口角を上げる。
「あはは、悪かったな。これやるから許せ!」
すぐに、アスター様は自分のパフェに飾りで刺さっていたハート形の薄いチョコレートを私の口に突っ込んできた。
「フグッ。」
うう…。実に貴族らしくない振舞いのアスター様に、涙目のまま、黙らせられた…。
その様子を見ていた店のお兄さんが、クスリと笑いながら近付いてきて、
「これ、良かったら新製品の試食なんで、食べて下さい~。」
と、これまた甘そうなチョコレートスフレと、口直しなのかレモンのシャーベッドを一口サイズの器に入れて持ってきた。
「わあ、ごちそう様です!」
アットホームな店の対応に、先ほどのアスター様への不服を吹き飛ばし、感謝を示すとお兄さんが首を振り、笑顔のままで答えた。
「いえいえ、そんなことより、仲の良い恋人同士で羨ましいですね~。お二人とも美男美女でお似合いだし、、、見ているだけで甘いですよね…こちらこそご馳走様です。」
と最後に頭まで下げられ、私もアスター様も顔を赤くした。
恋人同士だなんて…。
「すまんな、こんなオヤジの恋人扱いをされるなど…。」
アスター様はもごもごと小声で呟いていたが、その後、私もアスター様も一心不乱に無言でスイーツを食べ続けて、店を出た。
お兄さんは他のお客様にも、試食を配っていたが、帰り際には私の方へ片目を瞑って見せた。
アスター様が私の手を少し強く握って店の外へ引っ張っていく。
「少し早いが、宿に行こう。車を手配したぞ。」
そういって、手を引くアスター様の顔は少し硬くなっていた気がする。
そこから、数十メートル歩いた所に用意されていた車に乗ると、アスター様が口を開いた。
「この辺だとホテルが多いからな。ちょっと離れるが温泉のある宿を用意した。明日に備えて、体を解せるだろう?温泉は魂と体を馴染ませるのに良い作用をする。まあ、君に便乗して私が堪能したいのだがな。」
車に乗る前の硬い表情が嘘のような、魅力的な笑顔で説明した。
自分が堪能したい…そう言ってはいたが、明日の実習とそれに伴う実地試験を考えて用意してくれたのだとわかる。
アスター様はそういう、何気ない優しさを持っている人だと、伯爵家に来てからずっと感じていたのだ。
しかし宿に着くと、色々と困ったことが起きた。
従業員から終始、二人が夫婦か恋人であるように、扱われたのだ!
人々の送る生暖かい視線。
同室。
極めつけは、隣あった布団。
アスター様は頭に手を当てて両目を隠す姿をしていた。
そして、申し訳ないくらいに私に謝り続けた。
『決して何もしないから大丈夫だ』といいながら…。
しかしその夜は、私もアスター様も目を瞑っていたにも拘わらず、寝付けなかったようで、次の日、アスター様は赤い目をしていた。
私は目の下がやや紫色になっていた。
朝食の際、宿の女性がニコニコしながら、昨夜はよく眠れましたか~と声をかけながら、お茶を入れてくれていたが。
突然、アスター様が『本当にすまん!』と頭をテーブルに、こすりつけるように下げたものだから、私は驚いて硬直してしまった。
宿の女性はお茶を私たちに置きながら、黙ってニヤニヤしていた。
何だか、すごく誤解されているのではないかという気がしないでもなかった…。
さて、本日は微妙な一日のスタートを切ってしまったが、これから現人神養成学校の実習(&実地試験)を受けに、R組の集合場所へ向かう…。




