19.涙の卒業式
19.涙の卒業式
その日の夜、拓と知美は恭子の家に泊めてもらうことになった。
早紀が戻ってきたので、高橋は自分の家に帰った。
夕食は支度する時間もなかったので帰りにみんなで“ばれいしょ”に寄って済ませた。
仁美から一通りの報告を受けたマスターは早紀を気遣って声をかけた。
「大変だったねぇ。 俺も一時はどうなるのか心配だったが仁美から事情をきいて一安心したよ。 孝幸君は病院に泊ってるんだって? 困ったことがあったらいつでも言ってくれよ」
「どうもありがとうございます。 仁美ちゃんにはいろいろしてもらって本当に助かります」
「な~に、お互いさまよ。 今日は俺がご馳走するから腹いっぱい食べていってくれ」
三浦家に着くと、浩人は拓にゲームをやろうとねだった。
拓は浩人に付き合って、ゲームをやったが、まったく相手にならなかった。
「なんだよ。 拓さん弱っちいな」
それを見ていた知美が拓からコントローラーを奪い取った。
「浩人君、今度はお姉ちゃんが相手よ」
知美はそう言ってゲームを始めた。
なかなかいい勝負だったが、かろうじて知美が勝った。
「へへ、どんなもんだい!」
「お姉ちゃん、すげえ! ねえ、もう1回やろう」
「そうか? それじゃあ、3回まわってワンと言いな」
「え~? なにそれ?」
子供相手に威張っている知美を見ていると、拓は少し気持ちが落ち着いた。
わかっていたことだとは言え、こういう形で運命の日が訪れるとは想像していなかった。
子供のころ夢に出てきた老人は、拓が支えになることで“奇跡”が起こると言った。
果たして、自分がどう支えていけばいいのか正直不安だった。
恭子は気持ちの強い子だから、これからっ前向きに生きていくだろう。
だが、この事実はあまりにも残酷だ。
拓も“奇跡”を信じて支えていこうと固く誓った。
浩人と知美はひたすらゲームに夢中になっている。
優子は、自分の部屋で勉強でもしているようだった。
次の日が日曜日だとはいえ、もう、12時を回ろうとしていた。
「浩人、もうそろそろ寝なさい。 明日は朝から病院に行くのよ」
早紀がそう言い聞かせているところに電話が鳴った。
早紀は受話器を取り、頷きながら目頭を押さえている。
電話は孝幸からだった。
受話器を置いた早紀をみんなが注目している。
優子も電話の音に気が付き部屋から出てきた。
「お姉ちゃんが気が付いたって」
「本当?」
みんなが一斉に聞き返した。
「ええ、本当よ」
その瞬間、三浦家は歓声の嵐に巻き込まれた。
「寝てる場合じゃないわ。 みんなに知らせなきゃ!」
優子はそう言って部屋から恭子の携帯電話を持ってきた。
「貸して!」
知美がそれを取り上げて優子にウインクした。
「私のほうが早くできるわ。 私に任せて早く寝なさい」
「ありがとうございます。 それじゃあ、お言葉に甘えて」
優子はそう言って部屋に戻った。
その顔からは喜びの笑みが溢れていた。
「さあ、浩人君も!」
「わかったよ」
子供たちがそれぞれの部屋に戻ると、早紀は冷蔵庫からビールを出してきてダイニングのテーブルに置いた。
グラスを二つ取り出すと、ひとつを拓に渡した。
「お祝いには早いけど、乾杯しましょう。 今日は本当にありがとう」
早紀と拓がテーブル席に着くと、知美も寄ってきて羨ましそうに見ている。
「そうね! 高部さんもありがとう」
早紀は知美に温かい紅茶を出した。
知美が預かった恭子の携帯電話には、ひっきりなしに返信のメールが届いていた。
「こりゃあ、今夜は眠れないかも」
早紀と拓は笑いながらビールグラスを口にした。
手術後の経過は順調だった。
一週間もすると、恭子は一般病室に移され、車いすで病院内を自由に行き来することができるようになっていた。
しかし、左手と左足はまだほとんど動かすことが出なかった。
かろうじて、こぶしを握ったり足首を動かすのがやっとだった。
物をつかんだり、自力で立つにはもう少し時間が必要だった。
「焦らないで、少しずつリハビリしていこうな」
手術を担当してくれた香坂は、手術後も恭子のことを気にかけてくれて、時折、様子を見に来てくれた。
恭子も暇さえあれば、なるべく左手と左足を動かそうと意識している。
恭子が移された一般病室は6人部屋で、脳梗塞やくも膜下出血などで運ばれてきた年配の患者が多かった。
恭子の周りにはひっきりなしに誰かが見舞いに来るのに対して、他の患者のところにはほとんど見舞いに来る者がいなかった。
早紀や孝幸は、恭子の見舞いがあまりにも多いので周りの患者さんに迷惑がかかっているのではないかと心配になったが、仁美や悠斗をはじめ、陸上部の連中も他の患者さんに挨拶をしたり、話し相手になってあげたりと、歓迎されていると知り安心した。
何より、恭子はこのフロアのアイドル的な存在になっていた。
一月経つ頃から、本格的なリハビリが始まった。
すると、車いすへの乗り降りから、トイレに行ったり、入浴したり、日常生活で必要な動作は一通りこなせるようになっていった。
入院したせいで高校の受験はできなかったが、香坂の計らいで、卒業式には車いすで出席してよいと許しが出た。
卒業式の前日、早紀は病院に恭子の制服を持ってきた。
恭子はそれをカーテンレールに掛けてもらうと、ずっと眺めていた。
「おや、学校に行くのかい?」
隣のベッドの高崎さんが声をかけた。
高崎さんは二週間ほど前にくも膜下出血でこの病院に運ばれてきた。
63歳のおばあちゃんだ。
「はい、明日卒業式なんです」
「そうかい。 それはおめでとう。 ここも早く卒業できるといいね」
そう言ってニッコリ笑ってくれた。
卒業式の当日、拓が久しぶりに病院に来た。
「あれっ? 拓さんどうしたんですか?」
「今日は会社に休みをもらった」
「まさか、卒業式に来るつもりじゃないよね?」
「ああ、そのまさかさ! 野村先生から連絡をもらってね。 君を学校まで送っていく大役を仰せつかったのさ」
「いやだ! 恥ずかしい」
「これくらいで恥ずかしがってちゃ、学校に着いたら大変だぞ」
「あら? どうして?」
「あとで、高部も来るし、君のファンがみんな学校に押し寄せるらしいぞ」
「まあ、たいへん!」
「さあ、早く支度をしな。 ボクは外で待ってるから」
拓はそう言うと、病室を後にした。
恭子はカーテンを閉めて久しぶりに制服に着替えた。
カーテンを開けて車いすに移ると、病室の他の患者さんたちが紙吹雪で送り出してくれた。
「素敵な王子様がいるんだね」
高崎さんが耳元でそう言っていつものようにニッコリ笑ってくれた。
車いすで廊下に出ると、香坂先生と担当の看護師さんがいた。
「卒業おめでとう」
香坂先生が制服の胸ポケットに赤いバラの花を一輪差してくれた。
エレベーターが来ると、二人は恭子を見送り、看護師さんは病室へ検診に行った。
エレベーターの扉が閉まる直前、看護師さんの怒鳴り声が聞こえた。
「あなたたち、どういうこと? こんなに散らかして・・・」
通用口から外に出ると、拓が来るまで待っていた。
恭子の姿に気が付くと、車を降りて助手席のドアを開けた。
「本当に王子様みたい」
恭子はそう思ってクスッと笑った。
恭子が助手席乗り込むと、拓は車いすをたたんで後部座席に積み込んだ。
すると、「痛っ」後部座席から声がした。
恭子がのぞきこむと、高部知美がかがみこんで隠れていた。
「高部さん!」
「うわー! 見つかっちゃったじゃないの」
拓は運転席に乗り込むと、知美に「悪い!」と詫びて、恭子にシートベルトを掛けた。
「チェッ! 見つかったんじゃしょうがない」
知美はそう言って堂々と座席に座りなおした。
「恭子! 卒業おめでとう」
「高部さんも卒業式じゃないの?」
「埼玉は昨日だったのよ。 今日から私も正式に東洋電機の陸上部よ。 恭子も早くおいでよ。 待ってるからね。 何といっても日本で私の相手になるのは恭子だけなんだから。」
「じゃあ、行くぞ」
そう言うと拓は車を走らせた。
学校に着くと、仁美や陸上部の仲間が恭子を出迎えてくれた。
拓と知美とはひとまず別れて、仁美が車いすを押して教室に向かった。
教室に着くと、担任の野村をはじめ、クラスメートたちが拍手で迎えてくれた。
二年で陸上部の後輩でもある宮下麻衣子が胸に花をつけてくれた。
「先輩、卒業おめでとうございます。 一中陸上部は私たちがしっかり引き継ぎますから安心してください。 先輩と一緒に走れて本当に良かったです」
麻衣子はそう言いながら涙を流している。
「大丈夫! あなたたちなら安心して任せられるわ」
そう言って恭子は舞子に手を差し伸べた。
麻衣子は両手で恭子の右手をしっかりと握りしめた。
「さあ、そろそろ式が始まるぞ」
野村が叫んで恭子たちは廊下に整列した。
恭子の車いすは引き続き仁美が押して行った。
体育館に入ると、在校生や保護者からより一層大きな拍手が沸き起こった。
恭子自身は自覚していないが、恭子は学校の大スターであり、まさに時の人なのだ。
全卒業生が入場しても、拍手は鳴りやまなかった。
副校長の「静粛に」という声でようやく場内は静まり返った。
そして厳かに式が始まった。
校長や来賓の祝辞が終わり、いよいよ卒業証書授与式が始まる。
授与式が始まると、演台が舞台から降ろされた。
車いすの恭子の合わせての演出だった。
こうすることについては、卒業生はじめ、在校生、教職員、全保護者が同意してのことだと仁美が恭子に耳打ちした。
授与式は順調に進んで行き、仁美の番になった。
すると、仁美より先に恭子の名前が呼ばれた。
恭子はハッとしたが、仁美は「いいの、いいの」そう言って、恭子の車いすを押して演台の前まで行った。
校長が卒業証書を恭子に手渡そうと前かがみになる。
恭子は意を決して立ちあがろうとした。
最初は、車いすに尻もちをついたが、二度目の挑戦で、見事に立ち上がることができた。
校長は笑顔で証書を手渡した。
恭子はそれをしっかりと両手で受け取った。
会場にいたすべての人が立ち上がって拍手を送った。
恭子は、車いすに座ると、向きをかえて、もう一度立ち上がり、深々と頭を下げた。
恭子の授与が終わると、次に仁美の名前が呼ばれた。
出席番号順に並ぶと、たまたま、野々村仁美の次が三浦恭子だった。
仁美の提案で順番を入れ替えてもらったのだ。
仁美は自分の卒業証書を受け取ると、再び、恭子の車いすを押して席に戻ってきた。
拓に知美、それに悠斗は保護者席で恭子の晴れ舞台をっ守った。
「こんな感動した卒業式は初めてだわ。 自分の卒業式より感極まって、なんだか・・・」
そう口ずさんだ知美は、それ以上まともに言葉を発することができなかった。
悠斗の目にもうっすらと涙があふれている。
拓は、涙こそ見せなかったものの、恭子の姿をしっかり心に受け止めた。
孝幸と早紀は、万感の思いで恭子の姿を見ていた。
リハビリをやっている時も、杖なしでは立ち上がるところをまだ見たことがなかったのに、卒業証書を受け取るときに自分の足で立ち上がったのだ。
これ以上うれしいことが他にあろうか。
孝幸は、その後、流れる涙をごまかすために、ずっと天井を見つめていた。
早紀は、ハンカチで涙をぬぐいながら、肩を震わせている。
隣の席の“ばれいしょ”のマスターと女将、来賓席の高橋も、担任の野村も。
みんなの目に涙があふれている。
最後に卒業生の答辞となった。
進行役の副校長が卒業生代表として告げた名前は、三浦恭子だった。
「そんな・・・ わたし? 何の準備もしていないわ」
仁美がニッコリ笑って恭子を促す。
「いいの、いいの! 何も言わなくていいのよ。 前に行って礼だけしてくればいいじゃない。 それで全部伝わるわ」
仁美は再び恭子の車いすを押して、演台の脇まで行った。
「今度は立たなくていいからね」
恭子はうつむいて少し考えた。
そして顔を上げるとハンドマイクを手にした。
「みなさん、今日は私たち卒業生のためにお忙しいところ足を運んでくださって、本当にありがとうございます。 三年前、この中学校に入学して何も分からない私たちをずっと見守ってくれた皆さんや、いろんなことをやさしく教えてくれた先輩たち、どんな悪さをしても愛情を持って接してくださった先生方、そして、何よりも、どんな時も、励まし、支えてくださったお父さん、お母さん。 皆さんの優しさをたくさんもらって、今日私たちは卒業の日を迎えることができました。 今、こうしてこの場にいると、三年間はあっという間でしたが、その中には一生忘れることのできない想い出が数えきれないほどあることを改めて実感しています。 みんなで力を合わせて競った運動会、はじめて遠くまで歩いた遠足、初めて親と離れて一泊した林間学校、そして、修学旅行や文化祭。 私たちは国語や数学といった勉強以外に人と人のつながり、みんなで協力して何かをやり遂げることの素晴らしさを知ることができました。 私たちが中学校生活の三年間で経験したことは、これかの人生においてかけがえのない財産になるのだと思います。 私はクラブ活動を通じてもいろんな経験をさせていただきました。 第一中学校の代表として全国大会に行くこともできました。 そこでいい成績を収めることができたのも顧問の先生をはじめ、チームメイトや地域で応援してくださった方々のおかげだと感謝しています。 そして、よきライバルにも恵まれ、日本中の同じ競技に携わる皆さんと親交を深めることもできました。 そして、そのことで天狗になり、思いやりを忘れてしまうことのないよう、励んで行こうと思います。 卒業を間近に控えたある日、私は脳静脈奇形という病気が原因で脳出血を起こし入院しなければならなくなりました。 夜中に手術を行ってくれて先生や、24時間体制で見守ってくれた看護師さんをはじめ、多くの皆さんが私の命を救おうと手を尽くしてくださいました。 病気の後遺症で、今はまだ、左手と左足が自由に動かすことができません。 私は、せっかく助けてもらった命に対して、手や足が不自由だからといって、ふてくされたり落ち込んだりしていたのでは、助けてくださった皆さんや、治ることを信じて助けてくださる皆さんに失礼だと考え、正々堂々と生きていこうと思います。 在校生に皆さん、皆さんも、これからの学校生活や人生において、いろんな困難にぶつかるかもしれません。 だけど、私たちは決して一人ではないということを心に刻んでください。 そして、私たちを助けてくれる大勢の人たちの恩に応えるためにも、私たち自身がだれかの助けになれるような存在になれるようしっかり学んでいかなければならないと思います。 どうか、そのことを忘れずに私たちの意思を引き継いでください。 最後に、皆さんとともに第一中学校を見守っていくことを誓い、私の答辞の挨拶とさせていただきます。 卒業生代表、三年一組、三浦恭子」
恭子の答辞が終わると、みんな立ち上がって、拍手で称えた。
そして、恭子は再び立ち上がり、礼をしたが、今度はよろけて倒れそうになった。
そばにいた仁美が、すかさず恭子を支えて車いすに座らせた。
「大丈夫?」
「ありがとう」
「それにしても、恭子、すごいよ。 急に振られてよくあれだけのことをじゃべれるわね。 私感動しちゃったわ」
「うん、私も。 自分でも不思議なんだけど、自然に言葉がわいてきたの。 なんだか自分が喋ってるんじゃないみたいに」
無事にすべての式事が終了し、卒業生退場する時は惜しみない拍手がいつまでも鳴り響いていた。




