ジュニアスターズ
7.ジュニアスターズ
東洋電機の池田監督は、日本新記録のおまけまでつけて国体を制した拓を自宅の離れに住まわせて迎え入れてくれた。
幸い、拓は高校での学業のほうも成績優秀だったので、総務部の人事課に配属され、業務に支障がない限り、陸上競技の練習に専念できる環境を得ることが出来た。
これで、目標の第一段階をクリアした拓は、社会人として、そして、男としての器を磨くべく日々の鍛錬に励んだ。
恭子は中学2年になり、念願の100mの代表になることが出来た。
春の中体連では100mで3位に入り、走り幅跳びでは2位に入った。
リレーでは見事に優勝し、恭子はリレーを含めて3種目総てで都大会への出場権を得た。
リレーは都大会でも決勝に進んだが、8位に終わった。
走り幅跳びでは、大健闘で決勝まで進んで5位入賞を果たした。
最も期待していた100mでは準決勝で敗退し、決勝へ進むことが出来なかった。
野村は、「来年がある。」と恭子を励ましたが、恭子は悔しくて、その夜は家に帰るなり部屋に閉じこもって夕食も取らずに泣きまくった。
そして、その後は気持ちを切り替え、いつもの恭子に戻っていた。
孝之は、部屋で泣きじゃくっている恭子を心配していたが、部屋から出てきた恭子の様子を見てわが目を疑った。
「おい、恭子?大丈夫か?」
「大丈夫!来年は絶対優勝する。そして全国大会に行くわ。約束よ。そして、拓さんと同じ城東第一に入るわ。」
今までとはまるで別人のようにりんとした表情で言い放つ恭子はもはや前しか見ていないようだった。
実業団では、高校のときと違って、大会の数が格段に多かった。
東洋電機陸上部としては、種目別、選手のレベル別にあらゆる大会にそれぞれの選手を派遣していた。
ルーキーとはいえ、拓の実力は折り紙つきだったため、池田監督は篠塚健太郎と同等の扱いで競わせた。
レースになればライバルの二人ではあったが、普段は先輩・後輩の立場をわきまえ、拓はひたすら、シューズ磨きや部室の掃除など裏方の仕事にも進んで取り組んだ。
そういう高飛車ではない拓の姿勢は他の部員達からも好意をもたれ、名実ともに東洋電機陸上部の顔としての知名度を徐々に上げていった。
一方、高校選手権で、サッカー選手としての再起の夢を立たれた悠斗は、体育教師としての資格を取得すべく、地元からそう遠くない場所にある国立の体育大学へ進学した。
選手としての実績は残せなかったが、早くに再起を諦めることになったのが幸いして、自力で合格できるだけの学力を養うのにはちょうどよかった。
悠斗がこの道を選んだのには理由があった。
それは、恭子だった。
無論、恭子と拓には運命とも言えるつながりがあって他の誰もそれを断ち切ることなど出来ないことは十分に分かっていた。
それでも、悠斗は恭子に恋をしていた。
当時小学校6年生だった恭子に、高校2年の悠斗は恋をしてしまったのだ。
それは、あの連合陸上大会の慰労会の時だ。
普通に考えたら、その段階での5歳差はありえない年齢差だが、そのとき雄図が見た恭子は不思議なくらい大人っぽくて綺麗だった。
いつか拓が一人前の男になって恭子を迎えに来る日が必ず来るに違いない。
ならば、せめて、それまでの間、自分が恭子のそばで彼女を見守っていてやりたい。
そう思ったのだ。
大学に進んだ悠斗は、特に陸上競技の指導者としての基礎知識からみっちりと学んでいった。
体育教師になったからといって、恭子が進学する学校へ赴任できるかどうかは分からない。
しかし、今の悠斗には、そうするしか他に考えられる事がなかった。
その一方で、相変わらず、地元の小学校で、サッカーのクラブチームのコーチは続けていた。
そして、そのことが恭子との接点を大きくするきっかけともなった。
小学校4年生になった恭子の弟、浩人がチームに入ってきたのだ。
悠斗は、三浦浩人という名前を見る前に、恭子によく似た顔立ちの新入部員が恭子の弟だと確信していた。
新入部員は浩人のほかに4人、浩人も含め5人いた。
いずれも、ちゃんとしたチームに入ってサッカーをやるのは初めてだということだった。
考えてみれば、悠斗自身も小学校4年になって、このチームに入ったのがサッカーとの出会いだった。
それが、高校1年で選手権に出場するまでになって、怪我さえなければ、Jリーガーになって、日本代表にだってなれたかも知れないのだ。
そう考えれば、この5人の新入部員は日本サッカー会の黄金の卵なのだ。
悠斗は、ふとそんなことを思った。
新入部員の初日のメニューとしては、基礎体力と適正を見るために体力測定を行うことになっている。
浩人が恭子の弟だとはいえ、悠斗はあえて特別な目で見るつもりはなかった。
しかし、何といっても優秀なスプリンターと同じ血が通っている浩人は自然と悠斗の目を引き付けた。
50m走を行ったときだ。
5人の新入部員の中では、最先着を果たした。
タイム自体はそれほど優秀というわけではなかったのだが、スタート直後の反応が抜群で、瞬発力がけた違いのように思えた。
そう、まるで拓の走りを見ているようだ。
驚かされたのはそれだけではなかった。
スタミナがすごい。
グランド10週の持久力走では、浩人以外の4人は全て1週以上周回遅れにさせられるありさまだった。
「こいつは驚いたなあ。けっこうな掘り出し物かもしれないなあ。」
監督の寺西が浩人を見ながらつぶやいた。
野村が一中に赴任したため、この寺西が後を引き継いだ。
寺西は第五小の教員だが、悠斗と同じく、高校時代に冬の選手権に出場したほどの実力者だった。
「なんと言っても生粋のサラブレッドですからねえ。」
満足げな顔をして悠斗が答えた。
「何だ、悠斗、知っているのか?」
「ええ、母親は高校生のとき100mでインターハイに出たことがあるそうです。そして、中学生のお姉さんは2年で都大会に出場しています。100と幅とリレーに出て、100は惜しくも準決止まりでしたが、幅は5位入賞したそうです。来年は、100と幅では間違いなく優勝争いするといわれてますよ。」
「ほーう、カエルの子はカエルってヤツか。よしっ!ボールに慣れたらボランチで使ってみるか。」
「そうですね。本当は手薄なディフェンスに持っていきたいところですが、体が小さいのがちょっと気になりますね。」
「まあ、まだ4年だ。これからデカくなるさ。」
「そうですね。」
広めのリビングルームはバルコニー側を本来のリビングとして使っている。
ソファや洒落たサイドボードが置かれていて、大型テレビが目をひく。
母親の早紀は、恭子をはじめ、子供達の運動会やイベントがあるたびに、ビデオカメラを担いで撮影をしていた。
このテレビは、それを見るために孝之が奮発して購入した。
キッチンよりのスペースはダイニングとして使われていて、対面キッチンのカウンターと一体になっているテーブル席で恭子は雑誌を読んでいた。
去年の国体の記事が載っている陸上競技の専門雑誌だ。
そう、拓が日本新記録を出した時のものだ。
何度も何度も読み返しているうちに、書かれている記事を恭子は一語一句全て暗記してしまった。
向かい側の席では父親の孝之が新聞を広げて読んでいる。
キッチンでは母親の早紀が昼食の支度をしている。
「ねえ、恭子ちゃん、浩人を迎えに行ってくれないかしら?それとも恭子ちゃんやってくれる?」
早紀はタマネギをきざみながら、涙目で恭子に言った。
「そうか、今日からジュニアスターズに入ったのか。」
浩人が入ったチームのチーム名がジュニアスターズというのだ。
「どうせなら、城東タイガースに入ればよかったのに。」
城東タイガースとはこの地区では強豪の野球チームのことだ。
孝之は、熱狂的なの阪神ファンで、同じタイガースと名のついた城東タイガースに浩人を入れたかったのだ。
「仕方ないよ。今はサッカーのほうが人気あるもの。」
恭子は父親の孝之にそう言うと、雑誌を閉じてマガジンラックにしまった。
「久しぶりに小山先輩の顔も見たいから行ってくるね。」
そう言って、恭子は阪神タイガースの野球帽をかぶった。
実は孝之の影響で、恭子もかなり熱狂的な阪神ファンになってしまっていたのだ。
“ピーッ”朝礼台の上から寺西がホイッスルを鳴らすと悠斗は子供達に集まるように指示をした。
「集まれー!」
子供達が朝礼台の前に集まると、寺西は練習の終了を告げた。
「来月の大会には6年生中心のメンバーでいくが、調子のいいものがいたら5年も4年も試合に出すからそのつもりで練習しろよ。6年も、しっかりやらないと、メンバーからはずすからそのつもりでいろよ。」
「はい!監督。」
子供達は声をそろえた返事をした。
レギュラーには入れるかどうか微妙な位置にいる6年線の顔からは緊張の表情が覗いている。
逆に、5年生と春からやっている4年生たちは目を輝かせている。
今日、入ったばかりの4年生たちには、現実とは程遠いというような話に聞こえたようだ。
「よし!じゃあ、今日はこれで解散。」
悠斗が言うと、子供達は声を揃えて、「ありがとうございました。」と言いそれぞれに散っていった。
悠斗が水道で顔を洗っていると、後ろから聞きなれた声がした。
「小山先輩、浩人、どうですか?」
タオルで顔をふきながら振り返ると、恭子がいた。
「よう!久しぶりだなあ。弟を迎えに着たのか?」
「はい。」
浩人は日影になった玄関の庇の下でシューズを履き替えていた。
恭子に気がつくと、手を振って合図をした。
恭子も手を振って返した。
「カエルの子はカエルってヤツだなあ。」
「えっ?カエル?」
「ああ!あいつ、たいした瞬発力してるよ。それに持久力が群を抜いている。6年と走ってもいい勝負になるんじゃないか?」
恭子は、悠斗の評価が高いのに意外だというような顔をしたが、すぐに、納得したような表情になった。
「そりゃあそうですよ。だって、小さいときから、私達と一緒に走り回っていたんですもの。浩人はチビで走るのが遅いから、いつも必死に着いてきていたわ。考えてみればそうよね。私達からすれば遅くても、同じ4年生となら誰にも負けないくらい走ってるんだから、当たり前といえば当たり前よね。だけど、それだけじゃあ、サッカー選手にはなれないんじゃないですか?」
恭子の話を聞いて、悠斗はなるほどと思った。
「何言ってんだ?今日入ったばかりでそんなの決め付けられるかよ。だけど、あいつは、きっと、すごい選手になるような気がする。」
「まあ、先輩がお世辞を言うなんて、どういう風の吹き回しかしら?」
「いや、あながちお世辞でもないんだぞ。」
声のした後ろを振り向くと、そこには監督の寺西がいた。
「あっ!」
とっさに声を出した恭子は思わず手で口を塞いだ。
「なるほど、この子がサラブレッとのお姉さんか?さすがに、いい体してるなあ。」
寺西の言葉に、恭子と悠斗は一瞬たじろいだ。
寺西は、二人の表情を見てすぐに弁解した。
「バ、バカ!勘違いするな。スプリンター向きのいい体だといったんだ。」
すると、二人は顔を見合わせて笑った。
「監督さんったら、冗談ですよ。」
そんな話をしているうちに、浩人が恭子のそばにやってきたので、恭子は二人に挨拶をして浩人と一緒に帰っていった。
恭子は、途中で振り向いて、手を振りながら悠斗に向かってこう叫んだ。
「先輩、来月、新人戦なんで時間があったら見に来てください。絶対優勝しますから。」
悠斗は分かったと合図して恭子たちを見送った。
「ちぇっ!どうしてあのじいさんは、俺じゃなくて拓のところに現れたんだ?」
「じいさんって誰だ?」
「い、いえ、なんでもないです。」
悠斗は慌てて、その場を取り繕うように、濡れたタオルで顔を覆った。
「じゃあ、また頼むな。」
寺西はそう言って悠斗の肩をポンと叩いて自転車にまたがった。
「はい、分かりました。」
紺に白いラインが三本、胸には漢字で“一中”と書かれている。
シンプルだが、インパクトのあるユニフォームだ。
「まだデザイン変えてないんだなあ。なんか懐かしいや。」
拓は久しぶりに母校のユニフォームを見て自分が中学生だった頃のことを思いだしていた。
「やっぱり、あの紺色は強く見えるよなあ。」
紺色は一中のスクールカラーなのだ。
区営総合運動場のスタンドの中段ほどで手摺にもたれかかった、小山悠斗と西崎拓は中体連秋の新人戦陸上競技大会の会場に来ていた。
拓は、一応、有名人なのでスポーツキャップにサングラス姿だ。
もちろん恭子の走りを見にきたのだ。
「彼女の調子はどうなんだい?」
「絶対に優勝すると言ってたぞ。」
「野村先生も相当入れ込んでいるようだな。」
「なんでだ?」
「走り幅跳びやらせてるんだろう?」
「ああ、なんでも、試合に出ることがいい経験として生きてくるからだそうだ。まあ、確かにその通りだよな。」
「俺の時は、ああいう指導はしてくれなかったからなあ。先生も色々勉強してるんだろうなあ。」
「おい、出てきたぜ。」
恭子たちがグランドに出てきた。
恭子はグランドに出るとすぐに、悠斗が来ている事に気が付いた。
しかし、悠斗の隣にいる拓を見て驚いた。
「拓さん?」
恭子が手を振ると、拓は一瞬だけサングラスをはずして笑って見せた。
「先生、大変!拓さんが来てるよ。」
「なんだって?」
野村はスタンドを見渡して悠斗と拓の姿を確認すると、恭子に微笑んだ。
「今日は無様な走りは見せられないぞ。新記録を出したあいつの前ではなあ。」
「もちろんですよ!」
午前中は100mの予選と二次予選、走り幅跳びの予選が行われた。
恭子は、100mでは2戦とも軽く流して組のトップで通過した。
走り幅跳びでは、1回目の跳躍で早々と自己記録を更新して、そのまま決勝進出を決めた。
昼休みに入ると、悠斗と拓が一中の選手団に励ましの言葉を言うために控え室へやってきた。
恭子以外の生徒達は拓を目の当たりにするのは初めてだった。
「キャー!西崎拓よ!」
たちまち、控え室は大騒ぎになった。
「今日はたまたま会社が休みになったのでみんなの応援にやってきました。ボクも、4年前まではこのユニフォームを着て走っていたので、みんなにも頑張ってもらいたいと思ってこれを差し入れします。」
そう言って、紙袋を野村に差し出した。
中には東洋電機陸上部のスポーツタオルが入っていた。
生徒達は、早速、スポーツタオルを取り出すと、次々に拓にサインをねだった。
拓は、一人一人に丁寧にサインをした。
学校の先輩で、同じ地元に自宅があっても、宅の場合、高校に入ってからは殆ど、寮に入っていたので、めったに地元で顔を合わせる機会はなかったので、まさに、スターといった間隔でしかない。
逆に、悠斗はずっと、自宅から通っているし、休日のときはジュニアスターズのコーチをしているので、弟がチームに入っていたりすると、接する機械が多い分、一中生たちには人気もある。
「小山先輩、西崎選手とは仲がいいんですか?」
生徒の一人が質問した。
「幼稚園の頃からの親友さ。羨ましいだろう?」
悠斗が走答えると、いっせいに「いいなあ。」という声が聞こえてきた。
「恭子、約束忘れんなよ。」
悠斗が言うと、恭子はVサインを出して見せた。
「三浦、頑張れよ!」
拓が右手の親指を立て、恭子のほうに突き出してウインクすると、恭子も同じように親指を立てた右手を拓の方に突き出した。
「じゃあ、スタンドで見てるから。」
そう言って、悠斗と拓は控え室を後にした。
二人が去った後の控え室では、恭子が他の、特に女子生徒たちに「どういうこと?」、「知り合いなの?」等の質問攻めにあったのは言うまでもない。
午後の早い時間に、リレーの予選があり、一中は準決勝に進出した。
引き続き、100mの準決勝。
恭子はここもトップで決勝進出を果たした。
その後は走り幅跳びの決勝。
本職でないとはいえ、恭子は二度、自己記録を更新して、優勝した。
「いい走りだ。」
拓は、走り幅跳びの時の恭子の助走を見てそうつぶやいた。
「彼女はトップスピードに持っていくまでのダッシュ力が半端じゃないんだ。」
「お前の走りと似ているなあ。」
「ああ、これは偶然じゃない気がする。」
悠斗は宅の顔を見た。
「例のあれか?」
「たぶんな。」
「じゃあ、彼女も日本新記録を出せそうか?」
「いや、それは叶わないだろうな…」
拓は、どこか遠くを見るような目でグランドを眺めていた。
このことを知っているのは拓だけだ。
このことだけは、悠斗にも話していない。
そのときが来たら、彼女を支えてあげられるのはボクしかいない。
そのときまで、あと2年…




