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運命の“あの人”、運命の“あの子”

2.運命の“あの人”、運命の“あの子”




 首に風呂敷のマントをくくりつけて、ジャングルジムの天辺で腕を組み、遠くを見つめているのは西崎拓にしざきたく5歳。

幼稚園の年長で、春から小学校にあがる。

体も大きく力も強い。この幼稚園の、いわゆる番長格だ。

それでいて、思いやりがあり、年中、年少のチビ助たちからは絶大なる人気を誇る。

風呂敷のマントは今時珍しいスタイルだが、本人はそれが気に入っていて、お昼寝開けのお迎えまでの間はいつも、こうやってジャングルジムの上で迎えが来るまでの間の時間を過ごしているのだ。


「タクちゃ〜ん、危ないから降りてらっしゃい。」

担任の真弓先生が声を掛けても知らぬ顔をして遠くを見つめている。

それは、お迎えが来る道の方とはまるで違う方向なのだ。

拓がいつも見ているのは日が沈む西の方角だ。

「タイショウ、何を見てるの?」

一の子分の小山悠斗こやまゆうとがジャングルジムに登ってきた。

「ゆうと、神様って本当にいると思うか?」

「神様?」

「そうさ。ボクは絶対いると思う。」

「ボクも思うよ。クリスマスにプレゼントくれるもの。」

「バカ!それはサンタクロースだ。それに、そのサンタはたぶんゆうとのパパかママだ。」

「え〜っ?違うよ。だって、パパとママはボクの欲しいもの知らないのに、クリスマスの朝はちゃんとボクの欲しい物が枕元に置いてあるもん。」

「ゆうと、お前クリスマスの前にサンタに手紙を書くだろう?」

「うん!」

「その手紙は誰がサンタに届けるんだ?」

「郵便屋さんでしょう?」

「じゃあ、お前サンタの家の住所知ってるのか?」

「ううん。だから、ママが住所書いてポストに入れるんだよ。」

「やっぱりそうか!それはたぶん、お前のママが、パパの会社に送っているんだ。そしてその手紙を見たお前のパパがクリスマスイブの夜にプレゼント分かって帰るのさ。」

「タイショウ、それって本当なの?」

「ああ、多分な。」

悠斗は頭を抱えて悔しがった。

今までサンタクロースは本当にいると思っていたからだ。

今時、この歳までサンタクロースを信じているなんて、なんと純情な子供なのか…

「悠斗ーっ、帰るわよ。」

悠斗の母親が、迎えに来て、ジャングルジムのしたから呼んでいる。

悠斗はタクの方を見て、もう一度確認するように首を傾げて見せた。

拓は間違いないというように頷いて見せた。

母親に連れられて帰る悠斗が「ねえ、サンタって本当はパパなの?」と母親に尋ねる声と、「あら、知らなかったの?」と素っ気なく答える母親の声が拓の耳に入ってきた。

間もなく、「タクーッ、おまたせー。」と叫ぶ声が聞こえてきた。

タクの祖母、峰子だった。

タクの両親は共働きで、幼稚園のお迎えは、一緒に暮らしている祖母の役目だった。

母親が帰ってくるのは6時頃だ。

夕食の買い物をしてから帰ってくる。

帰ってくると、そそくさと食事の支度をして、出来上がる頃には父親も帰ってくる。

こうして、家族4人揃って、食事をするのが西崎家の日課となっている。

食事が終わると、拓は決まって父親と風呂にはいる。

その日幼稚園であったことを必ず話して聞かせるのだ。

風呂から上がると、みんなでテレビを見る。

そして、9時頃になると拓は布団にはいる。


 ある日、拓が近所の公園で遊んでいると、白いヒゲを生やしたおじいさんが現れて拓にこう言った。

「西崎拓、良く聞け。今日、お日様が沈む方角にある町で一人の女の子が産まれる。15年後にお前はそのこと仲良くなるじゃろう。そしてその女の子はそれから1年後に歩けなくなってしまうじゃろう。お前は決してその子を見捨ててはいかんぞ。そして、お前が支えてやればきっと奇跡が起こるじゃろう。」

拓は、逃げたくても動くことが出来ずに、そのおじいさんの話をずっと聞いていた。

体が動くようになって、ハッと思った瞬間には、既に、おじいさんは消えていた。

拓は辺りを見回したが、おじいさんの姿はどこにも見えなかった。

それは2月の3連休前の金曜日の朝に見た夢だった。

拓は、目がさめてからも、なんだか不思議な感覚が体の中でくすぶっているような気がした。

そして、その日の夜、布団に入ってすぐに、“オギャー”という、赤ちゃんの泣き声とセーラー服を着た女の子の顔が拓の頭の中をよぎったのだ。

朝の夢に出てきたおじいさんが言ったのはこのことだったんだ。

拓は、この日から、15年後に知り合うことになるであろうセーラー服の女の子の顔を忘れることはなかった。

そして、幼いながらに「今よりもっと強くならなきゃ。」そう思うようになっていた。


 小学校にはいると、近くにある警察の道場で剣道を習い始めた。

拓の父親のまさるも大学まで剣道をやっていて、二段の腕前だった。

学校では友達がいじめられていると、相手が上級生でも食ってかかった。

体格にも恵まれていたので三年生くらいまでなら互角に渡り合った。

家に帰って、風呂で父に話しをすると、ことのほか誉められた。

それが嬉しくて、喧嘩と剣道に励んだ。

しかし、勉強も頑張った。

成績は常に上位10番くらいには入っていた。

通知票でも2と1はもらったことがなかった。

小学校の上級生になると、廻りの他の小学校でも“第五小に西崎あり”という評判がたち、六年生になると、地区の陸上・水泳の競技会で1位を5種目で取った。

特に、100m走では区大会でも優勝して都大会に出場したが、風邪をこじらせ、惜しくも予選で敗退した。

噂を聞きつけた私立中学から「是非うちの陸上部へ。」といったスカウトの話が何件かあった。

両親、特に父親は私立にやりたかったようだが、拓がどうしても地元の中学に行きたいと言い張ったので、両親は拓の意見を尊重して地元の公立中学に進学させた。

 中学にはいると、拓は陸上部に入部した。

部活が休みの土・日には、剣道の道場に通うことも続けた。

サッカー部に入った小山悠斗とは今でも、親友と呼べる仲だった。

拓がトラックを走っていると、悠斗が横に並んで併走を始めた。

拓は悠斗に合わせてペースを落とした。

「なあ、拓。あの話し、まだ信じてるのか?」

拓は悠斗にだけは、あの白いヒゲのおじいさんの話をしていた。

「ああ、あれはただの夢なんかじゃない。ただの夢にしちゃあ、リアルすぎる。」

「お前が私立のスカウトを蹴って、ここに来たのもそのせいなんだろう?」

「まあな!彼女が来ていたセーラー服はここの制服だった。」

「気のせいじゃないのか?だって、彼女はずっと西の町に住んでいるんだろう?中学になったらこの町に引っ越して来るとでも言うのかねえ?例えそうでも、彼女がここに入ってくるときには、俺たちもう卒業しているだろう?」

「確かにそうだが、あの時の彼女がここの制服を着ていたのは、俺にここへ来いというメッセージなんだと思う。」

「オーケー!何かあったらいつでも力になるぜ、大将。」

そう言うと悠斗はフィールドのセンターサークルの方に向かってコースをそれていった。

拓は悠斗に手を振り、再びペースを上げた。


 ここ数年で、この町でも、高層のマンションがいくつも建ち並んで、人工が急激に増加した。

昔からこの町に住んでいる人たちに交じって、よその土地から移ってきた新住民の割合がかなり多くなった。

 三浦家も、恭子が生まれた後に二人の子供が産まれて、今住んでいるマンションが手狭になってきたため、この町の高層マンションの4LDKのファミリータイプの広めの部屋を購入することにした。

恭子が小学校4年の時に引っ越してきていた。

恭子たちが引っ越してきたのは第三小の学区域だったため、恭子たち兄弟は三人揃って第三小学校に転校した。

恭子が転校してきたときにも、まだ、“伝説のガキ大将、西崎拓”の名前は語り継がれていた。

その名前を耳にしたとき、恭子の脳裏にある記憶がよみがえった。

“にしざきたく” …なぜだかわからないけれど、懐かしい響きがする。

そして、その名前には心地よい安らぎを覚えたのである。

恭子は、いつかその人がわたしの前に現れるに違いない…ふとそんな気がした。

転校して最初に友達になった野々村仁美ののむらひとみに、放課後誰もいなくなった教室で、西崎拓ってどんな人だったのかを聞いてみた。

「お兄ちゃんの同級生がその人の親友だって聞いたんだけど、お兄ちゃんはあまり知らないみたいだから。役に立てなくてごめんね。でも、どうして?その人のことが気になるの?」

仁美は教室の後ろの方の窓際の壁にもたれかかって恭子の方を見た。

「うん、ちょっとね…」

恭子も窓に近づいて、仁美と並んで壁にもたれかかった。

「なんか訳あり?」

恭子は体を反転させて窓から外の景色を眺めながらつぶやいた。

「わたしね、“その人”のこと、生まれる前から知っていたの。」

仁美は驚いて恭子の横顔を見つめた。

そして、気を取り直して聞き返した。

「なにそれ?前世がどうとか、そういう系?」

「ちょっと違うんだけど…わたしにも良く分からないわ。ただ、“その人”がわたしの運命を左右する人かもしれないの。」

「ふ〜ん?なんか変なの。」

「そうね。」

校庭からは、どこか遠くを見つめる恭子と、後姿の仁美が並んで立っているのが見えた。


 拓は、恭子と恭子の家族がこの町に引っ越してきていることなど知る由もなかった。

まして、恭子の名前さえ知らなかった。

拓が知っているのは、15歳になった恭子の顔だけだ。

今の小学校4年生の恭子と道で偶然すれ違ったとしても、それが恭子だとは気がつかないだろう。

 この年、拓は中学校を卒業する。

あれから10年が過ぎようとしている。

計算上、“あの子”は今、小学校の4年か5年…いや、4年だ。

ここ(拓が通うこの中学校)には、どんなかたちで来るんだろうか?

もしかしたら、もうこの町にいるかもしれない。

例えば、あの新しいマンションのどれかに引っ越してきているかもしれない。

だとしたら、第三小か第四小、第五小に通っているはずだ。

拓は、自分の母校でもある第五小の校門の前に来てみた。

ちょうど、下校中の児童達が出てくるところだった。

“あの子”の面影のある子はいないか出てくる子を一人一人確認してみた。

似た感じがする子は何人かいたが、どれも違う子だった。

拓には、そう確信できた。

しばらく眺めていると、懐かしくなり、正門から校庭の方へと歩いていった。

すると、校舎の方から拓を呼ぶ声が聞こえてきた。

「お〜い!西崎君じゃないか?」

拓が振り向くと、体育教師の野村が手を振っていた。

「今、そっち行くからちょっと待ってろ。」

野村はそう言うと、ニッコリ笑って窓を閉めた。

拓が在学中、野村は5・6年の担任だった。

そして、陸上の基礎を拓に教えたのも野村だった。

拓は校庭を端から端まで見渡してみる。

なんだか少し狭く感じる。

野村はすぐにやってきた。

「お久しぶりです。」

「おう!元気そうじゃないか?ずいぶん頑張ってるみたいだなあ。」

「ええ、おかげさまで。それより、この校庭ってこんなに狭かったかなあ?」

「ああ。卒業した連中はみんなそう言うけど、校庭はちっとも変ってない。お前たちがでかくなったからそう感じるだけさ。ところで今日はどうしたんだ?」

「なんだか懐かしくなって…」

拓の表情が心なしか暗いような気がしたので、野村は心配になった。

「なんかあったのか?」

「えっ?いや、別に…」

「そうか?それならいいが…そういえば今年は受験だろう?どうだった?」

「推薦で城東第一に決まりましたよ。」

「そうか、一校に決まったか!お前なら当然だな。」

「はい。」

拓は、当然の結果だというように胸を張って答えた。

「こいつ!」

野村は呆れて、拓の背中をポンと叩いた。

「まあ、先生のおあげですよ。先生が陸上を教えてくれなかったら、推薦はなかったですよ。」

拓と野村はしばらく立ち話をした後、別れた。

拓は、学校の近くの公園でブランコに腰を降ろし、軽く漕いでみた。

思えば、あの白いヒゲのおじいさんに会ったのが、まさにこの場所だった。

「せめて名前だけでもわかればなぁ…」


 拓は、高校に進学しても陸上部に入った。

城東第一高校は、陸上の名門校で都内はおろか、関東各地の中学から優秀な選手が集まってくる。

そして都内有数の進学校でもある。

中学では、関東大会まで行った拓でも、代表になるのは至難のわざだったが、1年の秋には100×4のリレーメンバーに選ばれた。

勉強の成績も400人いる学年の中で、常に50番以内を確保していた。

もちろん才能もあったに違いないが、拓は努力することを惜しまなかった。

“あの子”が現れた時に、ちゃんとささえてやれる男になっていなくてはいけない。

その思いだけで、人一倍頑張ることができたのだ。

もしかしたら、“あの子”は現れないかもしれない…そう思ったことも何度かある。

しかし、拓は信じ続けた。

だからこそ、今の拓がある。

そして、その事実こそが本当に起こりうる運命の証であると拓は信じた。

“あの子”と出会うのは拓が大学1年の学年末、そして“あの子”は中学3年の卒業前ということになる。

あと3年…


 2年の春期大会で拓は100mの代表になり、日本記録に近いタイムで都大会を優勝した。

全国の切符を手に入れたと同時に、一躍陸上界のスターになった。

そんな時、小学校の恩師、野村から声がかかった。

「区の連合陸上大会に参加する子供たちのコーチをやってもらえないか?」というものだった。

高校の顧問からは了解を得ているということだったので、快く引き受けた。

野村の話だと、6年生を中心に第五小のグランドで、第三小、大四小の子供たちと合同練習を実施することになっているらしい。

もしかしたら、“あの子”に会えるかもしれない。

そんな期待をしたのも、引き受けた理由の一つだった。


 “伝説のガキ大将、西崎拓”はもはやこの町のヒーローだった。

恭子の家族もみんな拓のことを知っていた。

特に父親の孝幸は、拓が日本記録を更新してオリンピックの代表になるだろうとスポーツニュースで取り上げられて以来、大のファンになってしまった。

「お前たち、この町の引っ越してきてよかったなあ。オリンピックランナーの後輩になれるんだからなあ。」

「まだオリンピックに行ってもいないし、日本記録も更新してませんから。」

恭子が冷静に言うと、孝幸はむきになった。

「いや、絶対間違いない。あいつなら必ずやってくれるよ。もしかしたら、恭子だって、西崎君のお嫁さんになれるかもしれないんだぞ。」

「いやだぁ!お父さんったら。」

この頃は、そんな会話がどこの家でも交わされていたに違いない。

しかし、恭子はひそかに思っていた。

もしかしたら、案外そんなことになるかもしれない…と。


6年になった恭子は、春の運動会でリレーの選手に選ばれ、3位でバトンを受け取ると、前の二人をあっという間に抜き去り、トップでアンカーの男子にバトンを渡した。

アンカーの男子がゴール直前で抜き返されて、恭子のチームは2着に終わったが、恭子のタイムは男子より早かった。

当然、連合陸上大会では100mとリレーの選手に選ばれた。

そして、ニュースは突然やってきた。

第五小での合同練習に西崎拓が臨時コーチとしてやって来る…というものだった。

恭子は胸がドキドキして、押しつぶされそうになった。

“あの人”に会える…

合同練習の前日、下足箱で靴を履き替えていると、仁美が声をかけてきた。

「一緒に帰ろう!」

恭子は笑顔で仁美を見てうなずた。

「心ここにあらずって感じね。」

仁美にそう言われると恭子は自然に顔がほころんでいくのを感じて下を向いた。

「やっと会えるね!」

「うん。」

「私も練習見に行ってもいい?」

恭子も仁美はバレーボールのクラブに入っていたが、仁美の方は走るのが苦手だった。

運動会の100m競争もビリだった。

「練習じゃなくて、“あの人”を見に来るんでしょう?」

「へへっ!ばれたか。」

恭子は靴を履き替えると、とっとと玄関に向かって歩き出した。

「モタモタしてると置いて行くわよ。」

「あっ、まってよ。」

仁美もあわてて靴を履き換え、ケンケンして、つま先を蹴りながら恭子の後を追ってくる。

「知ってる?西崎拓って、第五小で野村先生に陸上を教わったんだって。」

「知ってるよ。」

「な〜んだ。」

仁美は、恭子が住むマンションの近くにある居酒屋の一人娘だった。

その居酒屋のマスター…つまり、仁美の父親が第三小のバレーボールチームの監督なのだ。

恭子も転校してきたときに、仁美からバレーボールに誘われてチームに入ることにした。

背の高い仁美と違って、恭子はどちらかというと小柄なほうだったので、6年生になった時、限界を感じてバレーボールはやめてしまった。

しかし、バレーボールのトレーニングで走り込みをやっていたおかげで、走るのだけは早くなった。

恭子は歩きながら、仁美にずっと顔を見られているような気がした。

だけど、振り向いて目が合ってしまったら、ばつが悪いと思ったら前を見ているしかなかった。

自然と歩く速度が早くなっていった。

「ねえ、恭子ちゃん、なんか怒ってるの?」

仁美にそう言われて恭子は立ち止った。

「ごめんなさい。なんか、恥ずかしくて…」

「わかる、わかる。私もそんな人がいたら、きっと胸がドキドキして倒れちゃうわ。」

それからは、あれこれ、仁美の恋愛観などを聞かされながら歩いた。

仁美の家の前で別れて、恭子はマンションのエントランスへ向かった。

オートロックの操作パネルにルームキーを差し込むと、エントランスの扉が開いた。

エレベーターホールに来ると、2台のエレベーターの間にあるの掲示板に合同練習の案内が貼ってあった。

“臨時コーチ、西崎拓”の文字が大きく書かれていた。

「うわっ!」

恭子は、あすの合同練習には見物人が山ほど来るかもしれないと思った。


 午前中の校庭では少年サッカーの練習が行われていた。

連合陸上大会の合同練習は午後3時からだったが、拓は久しぶりに悠斗に会うためにお昼前のこの時間に学校へ来た。

悠斗は、サッカーの名門校へ進学し、1年でレギュラーの座をつかみとった。

しかし、冬の全国選手権で対戦した相手チームの選手に足を踏まれ、骨折。

日常生活には影響がないほど回復はしたが、サッカー選手としての再帰は望めないと知り、サッカー部を退部して、今は土日限定で母校の少年チームの臨時コーチをやっている。

終了の合図のホイッスルが鳴ると、将来のJリーガーや日本代表になるかもしてない子供たちが監督の野村先生の前に集まってきた。

野村先生の横に立っているのが悠斗だった。

何やら、子供たちに一言、二言、説教しているようだったが、拓のところまではその声は聞こえなかった。

子供たたちが、そのたびに声を揃えて「はいっ!」と言うのだけがはっきりと聞こえてくる。

そして最後に「ありがとうございました。」と子供たちが頭を下げると、各々迎えに来ている保護者の方へ散らばって行った。

それを見届けるようにして、悠斗と野村先生が近付いて来る。

子供を連れて拓の横を通り過ぎる母親たちは、例外なく拓に「がんばってね。」とか「応援してるわよ。」などと声を掛けて行く。

さすがに、地元のヒーローだけあって、拓を知らないものなどこの町には存在しないようだった。

「こりゃあ、悪いことなんかできないな。」

拓はそう思って苦笑いした。

そして、悠斗が手を挙げてハイタッチを求めながら拓のそばにやってきた。

拓も手を挙げ、応えた。

「よっ!大将。」

そう言って、悠斗は思いっきり拓の手のひらを引っ叩いた。

「あいたっ!」

拓は思わず手を引っ込め、もう片方の手で引っ叩かれた手をさすった。

「相変わらずだなあ。元気そうで安心したよ。」

その後ろから笑いながら野村先生が声をかけた。

「久しぶりに飯でも食いに行こうか?」

「まさか、それって今日の日当のつもりですか?」

拓が冗談で言うと、野村はマジマジと頭を下げて手を合わせた。

「日本一のランナーに飯一杯でコーチを頼むなんて本当に悪いと思っているんだ。」

そんな野村を見た拓と悠斗は「先生、冗談だよ。」と、腹を抱えて笑った。

「それにまだ、日本一にはなってませんから。」

拓の言葉に安心した野村は行きつけの中華料理屋に二人を案内した。


 店に入ると、野村はまず餃子を二人前と野菜いためライスに生ビールを注文した。

「これは内緒だぞ。」

野村はそう言って、生ビールのジョッキを指した。

「じゃあ、俺も他のもかな?」

悠斗が言うと、「ばか!未成年のくせにふざけるな!」と、野村に頭を小突かれた。

「まったく冗談の分らん人だなあ。なあ、大将!」

拓は笑いをこらえて頷いた。

「まあいい、お前たちも早く好きなものを頼め。大きな声では言えないが、ここの店は頼んでから出てくるまでに、相当時間がかかるんだ。」

そう、小声で言う野村のうしろから店主の声が聞こえてきた。

「先生、聞こえてますよ。遅いのが嫌なら他の店に行ってもいいんですよ。」

野村は咳払いして、二人にウインクした。

「耳だけはやたら地よく聞こえるみたいだな」

再び、厨房の奥から「なんか言ったか〜?」と、声が聞こえてきた。

三人は顔を見合わせて、思わず噴出した。


 恭子の家でも昼食を取っていた。

恭子は父親が大騒ぎすると思ったから、合同練習の臨時コーチに西崎拓が来ることは言わないでおいた。

ところが、エレベーターホールの掲示板に貼られてある案内を孝幸が見逃すはずはない。

案の定、今日の練習を見に来るつもりでいるらしい。

「お父さん、やっぱり見に来るよねえ?」

「当たり前じゃないか!大事な娘がオリンピックランナーに見初められるかもしれないんだからなあ。」

「あなた、変なことしないで下さいね。恥ずかしい思いをするのは恭子なんですからねえ。」

「お前たち二人揃って、いったい俺をなんだと思っているんだ?」

「まあ、あなたはご自分をなんだと思っているのかしら?」

「ん?まあ、なんだ…よき父親とでもいうか…」 

「そうですね。あなたはとてもよき父親ですよ。ですから、優子と浩人も一緒に連れて行ってあげてくださいな。」


 恭子たちが第五小に着くと、校庭の周囲は見物人でいっぱいだった。

地元のケーブルテレビまで取材に来ていた。

恭子は、同じ第三小の友達と引率の先生と一緒に練習が始まるのを待った。

しばらくすると、校門の方がざわついて来た。

野村先生と二人の高校生らしき男の人とが歩いて来るのが見えた。

野村先生の左側の人…

間違いない“あの人”だ。



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